35 紫魔術師シシド1
紫魔術師は希少である。
それは同時にその才能が希少であるということだ。
たとえばローベル魔術学園においても、紫魔術師と呼べる術師は生徒はもちろん、教師にさえいない。
空間魔術学科はあっても、そこで教える講師は空間魔術が多少使えるだけで、専門とまではいかない。
そんな環境の学園であっても、数年前に凄腕の紫魔術師をひとり輩出できたという。
それに続けと学園は空間魔術にも力をいれており、近年では外部から特別講師として紫魔術師を呼びたてて講義をしてもらっていた。
そして、彼は今年になって呼ばれた学園における二人目の紫魔術師――名を、シシドと言った。
全学年で教鞭を振るった彼は、だから学園では有名人。その、背景も含めて。
「そういえば……あんた塊坤のバルカイナの元弟子なんだっけな、シシド先生」
「今も弟子だよ、生徒アオ。まあ、魔術師名は返上したがね」
そう、アカが空からの攻撃から塊坤のバルカイナを予測したように、その名前が出た段階でアオもまた弟子であったシシドの顔を思い浮かべていた。
そしてこうして相対しており、アオは予測があたってしまったことに随分と困ってしまった。
一筋縄ではいかない相手だとわかっているからだ。
それもあって、アオは低く挙手をする。
「……先生、一個だけ提案なんだけど」
「なんだね」
右を見て、左を見て、また正面に向き直る。
「ここ、離れない? 狭くて戦いづらいじゃん」
「ほう?」
シシドはすこし意外そうに相槌を打って。
「それは、俺の門による移動を受け入れるということか? いいのか、俺が遠くに飛ばしてそのまま放置とするかもしれんぞ」
「ま、それくらいは信用するよ。まさか生徒ごときに怖気づいて真っ向勝負を逃げたりしないってさ」
「ふ。本当に口の悪い生徒だ」
すっとシシドが手を振ると紫の魔法陣が閃き、彼とアオの正面に全ての光を呑み込むような漆黒が空間を割いて現れる。
遠くどこかの出口と繋げた、空間渡りの魔術である。
シシドはわざとらしく肩を竦め、挑発するように言う。
「さて、怖気づいても――」
「しないってば」
言葉途中で、さっさとアオは空間の亀裂に這入りこんでしまう。
むしろ後に残されたシシドは目を丸くして、口もとを押さえて笑みを隠す。
そして彼もそのまま空間を渡り――
外。
中庭に出る。
そこは第三校舎と第四校舎の間にある空白的な場所で、グラウンドほど広大とはいかないが魔術演習に使うこともある程度の広さはあった。
すこし間合いを置いて、アオとシシドは正面で向き合うようにそこに転移された。
一触即発……というわけでもなく、シシドは割と気さくに話しかけてくる。
「それで、俺のほうからも聞きたいことがあるんだが」
「あたしもある。交互に聞いてこ」
「それは構わんが、生徒アオ、随分と砕けた口調だな」
「敬語は敬う相手に使うもんだ。テロリストには不要だろ」
「そうかもしれんな」
意外にも怒りだすこともなく受け止め、代わりにシシドは懐から煙草を取り出し自然魔術で火をつける。
一度大きく吸い込んで吐き出し、紫煙をくゆらせる。
アオは嫌そうな顔をするも、先生と生徒という関係ではないと言い始めたのは自分なのでそこに良識を求めるのは憚られた。
シシドはそういうアオの心境を読み取り、すこし笑みがこみ上げそうだったが、話を進めることにする。
「ではレディファーストだ。生徒アオ、問いを述べろ」
「そうか? じゃ遠慮なく」本当に遠慮なく直線で問いを「あんたの師匠はなにがしたいんだよ」
「学園という制度に物申したいそうだ」
「はぁ?」
即答され、むしろアオは困惑する。
それはどういう意味か。問うよりも、問われるほうが先だ。
「次は俺だ。先の塊坤の魔術、あれを打ち破ったのは誰だ?」
「……さっきの大岩のことか? それならアカだよ。あたしの先生」
「やはり、そうか……」
目を伏せ、煙草を摘まむようにして口もとを隠す。
なにかを逡巡していることはわかるが、なにを考えているかまではわからない。
それを問いただせればよかったが、今すべき質問は別なのがもどかしい。
「次あたしだな。大量殺戮やらかすほど、あんたんとことの師匠は頭イカれちゃったわけ?」
「そうかもしれん。すこし、師のことが俺にもわからなくなった」
「じゃあ!」
「俺の問いだ」
言わせず、遮るようにシシドはいう。
「では会場中の者を眠りに就かせたのも、生徒アオの師か?」
「……そっちは姉弟子」
「素晴らしい。俺の知らないところで多くの才能が潜んでいるものだ」
心底からの発言であろう。
だからこそ行動との矛盾にアオは苛立つ。
「その素晴らしい才能ごと全部吹き飛ばすところだったんだぞ」
「そうだな。なんとも、愚かしい真似をした」
「じゃあもうやめろよ! あんたの師匠を止めて、それで終わりにしようよ!」
遂にアオはキレて声を荒らげる。
さっきからずっとずっと叫びたかった分、声音は大きくなってしまう。
対するシシドは至極冷静なままに受け止め、受け流す。
「それができたら苦労はない。あの人はもう止まらんよ。そして、誰にもあの人は止められない。ならばせめて恩義をもって、その道行きに付き添うのも弟子のひとつの在り方だろう」
「そんなわけあるか! 弟子なら止めろよ、道を踏み外させるなよ!」
「言ったろう。それができたら苦労はないと」
「っ」
静謐な言葉だった。しかし、あらゆるものがつまった一言だった。
きっと、彼も手を尽くしたのだろう。
師に思いとどまるように進言し、説得し……それでも駄目で強行され、どうしていいのかわからなくて。
それで、最後に残った師への情を捨てきれず、ヤケッパチで彼の側についた。破滅の道とわかっていながら。
そういう複雑な感情の起伏が、その疲れ切ったため息ひとつで理解できてしまう。
アオは不満げにしながらもそれ以上は差し控え、肩を落として仕方なしと割り切る。
どうせもう、彼は――
「……これ、最後の質問だけど」
「あぁ」
「もうなにを言ってもダメか? あんたも、止まれないんだな?」
「ふ」
その笑い方は、嘲笑に似ていた。自嘲に似ていた。
草臥れた、大人のそれ。
「その通りだ。生徒アオ、止めたいのならば力づくで来い」
「……わかった」
アオは現在、不機嫌である。
シシドの捨て鉢な態度。それはいい。仕方ない。
彼の師のイカれた暴挙。それだっていい。興味がない。
そうじゃない。
それらも腹立っているが、それ以上に。そんなことより。
――自らの頼り甲斐のなさが、一番不満だ。
「行くぞ!」