34 赤魔術師エフィ
――黄魔術師は戦闘に向かない。
それは魔術師戦闘者たちが出したごく一般的な結論であった。
戦いを生業とするがためにその価値観はシビアであり、予断なく実戦的でもって確定した事実である。
自然魔術ほど破壊力はなく、生命魔術ほど小回りがきかない。
造形したものを操るにも技術が要るし、前もって作っておくのなら購入しておけばいい。
総じて扱いづらく、他に劣る。
特二色や裏四色はべつに置いておくとするなら、最も戦闘に不向き。そのような判断が下されるのだ。
では、黄魔術師では青魔術師や赤魔術師には勝てないというのか?
◇
「……感情を押し殺したって、目の前の現実は変わらないよ」
「っ」
確かな手ごたえを感じて、エフィはその場を去ろうと歩いて十歩目を踏み出したその時――声が聞こえた。
明瞭で途絶えもしない、命の関わるほどの怪我を負った者の声とは信じられないくらいありきたりな声音。
エフィは驚き振り返る。
そこには、顔を歪めて腹を左手で押さえつつも――立ち上がってこちらに強く眼光を光らせるキィがいる。
「たぶん、あなたは塊坤のバルカイナさんの弟子なのかな? 彼がなんでこんなにも酷いことをしたのか知ってるのかな」
アカから聞いている。
先の空から来る巨岩は、まず間違いなく現月位九曜のバルカイナの魔術であろうと。
だから、同時に彼の弟子がつき従ってこの場にいるかもしれないと。
塊坤のバルカイナ――彼は九曜で最も多く弟子をとった魔術師であると有名だった。
「でもその理由がどうあれ、彼は今さっき多くの人命を断とうとした。それは事実。だから許されない」
「……」
エフィは答えない。
ただ目の前の事実を咀嚼し思考し、理解していく。
先の一撃を耐え、今も徐々にダメージを癒している――それは生命魔術の効能である。
造形魔術ばかりが目立つが、キィだってアカの弟子。生命魔術だって教わり習熟している。
先ほど殴りかかられる寸前に、キィは自己の強化と治癒を同時に開始。
殴り飛ばされた後にも治癒は継続され、完治とは言えないまでもまだ戦うことはできる。
「ねぇ」
しかし、そもそも戦う必要があるのか。
「あなたたちの目的はなに? どうしてわたしに攻撃をするの?」
「……」
エフィは答えない。
それで、キィは悟る。
「……そっか、あなたは師匠が大好きなんだね」
「っ」
「だから、喋るわけにはいかない。だから、邪魔になりそうな相手は退ける。理由なんて、どうでもいいんだね」
どんな理由であっても大好きな師匠が望むのなら、それだけでいい。
だから、彼女はもしかて本当に理由を知らないのかもしれないとさえ、キィは思った。
同時に、キィがなにを言っても止まらないだろうというのも頷けた。止めるのなら、力づくでしか叶うまい。
……こんなところで立ち止まって、クロを放ってはおけない。彼女の無事がなにより気がかり。
「ごめん。でも、あなたの師匠のやりたいことはやらせておけない。邪魔をするよ」
「……」
エフィは答えない。
ただ腰を落とし、拳闘のように構えるだけ。
そのどっしりとした隙のない佇まいから、きっと彼女は戦闘慣れをしているのだろうと判ぜられる。
赤魔術師の戦闘者とは……厄介だ。
かと言って、それで諦めるような教育は受けていない。キィもまた回復の生命魔術を取りやめ――造形魔術を展開する。
「じゃ、行くよ」
「ふ……っ!」
踏み込む一歩で間合いを殺す。
エフィは一直線でキィに駆け寄り――
「っ」
右に跳ね飛んで回避。
直後、壁が足下から造形され隆起する。囲うような四枚の壁は、捕縛を目的にした罠か。
いつの前に魔法陣を仕込んで……!
冷静になれば、既にあとみっつ、魔力が周辺に設置されていることに気づく。
これは……
「仕込みは済ませたよ。ただ寝転んでたわけじゃないからね」
反射的に声のほうを向いて。
飛び掛かってきたうねる鉄鎖を掴み取ることで無力化する。
しかし。
「っ」
瞬時に鉄鎖は消えてしまう。持続時間が極めて短い雑な構成――囮か。
気づいて直後、右側からなにかが広がる。
「布?」
真っ白なシーツが広がりながらエフィに覆いかぶさる。
それはキィの最も想像しやすい、自分が寝るときに使っているそれに酷似している。
シーツはそのままぐるりと少女に巻きつき、身動きを――
「邪魔」
容易く引き裂いてその拘束を解く。
そしてできるだけ素早くその場から離れる。
まだ罠がふたつ残っている。立ち止まっていてはやられてしまう。
エフィは魔力反応を必死で知覚しつつキィとの距離を詰める。
どんな仕掛けがあろうとも、結局こちらの間合いになれば勝つのはエフィだ。
無論、すぐに接近するのはわかっている。進路を予測できていた。
三つ目の魔法陣は――非常に小さい。
よく目を凝らさねば見つけられず、慌てて走っている少女に捉えられるはずもない。
造形されたのは小さな突起。それが複数林立する。
「っ」
気づいたのは、足に引っ掛かるものを感じてはじめて。
しかし。
「無駄」
多少の障害など、極限まで強化した肢体には無意味。一瞬だけ浮きそうになる身を制御して、力を足に集中。蹴り抜いて突破する。
一瞬、バランスは崩れ走行が乱れたが、転ぶ不様にはならない。
エフィはきっと鋭く前方の魔術師を睨み、一足飛びで
――頭頂部に思いもよらない衝撃を受けた。
「え」
それは下に意識を向けさせることで、完全な死角となった空から石を落下させるというシンプルな手法。
先ほどの、塊坤の一撃をヒントに重力を利用した落石の魔術である。
一抱えほどのサイズの落石物を頭にくらっては、人はあっさり死んでしまう。ただ強化されたエフィはダメージはあっても死にはせず、けれどそれで充分。
「やっと隙を晒してくれたね」
頭に強い一撃を受け、数秒思考が決裂する。足がおぼつかない。
動きが止まればこっちのもの。キィは最後にもう一度だけ鉄鎖を造形し、それでもってエフィを捕らえることに成功する。
◇
黄魔術師では青魔術師や赤魔術師には勝てないというのか?
――否である。
キィはアカに教わった。
造形魔術は、ほかの色と戦い方が異なるだけだと。
決して劣ってなどいないと。
ほかの色相魔術師たちがどうとは聞いていないが――黄魔術師が戦いに勝利するために必要なもののは聞いている。
黄魔術師に必要なのは、想像力と応用力。
そして、あるひとつの魔術技法――それの名を設置式という。
初級の応用技法であり、魔法陣を置いてから発動までの間隔をあけることができる。遠隔に魔法陣を置く技法と合わせることで、魔術を罠仕掛けのように時間差をつけて発動できるのだ。
これの難点は、同時に展開できる魔法陣の数によってはただ間を置いた発動にしかならないということ。タイミングを凝らして魔術を行使するのはよいかもしれないが、それなら即時発動の時機を見極めるのと大差ない。
複数の魔法陣を設置して、多角的に攻めることができる点にこそ有用性があり――造形魔術を得意とし、かつ魔法陣の同時展開を得手とするキィに適した技法だった。
ただ、これを十全に使いこなすには相手の挙動を把握し尽くし、その移動を予測しながら制限し追い込むような予知じみた思考が必要となる。
パズルのように他者の動きを設置した対象とぶつけるように当て嵌め、回避された先に次の罠を敷く。それを失敗しても次のための足がかりにする。
盤上遊戯にも似た予測演算を、三次元の現実に持ち込むという暴挙。
ひとに嫌われないようにと相手を思い遣り。
ひとに好かれるようにと相手を見つめ。
ひとに忘れられないようにと効果的に言葉を選ぶ――そういうことを日常的にしていたキィだからできた、恐るべき観察眼の為せる業である。
「っ、あー。魔力使いすぎたかも……」
身体がすこしふらつく。
余力はまだまだある。だが息を整える時間が欲しいくらいには疲れた。久々に全力で魔術を行使した――それも短時間に二度も――代償だ。
キィはアオと違って全力を出すことに慣れているわけではない。
だがそんな暇も惜しい。エフィを捕まえるのに時間を多く浪費した。
早く、早く。
「クロのもとに行かないと――!」
いや、求められるもの多すぎてそりゃ黄魔術師は戦闘不向きって言われるわ……