33 師弟相対
「ん」
キィが走って外へ出ていき、アカが魔術でその場からぱっと消えて。
ひとりそこに残ったアオはシロのもとに急ぐでもなく――静かに瞳を細め、臨戦態勢へと移行していた。
アオがこの場に残る選択をした理由。
それは、すぐにここで戦闘がはじまると三人ともにわかっていたから。
最も戦いに適したアオがここを任された。
「見てるんだろ、隠れてないででてきなよ」
「……俺を察していながら、三手にわかれるのだな」
「わたしひとりで充分だからね」
「ふ」
嘲りとも言い切れない乾いた笑みとともに、その男は現れた。
虚空を切り取り遠く繋げた――門と彼が名付けていた空間の揺らぎ。
そこから現れ出でるその男は、黒髪に紫のメッシュが入った仏頂面をした壮年の魔術師だった。
「度胸は買おう、生徒アオ」
「はっ。あんたを敵にするとは想定してなかったよ、シシド先生」
アオは彼を知っていて、彼もまたアオを知っている。
なぜなら紫魔術師シシド――彼はローベル魔術学園の特別講師を務めていた男だ。
◇
「ふむ、ふむ、ふむ」
そこは、学園の時計台の上。
この敷地内で最も空に近い建物、その解放されてもいない屋上だった。
「すまんの、若いの。わしはおぬしを知らん」
時計の巨大さに比例して意外に広いそこに、老人はひとり佇んでいた。
縮こまったように腰を曲げた、枯れたように細い身を杖で支えて、顔は皺くちゃの。
七十には到達していそうな、老いた魔術師。
しかし、全身から漲る魔力は怪物と断じて差し支えなく、それだけ生命に溢れ返っている。
眼光は斬り裂くように鋭く、刻む笑みはどこまでも不敵。
その見た目に反して、弱いという言葉が一切合切似つかわしくない壮健にして強烈なる老爺だ。
突然に空間を割って現れたアカにも一切動ずることなく喋りかける肝の据わりようは尋常ではない。
そのくせ人を食ったような態度はまるで自然体、どこにも力んだ調子もなく当たり前に会話を進める。
「わしの塊坤を打ち砕いたのだ、さぞや名の知れた魔術師であろ?
新参の九曜か? 順番待ちか? それともまさか、人ですらなく精霊であったりしての?」
ひょひょひょ、と老爺は笑う。
歳に似合わぬ快活な笑い方だった。
アカもまた常を忘れず笑みを貼り付け、柳の如くしなやかに。
「どれでもありません。私は通りすがりの魔術師、名をアカと申します」
「ふん、左様か」
つまらなさげに鼻を鳴らしたのは、それが偽名であると判じたから。
アカだなんて、魔術師名としても雑にすぎる。明らかな偽名だろう。
「まあ、よい。
名乗れんでも、わしの名は言えるであろう?」
「ええ、勿論ですよ。お初にお目にかかります――塊坤のバルカイナ氏」
「如何にもわしは塊坤のバルカイナ。黄の九曜を担う魔術師である」
◇
「急げ急げ……!」
アカのように空間魔術でひとっ飛び、とはいかないのでキィは足を走らせ校舎を目指す。
クロがお手洗いに行くということで別れたのは聞いた。なら校舎玄関から一番近いトイレに向かえばその途中で遭遇できるはずだ。
客席を出て外へ。すぐにまた校舎の玄関に向かって――
「っ!」
――ここにいたら死ぬと全身が警報を鳴らす。
キィは急ぎその場から跳び退く。
空から人型の鉄槌が降ってきた。
「ふん――!」
大地は粉砕され、土煙が舞う。
キィはさらにバックステップで距離をとり、その場に現れた者を見遣る。
校舎の屋上から飛び降りて、キィを頭上から踏み潰そうとしたそれは――赤毛の少女だった。
「こんなときにっ――誰!?」
「赤魔術師、エフィ」
鉄槌の少女は酷く端的に答えると、それだけで問答は終わった。
エフィという少女は恐るべき速度で距離を詰めると、突撃槍もかくやの拳撃を繰り出す。
名乗りを聞いた時点で転がるように避けていなければ、キィに直撃していた。そしておそらく、クリーンヒット一発でキィは悶絶して行動不能になる。
五階建ての校舎から飛び降りても無傷で着地でき、踏み締めるだけで地を砕く。風のような素早い動きと空を打つだけで威力がわかるほどの剛力。
全て、生命魔術による身体強化である。
魔術師なのに自らを強化して近接格闘をこなす――魔術戦士!
「わたしの一番苦手な相手ー!」
泣き言を叫びながらも杖を取り出す。魔法陣は閃く。
その数は一枚。数を捨てて速度を求める。
そのお陰で距離を詰め切られる前に魔術として物質を形作る。
彼我の間で鎖が花咲くように乱れ飛んだ。
「……」
エフィは反応速度も迅雷。
七本の鎖――直線の三本を体捌きだけでかわし、うねる一本を驚異の速度で掴み取る。迂回して側面から来る三本のうち右側に今つかんだ一本を放ってぶつけ、空いた隙間に身を通す。
「うそ……!?」
そうして間合いを詰めた赤魔術師は、驚くばかりのキィを捉え――
「ばいばい」
強化されたその拳を打ち込んだ。
◇
状況は次々と入れ替わり、想像を絶するほどに恐るべき魔術がこの地で連続する。
巨岩の降下。
雪の柱の隆起。
そしてそれらをまとめて消滅させた色のない力そのもの。
まるで神話か御伽噺のような光景だった。
それをただ眺めることしかできない矮小なる少女たちは、ひたすらにこの状況に困惑しかできない。
沈黙を破ったのは、これまでの会話で類推を立てられたクロ。
「あれ……さっきの迫ってくる天井」そうとしか、下からは観測できなかった「もしかして――あなたの師匠の仕業?」
「……だとしたら?」
「沢山死ぬところだったわ」
「そうね」
「わたしもあなたも、死ぬところだったのよ」
「そうね」
「――なにやってんのよ、あなたの師匠は!」
激憤とともに発せられた糾弾。正当なる怒り。
ほんのわずか違えば今頃巻き起こっていたはずの大量虐殺を空想し、クロは吐き気を催してしまう。
だというのに目の前の少女はどこ吹く風、特段に思うこともないと肩を竦めるばかり。
クロは頭にきてしまい、思わず感情的に怒鳴ってしまう。
嫌味な奴だとは思っていたが、これほど腐れた愚か者だったか――!
「あなたもよ! あなた師匠がしでかすこと、知ってたんでしょ? なんでこんなバカなことを止めなかったの!?」
「もちろん、我が師の言葉は絶対だからよ。師がすると言った以上、弟子はそれを助けるのが務めでしょう?」
「はあ? なによそれ! あなた師匠が言ったらなんでもするの?」
「するわよ、決まってるじゃない」
その言いように、クロはとても腹が立つ。いっそ誇らしげな顔にむかっ腹が立つ。
覚えず、苛立ちのままに子供のような問いを叫んでしまう。
「――じゃあ師匠に死ねって言われたらあなた死ぬの!?」
「死ぬよ」
「っ」
間髪入れずに、ミーティは断ずる。
強固な意志はとる揚げ足すらない。
「師匠はアタシを救ってくれた。師匠はアタシに力をくれた。師匠は、アタシのぜんぶ!
あなたも見たでしょう、さっきの塊坤はアタシごとなにもかも破壊してたわ。師匠が望むのなら、それでもよかった。死んでもよかった。
――それと同じよ、アタシ以外の千人万人死んだってかまうものか!」
「ばか!」
断ずるミーティの盲目的な信仰は理解できる。
クロだって師の教えはいつだって正しいのだとどこかで無条件に信じ切っている部分を自覚している。
けれど。
「ぜんぶですって? ぜんぶ先生に投げつけて、じゃああなたは誰なのよ!」
「アタシはアタシよ、師匠がくれたミーティよ!」
「じゃあ自分の意志で考えなさいよ! それができなければあなたなんかいないわよ!」
「うるさい、花屑。摘み取って千切ってやろうか!」
「いいわよ。やってみなさい! その喧嘩買ってあげるわ、淑女としてね!」
高ぶる感情に従って、ふたりの魔力は炎のように熱く燃える。
花屑……花位の者を蔑んだ呼び方。