32 三手散開
見上げれば晴天、清々しい陽光と気ままな雲だけが広がっている。
寸刻以前の破滅の予感など嘘のように消え去って、空はのどかに青かった。
「さて」
これで直近の問題は解決――しかし。
既に目の前には三つの問題が新たに並べられている。
一つ目、はぐれたクロのこと。
彼女の安全の確保しなければならないが、そのクロの傍に誰かがいる。敵性かそうでないかすら、わからない。
二つ目、おそらくシロが眠りに就く。
流石のシロでもこの大規模の魔術を、さらに後遺症なしにと精密に施しては余力はなかろう。
そして三つ目――先ほどの塊坤の魔術と同質の魔力反応が遠くで昂ぶっている。
先ほどの岩塊を降らせた魔術師が、第二撃を発動しようと術式を構築しているのがわかる。
このまま放っておけば、惨事は免れない。
「アカ!」「センセ!」
「アオ、キィ」
舞台と客席との境を飛び越え、アオとキィはすでにこちらに来てくれていた。
それも、寄り道をして。
「シロから言伝! ――三十分、だって」
「……そう、ですか」
つまり、あと三十分ほどは夜曲の音色が観客たちを眠りに落としてくれる。
その間なら、アカが自由に動けるということ。
その間で済ませないと、アカが動けなくなるということ。
「でも、それの維持のために寝るって」
「ええ、助かります」
「というか、シロってもしかして寝ながら魔術を維持できるの……?」
「それが彼女の『白痴遊夢』の特性のひとつですから」
睡眠と夢とを司るために、眠りし夢の中でもそれを行使できる。
むしろ術を維持するという目的ならば眠りながらのほうがコストパフォーマンスに優れる。
「……」
アカはそこで口元に手をおいて思案する。
彼は天に至ったとされる魔術師である。
魔術師を超越したた三人だけの導師である。
アカは、御伽噺の魔法使いである。
けれど、アカにできないことは沢山あって。
届かない場所、わからないこと、数えきれない。
全知でも全能でもなく、やはり只人でしかない。
全てをひとりで終わらせることなどできやしない。
だから選ばなければならない。
この場で最善であろう選択を、ひとつに決めなければならない。
問題はみっつ。この場には三人。ならばなすべきは――
「ふたりとも」
「ん」
「どうするの」
アカは、そこで頭を下げる。
驚くふたりを制して言葉を綴る。
「申し訳ありません。ふたりの力を貸してください。どうにも、私ひとりではこの場のすべてを解決することができないようです」
時間が足りない。
今にも刻一刻と過ぎ去って、事態は進行し続けている。
無理にひとつずつアカが推し進めようとしても、どこかで決壊するのは明白で。
だからこそ。
時間の不足に対する人の答えは、いつだってほかの人の手を借りるしかない。
それは苦肉の提案だった。
それは断腸の選択だった。
師として弟子らを危険にさらすとわかっていながら力を借りたいだなんて、自己の不足加減に憤懣やるかたない。
大事にしたいと言っておきながら危地に誘導するだなんて手酷い裏切りのようで、どこまでも申し訳ない。
けれど、なにが最善かをアカは理解していて。
自分が嫌われても、彼女らが去ってしまったとしても、それでも生きて欲しいと願うのだ。
ここでふたりの助力を得られなければ、きっと弟子の誰かがこの場で死んでしまう。それだけは嫌だった、どうしても。
そんな悲痛な感情を滲ませるアカの願いに、どこか草臥れたため息を吐き出すのはアオ。
「はぁ……。アカ、頭上げて。ていうか頼まないでくれよ」
「え」
「やろうって、言ってくれればいい。アカだけに全部押し付けて自分はなにもしないで安穏だなんて、あたしは絶対イヤだぞ」
「そうそう」
続けてキィも深く頷く。
仕方がないなぁ、といった風情がにじんでいる。
「わたしたちを、もっと信じてよ。大丈夫だよ。だってセンセが教えてくれたんじゃない。戦い方も、こういう時に頑張らなきゃいけないって思う心も」
だから。
「あたしらはなにをすればいい?」
「教えて、全力でやり遂げてみせるから!」
「……はい。ありがとうございます」
こんな時なのに頼もしくってうれしくって――顔を上げたアカの表情は、噛みしめるような笑みだった。
「残る三十分で全てを終わらせて、もとの平和なお祭りに戻りましょう」
宣すればいつもの調子に戻って、アカは手短に説明を。
「現状、問題は三点。ひとつにはぐれてしまったクロ」
「あ、そう、クロ!」
「はい?」
その人名に強くアオは反応する。伝え忘れていたことがある。
「シロの伝言がもうひとつあって、アカとあたしたちだけ術の対象から外したんだけど、クロの近くにいた誰かもたぶん対象外になっちゃったって」
「やはり、そうでしたか。クロの近くに、誰かが起きている。それがどなたかわかりませんが――」
「悪いひとかもしれないってことか」
「はい。そのため、彼女を回収、できればそのまま屋敷に避難してほしいのです」
アカの鍵による屋敷への帰還。
この混乱とした状況ではそれが一番の安全である。
キィが、そこで手を挙げた。
「じゃあ、それはわたしがやろうかな」
「お願いします」
「じゃああたしはなにをすればいい?」
まだふたつ、やらなければならないことがある。
アカはうなずいて。
「アオはシロの回収と、アドバルドを見つけてくれませんか」
「シロはわかるけど、学園長も?」
「はい。シロにアドバルドだけ起こしてもらい状況を共有し、彼の判断を仰ぎたい」
この国際的イベントに巻き起こったテロリズム。
そして会場全員を眠らせてしまったこと。
そこらへんについて、この場の責任者にきちんと話を通した上でその後のことを考えてもらいたい。
政治的な問題について、アカは門外漢である。
「それでなくてもアドバルドはこの場で私のことを知り、頼りにできる魔術師でもありますので、手が増えます」
「わかった、任せて」
アオもキィも聞き返したりはしない。時間がないのはわかっている。
けれど、残るひとりの最後の
「……アカはどうするの?」
「私は、」
ふとどこか遠くを見つめるように、アカはある一点を見据えて。
「私は迷惑な催しを繰り返そうとする魔術師を止めに行きます」