授業・選択
「では授業を再開しましょうか」
アオとキィが特訓する庭からすこし離れ、外の原っぱにて青空教室。
庭からふたりの妙に強い視線を受けながら、アカはいう。
「ひとつクロに考えてもらいたいことがあります」
「はい!」
元気いっぱいでやる気も充分。
どうやらクロの頑張りにアオとキィが触発されるより、その逆にふたりの姿にクロが奮起しているようだ。
「教本魔術を幾つか覚え、発動を成功させたことで魔術師として第一歩を踏み出しましたので、ここから魂源色の魔術を伸ばしていくのが私の方針なのですが」
アカの教育方針は「得意をまず伸ばし、不足を補い、不得意を最低限に」であり、けれどクロは全色に適性をもつ黒色魔力。
「わたしは黒色魔力だから、得意も不得意もないのね」
「はい。なので、選んでもらいます」
どれも得意ならば当人のやりたい方向性と、それから要想心図を参考に習得順位を決めていくべきだろう。
クロは手を合わせて納得をする。
「あぁ、だから先に心図の話をしてくれたのね」
「はい。クロの要想心図をとりあえず空と仮定して、それだけで考えるのなら伸ばすべき色は自然魔術だと思います」
「理由を聞くわ」
「およそ最終的な結論は天候と言いましたね? その前段階として必須の色はおそらく自然と空間となります」
場合によっては破壊を混ぜるのもありだが、基本はこの二色だろう。
「ですが、それは理屈の話。クロ自身に、なにか優先的に覚えたい色はありましたか? 本人の意欲も大事ですし、そうであるなら構いません」
そう言われると、うーんと考え込んで腕を組んでしまう。
思いついたのは貧弱な我が身。
「えっと、じゃあ……生命がいいわ」
「生命魔術ですか、それなら専門ですし教えるのに問題はありませんが、またどうして」
「身体が弱いからよ。生命魔術で強化とかして、もっと疲れないようになりたいわ」
毎日の散歩の時だって未だに息が上がる。
帰ってしばらくは疲労で倒れこんでしまう。
以前よりはマシになったとはいえ、この身の弱さは嘆かわしい。
教本魔術にある基礎の生命魔術の「活性」は習得したが、できるのならそれ以上の術を覚えたかった。
それを、毎日ともに歩いているアカは理解できて、深く頷いた。
「なるほど。それならばそうしましょうか」
「あ、でも心図の考え方も大事だと思うの。だから、最初に自然で、次に生命がいいわ」
「わかりました。ではそのように」
ひとつ決まり、次だ。
己を突き詰め、心を見つめ、掴みとるべきものを探していく。
特訓というだけあっていつもとすこし毛色が違うことに、クロは期待感を高めていく。
「またひとつ選んでもらいたいのですが……クロは、どんな現象を使いたいですか?」
「えっと。アオなら雪、みたいなあれよね」
「はい。心図を鑑みて、天気に関係することなどがいいとは思いますが、そういう風に考えた時、あなたはまずなにを思い浮かべますか?」
アカのこの問いは、随分と無茶な質問だ。
曖昧すぎて最短すぎて、普通はこんな問いかけに答えを用意できはしない。
だが、クロならば問題ないと判断したのである。
「雨、風、陽の光。んー、どれも全部窓越しだし……あ、そうか。窓越しでも印象的だったのは――雷だわ!」
「雷。また規模の大きい」
どうもクロは狭い場所に閉じこもっていたせいか、規模の大きなものに惹かれるようだ。
あぁ、だからこその「遠いもの広いもの」なのか。
納得して――しかし雷とは。
確かに自然現象の一種。天候のひとつだが、他のそれらよりも術として会得するのは難しかろう。規模とエネルギーが高レベルに過ぎる。
とはいえ、本人の意気や思い入れも大事だ。
それに、非常に困難とはいえ――アカならば教えることができる。
「クロは雷を見たことがあるのですね。どういったものでしたか、教えてくれませんか」
「えっと、ごろごろって空が怪獣みたいに唸って、そしたら光が地上に走ったの。すぐにどっかーんて大きな音がして、爆発したみたいだったわ」
「やはり、印象的でしたか」
「うん。豪雨だったのに雨音をかき消すくらい大きな音で、暗闇が一瞬輝いたくらい光が強かった。
それに屋敷のね、木の一本に雷が落ちたことがあって、黒焦げなってたの。空から斧を振り下ろしたみたいに割れてて、雷ってすごいって思ったわ」
「……なるほど」
変わり映えのしない毎日に起こった数少ないインパクトある出来事。
すぐ傍にまでそれは近寄っていて、身近なものを破壊していった。暗闇に、刹那の光輝をもたらした。
「では、雷は大きな音の鳴る天から地へと駆ける閃光で、落ちたものを焼き切る。そういうイメージがあるということでいいですか?」
「え。えと、うん、そう……ね。そうだわ」
「わかりました。ではそこにすこし知識を足しましょうか」
いうと、アカは青い魔法陣を展開する。
ばちばちと、軽く放電している。触れると怖そうで、クロは気持ち身を退く。
「静電気はわかりますか?」
「乾燥した時期に、金属とかに触れるとびりりってくる、あれ?」
「はい。正解です。軽くそれに近いものを今起こしていますが、触ってみますか?」
「いやよ!」
「ですよね」
笑い、アカは一旦魔法陣を閉じる。
そしてもう一度、手のひらに展開。空に向けて――
「あれの大きなものが空から降ってくる雷です」
「え――」
劈く雷鳴。
青い魔法陣から雷が空へと駆けていく。
咄嗟に耳を塞いでもなお全身が縮こまるほどの轟音、そして雷光。なによりも衝撃に、クロは尻から倒れこんでしまう。
しばし、耳鳴りと眩みから立ち上がることもできなかった。
なんとか、声だけ張り上げる。
「ちょ……っ、なにするのよ、いきなり!」
「実体験は大事です。知識と経験とを心に刻んで、それが魔術に反映されます」
「うぅ」
もっともらしいことを言われると反論しづらい。
口ごもっていると、
「……アカ!」
「センセ!」
姉弟子ふたりが焦り駆け寄ってきていた。
「なにさっきのすごい音と光!」
「雷だよね!? びっくりしたぁ」
「あぁ、すみません。クロに見せたくて」
「いややりすぎだって!」
「それにしても前置きもなしなの?」
「わたし一番びっくりした!」
「……すみません」
さすがにやりすぎたか、三人口々に言われるとアカも申し訳なくなる。
とりあえず落ち着いてもらって、それからクロにも手を貸して立ち上がってもらって。
それからおほんと咳払い。
「それで、今の昇っていく雷を、クロ、あなたはちゃんと視認できましたか?」
「そんなの無理に決まってるじゃない!」
「そうですね。雷はとても眩く、なによりも速いですから」
「……速い?」
うるさくて眩しくて、それからおそらく高エネルギー。
それくらいにしか感想はなくて、その観点には至っていなかった。三人、全員がだ。
「はい。本当にとても、速いです。おそらく大抵のなによりも」
「なんだか具体的じゃないわね」
「今の雷、手のひらから空に撃ちだしましたが、それを理解できましたか?」
「え」
どういう意味だ、アオが首を捻っているとクロは自らの所感を語る。
「わたしは駆け上がったことすらわからなかったわ。炎みたいに、そこに一瞬だけ灯した感じかなって」
一瞬過ぎて、視界を動かすことすら間に合わなかった。
キィも加えて。
「わたしたちからは遠かったから、一応、柱みたいに空とつながったのはわかったけど」
「では、始点と終点はわかりましたか?」
ひょいと出されたアカの問いに、キィは腕を組んで思案してみる。
「えっと? 始点はセンセの手でしょ? 終点は……あ」
「なんだよ、キィ」
「いや、アオも見てたでしょ? 終点は空の雲だったよ。センセの手からあの空の雲まで一直線で――」
「柱のように見えた? じゃあ、始点と終点がほぼ同時に感じられたってことよね?」
物体の速さを計測するのなら、その物の移動する距離と時間を計測すればいい。
それを鑑みるに、雷というのは――
「ほんとだ、とんでもなく速いわね」
「なんかぴんと来ない」
クロとキィがしきりに感心しているが、アオは微妙に困惑げだ。
アカはではと。
「もうすこし言えば――そうですね、たとえば雷は、音より速い」
「音って、ええと、音よね? いま出してる声も、音。これが遠くまで届く速度より速い……?」
「ええ。実際、あなたたちが雷を見たというとき、まず光が走ってから、音が響いたでしょう? あれは音が雷より遅いせいでラグが発生したのですよ」
「ああ、なるほど!」
そこでようやくアオも理解ができて、そして戦慄する。
その速度は認識不可能領域だからだ。
「理解できたのなら、あなたの雷の認識に、触れると痺れるということとなによりも速いということを加えておいてください。大事なことですから」
「……そういうのって、知らないと反映されなかったりするの?」
「まさか。雷の魔術は既に存在して、それを参考にする以上は術式に必要な事項が既にありますので、それだけで発動できますし、今言った特性も付加されています。しかし、やはり発動するあなた自身が自覚して理解認識した上で取り扱うことが重要なのです」
「……魔術は、心の学問だから?」
「はい」
正しくその結論に行きつくことができるのは、やはりクロのすごいところだと思う。
もちろん、考えるべきはクロだけではなくて。
そこでアカは不意にクロから視線を切って。
「さて、アオ、キィ」
「なっ、なんだよ」
「……」
なんとなく緊張した面持ちのふたりに、アカはできるだけ明るく笑って。
「クロがこの魔術を習得したら、割と洒落にならないというか、オチオチしていられないのはわかりますね?」
「うっ」
「やっぱり?」
「姉弟子として威厳を保ちたいのなら……言わずともわかりますね」
「「がんばりまーす!」」
勢いよく走り去っていく背中を眺めながら、ハズヴェントの計略の成功を実感する。
焦りとやる気と、なにより負けん気が漲る顔付きは、成長する者特有の表情だった。
それはクロにさえわかる。
「あれ? わたしなんかダシに使われたかしら?」
「まさか。追いつけ追い越せ。姉ががんばるのなら、妹もがんばればいいだけのこと。そうでしょう?」
「まあ、そうね」
アカはクロに向き直り、膝を折って目線を合わせる。
「いいですかクロ、今日よりしばらく私は他のことを教えません」
「え」
「代わりに、この雷の魔術についてふたりで考えて、実践を繰り返し、ひとつの魔術として完成させましょう」
「……!」
なぜだかぞくりと胸がざわめく。
それはきっと、期待と不安がない交ぜになった感情。
また一歩、魔術師としての階段をのぼっているという実感からくる興奮だ。
誰かが作ったものを借りるのではなく、クロ自身が自分のためだけに作る――固有魔術。
「自らの基本となる魔術をひとつさだめ、それを研磨すること」
――それはクロの習熟度合いからすると、かなり性急な話だ。
もっと基礎を覚えてから。もっと知識を蓄えてから。もっと多様な術に触れてから。
時間をかけ、努力を重ね、それからはじめるべき領域である。
魔術師として一端になった者がはじめる、それは言うなれば自分探し。
「アオで言えば雪の発現。キィで言えば手袋の造形。
そういった自らで決めた最初の一手。迷うならそれを使えばいいと思える無難にして及第な回答。どんな状況下でも誰が相手でもまず試すべき秤。
クロの、象徴たる魔術」
「わたしの象徴……!」
「これは心図からまたさらに深く踏み込んだ、実戦的活用です。あなたには、実はすこし早いのですが……」
言わせず、クロは力強く笑った。
「わたしは赫天の弟子よ! それくらいやってみせるわ!」
「……そうですね。期待しています」
クロの心図を魔術としたとき、それは天空を支配する魔術という大規模かつ高等の術になる。習得できるのは、流石にまだまだ先だろう。
けれどそれに到達するまでの間、使う魔術が必要だった。そして、できるのならそれは後の最終結論の礎となればなおよい。
だから、雷。
それがクロにとって象徴となる。
「ではこれからまた雷を起こしますのでよく観察してください」
「まだやるの?」
「ええ。何度も何度も見て、感じて、心に刻み込んでください」
「わかったわ!」
青い魔法陣を展開させ、アカは再び雷の魔術を放とうとして――
その前に、ひとつ、言うことがあった。
「最後にひとつ」
「なによ」
若干恨めし気にクロはいう。
言われた通りよく観察しようと凝らしたところでストップをかけられるとやる気がつんのめってしまうじゃないか。
けれど、これは大事なこと。
「クロ、その魔術を完成させた時、あなたは――」