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26 妹2


「ねぇ……キィ、だいじょうぶかな」

「それ聞くの、もう百回目だぞ」


 その日、クロとアオはどこか所在なさげに気を揉んでいた。

 下の階へ行くことは憚られ、自室に籠っていたのだが、ひとりだと余計にヤキモキしてクロはアオの部屋に訪れていた。

 そして、こうして益体もない会話を繰り返している。


「うそ、ぜったい百回も言ってないわ」

「数えてないからわからないよ。もしかして言ってたかも」

「言ってないわ。そんなに繰り返してたらわたし、バカみたいじゃない」

「バカみたいだったのかも」

「アオひどい!」


 適当な返答は上の空だから。

 ふたりとも、下の階で起こっているであろう悶着が気になって仕方がない。

 けれどだからと確かめに行くのは無粋が過ぎる野暮だろう。


 これはキィと、そしてキィの家族の問題だ。

 ふたりが向かい合って解決しないといけない事柄だ。


 だから、姉妹弟子たちは傍にいながらも離れて心配するだけしかできやしない。


 ――今日はキィの妹が屋敷を訪ねてくる日。



    ◇



「……」


 リビングでひとり、重苦しい沈黙の中でキィはテーブルに座していた。

 いつもの笑顔は消え、脂汗を流し、憂鬱が背中を丸めて俯いてばかりいる。


 刻一刻と迫る邂逅を恐れ、不安で心がひしゃけそうだった。


 結局あの後になって、キィは妹との対面希望を受け入れた。

 妹弟子の言葉を胸に、なんとか見栄を切ってることができたのだ。


 ――大丈夫だよ、キィ。だって――


 とはいえ決断したとて不安が消えてなくなるわけでもなし。

 すぐそこまで迫ってくれば、怯えで体が震えてくるのもやむかたない。


 妹、とキィはか細い声で呟いた。


 妹、だ。

 キィにとって、それは記憶にない人物。

 あの地獄から抜け出し、アカに連れられた家に、自分より小さな少女がいたのはかろうじて覚えている。

 だがひどくおぼろげだ。

 顔も名前もはっきりとは覚えていないし、妹だなんて、言われるまで気づきもしなかった。


 けれどきっと、彼女のほうからはキィのこと忘れたことなど一瞬もなかろう。


 急に消えた姉。

 仲良しだった家族をぶちこわした行方不明者。

 家族を忘れた薄情な半死人。


 どれもが妹にとっては激怒すべきことであっただろう。

 嫌悪し拒絶するには足りすぎる。


 今回の訪問だって謝罪のためとあったが、実は文句をつけに来るだけではないかと邪推して――恐れている自分がいる。

 

 怒る権利が向こうにはある。

 勝手に消えて、全て忘れて、そのまま逃げだしたキィには、怒りを受ける責務がある。

 でもどうか、今の幸せを奪うことだけは許してほしい。どうか。


「ただいま戻りました」


 祈るような許しを請うような心の動きは、ついに降りかかってきたアカの声で停止する。


    ◇


 そして、気づけばキィの対面には黄色の髪をした少女が座していた。

 キィよりふたつほど年下で、クロより少し上くらいだろうか。面立ちは流石に瓜二つだが、髪の毛がショートであるため印象はすこし違って見えた。


 キィは、目を合わせることもできなかった。

 傍ら隣にアカがいてくれはするものの、空気に徹して一言も喋ってくれない。

 机の下で、アカのローブを強く摘まむことでどうにか気を紛らせている。


 していると、目の前の少女が口火を切る。


「ひさしぶり、お姉ちゃん」

「……」


 なにも返せない。


「わたしのこと、覚えてないんだよね?」

「……」


 なにも返せない。


「自分の名前も覚えてない、んだよね?」

「……」


 なにも、返せない。


 すると少女はうん、とひとつ頷いてなにかに納得したようだった。

 それから、すぅと大きく息を吸い、飲み込む。なにか心の準備をしているのが伺えて、キィは悪い予想しかできない。

 大きな怒声を上げられる。酷い罵倒を浴びせられる。そう身を縮ませて――


「じゃあ、そこからだね」

「え」

「わたしの名前はリナリエ。お姉ちゃんの妹で、お姉ちゃんにはリナって呼ばれてた。今年で十四になるよ。お姉ちゃんのふたつ下だね」

「……」


 なにを言っているのか、キィにはわからなかった。

 唖然としていると、リナリエは次にキィのことを話そうとする。


「で、あなたはわたしのお姉ちゃん。ちょっと臆病だけど優しいの。誕生日が過ぎてるから、もう十六歳かな?

 名前は――」

「待って」


 そこは止めた。それだけは言ってほしくない。


「やめて。わたしの名前はキィだよ。いまはそれ以外、聞きたくない」

「……ごめんなさい」

「えっ。あ。いや、謝らないでよ」

「ううん。ごめん、ごめんなさい」


 リナリエは席を立ち、頭を下げる。


「お姉ちゃんをひとりにして、ずっとずっと気づけないで、ごめんなさい。

 放っておいてごめんなさい。このままでいいかって思ってしまってごめんなさい。

 ほんのすこし疎ましく思ったことがあって、ごめんなさい……」


 言葉は途中からどんどん感情的になって上ずって、掠れてしまう。

 ぽたぽたと、落ちる滴は涙であった。

 

「どうして……」


 キィのほうが動転してしまい、意味が分からない。

 どうして彼女は謝っている?


 悪いのはキィじゃないか。謝るべきは、キィじゃないか。

 怒って蔑んで、八つ当たりすればいいのに、どうして。


 なにも言えないでいると、ふとリナリエは糸が切れたようにすとんと座り込んでしまう。

 体中の緊張感が抜け落ちて、安堵とともにこぼれていく。


「――やっと、言えたぁ」


 ずっと謝りたかったのだという。

 ずっと、ずぅっと、それだけを言いたかったのだという。


 今日のために覚悟を決め、勇気をかき集め、なんとか奮い立ったのだが――それがやっと叶って、力が抜けてしまった。


 そのときキィが動いたのに、理屈なんてなかった。

 衝動的に、身体が勝手に動いたと思った。


 アカの袖を離し、椅子から勢いよく立ち上がって駆け寄って――リナリエを抱きしめる。


「ごめん……ごめんね、わたしのほうこそ、ずっと、ごめんだよ!」


 記憶が戻ったわけじゃない。

 未だにリナリエという名前にすら浮遊感がある。


 けれどそれでも体は動いた。

 抱きしめてやりたいと、魂が叫んだのだ。

 妹が泣いている時に抱きしめてあげるのが、お姉ちゃんの仕事なのだから。


 ふと、昨夜クロに言われた言葉が蘇る。


 ――大丈夫だよ、キィ。だって、キィの妹だよ? 優しくて暖かいに決まってるじゃない!


 あぁ、そうだね。そうだったよ。

 キィは抱きしめる妹の暖かさに、妹と同じように泣いた。



    ◇


「おねぇちゃん……」

「ん。なぁに」

「もうひとつだけ、ごめんなさい」

「謝らないでよー」


 あれから抱き合いながら泣きながら、ふたりはひたすら謝り合い続けた。

 溜まりに溜まった罪悪感の全てを吐き出し、溢れるほどの感情を剥き出しにして、本音で語り合えた。


 けれどひとつ、リナリエには感情だけでぶつけてはいけない問題があった。


「お父さんとお母さんは、たぶん、まだ心の準備ができてないの」

「……」

「きょう会いに来たのは、ほんとはわたしが勝手にしたことで、ふたりとも、まだお姉ちゃんのこと、なにも言わない」

「……しょうがないよ」

「うん。わたしは子供だったけど、お父さんとお母さんは大人だから、きっともっといろいろとあったんだって思うの。だから、許してあげて」

「許すもなにも、怒ってないよ」


 キィの柔らかな言葉に、リナリエは嗚咽をおさえていう。


「だから、一緒に帰ろうって言えないの」

「うん。いいよ。だってわたしも、まだここにいたいもん」

「そっか。そうだよね。じゃあ、手紙、書くよ。たくさん」

「うん、わたしも、書くよ。たくさん」


 ゆっくり歩み寄ればいい。

 忘れたものを取り戻すように、途絶えた絆をつなぎ合わせるように。

 たとえ離れ離れになっても、どれだけ会えない時間があっても、なにがあっても――ふたりは姉妹なのだから。



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