18 封魔逸失
「それでアドバルド」
「はい、なんでしょうか」
「もうひとつ、なにかあるのでしたね」
恙なく話がひとつ収束し、なんとなく終わったような風情のアドバルドに、アカは思い出したように言った。
けれどアドバルドは緩く。
「ああ、いえ。もうひとつのほうはそこまで重大な話ではなく、念のための確認でしたので」
「確認ですか」
「ええ、実はここ最近にこの学園で呪詛が発見されましてね」
「それは大ごとでは?」
アカは片眉を跳ね上げてすこしばかり慌てる。
アドバルドは泰然と否定を。
「いえいえ、解呪はうちの教員で事足りるレベルでしたので。ただ急な呪いの多発に、いぶかしい思いはありまして」
呪いは誰かの悪意である。
必ず術者がいて、事故や自然発生するようなことはありえない。
「アーヴァンウィンクル様から、怪しい呪詛を見つけたら伝えて欲しいと頼まれていましたからな。一応、お伝えをと」
「それは、ありがとうございます」
「それにもしや解呪されることすら見越した深淵なる呪詛の可能性が低いとはいえありえるので、できるのならばアーヴァンウィンクル様に確認していただきたいと思いまして」
「……あれの呪詛なら、そういう嫌がらせはありえますね。確認させていただきましょう」
どこかうんざりとしながら、アカは頷いた。
「では」
アドバルドは手のひらを広げ、そっとアカへと差し出す。
するどそこに魔力が巡り――しかし魔法陣にはならない。
目に見えて現象とはならず、ただ巡る魔力を操作してある形を作り上げる。それで出来上がるのはアドバルドが精査し模倣した――件の呪いの術式である。
魔力は無色無形でいかようにも操作が可能。そのため魔術師同士が魔力の出力法によって情報を伝えるというのはポピュラーな伝達手段と言える。
ただし非常に高度な魔力操作技能がいるので、高位の魔術師のという注釈がつくが。
魔法陣のような書き写すことが困難な構造と内容のものならば特に有効であるのは確かであり、かつこのふたりにとっては片手間でこなせる御業なのでこうして使用している。
しかし魔法陣に描き出された文字紋様についてはその個人にのみ通じる完全なる他人言語、三天導師といえど読み取れるわけではない。
単純にアドバルドが見て感じたたそれをそのままに再現しただけで、あとはアカが経験と知識、そして術感覚をもっておおまかに読解し予測をつけるのみ。
「これは……既存の呪詛ですね。『封魔逸失の呪い』でしょうか」
「それはこちらでも把握できました。それ以上の深度については……?」
「む……」
アカは目を凝らすようにして感覚を研ぎ澄まし、その魔法陣を見るではなく視つめる。
二分ほどで、アカは力を抜き去る。
「大丈夫だと思います。これは彼の術ではありません。もうすこし粗悪で、優しい方のものでしょう」
「そうですか、それはよかった」
魔力を霧散させるアドバルドは随分と安堵したようだった。
楽観していた割に、警戒も相応にしていたらしい。
そういう態度をとられると、アカのほうもすこし気になる。そもそも呪詛があった事実は見過ごせない。
「それにしても『封魔逸失』ですか……被呪者は大丈夫でしたか?」
『封魔逸失の呪い』――それは魔術を奪う呪いである。
魔力を内に封じ込め外へと放出することを阻害することが主な機能であり、それの発展として呪詛を放っておくと封鎖の永続化が完成してしまう。
つまり、魔術を完全に逸失する恐れのある魔術師にとって最悪の呪いだ。
それの最悪のケースは魔術を使うことを意識せず時間が経ってから呪いに気づくというパターンだが。
「ええ、一時的な症状で済みました。ここは魔術学園ですから、それの発覚は早く対処も早急にできましたので」
「幸いでしたね」
「まったくもって」
安堵の強い声音は、三天導師の恐ろしさも頼もしさも知っているが故。
アカはわずかに興味を引かれて雑談のように聞いてみる。
「犯人に目星はついているのですか?」
「それがまるでないのです。呪いを受けた子らは二十名近いのですが、彼らに共通点は薄く……強いて言うならどの子もあまり成績が振るわないようだったと報告を受けましたな」
「真面目ではなかったと?」
アカの言葉に、アドバルドは素早く否定を繰り出す。
「いえ、性根の問題よりも、本当に成績の話のようです。
中には学費を自力で稼ぐために勉学よりもアルバイトなどに精をだしていた子もいたようなので。その子は努力家ですが、単に時間がなくて好成績にならないだけだと、リュミエル先生が仰っていましたよ」
「そうですか、それは失礼しました」
あの女史が言うのならば相違なかろう。
「しかしそうなると、単純に成績不振者に狙いをつけているのでしょうか」
「落ちこぼれを排して一定以上の能力の者だけで高め合うような方針を抱いている者は、いないではないのですが……うちの校風ではありません」
「ええ、私も下を切り捨てるような教育は認めたくはありません」
彼らと気風の合わない誰かが、呪いを撒いている。
なにを目的とするかなんて、本質的には理解できるものではない。
けれど、どんな理由であってもその行為は絶対に許されるものではなく、断固として対処せねばならない。
と、そこでアドバルドは気づいて頭を下げる。
「あぁ、いえ、すみません。これはうちの問題ですな。呪詛が天でなくどこかの緑魔術師のものとわかっただけで充分です、犯人捜しはこちらで」
「……私の手は不要ですか?」
「人事を尽くすこともなく天の助けをアテにするような愚か者にはなりたくありませんので」
「そうですか」すこしだけ微笑んで「けれど、本当に危機を覚えたのなら遠慮なく頼ってください――友人ですから」
「ええ。ありがたく、アーヴァンウィンクル様」
立場も年齢もまるで違う。
本来なら巡り合うことすらありえなかった。
けれど確かにふたりは笑みを交わし合う友人同士、それは誰にも否定できやしないのだ。