16 戒めの
「アドバルド……学園長にお取次ぎを願えますか」
どうにも不慣れな調子で、アカは学園の事務にそう告げた。
学園近くに借りた部屋だけあって、ものの数分でふたりは学園に到着できていた。
大きな門を超え、門番に事情を説明し通行の許可をもらい、その足で事務所へ向かって、そしてこうして窓口だ。
その合間合間にて目を輝かせたクロの質問がいくつもあった。
「門おおきいわね!」
――魔術的な結界を張って、各所の門を除いたすべての出入りを完全に遮断しておりますので、大きくないと通行に不便なのですよ。
「なにあれ、広い!」
――グラウンドです。運動や魔術の実践に使う場所で、魔術学園だけあって広くとっているのでしょう。
「校舎も大きい!」
――四年制、一学年で数百の生徒が在籍するそうです。
そうして楽しげな口早で問いを並べていたクロも、事務所の雰囲気には押し黙る。
誰も彼もが忙しそうに駆け回り、座していても卓上に集中して脇目も振らない。
広くて、多くて、なにより大事な子供を預かる学園である、こうした裏方の苦労はしのばれる。
それでも呼び出しを受けた以上、声をかけねばはじまらない。
「赤魔術師のアカ様でありますね? お待ちしておりました」
素早く反応したのは鋭い老女であった。
真っ直ぐな姿勢、力強い瞳、纏う活力から老いた印象がまるでしない。
顔の皺さえ老練さの証と敬意を表したくなるような、力強い女性だった。
「こちらへどうぞ――と言いたいところですが、そちらは?」
「ああ、私の弟子です」
「そうですか。申し訳ありませんが、学園長が招いたのはアカ様だけと伺っております」
「この子は同伴させてはいけないと?」
「残念ながら」
「ふむ」
べつに、アドバルドがそれを嫌がるとも思えないが、彼女の言い分も誤っているわけでもない。
なにか本当に余人には漏らせない案件かもしれないわけで。
すこし悩む素振りを見せるアカの、クロは袖を引っ張る。
「あ、じゃあわたし図書館っていうのに行ってみたいわ!」
キィに聞いた。
学園には屋敷の書斎よりもずっと沢山の書物を擁する巨大な館があるのだという。
そんなの想像もできないと返した記憶があるが、今ならそこに行けるのではと思うと止まらなかった。
アカとしても時間つぶしには最適と見て――場所を思い起こし、呪いの軽減範囲に問題ないと判じて頷く。
「そうですか? でしたら、クロには図書館で待っていてもらいましょうか」視線をクロから正面へ向き直り「――申し訳ありませんが、どなたか案内をお願いできませんか」
「わかりました。わたくしがいたしましょう。ですが先にアカ様を学園長に案内を終えたあとで、構いませんか?」
窺うような言葉に、クロはおっかなびっくり頷いた。
「あ、はい。だいじょうぶ、です」
「ではそのように。アカ様、こちらでございます」
「では、クロ。あまりはしゃぎすぎないように」
「わかってるわよ」
子供扱いしないでよ、と憮然と口を尖らせるも、場所を意識してか声量は抑えられていて。
それがなんだかおかしくて、アカは笑みをかみ殺すのだった。
◇
「アカ様、とおっしゃいましたね」
長い廊下を先導しながら、ちらと老女が一瞥をくれる。
アカはその鋭い眼光にも気圧されず朗らかに笑う。
「はい。はじめまして」
「…………」
「おや」
すこし虚を突かれたような顔をする女教師に、アカは失敗したかと悟る。
「もしかして、はじめましてではありませんでしたか」
「ええ。こうして幾度か案内をさせていただきました」
「そうでしたか、それは大変失礼を致しました。私はすこし、ひとの顔を覚えるのが苦手でして……」
それは同種族間よりも他種族相手のほうが見分けがしづらいような――いや、ひとが動物の個体を認識するのが難しいのと同じ。
天に座すその魔術師は、意識しなければ小さな人の子らを見分けることができない。
逆に言えば、意識して目を向ければちゃんと覚えるのでアカはまだマシであろう。他の導師よりは。
ふむ、と忘れ去られた女性は改めて。
「わたくしはリュミエルと申します。この学園で自然魔術の教師をしております」
「ああ、たしか戒めの――」
言い掛けて、慌てて口を噤む。
その名は聞き覚えがあった。話したがりのキィの雑談の中に紛れていた、戒めと呼ばれる教師の名前。
けれど同時に、生徒間での渾名ていどということだった。
つまり学園の生徒との間柄を疑われるような失言だったということ。
目ざとく、リュミエルは強い眼差しを向けてくる。
「よく御存じですね?」
「ええと、その」
咄嗟に言い訳が思いつくより先に、リュミエルの納得のほうが早い。
「やはり、あなたがアオさんとキィさんの師なのですね」
「……わかりますか」
名指しで確認される辺り、もう隠し立てに意味がないように思われた。
アカは肩を竦めて。
「その通りです。が、どうしてそう思われましたか? 教師の渾名ていどなら、学生を誰と特定するのに材料不足でしょう」
「アオさんとキィさんの魔術師としての完成度は学生としての域を超えております。なんなら、わたくしよりも優れている箇所がありましょう。
ならばその師はどれほどのものか――というのは、学園の生徒教師問わず疑問に思っていたことです」
アオとキィには赫天のアーヴァンウィンクルの名を伏せるようには言ってあっても、師がいることを黙するようにとは言っていない。
むしろあのふたりなら日常会話の何割かをアカの話題で染めている恐れすらある。それは師を語るというよりも、家族として話しているのだろうけれど。
とはいえ、当人の意識と聞き手の関心がズレるのはままあること。興味を惹かれても致し方ない。
アカはすこしおどけたように言う。
「ならば私は、先生のお眼鏡にかなったということですか?」
「あなたの魔術師としての卓越は、その穏形の精密さから疑いようもありません」
「いえいえ、先生こそ達者であられる」
「世辞はいりません」
ぴしゃりと言われてしまう。
別に世辞のつもりもなく素直な感想だったのだが。
リュミエルは気にも留めず言葉を続ける。まだ判断の材料はあったと。
「アオさんとキィさんは入学の際に学園長の計らいがあったのも一因でしょう。つまり、彼女らの師は学園長の知人であると推測できます」
「なるほど。となるとたしかに、私は非常に怪しい」
「あなたが何者なのかは問いません。吹聴もしないと約束しましょう。失礼を承知で確認させていただいたのはそのようなことのためではありません」
「では、なにかありますか」
三天導師であるという事実さえ露呈しなければ、彼女らとの師弟関係についてはそこまで秘匿するつもりもない。
流石にこの場でアカの正体がバレていることは想定しづらいので、割と気楽に問うが。
リュミエルは、すこしも顔つきを変えないまま。
「素晴らしい弟子をお持ちでうらやましい限りですと、お伝えしたくありました」
「……」
その。皮肉のような素直な賞賛にアカ一瞬言葉を失う。
「どうかしましたか」
「いえ……ただあなたのような教師がいるのなら、アオとキィをこの学園に入学させたのは正しかったと、改めて思いました」
リュミエルはひとつの扉の前で立ち止まる。
そこは学園長室とプレートにある。
だが、アカは今それよりもリュミエルを見据えて。
「先生、あの子らをよろしくお願いします」
頭を下げた。
「……」
その真摯な態度に、リュミエルは深く刻まれた皺を押し上げるように――ほんのすこしだけ微笑んだ。
安堵のような笑みだった。
「……こちらも」
「はい?」
「こちらも、あの子たちの師があなたのように弟子思いの方でよかった」
「それは……」
「はい。彼女らは時折、とても悲しそうな顔をしていましたからね……それの理由が師であったのなら、と懸念しておりました」
あの学生に余るほどの実力は才能と努力と、そして師の教えにあることは間違いなかろう。
だが、その努力と教授は自発的なものだったのか。その才能に目のくらんだ師が強制的に教え込んではいまいか。
それを懸念せねばならないほどに、あのふたりの才能は教育者にとって輝いていた。
だが、このひとは違うとリュミエルは確信する。
真っ直ぐに弟子を信頼し、その成長を才気ではなく個人のものとして喜んでいる。
よかったと、心の底からリュミエルが安堵して、そこではっとしたような顔になる。すぐに厳格さを絵に描いたような教師としての顔つきに戻って声を硬くする。
「失礼しました、余計な詮索を。学園長はこちらです」
「……ええ、ありがとうございます」
アカはそれ以上、なにも言わずに静かに笑った。
取り澄ました教師としての面構えを剥がすような真似がどれだけ困るか、アカはよく知っているから。