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15 学園へ


「クロ、そろそろ準備はできましたか?」

「もうちょっとー!」


 はて。

 このもうちょっとという返事、既に今日何度目であったか。


 今日は朝から慌ただしかった。

 今朝アオとキィを玄関で見送ってしばらくしてから、クロはリビングに顔を出した。

 すこし意外だったので思わず「遅かったですね」と言えば、気恥ずかしそうにクロは俯く。


 なんでも今日が楽しみで昨夜あまり眠れなかったのだという。

 子供っぽさが微笑ましいと、そのときには思ったものだ。


 そこからクロは遅めの朝食をとって、すぐにお風呂に入ると宣言。

 クロの風呂は長いのですこし不安がよぎったが、引き留めるほどでもなく釘だけ刺しておくにとどめた。


 案の定、クロは長湯だった。

 なんでも丹念に身体を洗っていたのだという。


 ……今日は昼前には学園へ出る予定であることは承知しているはずでこの遅れはそろそろまずいのではと思い始める。


 危惧を注意として口から出すより、クロが自室に戻るほうが早かった。


「……」


 たしかにここでぐちぐち言い募っていても時間のロスになるだけ。手早く服を着替えてもらうほうが先決かとダイニングで紅茶を嗜んでいたが。

 遅い。

 服を着替えるだけのはずで、どうしてここまで時間を食うのか。


 疑問と焦燥を覚え、下の階から声をかけてみる。


「クロ、そろそろ準備はできましたか?」

「もうちょっとー!」


 ……こうして思い返してみれば、同じ返事はまだ二度目でしかなかったことに気が付く。

 どうにも、気が焦っていたのはアカのほうだったかもしれない。


 昼前には顔をだします――学園長宛てにそう伝えるようアオに頼んだので、現在時刻を照らし合わせて時間が押しているのは確かだ。

 こちらの田舎と違って王都の人通りの激しさや同伴するクロの脚を考えると通学路にかかる時間も考慮せねばならない。

 だからと焦り散らすのも落ち着きが足りないか。


「……紅茶をもう一杯いただきましょうかね」


 と、立ち上がったところで階段を駆け下りる音が届く。

 ばたんとリビングのドアを開いてクロは笑顔で現れる。


「お待たせ、用意できたわ!」

「あぁ、ええと、はい」

「遅れてごめんなさい。礼服だから、ひとりで着るのは手間なのよ」

「そう、でしたか……けれどどうして礼服なのでしょう」

「ほかに服ないもの」


 言われてみると、少女の服装に関して無頓着なアカのほうが悪いのかもしれなかった。

 そもそも彼女を弟子に迎えてから、彼女のために買い物すらしていなかったことに気づく。多くを暮らしていた屋敷から持ち込んだとはいえ、これは少々、配慮に不足していたのではないか。

 申し訳ない気持ちがせり上がってきて、アカはいう。


「……帰りに服を買っていきましょうか」

「え、いいの? やったー!」

「他にもなにか必要なものがあれば遠慮なく仰ってください」

「他にも? うーん、いろいろあるけど……」


 やはりいろいろあるのか。

 これは恥ずべき失態だ、反省せねば。


「でも今は学園のほうに早く行きたいわ!」

「そうですね、帰りまでに考えておいてくだされば」

「そうするわ! それで、もう行けるの?」

「はい、準備できておりますが……」


 アカは気を取り直してクロに寄り、懐に手を差し込む。


「クロ、出発の前にあなたにこれを渡しておきます」


 特に思わず差し出されたものを受け取る。

 クロの手のひらに置かれたそれは、


「鍵?」


 いつもアカが遠方へのドアを開く際に用いる鍵と同じデザインの、色違いであった。


「私のもつ金の鍵はマスターキー、どこからでもすべてのマーキング地点へと跳べます。しかし今、あなたに渡したそれは銀の鍵、マーキング地点からうちの屋敷にのみつながる簡易版です」

「へぇ」


 おそらくこの簡易版でさえものすごい代物なんだろうなと思いつつ眺めるも、見た感じは何の変哲もないからまた恐ろしい。

 いや、目を凝らせば術式が刻まれているのはわかるが、それにしても地味で隠蔽が上手すぎる。


「もしもはぐれてしまったら、それで屋敷に帰ってきてください」

「わかったわ。でも、はぐれるつもりなんかないわよ?」

「迷子はなりたくてなるものではありませんので」


 そう言われると返す言葉もない。

 特にクロがアカから一定以上離れると呪いの関係で大問題になってしまうので、そこらへんは慎重だった。


「でもこれって、アオやキィも持ってるのかしら」

「ええ、渡してあります。むしろそれがなければ屋敷に帰れませんから。他にもハズヴェントやジュエルさんにも念のために」

「けっこう、もってるひといるのね」

「信頼できる方だけです」


 じっさい、これを使えばアカの屋敷に遠方からでも無断で侵入できるわけで。

 不埒な輩の手に渡ったらとても危険だ。

 だからこそ人物として信頼できるだけでなく、鍵を奪われることのない戦力と気構えのある相手だけにしている。

 ……クロだけは戦闘能力に不安があるのだが、そこはアカがカバーをするので問題ない。


「ん、大事にするわ」


 これはひとつの信頼の証であると悟り、クロはちょっとうれしくなって、それと同じくらいに緊張する。

 差し向けてくれた信頼に応えたい。裏切りたくない。


 ぎゅっと鍵を握り締めて、そのまま――


「あ、この服、ポケットないわ……」

「でしたら」


 アカが虚空を摘まむような動作をすると、その狭間に黄色の魔法陣が閃く。次の瞬間には艶がかった紐が作り出されている。

 促すように空いた手を伸ばし、クロの握った鍵を一度返却いただく。

 そして鍵の握り手にある穴に紐を通し、あとはネックレスのように紐の端同士を結んで輪を作る。


「どうぞ。これを首からかけておいてください」

「これなら失くさないわね。ありがとう」


 嬉しそうに受け取った鍵を首にかけ、胸元で配置を調整。

 けれどアカは苦笑する。


「鍵を見せつけるように着飾るというのは不用心ではありませんか」

「あ、そっか。仕舞っとくほうがいいのか……」


 いそいそと服の下にいれる。ちょっとだけ残念そうに見えたのは、アカの気のせいか。

 なんとなく見せびらかしたい気持ちが、少女にはあったのである。

 ほんのり気落ちした風情は、けれど。


「では、行きましょうか」

「うん!」


 出発の言葉ですぐに持ち直して胸躍らせて笑うのだった。



    ◇



 ドアをくぐった先には、また別の部屋に繋がっていた。

 屋敷のリビングと同じくらいの広さで、ひとりかふたりなら暮らしていけそうな一室だ。

 ただ生活感はあまりなく、誰かが住んでいるというわけでもなさそう。

 小物なんかは置いてあって放置されているわけでもなく、物置の印象が近いか。


「? ここは?」

「王都での借家ですよ。あまり外で転移の術を使うのはよくありませんので、出口として借りました」

「ああ、そうね、急になにもないところにドアができたらビックリしちゃうわ」


 ならば部屋にある品々はアオやキィの持ち物か。

 たしかによく見ると教科書や資料、魔道具といった学園で使いそうなものが多い。

 屋敷ではあまりそういう教材みたいなものがなかったが、そうかここに置いてあるのか。


「行きましょう」

「あ、うん」


 この部屋に用はない。

 あるのはその何の変哲もない扉の向こう側だ。


 ドアを開け、小さな門を抜ければ雑多な住宅街にでる。

 クロが見たこともないほど建物が連なり、空が狭く感じるほどに高い建物すら見受けられる。


 さらに進めば大通り。

 見渡せば数えきれないほどの人が溢れ返って驚いてしまう。馬車が幾つも行き交って、それでもなおぶつかる不安にもならないほど広い道がある。

 足下の感触すら土でなく煉瓦のそれで、しっかりと舗装されていた。

 どこもかしこも見たことない、あっちこっちに知らないものがある。


「ここが……王都なのね!」



    ◇


「そういえば、ふたりはどうして学園になんか通っているの?」


 興奮冷めやらぬ様子のクロを、いささか強引に歩んでもらって。

 渋々ながら自発的に足を動かし始めたころ、ふと気になっていたとばかり問いが出てきた。


「どうして、ですか?」

「うん。ふたりとも先生に教えてもらってるんでしょ? じゃあ学園に行く意味なんてないじゃない」


 その問いはキィと話している時にも聞こうとはしたのだが、彼女の回る舌に流されて違う方向に転がってしまった話題だった。

 魔術において三天導師が頂点。ならばアカ以外の魔術の教えは不純物となってしまうのではないか。

 

 けれどアカは当たり前のようにこう返す。


「もちろん、私からは教えることのできないことを学んでもらうためですよ」

「先生から学べないこと……? 魔術で先生よりすごいひとなんて、いないんじゃないの?」

「まあ、私の口からそれを言うのは憚られますが、そうですね。私より魔術に優れている方は同じ三天導師のふたりくらいでしょう」


 謙遜の多いアカでさえ、その事実は否定しない。


「じゃあ」

「しかし、教えるべきこと学ぶべきことは魔術だけではありませんから。

 特に、人との付き合い方や社会への適応などは、あの田舎では学ぶに学べません。どうしたって狭い関係、身内同士のなれ合いが生じますしね」

「……それじゃだめなのかしら」

「ええ。いけません。この世界は広く、そして人は多いのですから」


 周囲を見渡せば、その人の多さというのは否応なくわかるというもの。

 王都の人波は本当に波のよう。

 迷子になる気はないとクロは言ったが、今では不安でアカのローブの裾を摘まんでいる。

 これほど多くの人の行き交う雑踏なんて、クロにははじめてだったから。


 紛らすように、アカは続ける。


「魔術にしたって、私はどうしても私の趣向から外れることができません。教える方法が彼女たちに最適かどうかもわかりません。できるだけ多くの発想を知るのは、先細りにならないのに重要なのです」

「そっか。いくら先生が百を教えられても千人がひとつずつ教えるほうが多いってことね」

「ええと、はい。たぶん、そうです」


 ときどき、クロの言い回しが上手く飲めないアカである。

 咳払いひとつで切り替えて戻す。


「もちろん、メインは私が教えます。基礎の骨子を教えましたし、スタイルの確立まで寄り添いました。けれどそこから羽ばたいていくには、私以外を知るべきだと思います」

「……いつかは、わたしも学園に通うことになるのかしら」

「ええ、そのつもりですよ」

「そう。じゃあ、楽しみにしておくわ」


 前に向きなおれば、そこには巨大な門が待つ。

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