アオ2 決闘
「アカ! 決闘、決闘しよ!」
魔術師にとっての決闘とは。
それは互いに命をかけ、真正面から一対一で加減なく魔術を撃ち合う殺し合いの美名である。
魔術師同士で起こった争いに対する最終的な解決法であり、これ以上ない決着である。
これにより勝利した者の言い分を、敗者はなんであれ受け入れねばならない。たとえ命を失おうとも。
そういう伝統的な儀礼である。
しかし当然、そんな物騒なことをアオが望んでいるはずもなく。
昨今の若い魔術師たちにとって、決闘とは軽い試合の異名である。
無論、命を取り合うことなどなく、昼食のお代を賭けるのがせいぜい。
高位の術師が立ち会えば、そうそう怪我人もださずに戦うことが可能となる結界魔術が近年に開発普及したために、今や若い魔術師の間で決闘ブームが巻き起こっている……らしい。
アカのような世間とは隔絶した暮らしをしていると、流行なんかには疎くなっていて、アオにせがまれて行うゲームのようなものと認識している。
だがそれが学園においての評価にもつながるとなれば、助力を惜しむつもりはない。
学園では決闘による個人の戦力を順位づけしているという。
学生同士で決闘し勝敗を記録、その勝率の高い順にランキングしているとアオとキィから聞いている。
ちなみアオは堂々の学園一位。
キィは興味がないため参加せず順位なし。
アオの一位は誇らしいが、そのせいで生徒たちからは決闘を敬遠されているという。
すわ仲間外れかと心配しかけたが、そういうわけでもなく、強すぎて相手にならないからとのこと。
他の時間ではちゃんと仲のいい相手はいるから心配いらないと怒られてしまったのは昨年のことであったか。
ともかくそうした事情で、アオと決闘してくれる相手は外にはおらず屋敷だけ。
けれどキィは言ったように興味がないし、シロに至っては起きてこない。
最近はクロがやって来たけど、流石に魔術師にまで到達してもない彼女を相手にはできない。
つまり、アオと決闘できるのは、アカだけなのであった。
彼女が嬉しげにせがむのは、そういうわけだ。
じゃれついてくる大型犬を思わせる様にアカは苦笑して。
「では庭にでましょうか」
「先行ってる!」
◇
「さて」
アカとアオは庭先で間合いを置いて相対する。
アカは錫杖を手に持ち、アオは無手で構えをとる。
ふたりの周囲には円陣の結界が張られている。アカの快癒の結界だ。
これの内部であれば、おおよその怪我は瞬時に治癒してしまうという上級の生命魔術と空間魔術の複合である。
本来なら立会人に張ってもらうものだが、まあアカにはこれくらいなら片手間で敷ける術なので問題はない。
決闘の作法として、一足で殴り合いに持ち込めない程度に離れた状態ではじめ、降参か立ち会い人の判断、もしくは決められた結界内から外に出た場合を敗北とする。
「では、今日はどうしましょう」
「二色で!」
無論のこと、このまま全力でふたりが相争えば、勝利するのは赫天のアーヴァンウィンクルに決まっている。
彼は世界で三番目の魔術師であるからして。
よって、勝負という体にするにはなんらかの条件が必要となる。
ひとつは魔力量。
アカの膨大な魔力量は反則と言えるほどで、制限を課さないわけにはいかない。
ということで、アオと同程度の魔力しか使わないと取り決めてある。
……それでも一線を画するほどの魔力量ではあるが、本来からすれば大幅な制限だ。
さらにもうひとつ、アカの使用できる魔術の色を縛っている。
アカは固独を除く表裏七色の魔術全てに精通しているので、手札が豊富で手数が無際限。
よって、はじめから使ってよい色の数を取り決めておく。
今アオの言ったように二色ならば赤を除いた表三色のみで戦うということ。
アカの得意な生命魔術を使われては勝ち目がないことと、なにより。
一色での決闘で、以前アオが勝利したことがあるためだ。
そのため今のアオの目標は二色のアカに勝つこと。
気を整え、魔力を巡らし、構えをとる。
全力で勝利を奪いに行くとその輝く瞳が告げている。
アカはそのやる気に満足げに頷いて、懐からコインを取り出す。
「ではいつものように、コインが地についた瞬間にはじめましょう」
「……」
返答はない。
集中している。
目に見えて魔力が活発化してきている。
その集中力に感心しつつ……コインを指で弾く。上に飛ばす。
くるくると回転しながら上昇し、ある一点でそれは落下へと変わる。
そして重力に引かれてコインは地へと落ち――その瞬間。
魔力が弾ける。
アオが魔法陣を展開。その色は自然と生命の混生。
色の割合は八対二、自然魔術優勢の混色魔術であるとアカは一目で看破。術式も読み取り、対抗する魔術を編む。
刹那、緑の原っぱが純白に染まる。
アオの魔術により大量の雪が魔法陣から生産されたのだ。
空から舞い落ちることもなく地から積もる不可思議な初雪。瞬く間に積もる雪は非常に分厚い。
その積雪は目算半メートル、脚が埋もれるほどの量が結界内を埋め尽くす。
それを見越して、アカの展開した魔法陣は造形。
雪に足を持っていかれる前に跳躍し、造形魔術で作った台座の上に着地する。
雪に触れることを嫌ったのは混じった生命魔術。
おそらく触れるだけで生命力を体温とともに奪う仕組みであろう。
――いい魔術ですが、燃費は悪そうですね。
内心で魔術の規模と洗練された術式に感心しつつ、右手には対抗すべく自然の魔法陣を構築。
アオにとって自身の魔術で生んだ雪。
彼女にのみ生命簒奪は機能せず冷気すら感じない。完全に地の利を奪われた。
これを先に処理しておかないと後手に回る――
「いくぞー!」
「っ」
思考を遮るように、アオは全力で飛び出す。
積もった雪を踏み締め、脚を取られることもなく全力疾走で接近。
その速度は風のごとし。
見えないが、おそらく足裏で魔法陣を展開している。浮遊と加速の術。
アカは咄嗟に魔法陣を切り替える。
青い輝きは消え、黄色の輝きが灯り。
「てや!」
アオは飛びかかり脚を伸ばして真っ直ぐ。
脚力強化を帯びた跳び蹴りは鋭く強力。アカでも直撃すれば骨折くらいはする。
だが、アオから漏れるのは戦慄に似た呆れ――しゃらりと音色がしていた。
「……やっぱ発動早くない?」
「年の功です」
蹴りを受け止めたのは薄い鉄の盾。
アカが造形魔術で作ったものだ。
ギリギリで切り替えたためその装甲は薄く蹴りに凹んでしまったがなんとか耐える。
さらに。
「え」
盾が波打つ。
歪み、変形し――アオの足に絡みつく。
「えっ、え。なにこれ」
「造形魔術の応用ですよ」
ついでに質量も加算しておいたので、振りほどこうと足を振るのも難しい。
足枷をつけられたも同然。機動力は失い、これを外すかどうかの迷いに二秒消費する。
その間に、アカは再び自然の魔法陣を展開。
手のひらから拳大の火の玉を出現させる。
ぽい、とそれを一面の銀世界に放り投げると――
「うわっ」
一撃で雪原が蒸発した。
嘘だろ、と声に出す暇もない。
「こらこら、驚くという行為は隙を晒したも同然ですよ」
アカは台座から降り、同時に台座を蹴飛ばす。
アオのほうに転がり込んできた台座は――変形。
「またそれかよー!」
自然魔術でぶっ飛ばす。
その判断は早かったが、それでもアオの切り返しは間に合わない。
魔法陣が展開されるよりも、もはや原型をとどめていない台座が鉄鎖となってアオを絡み取って動きを封じるほうが先んじた。
捕縛完了、アカは笑顔で宣する。
「まあ、これで決着でしょう。お疲れ様です」
「くっそー!」
鎖にぐるぐる巻きにされたアオは身動きできず、悔しさに叫ぶことしかできなかった。
◇
「反省会をします」
「うぅ、手も足もでなかった……」
縛りを解かれた後も、アオはいじけたように草原で横になって立ち上がらない。
アカは苦笑しつつ、傍で身を屈める。
「いえいえ、あの雪原を現出させる魔術は素晴らしかったですよ」
「……ほんと?」
「ええ。ただ、あれは魔力の消費が激しすぎますね」
動作阻害のために積雪を増す必要があって、その分、雪の量――つまり消費する魔力が跳ねあがっていた。
範囲も広いし、極低温の維持も地味に手間で、なによりも。
「生命魔術を混ぜたのは面白いですが、そこまで欲張らずともよかったと思います。あれで無用な消費が加速していました」
おそらくあのまま放っておいても、あの雪原を維持するのはあと数分がいいところだろう。
アオの人並外れた魔力量と制御技術であっても、だ。
「うーん、でもあれはアカが魔法陣の段階で見破ったからだろ? ふつうはあんな即応できないと思う」
「ではアオは自分より格下としか戦う想定をしないのですか?」
「む……それは、よくないよな。ごめん」
「アオの言うことも一理ありますが、師としてはより上を目指してほしいのです」
初手で環境支配を行い地の利を得、かつ敵の阻害をも考慮した雪原の魔術は非常に強力で狡猾だ。
だからといってそれに頼って一辺倒になるのは成長が見込めない。
すこし手厳しい意見ではあったが、アオは素直に受け止めてくれて助かる。
そういう小さなことでもアカは嬉しくなるし、口も軽くなる。
ダメ出しをしたのだから、別の方向を示しておく。
「たとえばあの雪原ですが、あれ、おそらくなんの用意もなく踏み込めばアオでも雪に足が埋まるのでは?」
「そりゃそうだよ。すぐに足裏に反発と強化を混ぜた魔法陣を仕込んで動けるようにしてるぞ」
「それがもったいないように思いますね」
「え」
「生命を加えず、自分は雪を踏んでも沈まないような文言を術式に明記しておけば、それだけで手間が減り、消費魔力のほうはむしろ減少するはずです」
「あー、そもそも自分は沈まない雪かー」
それは考えてなかったなぁ、と身を起こす。
アカのアドバイスで、すこしやる気が戻ってきたらしい。
それにアカのほうも喜んでしまい、さらに続けて。
「ああ、そうだ。その後の接近もよかったと思います。アオは体術も扱えるという利点を活かしていましたし、対魔術師には近接格闘が有効ですから」
アオは魔術師としては珍しく身体能力も高く、そのうえハズヴェントから手ほどきを受けているため徒手空拳でも殴り合える。
「でもそれで足枷つけられて対応遅れて次の炎に雪原蒸発されたし……って、そういえばなにあの火力! ほんとに魔力制限ありで使った魔術だよね、アカ」
「アオの総魔力量の半分は用いましたね」
「思い切りよすぎない?」
「あなたの雪原も充分、思い切りがいいと思いますが」
あれも魔力の半分近く充てた魔術であろう。
まあ小技ばかりでは拉致が開かなくなるし、どこかで思い切る必要はある。それを初手に持ってくる度胸は褒めるべきだろう。
そこで思い出す。
先の一戦で最大の疑問がアオにはあった。
「そうだ、アカ。あれ、あれはなに?」
「造形魔術の応用ですか?」
「そう、それ!」
造形魔術で作成した物質をその後に変形させるなど、アオの知らない術作用だ。
造形で作ったものは術の完了時点で固定され、一個の物体として出来上がるはず。そして、造形魔術は作る魔術で変える魔術ではない。
では先ほどのあれは一体どういうことか?
「学園では教えてくれませんか。まあ、わりと高等技術なのかもしれませんね」
「んん、造形魔術学科とかなら教えてるのかな? 今度キィに聞いてみるか」
でも今は、とアカへと視線を向ける。
その瞳には教えてほしいと書いてある。
昔から、アオは授業で特に気になることがあるとこんな目をしていた。
真っ直ぐ澄んだ、駆け上がろうとする強い向上心の輝きだ。
そんな瞳の輝きが、アカにはとても好ましい。
「造形魔術で物質を作る際に、その物質にあらかじめ鍵穴を作っておくという技術です」
「鍵穴? 穴を開けるのか?」
「いえ、術式的な鍵穴ですので、まあ比喩ですね」
うんうん、とアオは体操座りになって話に耳を傾ける。
「鍵付きの物質へ、その後、鍵穴にあうような術式を編み上げて自然魔術で干渉することで変形させることができます。
名称を設計挿入変錠式と言います」
「あ、自然も混じってたのか」
設計書を物質内に挿入しておき、あとで追加の鍵を差すことで形を変化させる技法――という説明はノド元で停止した。
アオはあまり名称に拘りはないらしい。
実用的な内容が好みならと続ける。
「造形魔術だけで決闘した際には使っていなかったでしょう? それはそういうことです」
「ちぇ、推理できたってことか。まだ未熟だな、あたし」
ストイックに自戒する様は、やはり真面目な子だなと思う。
この性根と先ほどの魔術の冴えを見るに、同年代では負けることはないのは道理といったところか。
師のひいき目なしで、アオは一流の魔術師に引けを取らない戦闘力を保持している。
そんな少女にさらに知識を与えるのは、実はけっこうヤバいことなのかもしれない。
心の隅で思いはするも、アカは弟子に甘いので口はあっさりと教授を。
「これの利点は普通に魔術を行使するよりも素早く効果が発揮されるということです。事実、アオ、あなたの反撃よりも先に私の術が実行されましたよね?」
「うん、早いとは思ったな」
「相手と魔術の素早さを競る状況に便利というわけです。相手が知らない場合は動揺を誘えるかもしれませんしね」
「まんまと隙を晒したアホだよ、あたしは」
「そう自嘲せず」
「知らないんだから仕方ないだろ」
「そう開き直らず」
「どうしろっての!」
いや以後気を付けるで構わないのだけど。
アオは問答が楽しかったのかすこし笑ってから、表情を引き締める。
「でもやっぱ術の発動速度が大事だよなぁ、もっと術式を軽くして早くしたほうがいいかな?」
「たしかに魔術師同士の戦いは発動速度の競い合いという面は強いですが、私はそれ以上に手の内の読み合いのほうが重要だと思いますよ」
より素早く魔術を放てばなにもさせず勝てる。
初動で遅れても相手の術を読んで対抗できる魔術を選びとれば勝てる。
対抗できないような術を使おうとすれば速度に劣り、早さ一辺倒に敗北する。
そうした戦いの天秤は容易に移ろい、確定した勝利の方程式など存在しない。
「まあ、経験を積むのが一番でしょうね。できるだけ安全に」
「だったらアカと戦うのが一番だね!」
「まあ、そう、なりますか……?」
覚束ない様子でアカはなんだか素直に頷いていいのか迷う。
アオは確固として頷く。
「そうなんだよ、アカと戦うの、あたし好きだし」
「……」
笑顔に迷いは見えなくて、だからこそ。
アカは、もうすこし迷うことはないのかと思ってしまう。
「アオは……」
「ん、なに、アカ」
途中で止まったのは、問いかけるのがすこしだけ躊躇われたから。
聞き返されるてしまうと、もはや立ち止まってはいられず。
「アオは戦うことが、やはり好きですか?」
「そう、だね。うん、好きなんだと思う。ダメかな?」
「駄目とは言いません。ただ、そればかりに飲まれないよう、気を付けてください」
彼女の過去を考えればその返答は意外でもない。
アオは戦って勝ち取ったからこそ生き続けていられた。それもひとつの真理。
けれどそれだけでもなく、師として伝えねばと思う。
否定ではなく、選択を。
「戦うことが自らの存在意義だ、などと決めつけてほしくはありません」
「……それは、アカが悲しくなっちゃうから?」
「そうですね。アオは心優しい少女であると、私は知っています。そんな子が、殺し殺されを肯定して喜ぶのは、どうしても悲しくなってしまいます」
「でも、あたしにできることって、ほんとに戦うことばっかりじゃん。そっちに進路をとるのも、悪くないと思うけど」
「それだけだなんて、そんなはずがないでしょう」
すこしだけ、怒ったような言葉だった。
アオにとっての当たり前が、アカには腹立たしく思ってしまう。
「アオの料理はおいしいです。ひいき目なしに顔立ちも整っていると思いますし、センスもいい。運動能力も優れていますし、毎日の勉強だってほとんど欠かしていないことは知っています。
真面目で、一生懸命で、がんばり屋。そんなあなたなら、やろうと思えばどんなことだってできると、私は思います」
「ぅ、ぅぅ!? ……アカ、もういいから!」
アオは首まで朱に染め俯いてしまう。
急にべた褒めされると恥ずかしくなってくる。それも、そんな真摯に言ってくるのはずるいだろう。
アカとしては素直に思っていたことを述べただけなので、どうしてそこで遮られるのかうまく飲み込めない。
だが確かに長くなったとは感じ、もっと率直に結論をぶつけたほうがいいかもしれない。
「つまり、アオ、あなたには無数の可能性があります。
そのなかで、なお自ら選んだのだとしたら、戦う職業に就くことを否定したりはしませんし、他のどの道を選んでも応援します。ただ、しっかりと考えてほしいのです。どうか自らの可能性を否定せず、心のままに」
「……むずかしいよ」
「でしたら、私も一緒に考えますから」
道行く先を先導し、分かれ道ではともに悩む者。
それが師であると、アカは思うから。
「わかった。じゃあちゃんとあたしのこと、見ててよ?」
「ええ、必ず」