授業・特二色と裏四色
「今回は残る六色の色相魔術の特徴について説明しましょう」
「はーい」
すこし生返事気味になってしまったのは、実は予習しておいたからである。
クロとしても九色の魔術の概要については気になっていて、それの説明が授業でされるのを待っていたのだが、思ったよりも後回しにされてしまい、先に書物のほうで調べてしまったのだ。
ちょっと先生に悪いことをしたかな、と感じていてそのことは告げていない。
とはいえ、本当に概略を調べただけなので、もっと深いところはアカに語ってもらわねばわからない。
だからまあ、セーフだと思う。たぶん、きっと。
心の中で妙な言い訳をするクロには気づかず、アカは授業を進行していく。
「以前は表三色について解説したと思いますので、残りをまとめていきます」
言いながら、アカは以前にも書いた九色九種の魔術について黒板に列記する。
表三色
生命魔術…赤色魔力の魔術。魔力を生命力として扱う。
自然魔術…青色魔力の魔術。魔力に性質を与える。
造形魔術…黄色魔力の魔術。魔力に形を与える。
特二色
固独魔術…白色魔力の魔術。他に属さない個人特有の術。
混生魔術…黒色魔力の魔術。白を除く全ての魔術に適性をもつ。
裏四色
祝呪魔術…緑色魔力の魔術。祝福と呪詛の付与、それへの干渉。
破壊魔術…橙色魔力の魔術。魔力を高密度化させて命という属性さえ失った純粋な力を発生させる。
空間魔術…紫色魔力の魔術。魔力を周辺空域へ浸透させて空間に働きかける。
対抗魔術…藍色魔力の魔術。他者の魔力や魔術への干渉。
「とはいえ、特二色についてはあまり語ることもありません。
なにせ混生魔術は他の色の魔術を使えるというのが特徴で、説明は表裏七色に譲られるからです」
「固独はどうなの?」
わかっていながら質問するというのは、なぜか妙な罪悪感が湧く。
なにせアカが質問というコミュニケーションを喜んで、返答が笑顔で返ってくる。
「固独魔術は逆に表裏七色とは異なる魔術であり、文字通り特異な位置づけにあります。
固独魔術だけでも系統立っておらず、完全に個人個人で別個の術となるのです。
故に字を固有にして孤独――どれも空前絶後で唯一無二、同じはないのです。まあ、似たような魔術ならあるのかもしれませんが」
「んん、それって、実際はどういうものがあるのかしら」
これに関しては書物でもわからなかったこと。
固独魔術の術者は少なすぎて、書にすらおおまかなことしか書いていなかった。
だがそこは流石にアカ、当たり前のように身近な例をだせる。
「たとえば、シロは白魔術師です。固独魔術を保有しています」
「あ、そういえばそうね。どういうものなの?」
「睡眠と夢とを司る……まあ、端的に言って夢の操作です」
「……夢?」
含みもなくあっさり告げられたそれは、直球ゆえに捕えられない。
クロはなんとか意味を噛み砕こうと頭を悩ます。
「えっと、夢っていうのは、夜寝てるときに時々みる、あの夢?」
「はい、そうです」
「その夢を、操作できる? いい夢が見れる魔術ってこと?」
なんだ、それは。
いや、実際使ってみると面白いのかもしれないが、なんか実用性とか発展性とかなさそうだな。
あ、シロがいつも寝てばかりいるのは、これのせいなのだろうか。
クロがわからないで様々思考を回していると、アカは加えて説明を。
「間違ってはいませんが、もうすこし色々できますよ?
たとえばシロは他者を自分の夢に招待することも可能です。強制的に相手を眠らせ、夢の世界に送り込むことも」
「でもけっきょく夢じゃない。起きたら現実にはなんの影響もないんじゃないの」
「いいえ。身体に変化が起こらずとも、心にはむしろ大きな影響があります。
端的に言えば――夢の世界で死ねば、それは心の死。二度と目覚めることはありません」
「……え」
もちろん、実際の夢で死のうが目覚めるだけだろう。
しかしそこは魔術である。
本来の夢以上に心との関連が深い――否、心そのものを夢に取り込む魔術である。
もちろんそんな真似は他の色相ではありえない。
魔術では心というものに干渉できないとされる。その唯一の例外が固独。
まるで類を見ない完全に異形の魔術、それこそが固独魔術なのだ。
それともうひとつ、アカは勘違いを訂正する。
「そして自分の見たい夢を操作できるとも言いましたね? それは夢で流れる時間感覚すらも掌握しているので、時間を引き延ばすことで勉強にもってこいだそうです」
「べっ、べんきょう?」
「シロが常に寝て過ごしているのは、脳内に残った、けれど意識には上がらない記憶を教科書代わりにし勉強をしているらしいですよ。
それと現実と遜色ない環境下での魔術の鍛錬。これも、夢ならば魔力量に限度はなく、またどんな魔術を行使しようとも余所に被害はいかないので気兼ねなく大魔術を連発できるそうです」
そして目覚めても心は夢での出来事を覚えていて、術感覚も残っている。
魔術の鍛錬として相当な効果が期待できる。
実際に、シロの魔術の腕は同年代からして飛び抜けている――屋敷で唯一の月位はそうしてできた。
目を見開いて呆然と、クロはいう。
「じゃあ、シロは……ずっと修行してるってこと? 夢のなかで、ずっと!」
「はい。彼女はあれで、努力家ですよ」
「うそ……」
あの自堕落を絵に描いたような少女が、いつも寝てるか寝ぼけているかの少女が、その睡眠中に誰よりも努力を積み重ねていた。
嘘みたいな、驚きの事実であった。
クロは顔を俯けて表情を曇らせる。
「誤解、してたな。謝らないと」
「あぁいえいえ、それは彼女がわざとそうして見せているせいですから」
酷く落ち込むクロに、アカは苦笑して手を振る。
クロにはわからない。
「そうして見せているって、どういうこと?」
「なんというか、シロはあまり真面目に頑張っていると思われたくないようです。必死であることより、余裕であるところを見せたいのだそうです。まあ、あれで彼女も見栄っ張りということでしょうね」
だから、クロが落ち込む必要はない。
あれはシロのやり方で、生き方というだけなのだから。
「おっと、シロの話で脱線してしまいましたが、本筋は裏四色の説明です」
アカはクロの返事も待たず授業を進めてしまう。
本当に、そこは気落ちする必要もないことだと流してしまう。
「まずは祝呪魔術。これは、この屋敷では度々聞きますよね。
祝福と呪詛の付与、それへの干渉がこの魔術の全てです」
「……」
さすがにクロも悲しげな表情をちょっと嫌そうなそれにする。
未だ彼女に刻まれた呪いは消えず、抑えこんではいても心に影を差す。
恐怖であり憎悪、それ以外諸々クロの持ち得る負の感情のありったけがこの魔術に向いている。
たとえ術自体に悪意がないとわかっていても、そこは如何ともしがたいのである。
「嫌うのはわかりますが、しかし祝呪魔術の本質は表裏であり、呪いだけが全てではありません。本来は、その表側にあたる祝福を備え、人々に幸福をもたらすことも可能なのです」
「……呪いの反対は、祝い?」
「はい。人を厭うから人を尊重できる。人を好きだから人を嫌う。そういう心の表裏矛盾と同じく、祝呪魔術は祝福の魔術と呪詛の魔術、ちょうど対となっていることが多いのです」
不幸せの呪詛があるのなら、幸福の祝福があり。
魂削ぎの呪詛があるのなら、魂分けの祝福がある。
「そうした両翼を取り扱えてこそ、祝呪魔術は真の力を発揮します」
「……じゃあ、翠天のルギスは」
「はい。彼は無数の呪詛を習得し、創作していますが――同時に、無数の祝福も手中に収めているはずです」
なのに好き好んで呪詛ばかりを振り撒く。祝福なんて渡さない。
やっぱり、彼は最低の魔術師なのである。
術に悪意はないが、術者にはたっぷりの悪意が内在する。悪いのはやはり、かの翠天だ。
「次に、破壊魔術。字の通り、この魔術も危険なものです」
「というか、たぶんだけど裏の四色って全部危ないでしょ」
「ええ、まあ、はい」
だからこそ取扱いが難しく、制御が困難で、習得者が少ない。
だがそれ相応に強大なる力を誇るのもまた事実。
「まず橙魔力というのは魔力を高密度化させて純化させると発現する特殊な魔力色でして」
「魔力色から違うのね」
「ええ。裏四色の染色作業は表よりもだいぶ難儀となりますが、橙魔力はそれが特に顕著です」
まあ黒魔力をもつクロはそれすら省略できるのだが。
「純化を進め生命力という属性さえ失わせることで発生するのが橙魔力、根源的なエネルギーそのものです」
「ええと、他の色の魔力となにか違うのかしら」
ここらへんの知識はもうさっぱりだ。
予習したと言っても、やはりわからないことのほうが多い。
「高純度かつ高密度に圧縮されたエネルギーは、通常の魔力よりもずっと強力で、故に破壊魔術は破壊にしか扱えません。なにかを傷つける魔術しか作れないのです。
なにせ魔力の時点で繊細に使いこなせない前提を課されていて、それをつぎ込んで発動する術は、どうしても荒々しく豪快で、破壊的になってしまいます」
発動だけで自傷作用があったり、範囲が選べず味方を巻き込んだりと酷く大味な魔術の数々は、術者でさえ危険極まる。
使いこなしてなおその特性は変わらないのだから困りもの。
「先生でも無理なの?」
高純度高密度のエネルギーというくらいだ、もしも別方向に、たとえば治癒などに転用できたのなら、その効用は凄まじいものになるだろう。
けれど天の魔術師は首を振る。
「できません。もはやそういう仕様と思ったほうがいいでしょう。
その代わりと言ってはなんですが、破壊として運用した破壊魔術は九色最強と言っていいでしょう」
他のどの色相魔術よりもその威力は絶大。
山を崩し均し、平野に湖を穿ち、巨大な魔獣を討ち仕留める。
命であることをやめた力は、容易く命を奪い去る。
危うく、危ういが故に恐るべき破壊をもたらす――そういう魔術だ。
「ふぅん」
暴れまわるだけの暴力じゃ、無用な被害が拡大するだけではないか。
クロは破壊魔術について、あまりいい印象は持てなかった。
つまらげな顔つきは素直な少女の感情をそのまま表す。
あんまりわかりやすい態度に、アカは苦笑を堪えて次へ。
「三に、空間魔術。破壊魔術が最も強力で危険な魔術なら、こちらは最も習得が難しい魔術と言えます」
「それ、ジュエリエッタも似たようなこと言ってたわね」
「色相魔術師の人口において、これを扱える術師は他と比して極端に少ないのです。さらに紫魔術師と名乗れるほどの者となると、もう本当に地上に百人もいないのではないでしょうか」
「そんなに少ないの」
いや、他の色の魔術師がどれくらいいるのか、クロは知らないのだけど。
けれど身近に使われている魔術であるから、使い手の少なさに驚いたのは本当。
「でも、先生はけっこう得意なのよね」
「ええ。実は生命魔術の次に得意です」
「やっぱり先生ってすごいのね」
「そんなことはありませんよ」
なんでこのひとはすぐに謙遜するのだろう。
不思議に思いつつも問うのは授業のこと。
「それで、空間魔術ってどういうことができるの?」
「一言で概略を言うと、魔力を周辺空域へ浸透させて空間に働きかける魔術です」
「それって、つまりどういうこと?」
予習の意味って、本当にあったのだろうか。
ここに来てクロはなんだか自信を失う。
概要は一度読んだはずなのに、アカの言っていることが正しく受け取れている気がしない。
「紫魔力は最も大気のマナに似ていて、そのためそれに紛れ込んで操作ができるのです。その紛れ込ませる作業を浸透といい、浸透度合いが広いほどに広大な空域を支配でき、浸透度合いが深いほどに様々なことが可能となります」
「様々って、たとえば?」
「クロが体験したもので言えば、遠くの空間と近くの空間とを距離を超えて繋げて移動する――鍵による遠飛びの魔術がそれです」
「あれは確かにすごいわね」
「ただしマーキングした地点にしか遠くの空間は設定できませんけれど」
先に述べた浸透という作業を施し、それが劣化しないようにと保護しておいたマーキング。それを世界中に配置して、アカはどこにでも現れる。
三天導師の御伽噺が世界各地にある原因のひとつであったりする。
「空間魔術の最大の特徴は、こうした長時間滞留し維持しておける点にあります。この作用を利用して、他の色の魔術と併用し持続時間を伸ばしたり、広域に展開するのに役立つこともあります」
「魔術は使えば終わりの方式が多いものね」
造形魔術でさえ、しっかり丹念に作りこんで魔力を配分して特殊な技法を使わねば時間経過で消滅する。
それを伸ばす、広げる役目が空間魔術にはある。
「応用の材料として優秀というわけです。もちろん、単体でも優秀ですが……正直、単体だと難易度が跳ね上がるんですよね」
「習得が難しいって言ってたわね」
「はい。だからこそ、紫魔術師を名乗るのは難しいのです」
「……そういえば」
言われて思うこと。
当たり前すぎて書物で調べることもしなかったが、まだ聞いていない。
「何色魔術師っていう言い方、あるわよね。あれって、得意分野の宣言とかなの?」
以前、ジュエリエッタが自己紹介の時、赤魔術師を名乗っていたのをクロは覚えている。
「ええ。自分の最も得意とする色合いを名乗ることはよくあります。かといって他の色が使えないわけでもないはずですが、それでも他よりそれを専門としていますと伝えるために言います。もしくはそうありたいという表明か」
「じゃあ、先生も赤魔術師?」
「うーん。私はあまり名乗りませんね、言うならそれでしょうが、いちおう導師という号がありますので」
魔術師ですらなく、天位の彼らだけの称号――導師。
実際、その言葉に正確厳密な定義があるわけではないが、それを名乗るのは三天導師だけだ。
「……また話が逸れましたね。次で最後ですし、行きますよ?」
「あ、うん。ごめん」
気になることを聞くのはいいが、それで本題を放置するのはよくない。
クロはもうすこし節操をもって質問すべきだったかと反省。
「最後に対抗魔術。これは、対魔術師には最も有用な魔術です」
「魔術師に強い魔術」
「はい。その特性は対魔術干渉。端的に言えば魔術を阻害したり、中断させたり、反射したりします」
魔術そのものへ干渉するという、これまた他とは一線を画する魔術。
「ここでも例を挙げますが、魔術で炎を放つとします。他方で対抗魔術を使われると、その炎は消滅します。術式を介したものである、という一点で、どんな魔術も消すことができます。もっと実戦的になると、相手の放つ魔術をそのまま反射して打ち返す事も可能です」
「それは……魔術師に天敵じゃない」
「はい。ただもちろんなんでもかんでも消滅したりはできません。魔術の完成度の差や込められた魔力によって難易度は変わります」
「上手な魔術は消せない?」
「消しにくい、が正しいでしょう。時間と魔力と根気があれば、まあ大抵は消せるはずです」
「対魔術師に有用、ね」
「代わりに、魔術以外にはほとんど意味がありません。剣士には斬り殺され、自然発火した炎には焼かれます。至極当たり前に」
魔力をもとにし術式で発生した現象、物質でなければ、対抗魔術はなんの意味もない。
魔術師に有効であるために、それ以外にはほとんど無意味ということ。
「あ、じゃあ造形魔術で作ったものも消されちゃうの?」
「一番恐れるべきですね。だからふつう、造形魔術だけで建築物を作ったりはしません。一部を使用することはあっても、大事な部分は手作業でしょう。でなければ、どこかの誰かの対抗魔術で一発で消されてしまいます」
「……そっか、造形魔術で永続するように作ったとしても、危険はあるのね」
予習内容と被っているが、もうクロはそんなことどうでもよくなっていた。
単純に、アカとの授業がそれだけで楽しくて。
「面白い技術として、魔法陣の書き換えができます。誰かが魔術を発動する際に発生した魔法陣を、余所から乗っ取りができるのです」
「すごい。乗っ取るって、じゃあ射出方向を逆にして術者に撃ったりとかできるのね」
「そこまでのことは難しいですね。魔法陣に書かれた言語は個人差がありますので、陣の内容を理解するのがまず困難ですから。できて暴発か不発か、上手くして消滅させるかです」
「あ、そっか。いやでもやっぱり干渉されたら厄介なのは変わらないわね」
「ええ。ですからこれを恐れて手練れの魔術師ほど魔法陣の展開を最短に縮めるよう気を付けていますので、そこは早さ勝負ですね」
と、そこまで話して、これはちょっと先の知識だったかな、アカは気づく。
そもそもまだ裏四色の知識すら早いとも言える。あまり焦って進むのも転びやすい。
とはいえ、クロはうれしそうに目を輝かせていたので、まあよしとする。
「やっぱり、魔術はすごい。すごいわ」
「はい。表の三色も充分に優秀ですが、裏の四色はさらに色々な可能性を秘めています。とはいえ、まだクロには早いので、まず表三色を練習するところからですが」
「わかってるわ。でも、進む先にもっと面白いものがあるって知れたから、先を楽しみに今を歩けるもの」
「そう、ですね。あなたならいずれ辿り着ける場所です。期待して下積みをしていきましょう」
「うん!」
元気に頷く姿に、アカのほうも満足する。
と、そこで授業を終えてもよかったが、ついでにもうひとつ。
せっかくなので知識として、これも教えてしまおう。毒を食らわば皿までとはすこし違うが、教え甲斐がある子にはついつい口が働いてしまう。
「最後に――実は、自分の魂源色は変えることが可能です」
「え。そうなの?」
なんだか、魂の色というだけあって生まれつきから変わらないようなものかと思っていた。
「はい。でないと裏四色を魂源色ともつ魔術師がいないでしょう? あぁ、ただ白と黒だけは例外で、変更できませんし、それになることもできません。特別なのです」
「……」
「生まれ持つ色合いは表三色のどれかですが、それを、他の表裏七色ならば後天的に変色ができます。自分のやりたいこと、得意なことを選んで変えることは魔術師にときどきあります」
「ときどきなんだ」
言葉の揚げ足ではないが、細かいところを気にする。
「まあ、手間も暇もかかる上、ふつうは変色なんて行為ができるレベルの魔術師はある程度の腕前があるはずですから、それまでの感覚が狂うのを恐れる場合がほとんどでしょう」
「そっか。簡単じゃないんだ。そうだよね」
自分の魂を変えること。
それは色だけでなく、きっとその本質だって変えることは難しい。
クロはクロであることをやめられない。
魔術師として歩き出したとて、ベッドに縛られていた頃がなくなるわけじゃない。
弱い自分を捨ててしまいたいけど、そう容易くはないのだろう。