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11 魂殺蛇剥


 呪いというのは極論を言って憎い相手を殺すための魔術である。

 ほかの全ての魔術とは違い、明確に殺人のみを目的とした恐るべきもの。


 ただ呪詛の魔術は他者に刻み込み、その人物を媒介として作用する性質をもつ。

 そのため被呪者の生存意欲があると直接的に殺すというのは存外に難しく、現在の呪いとは嫌がらせに近い。


 体調不良を引き起こす、魔力の連絡を乱す、五感を阻害する。

 そうした間接的な妨害が多く、それが死因の一端になればいいとされる。


 派手さには欠け、必殺も難しく、なによりも陰湿。

 現代魔術師たちには不人気な色相魔術である。


 しかしそれは高位の緑魔術師を知らないだけだ。


 真に強力な祝呪ミドリ魔術は本当にあっさりと人を殺す。

 抵抗許さず、術者は離れて、一撃で――命を絶つ。

 その恐ろしさに気づくのは、死すその直前だけである。


    ◇


 アカがひとり歩くのは、死した村。

 遺体はすべてジュエリエッタが埋葬してくれたとのことで見当たりはしないが、どこか死臭を感じさせるのは気のせいか。

 否だ。

 無人の村となると、小動物や鳥たちが入り込んでは家屋からエサを漁って荒れてしまうもの。

 そういう人里の食糧に釣られて入り込んだ動物たち全てが――死んでいる。

 おそらくは村人たちと同じく、肉体的に無傷のまま生命を失って死骸となっている。

 時間経過で腐り始めていて、それが死臭の根源か。


 アカは軽く風を起こして臭いを遮断しながら先へと歩む。

 ジュエリエッタの話では、ある民家の一室にそれは隠れていたらしい。

 封印を施した際に壁に張り付けたのですぐにわかるとのことであったが。

 考えている内に話に聞いた特徴と一致する家を見つけ、小声でお邪魔しますとだけ呟いて侵入。


 そしてそれは発見された。


「たしかに蛇、ですね」


 白い蛇が、壁に張り付けられてもがいている。

 この生命のすべてが枯渇した村で唯一活き活きと艶めいて緑の瞳を輝かせている。


 生命力に溢れているが、これは命ではない。


 生命アカ魔術を生業とする術師だからこそわかる。

 この蛇は生物などではなく、むしろ生命を奪う呪詛具そのものだと。


 動き回る呪詛。

 そうした嫌らしい発想は翠天製の呪詛具に時々見受けられる。

 生物を模すことで警戒心を解いたり、逆に危機感を煽ることが目的の場合もある。

 今回のこれはおそらく呪詛被害を拡大拡散するために人知れず動き回るものとしたのだろうが。


 白蛇の術式を観察、その術式を解析していく。


「これは……『魂削たまそぎの呪詛』に近いようですね。通りでジュエルさんが気づいたわけですか」


魂削たまそぎの呪詛』とは、文字通り人の命を削ぐ呪いだ。

 具体的には自然回復する魔力をそれ以上に削って、時間をかけて生命枯渇まで追いやるというもの。

 即効性は低くとも殺傷能力は高い、そういう人殺しの呪詛だ。


 しかしこれを翠天のルギスが使えば、大抵の者は即死するだろう。

 本来ならば数か月はかけて徐々に命を奪う呪いも、呪詛の天が使えば瞬く間に命の輝きを暗闇に落とす。


 そして、この呪詛具もまた同じ威力があると見ていい。


 つまり、この蛇に触れたら死ぬということ。

 触れずしても範囲内にあるだけで徐々に衰弱し、やはり死ぬということ。


 明解で、それゆえに最悪の呪詛具である。

 その上。


「……これは、奪った命を蓄積している?」


 通常の『魂削たまそぎの呪詛』ならば命を削ることだけを目的とし、生命力は霧散させてしまうものだが、これはすこし違った。

 この蛇には奪った命がそのまま貯めこまれているのだ。

 しかしそれはなんのために?


「解呪の対策か、それとも――」


 いや、おそらくはそうだろう。

 そこも踏まえた上でこれを破壊しなければ、慎重に。


 アカはどこからともなく錫杖を取り出し右手で握ると、左手を白蛇に向けて。



 ――瞬間。

 ――蛇が破裂した。



「っ!?」


 アカの魔術ではない。蛇が自らの術式に従って自壊したのだ。

 液状に分解された蛇の呪詛はジュエリエッタの封印をすり抜け、水たまりとなって床に落ちる。


 しかし機能は失っていない。


 白濁としたどろどろの液は渦巻いてその生命力を猛烈に消費し、別の術式へと移行しているのがアカには見える。


 これは、自らに干渉された場合の防衛処置?

 違う。ならばジュエリエッタの封印の際に発動しているはず。

 ならば。


「三天導師の魔力をトリガーとして作動する仕掛け……」


 いや、瑠天ルテンのあのひとはこのようなことにかかずらうとも思えないし、思わないだろうから――これはアカを狙い撃っての仕掛けだろう。


 それはつまり、三天導師以外の術的干渉に丸きり無防備であったということ。

 それはつまり、三天導師以外の術的干渉など丸きり無意味であると確信していたということ。


 同時に。

 三天導師に対するカウンターを用意してある呪詛具であったということ。

 奪った生命力の蓄えは、すべてこのために。


「――!」


 アカは咄嗟に術式を切り替える。

 伸ばしていた手の先から青い魔法陣を展開、指向性ある風を起こして我が身を吹き飛ばす。

 開け放していた扉から外に飛び出して――その直後に家屋は瓦解する。


 そして屋根をぶち抜いて鎌首をもたげる、一匹の白蛇。


 先ほどと比して、そのサイズが爆発的に膨れ上がっている。

 身に宿す生命力の規模に比例して巨大にして長大、まるで天にかかる虹のよう。


「千……いえ、二千は食らいましたね。人以外ならその数倍をも」


 苦虫を噛み潰したような顔つきになったのは、アカには巨大な白蛇の姿を通して奪われた命そのものを感じ取ることができるから。

 この村だけではない。

 おそらくここいら周辺の幾つもの村々が、森中の動植物たちが、その命を吸い取られてしまっている。

 ただ付近を通り過ぎただけでゆっくりと、自らが死んでいくことをまざまざと実感させながら苦しむように、その生命を奪い去る。


 命を啜り、魂を剥ぎ取る強欲なる蛇。

 何百、何千と食らおうとも満足することなどなくエサを求めて這いまわる。

 そして最後には食らった命を全て吐き出し主の敵を討ち滅ぼす。



 ――それは「魂殺たまそぎ蛇剥じゃはぎ」と名付けられた災害級呪詛魔獣である。



    ◇



「落ち着くといい」


 村の入口、呪いの影響をギリギリで受けないと判断されたその場所で、ジュエリエッタとクロは静かにたたずむ。

 クロはざわめく心を誤魔化すように目線を定めずにと気を払っているつもりで、実際はアカの背を見送った向こうばかりを見つめている。

 気づけば足は前に出ようとしていて、それを制止してとを繰り返してしまっている。


 心の迷いが明白で、ジュエリエッタは大儀そうに口を開く。


「彼は赫天のアーヴァンウィンクルだよ? なにを不安がる必要があるんだい」

「でも、危ないって、自分で言ってたわ」

「謙遜だよ。あの方にとって、この程度の危機は危機足りえない」

「……」

「なんだい」


 クロの視線の色調が変わった気がして、ジュエリエッタは首を傾げる。


「やっぱり、先生ってそんなにすごいの?」

「はぁ?」


 素直な質問だったが、ジュエリエッタからすればわけがわからない。


「君は今まで生きてきて、三天導師の御伽話を聞いたことがないのかい?」

「あんまり、ないわ」


 御伽噺を知らないわけではない。

 すごい魔術師であることは知っている。

 けれど具体的にどれほどのものなのか、それをクロは知らなかった。


 ジュエリエッタは心底意外そうに垂れ目を驚愕に広げる。


「ずいぶんと無知だね、それは」


 言葉を覚えだした幼子から死に瀕した老人まで、大陸の端々どこまでも、その存在を知らない者などいない。

 御伽話は語り継がれ、その偉業は歴史を紐解けば必ず散見される。幾つもの物語。


 竜を単独で討った。

 天変地異を収めて戻して無に帰した。

 膨大な魔獣どもを島ひとつとともに沈めた。


 そのどこまでが真実でどこまでが誇張なのか、それを知るのは三天導師だけであろう。

 しかし、直に出会ったジュエリエッタには、なにひとつとして虚偽には思えない。


「でも、ジュエリエッタ……さんも、月位ゲツイなんでしょ? そんなに差があるのかしら」

「天と地ほどにね」


 位階の数え方で言えばひとつしか変わらない。

 けれどそのひとつが、隔絶して届くはずもないほどの差異をもつ。

 月は高く上空から地を見下ろして暴虐に笑うが――所詮は天という世界の一部でしかない。


「君がアーヴァンウィンクルさまの弟子な以上、彼ら三天導師について無知であることは許されないとワタシは思う。書なりなんなりでちゃんと調べておくことだね」

「……そうするわ」


 なんだかすこし叱られてしまった。

 価値のわからない輩にその席は上等すぎると言われないだけ大分マシな言葉ではあったが。


 淡々とした言葉や熱のない仕草に反して、ジュエリエッタは結構ないいひとなのではないか。

 思うと、もしやという推測が少女の中には芽生えてきて、すこし気にかかってくる。


「そういえば、ジュエリエッタさんはどうやって先生と知り合ったの?」


 妙な確信を抱いたような問いかけに、ジュエリエッタはやや不振がりつつも問題のない範囲で返答する。


「実はワタシは魔術師協会と不仲でね、その関係で追っ手を差し向けられたのだけど」

「えぇ……?」


 初手からぶっ飛ばしていくなこの人。

 いや魔術師協会って、クロはあまり知らないけれど、あれでしょ? 魔術師たちをまとめる組織みたいなやつでしょ。たぶんだけど大多数の魔術師が所属してる感じのあれでしょ。

 それと不仲って、追っ手差し向けられるって……ヤバいのでは?


 おののいているクロに構わず、ジュエルは涼し気なまま続けている。


「その時に偶然出会って、助けてもらったのだよ。隠れ家までいただいて、なんとも月並みながらここまで優しくしてもらったのははじめてな気がするね」

「……確認だけど、以前からの知り合いってわけじゃなかったのよね? そこではじめて会って、困ってたから、先生は助けたってことよね」

「ん。そう、なるね。改めてみるとまったく彼は――」

「アカってばいつもそれなのね!」


 クロがなんだか怒ったようにジュエリエッタの言葉を遮り叫んだ。

 たじろぐのはジュエリエッタ。目を瞬かせきょとん顔になる。


「どうしたんだい」

「……あー、ごめんなさい。アカって、誰でも助けちゃうんだなって思っただけよ」

「あぁ、そうか君も」


 翠天の呪詛を抑え込むなどという離れ業、同じ三天導師にしか叶うまい。

 つまり、現在進行形でクロはアカに救われている。


「彼は力を持っているから、救えるものを全て救えてしまう。だからこそ、それを救えなかった時は救わなかった時であり、彼の意志によるもの」

「え」

「なんでもできるのに、全てができるわけではないから選ぶ必要があるってことさ。きっと、ワタシたちでは想像もつかないような葛藤を繰り返して生きているんだろうね」

「……助けるひとを、選ぶ」


 手を伸ばせば誰であっても助けられるけれど、その手は二本だけしかなくて。

 誰かを助けたということは誰かを助けなかったということ。

 賛辞と非難は表裏一体。けれど非難する誰かは救われていたかもしれないことを知る由もなく。

 だから、誰も知らない罪悪感が彼にだけは積もっているのかもしれない。


 それは天にある者としての苦悩の一端。

 地上を這うばかりの者たちには想像するしかできやしない。

 いや、彼女は違うのだろうか。クロなどと違い、三つの天を除けばもっとも高い場所に座す女性。

 思わず、問いは漏れ出ていた。


「……ジュエリエッタさんは、そこには行けないの?」

「ん?」

「あなたは天にまで届かないの?」

「…………」


 沈黙はどこか重く、問いかけたことを後悔させるほどにジュエリエッタを消沈させていた。

 けれど飛び出した言葉は戻らない。どう言い繕ってもなかったことにはならない。

 返答は。


「ワタシは――」



 不意に。

 クロはなにか奇妙な感覚を覚え、そしてよくわからないで混乱した。

 続いてジュエリエッタが弾かれたように振り返る。

 彼女はその感覚を知っている――膨大な生命力が弾け、そして練りあがっている!


「っ、なんて量だ。それに、人とそれ以外がぐちゃぐちゃに混ざり合って数が判別つかない!」

「えっ、え?」


 未だに実感と知識が合致せず、おろおろと顔だけ不安そうに動かしていると。

 クロは見た。



 ――忽然、天へと柱が伸びたその瞬間を。



「え」


 その柱は白く艶めかしく、揺れ蠢いて、あぎとを有している。

 巨大で長大で、規格外の。


「へび!?」

「あれは呪詛具だ! 命を食らって溜めこんでいるとは思っていたが、このためだったか!」


 叫びながら術式を編む。

 呪詛具の巨大化に伴い干渉範囲が拡大、さらに吸収力まで強化されたのをジュエリエッタは即座に看破。

 故の防護。

 赤い魔法陣がクロとジュエリエッタふたりの頭上に展開され、その生命を簒奪から守る。


 気にも留めず、クロはただ遠くの蛇と――なにより自らの師ばかりを思う。


「大きい! あれ、先生はだいじょうぶなの!?」

「さぁね。ワタシではもう手におえないレベルではあるけど……アーヴァンウィンクルさまならたぶん大丈夫」

「ほんとに!?」


 思いのほか頼りない返答に、クロは声を荒らげてしまう。


 威圧感が遠く離れたここまで届く。周囲で生きとし生けるものたちがその力を失っていく。

 クロもこの頭上の魔法陣がなくなれば即刻死してしまうと否応なく理解できる。


 恐怖――それもあったが、クロにはそれ以上に不安が大きい。

 これよりもなお近くで威圧を受け、より強い生命簒奪に晒された師への不安で情けなく顔が歪む。


 震えるクロを見遣り、ジュエリエッタは舌打ちを必死でこらえる。

 彼女としても呪詛具へびがあれほどの生命力――すなわち魔力を秘めていたとは想定外だった。

 無事を断言するには実感できる魔威のほどが肌を焼いて痛い。


「どっちにしてもワタシたちはこの場を離れるべきだ、呪詛の影響下にいるのはまずい」

「いやよ!」

「なんだって?」

「いや、いやよ。これ以上アカと離れたくないわ!」

「っ」


 すっかり忘れ去っていたが、この出来た淑女は実は十二才の子供である。

 ここに来て幼い感情を発露してくるとは。

 困ったことになったな、とジュエリエッタはなんとか苦手ながら言葉を投げようとして――


 身体を震わせているくせに、まるで揺るがないクロの断言が先んじた。


「それに、まだ五分くらいならジュエリエッタの術で防げるわ、それくらいわたしにもわかる!」

「っ」


 術と術の鬩ぎ合いを見通し、その膠着時間までほぼ正確に見切っている。

 視界の端では鳥が墜落し、獣が倒れ虫が死滅していくこの地獄で、クロは一切動じることなくジュエリエッタの術の精度を理解している。

 理解した上で、恐怖した上で、まだここは安全地帯だと強靭な理性で怯えを締め出しジュエリエッタを見ている。


 こうまできっちりと自分の術を把握され、そして信頼されると返す言葉もない。


「まったく我が侭なお嬢様だ、仕方ない。もうすこしだけだ、ワタシの術が限界になるまでだよ!」

「ありがとう、ジュエリエッタ!」

「呼び捨ては感心しない」

「うっ、ごめんなさい」


 空を見上げれば陽が落ちようとしている。

 落陽――まるで白蛇が空の陽すら呑もうとしているかのようで――

 

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