9 偽命の
屋敷を出て庭先にまでやってくれば、アカはいつものように懐から金の鍵を取り出し虚空に差し込む。
それでわかるのは、行先はアカがマーキングを施した場所ということ。
手紙を送ってきた相手のところだろうか、クロが漠然と考えているとアカは形成されたドアにノックをする。
そのドアはいつものそれとは違い、真新しい赤いドアだった。
「?」
ドアの違いに疑問を抱いていると、ノブがひとりでに回りだす。
嫌にゆっくりとした回転は終点まで行くと、またゆっくりとドアが開いていく。
開いた先には玄関が現れる。
そこは、誰かの家であった。
そして、ドアを開けたであろう少女がそこに佇んでいる。
白髪の少女だ。
無表情で無感情、思いの色の見えない心根まで漂白されたような小柄な少女だった。
顔立ちは整っているのに不気味さが先立つのは、やはりその無色の相貌のためか。
アカは、構わずに微笑をたたえる。
「ほーちゃんさん、お久しぶりです」
「……」
こくりと頷き、少女はそのまま家にふたりを招く。
言葉なく、仕草だけで。
まったく声を発さない。
動きがぎこちない。
生気の欠片も感じ取れない。
その少女を不思議に思うクロであるが、アカは勝手知ったるとばかり案内を受け入れて廊下を進む。
すぐにひとつの部屋に通されると、
「あぁ……そうか、手紙はようやく届いたみたいだね」
窓際、暖かな日差しを受けてソファに座していたのは、烈火のごとく赤い髪を肩口で揃えたセミショートの女性であった。
息を飲むほど顔立ちは整い、その碧眼は一個の宝石のよう。
ぶかぶかの上着を纏う姿は小柄な印象を与えるが、その佇まいは老成した静けさが漂っている。
眠たげな碧い垂れ目をこちらに向けると、読んでた本を閉じサイドテーブルへ置く。そのままの仕草で女性は眼鏡を外し、唇で微笑をたたえる。
「久しいね、赫天のアーヴァンウィンクルさま」
「はい、お久しぶりです、偽命のジュエリエッタさん」
三天導師をそれと知ってなお物怖じせずに泰然とした振る舞いは、彼女の格を伺わせる。
クロは女性の底知れなさに思わずアカのローブの端っこを摘んで身を隠す。
一方でジュエリエッタと呼ばれた彼女はやはり恭しくも嬉々として。
「こらこらアーヴァンウィンクルさま、ワタシのことは親しみをこめてジュエルと呼んでほしいと頼んだじゃないか」
「そう、でしたね。申し訳ありません、ジュエルさん」
「ありがとう、君にそう呼ばれるのはくすぐったくもうれしくなるよ」
柔らかな笑みに偽りはなく、アカとは本当に親しい様子だ。
それならあまり怖れずともいいか? アカの背からゆっくりと顔をだして、直後。
「それで、そちらのお嬢さんはどちらさまかな?」
水を向けられたクロは一瞬びくりと身を震わせる。
しかしなんとか平静をもって名を名乗る。
「あっ、えと、わたしはクロ、です。先生の、弟子です」
「アーヴァンウィンクルさまの弟子!」
すると今までにないほどジュエルの声音が跳ねる。
興奮気味に目を見開き、立ち上がっては失礼にならない間合いまで詰め寄る。
可能な限り、クロを近くで観察したいのだ。
「それは羨ましい、ワタシも随分とそれをお願いしているのだがね」
「あなたに教えることなどもうありませんよ」
「……と、このように取り合ってもらえなくてね。もう少し未熟な時分に出会えていたらと思わずにいられないけど、それはそれで見向きもされなかったろうから複雑だよ」
ジュエルという魔術師は彼の弟子になれる運命になかったのだろう。
悲しいながら、彼女は弁えていた。
「うん、しかし確かに君は素晴らしい素質を持っているようだね、アーヴァンウィンクルさまの弟子というのも頷ける」
「私はべつに、才能で弟子をとっているわけでは……」
「では、彼女の抱えている奇怪な呪いのほうが理由かな?」
「っ」
「さすが、お察しの良い」
クロは露呈に驚くが、アカとしてはバレることを想定していたようだった。
けれど確かアカが以前言っていたはず――自分の術式が並の相手にはクロを被呪者であると気付かせないと。
単純、彼女は並外れた術師ということか。
「ああ、失礼。名乗らせておいて名乗らないのは不作法だったね。
ワタシの名はジュエリエッタ、赤魔術師をしている――まあ、アーヴァンウィンクルさまの前で言うのは恥ずかしい限りではあるけど、一応、月位の位階にある。命霊者と呼ばれることもあるね」
天位という架空に等しい位を除けば、最上の魔術師であるということ。
世に百人といない傑物――最近になって習った位階を参照して、クロは驚きたじろぐ。
アカについて行くと、毎度こうもあっさりと高位階の魔術師と遭遇するのだろうか。
それとも彼女ていど序の口なのか。貴族王族、幻想種族や精霊なんかとも知り合いではなかろうな、この師匠は。
想像するに震えてくる。
「さて、あいさつはここまででいいかな?」
「え、そっちの子は?」
思わず、といった風情でクロが漏らす。
玄関からここまで案内してくれた、アカ曰く「ほーちゃんさん」とやらが紹介されていないと。
リビングについてから影が薄くってすっかり忘れてしまいそうになっていたけど、その喋らない少女もまたこの家の住人ならば無視するのはよくないのでは。
「ああ。そうだね、まあ、いいか」
ジュエルはなにか小さな葛藤を通過し至極単純、一言で彼女を説明してしまう。
「彼女はほーちゃん、ワタシの作った偽りの命だよ」
「え?」
ほーちゃん――偽りの命。
偽命のジュエリエッタが禁術において作り出した、人に似た人ならざるもの。
「造形魔術で人間の素材を限りなく寄せて作り、そこに生命魔術で命を与えた、人間を目指した、しかしまだまだただの人形さ」
「えっ、え? 人間を、作ったの?」
「いやいや、目標は確かにそこだけど、言ったようにまだ届いていないさ。けれど生命魔術は生命の魔術、ならば命だって作れるはずさ」
「……」
言葉もない。
命を作るという衝撃的な発言も、彼女によって作り出されたという人間にしか見えない少女も、筆舌に尽くしがたい驚愕である。
月位の魔術師とは、そこまで逸脱の魔術を使いこなすものなのか。
衝撃を受けて絶句するクロに苦笑だけ投げかけ、話を本筋へと修正。
「まあ、ほーちゃんのことは置いておこうじゃないか。彼女のことまで細かに解説していては時間がかかりすぎる。
ワタシとしては、わざわざアーヴァンウィンクルさまにご足労していただいた手前、そろそろ本題に移りたいと思うんだけど」
「そうですね、あまり時間をかけると夕食に遅れてしまいますし」
当人たちにしてみれば、余人の畏怖などどこ吹く風。
のほほんとした俗っぽい理屈で話を戻しにかかる。
「っと、けれどいつまでも立ち話というのは野暮だったね。ほーちゃん、お茶の用意を」