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クロ7 心


「クロ、あなたは心とはなんなのか、考えたことがありますか?」

「……え」


 その日の授業の終わり。

 ゆっくりとした手つきで黒板の文字を消していくアカは、背中を向けながらそんなことを言った。


 クロは席から立ち上がった姿勢のままでしばし硬直し、言われた言葉について思考に流し込んでいく。

 自然と腰はおりていて、思案気になってアカの背中をぼうと眺める。


 していると、板書も消し終えたアカが振り返る。

 その透き通った赤い目が、クロを捉えた。

 それだけでクロはなにか答えを出さねばと急かされた気になって、なんとか今のところかき集めた言葉を口から放つ。


「ええと、あれよ。感情の泉で、考えるための車輪。人の原動力ってやつよ」

「……なんだか、諳んじているような答えのようにも思えますが」

「そんなことないわよ!」

「それは失礼しました」


 あまりに慌てた態度はわかりやすすぎるものであったが、そこを指摘しないのも優しさだ。


 それに、全てなにもかもに自分なりの答えを用意しておけるものでもない。

 聞かれてはじめて意識が通い、そこに疑問を抱けることは多々あって。

 クロに気づきを与えただけでも、先の問いかけは充分に有意義なものであった。


 とはいえ、今これを授業の終わりに問いかけた意図は別にあり。

 アカはどこか懐かしむように目を細めた。


「その昔、ずっと昔。まだ私が師やルギスと同じ屋敷に暮らしていた頃のことです」

「…………」


 すっと目が鋭くとがるのは、彼女にとって今聞きたくはない名を事も無げに放ったせいか。

 アカは意識的に無視して続ける。


「非常に珍しいことに、その日はルギスとまともな会話ができましてね。これ、数百年で数度程度の本当に希少な事態なんですよ?」

「あんな奴と話すことなんてないでしょ」


 話に水を差すのは、彼について聞きたくもないからか。

 可愛らしい陳情にすこし苦笑しんがら、あえて話を推し進める。


「彼は、私に言いました」



『心とはなんなのか、お前は知っているか?』


「私は答えました」


『残念ながら知りません。ですが、知らないからこそ知ろうとしているところです』


「彼は嘲笑うようにさらに言いました」


『私はそれを利己と排他の集合であると考える』


「ですが私はそれを否定しました」


『その結論はあまりに狭量では。それ以外にもあるはずでしょう。必ず心には利他があるはずなのだから』



「……それに、ルギスはなんて言ったのよ」

「いえ。言葉もなくそこからはいつものように喧嘩がはじまってしまいましたよ」

「言葉も交わせない獣ね! 忌々しいやつ!」


 もはやなんの遠慮もなく罵倒する。嫌いである。

 とはいえ。

 話自体にはたしょう興味がでていた。

 無論、彼女が気にかけているのは翠天などではなく、


「……先生は」

「はい?」

「先生は、答えでたの?」


 心とはなにか?

 いつか過去には模索中としか返せなかったその問いに。

 今のアカは解答を見つけ出せているのだろうか。


「……」


 アカすぐに頷こうとして、ふと思案顔になる。


「そう、ですね。ええ。いちおう、私なりの答えは出ています」


 きっと他の誰かにとっては誤りかもしれない。納得いくものではないかもしれない。

 けれどすくなくともアカだけは、それを結論とした。

 長き旅路の果て、多く交流の先――弟子ら皆のお陰。


「ですが、内緒にしておきましょう」

「え」


 悪戯っぽく人差し指を伸ばして自らの口元に置く。秘密のジェスチャー。

 それに動揺するのはクロ。梯子を外された心地で文句を述べる。


「なっ、なんでよ。いいじゃない、教えてくれたって」

「言ったでしょう? これは私の答え。先に別の答えを教えられれば、あなただけの答えに水を差してしまうかもしれません」

「む。じゃあわたしが自分で答えを出さないと、教えてくれないってこと?」


 流石、察しのいい。

 アカは微笑で。


「そうですね。私はあなたの先生ですから、可能な限りあなたの成長を妨げたくはないのです」

「もう! ここまで話しておいて、それは意地悪よ!」

「大丈夫、あなたなら」


 アカは真っ直ぐにクロの澄んだ瞳を見つめて、どこまでも揺るぎない確信をこめて言う。


「あなたなら、私たちなどよりもずっと早くそれの答えに至ることができるでしょう」


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