64 枝折
「見事……!」
激しい発汗に、荒れ乱れた呼気。今にも倒れそうなほどに憔悴している。
常になく余裕のない顔つきで、アカはそれでも喝采を送る。
「この耳目の及ばぬところにて、これほどの魔術師が育っていたことに私は感動を禁じえません。本当に見事でしたカヌイさん!
あなたは私の知る限り最高の橙魔術師です――その牙は確かに天に届いた……!」
ばしゃりばしゃりと、嫌な水音がする。
アカの右腕は、根元から失われていた。
噴水のように血が噴き出し、白いローブをおぞましい朱に染める。
これほどの深手を負ったのはいつ振りだったろうか。
百か二百か、仔細には思い出せそうもない。
だが――
「ありがと、お兄さん。でも、ちぇ……負けかぁ」
敗れたのはカヌイである。
勝利したのはアカである。
それをしっかりと理解していて、カヌイは敗北感を噛み締め実に悔し気に。
「あー。これが負けってきもちかぁ……まっじで萎えんのなー」
落ち込みからそこで一転、ふとアカを見据えて蠱惑的に艶笑する。
「ほんと、お兄さんはヌイのハジメテ、たっくさん奪っちゃうんだか、ら……」
そうして倒れ伏し、しかし少女の柔いに肉体に外傷はなし。見えない部分に至るまで、彼女に損害はゼロである。
ただ魔力切れを起こして失神しただけで、カヌイは後遺症もなく……言うなればただ疲れて満足して寝ているだけ。
この壮絶な戦いの最中において、相手をそれだけ気遣って勝利を収めるのは流石に天の離れ業というべきか。
その代価に自らの右腕を奪われているのはどこかイカレている。
いや、カヌイのあの正しく必殺の一撃を片腕程度の犠牲で相殺できたのはむしろ幸運だったとすべきか。
あたりどころが悪ければ全身がぐちゃぐちゃの粉微塵、欠片も余さず消滅していただろう。
……アカをして本気で《《天としての奥の手》》を切るべきかと迷ったほどの魔術であった。
幸いにも魔術師としての切り札で勝利できたため、アカは余力を残せていた。
そのため生命魔術――すぐに再生して何事もなく右手のひらを確かめるように開いて握ってを繰り返している。
全身の疲労もリフレッシュ、着ていたローブも造形魔術で繕ってしまえば――いつも通りのアカである。
胸高鳴る興奮を意識的に抑え込み、心を切り替える。
「――さて」
倒れたカヌイにも念のため生命魔術を施してから、アカはすこし少女を置いて立ち上がる。
目を向け歩み寄るのは――一匹の竜。
先の戦闘においてあらかた打ち倒した竜であるが、実はあえて一匹だけ殺さずに縛り付け生かしておいたものがいる。
その唯一の生き残りに向けて、アカはいう。
「樹魂竜魔、聞こえていますね?」
「アーヴァンウィンクルぅ――! アーヴァンウィンクルゥ!!」
「あぁ、すみません。お静かに」
うるさくてかなわない。
鎖を作りだしてその口を縛り付ける。
「あなたの準備とかいうものは、無数の眷属の作成とそれによる数の暴力。これで間違いありませんね?」
「……っ! っ、っ! ……!!」
声はだせないが、それでも察するものはある。
おそらく是。
ならば。
「ならばもうお仕舞いですね。この大陸の眷属は、この捕えている竜が最後でしょう。お疲れ様でした」
総数二百七十四――それだけの数をアカと、それからカヌイの協力で叩き潰した。
ハズヴェントらの側にも一匹はぐれてしまったようだが、それも死亡を確認している。
大陸中をもう一度探査しても――残存する眷属はゼロ。
残るは樹魂竜魔ただ一匹である。
「今すぐにでもあなたのもとへ伺ってもいいのですが……」
当然、空間魔術を阻害していた竜どもも失われ、アカは当たり前に空間移動を可能としている。
だが。
「そんな時間も勿体ない。あなたごときに割く時間は余っておりませんので」
「っ!」
怒り狂って暴れようとしても、それは叶わない。
もがいてももがいても、もうどうにもならない。
「なので、この場から始末をつけさせていただきます。直接、御目通りできずに申し訳ありませんが、死んでください」
「!?」
ふわりと右手を開く。
そして虚空を叩き――この地に刻み込まれた術式に干渉する。
神話魔獣が一柱、樹魂竜魔を閉じ込めて異能をも内で封じ込めた結界――それの名を『枝折の結界』と名付けている。
樹魂竜魔という巨木の枝を折る、そういう意味合いを含めた魔術に、アカはさらなる追記を加える。
「枝を折る程度では反省しないようなので、その根から引き千切ってしまいましょうか」
『枝折の結界・根切』と、今てきとうに名付けた。
根切として術式に追加されたのは単純、収束せよとの命令だけだ。
「!」
樹魂竜魔は、すぐにその恐るべき事態に気が付いた。
結界が、急速に狭まっている。
その断絶性を維持したままに、円周を縮めて内へ内へと迫っている。ある中心を目指して収束していく。まるで四方八方から走る壁が押し寄せてくるかのような状況。
しかしその壁はある特定の存在を除いて素通りし、触れることもなく感触さえもない。
その円の中心は――
その素通りしない唯一の存在は――
もちろん、樹魂竜魔とその眷属である。
「……おや? どうしました?」
一際大きく暴れだす。
無意味とわかっても、迫り来る死に居ても立っても居られない。
アカはすこしだけ思案して、口に巻いた鎖を解いてやる。
末後の言葉くらいは聞いてやってもいい。
だが、開いた口から最初に飛び出たのは――性懲りもなく命乞い。
「たすっ……助けてくれアーヴァンウィンクル! 我の負けだ、だからどうか命だけは!」
「それはもう以前に聞きました。そして、約定を破ったのはあなたです」
「だめだ! ダメなのだ! 我は王ぞ! この我が、消えるなどありえていいはずがない!」
はぁ、とアカはため息をひとつ。
ここまで往生際が悪いと呆れ返ってしまう。
ここで仏心は出せない。意識して冷酷に声を低く。
「言ったはずですよ――もはや命乞いは聞きません」
翻り、もうその場から立ち去って。
「貴様は自らの手で自らの命を手放した。二度は拾わない――ここで死ね」
「いやだ! 我は――我は――!」
ぶちりと。
言葉を最後まで遺すこともできないまま、収束する結界に圧し潰されて竜は消え去った。
さらに向こう――結界の中心に設定した樹魂竜魔本体もまた、十秒も待たずに圧死するだろう。
そうして、竜の滅亡を看取ったことで役目を終えた結界は自壊する。
「さあ、皆のもとへ帰らねば」
Q.なんで最初からこれやらなかったの?
A.一応、空間阻害が効いていてなんらかの不具合がでる恐れがあったため念のためそのリスクを排除してからやりたかったため。
全然そんな気なかったアンフィさん無自覚のファインプレー。
それと、カヌイに見られるのも後々に困るので彼女が寝ている間にやりたかった。