59 三色姉妹 vs ドラゴン
「……竜と戦うことになったら、ですか?」
「うん」
アオの見上げる目に一切の曇りはなく、だからこそアカは困ってしまう。
……それは遠征前夜のこと。
皆が明日は早いと部屋へと解散した夜に、アオに呼び止められたのだった。
アカはすこしだけ悩まし気に唸る。
あまり直接にこういうことを言うのは落ち込んでしまうのではないか。
ついと目を逸らして。
「その場合は、まあ私に頼ってくだされば」
「アカがいなかったら?」
「……ハズヴェントがなんとかしてくれますよ」
「ハズヴェントも手が離せなくなって、あたしとキィとクロしかいなかったら?」
「それはもう逃げましょう」
「そうじゃなくて!」
怒ったように、アオは非難を声に乗せて叫んだ。
のらりくらりとかわそうとしても逃さない。お茶を濁そうったってそうはいかない。
アオはぎゅっとアカのローブの裾を掴んで口もとをへの字に曲げる。じっと、言葉ではなく瞳で伝える。
間もなくアカはため息を吐き出した。
「はっきりと言います。あなたがた三人では、竜の一匹にも勝利はできません」
「っ」
望み通りの見立てを申し上げるも、アオは裾を離さなかった。
だから、アカは続けた。
「理由を説明します。
彼らの纏う竜鱗は、頑強で魔力耐性を備え、そして短時間で再生する厄介な鎧です。
それを、あなたたちでは突破が難しいのです」
「……威力が足りないってこと?」
「威力だけならば用意できるでしょう。しかし、あれを突破する威力を複数回、それも同じ個所にあてることが難しいのです」
一撃の威力だけを見るのなら、アオやキィ、それにクロの『黒雷』だって殺傷制限を解除すれば充分なものを持っている。
だがそれだけでは足りない。
通じる攻撃は放てても、それだけで死ぬほど竜はヤワではない。その生命力の高さもまた、奴らの強さの秘訣。
そして最大の問題は竜鱗は破壊したとしてもしばらくすれば再生する点にある。
それはつまり、間を置けばまた高威力でないと一切を遮断する状態になるということ。
「じゃあ、竜鱗を剥いで突破口を作って、それが再生する前に攻撃を畳みかければいいってことだ?」
「……そうですね、もしもあなたがたが勝ちの目を拾うのならば、それしかないでしょう」
「ん! わかった!」
「あっ、いえ……ほんとうに、逃げて下さいよ?」
◇
――などと、アカは言っていたけれど。
ここで逃げ出すということはハズヴェントを置いていくということだし、捕まえたアンカラカを放置することで――遭遇できた精霊を逃すということ。
なにもかも当初の目的から逸れてしまう。
そんなのは嫌だ。
嫌ならば戦うしかない。
世界で最も恐ろしく、最も強い魔獣に――アオたちだけで。
「なんていうか、まああれだ」
「わたしたち三人揃って戦うの、はじめてだね」
「がっ、がんばるわ!」
それは三人姉妹、全員で了承し合ったこと。
覚悟して立ち向かうと、誰の異もなく決めたことだ。
この場での保護者にあたるジュエリエッタは、並び立つ三人の後ろでやれやれと肩を竦める。
もう止めることなどできやしないだろう。ならばせめて誰も死なないように――魔術を展開する。
「軽くても痛みを覚えればこちらに下がるといい。すぐに治す。それから防御は敷いておくから、受けきれないと判じてもこちらに退くように」
「……ジュエリエッタ、後方支援なのね」
「本当に申し訳ないが、ワタシが前に出ても足手まといさ。要所でフォローはいれるつもりだ、がんばってくれ」
さすがに年長として子らだけ前にだして後ろで見守ることに強い申し訳なさはあるようで、ジュエリエッタは沈痛だった。
アオは別にそこを責めない。
適材適所は大事、それがそうならそのようにするだけ。
「じゃあ、前衛はあたしがやる。キィとクロは離れて援護射撃を頼む」
「わかった」
「え、でもそれってアオが危ないんじゃ……」
「経験者の意見には従うものだよ、クロ。それが最善だと信じて選んだんだ、信じておやり」
「……わかったわ」
「というかクロはワタシの防御の内にいなよ」
強がっても仕方ない。
クロは渋々ながら下がってジュエリエッタの敷く結界の内に。
もうひとり、確認を。
「キィくんはどうする?」
「わたしは、すこし前に出ます。そのほうがアオのフォローがしやすいので」
クロと違って手札が多く臨機応変が可能なキィなら、そのほうが戦力になるだろう。
自分の力量を弁え最適を選ぶ。簡単なようで難しいことだが、そこはさすがは彼の弟子ということか。
短杖片手に安全圏から自ら飛び出し、ドラゴンの前に立つだなんて――それは並大抵の勇気ではなかろう。
であれば、最も勇を抱くのは次女の彼女であろうか。
「で、アカの話じゃ、ドラゴンの鱗は硬いしすぐに治るらしいから、一撃強力なのをぶちこんで剥いで」
「そこをみんなで一斉に叩く、だよね」
「ん。タイミングを合わせる必要があるのね……」
竜を打倒するには竜の鱗を貫通できる威力を連発して同箇所を狙うか。
もしくは竜鱗を貫いた上でその強い生命力を絶てるほどの威力を用意するかしかない。
ただし後者に関してはその選択を選べる魔術師はこの地上で十人に満たない。あってないような選択肢。
そして前者に関しては、竜は回避動作をとるし防御姿勢もとるので同箇所への攻撃は大変困難。さらに再生能力も有しているので間をおけば剥がした鱗も元に戻る。
なんとも厳しい勝利条件である。
それでも存在しない選択肢よりはいくらかマシで――やるしかない。
となると、一発に時間のかかるクロはすぐに術式構築を開始せねば。
目を閉じ術式を編み上げ、魔力を練り上げる。
すると。
「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
周辺空域の異常性――結界魔術の精度の高さに恐れ、警戒体勢に移行していたドラゴンだったが、魔力の昂ぶりには動き出さざるをえない。
殺意を漲らせ、魔力反応のあるクロとその周囲の者たちに牙を剥く。
図らずもスタートの号砲は鳴らされた。
慌てず騒がず、走り出す。
「ん、いくぞ!」
「「おー!」」
言葉と共にアオは前へ。
「まずは動きを止める!」
三歩目で床を蹴る。踵を鳴らして合図とする。
瞬間――巨大な青い魔法陣が展開する。竜の四肢を、淡い光が包んで。
そしてその魔法陣から雪が生成され積み上がる。
自然に積もった雪に、魔術でさらに積雪される――それは『雪遊び・雪原』。
触れたドラゴンの前肢と後ろ足、それから尾っぽがあっという間に氷結して地に縛り付けられる。
「グォォ――!?」
翼もつ魔獣を相手どる場合、飛翔されるのが厄介になる。
できれば地上で仕留めたい。魔術で飛ぶことはできるが集中力の余白を奪われるし、そもそも空中戦は分が悪い。
とはいえ地にて縛り付けられる時間は長くないだろう。
それを察して、キィが続く。
天を短杖で指し示し、竜の頭上に魔法陣を描く。
――『塊坤』の魔術、というものがある。
それは月位九曜がひとりの黄魔術師が得意とする最大の魔術であり――キィはそれを直に見ている。
真似て石ころを落下させたこともあったが……練習と検証を重ねた今ならさらに洗練した模倣ができる。
人からあやかったことで成立したものであるがため、キィはいつもならつけない名を、その魔術にだけは名付けていた。
「『落坤』」
竜の上に展開された魔法陣から造形されたのは武骨な岩。
ただひたすらに硬く、重く、大きな岩塊だ。それが四つ。
高所から重力に従って速度を獲得し、狂暴な破壊力となって直下の竜を襲う。
だが。
「っ。やっぱり天井が低い……!」
アカの領域、それはハズヴェントのもつ短剣を中心にドーム状に展開されたもの。
その内で魔術を使うとなると、どうしても端っこであるここでは高さが足りない。
落下で得られるエネルギーが、少なくなる。
こんなことならセンセに天井を高くするよう頼んでおけばよかった。
思いながらも、魔術は執行される。
「でも、それだけじゃないんだから!」
変製挟間術式。
術式により魔力が物質へと変換される狭間にて、術者の意志をねじ込み物質を駆動させる造形魔術の技法。
中空で造形したその岩塊、竜へと向けて可能な限り最速でもって――落下を命ずる。
その狙いは竜の両翼と、頭蓋。
機動力を削ぐこと。明確なダメージが期待できる部位。そういう狙いで――しかし。
「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「っ」
薄氷程度に縛られる竜ではない。
力づくで前足を動かし、両足を地より離す。羽ばたいて空へ。
その際にキィの『落坤』を回避――
「させない――!」
そのとき、岩が花開いた。
ちがう。岩がその体積を減らして、無数の鎖に変換されたのだ。
それは設計挿入変錠式という一度、作り上げた物質を後から変形させる技術。
伸びる鎖は竜の巨体を丸々縛り付けようと囲って――
空気が震えた。
「え」
竜がその大きな翼を羽ばたかせる。風を巻き起こす。
その翼には、発生させた風には――魔力が宿っている。
「まずい!」
青ざめるのは既に跳躍の魔術で雪玉片手に竜に接近してしまったアオ。
咄嗟に身を捩って編んでいた術式を取りやめ、別に防御の魔術を――
竜の風衝翼撃。
それは翼で叩いた空気に魔力を通わせ、斬撃として周囲に飛ばす竜の技。
魔術に満たない、ただの小技だ。
斬撃の嵐は囲う鎖の束を切断し、それに留まらず結界内全域を斬り刻む。
だがジュエリエッタの結界がそれを阻み、内部のふたりと後ろ向こうのハズヴェントたちを守る。
キィもまた咄嗟の判断で後退していたため辛々結界に逃げ延びる。
だが向かっていったアオは、当然に逃れられない。
「かまくら!」
中空で全身を雪で覆い防御とするが、竜の風はそれを貫く。
極太の鎖をあっさりと両断するその鋭さは、防御越しのアオの脇腹を掻っ捌いた。
「アオ!」
アオはそのまま落下。
だが落ちる最中にも目は死んでいない。
すぐに傷口に左手をあてて生命魔術、治癒を始める。
それと同時に右手をかざす。
ひたすら竜の――その正面にまで放り投げた雪玉を見つめる。
小器用なキィと違って、アオは大雑把なところがある。
そういう性情が関係しているのかいないのか、魔法陣展開技能においてその差は歴然だ。
たとえばキィは同時展開を五枚まで可能だがアオは二重が限度。
それにキィが当たり前に使いこなす遠隔展開という技術も、アオはすこし苦手だ。
ある程度以上離れるのなら、どうしても目印が必要になる。
「そ……こ……だ!」
震える指先を雪玉に向ける。
その雪玉の位置を目印にして――落下最中、遠隔で魔法陣を展開する。
竜の口元、再び灯る口腔内の火炎を阻止するために。
「雪遊び・雪柱!」
魔法陣より飛び出した雪の柱は過たずに竜の口へと入り込み、その冷却を爆発させる。
ぐつぐつと燃え上がる炎を凍てつかせんと暴れ、発射前のブレスを鎮火、完全凍結させる。
竜の内部にまで冷却は広がり、嫌がらせ程度には成功する。
だが、
「グゥゥゥゥ!」
それで止まる竜ではない。
凍結の毒を放った者はわかっている。
ついに床に叩きつけられ、地上でも痛みにがく魔術師だ。
すぐに急降下して前脚を振りかぶり空から踏み潰さんと――ひとりにだけ気をとられているのは乱戦において悪手。
「捕まえた」
造形魔術による鎖が、奔流となって伸びる。
四枚の魔法陣から射出された無数の鉄鎖は、やはり竜の翼を狙って伸び絡まり、捕縛する。
「今度はもっと速く――!」
翼は羽ばたかねば浮力を得ない。ぐるぐる巻きにしてその動きを止めてしまえば、当然に竜は落下する。
もがくが、竜の筋力でも多量の鎖による束縛を即時にほどくまでは及ばない。
バランスを崩し墜落――その巨体が大地に叩きつけられる。
急降下の途中であり大した高さではないので衝撃は少ないが――大きく隙を晒すことになる。
「ここ!」
ブレスの発射口は凍り付かせた。
風の斬撃は縛り付けて封じ込めた。
絶好のタイミングで、クロの魔術は完成する。
当然、放つは『黒雷』であるが――以前よりも工夫を凝らし、新たな技術を盛り込んだ。隠し技の解禁だ。
その工夫は、キィと宿纏法の練習をしていた時に思いついたもの。
いやそれ以前、宿纏法下でも魔術を発動できなければ足手まといではないかというクロの不安からはじまった。
宿纏法を使い極寒に耐える。それはいい。
だがその極寒には敵がいるのだろう。ならばそれは一時の生存手段であって、逃げの一手ではないか。
クロは一度にひとつの魔術しか使えないのだから。宿纏法に手いっぱいで他に余力が残らないのだから。
ではどうするか。どうすればいいのか。
簡単なことだ。
「一度にふたつ、魔術を使えればいい――!」
魔法陣の多重展開。
至極シンプル、なによりも力技のストレートな解決法である。
さらにクロはその発想から続く既存の術式の改善を思いついたのだ。
「ふたつの魔法陣でひとつの魔術を使えれば――!」
――クロが全力で魔力を注ぐと、魔法陣のほうが受け止めきれずに崩壊する。
だから無用の手間を術式に凝らし、無駄を許容して低威力で放つというのが以前までの解答。
だが今回の相手に低威力では意味がない。
せめて威力だけでも本来のそれに近しく再現できないものか。
それの、力づくでの解決法こそがこれだ。
開いた黒い魔法陣が――二枚。
そう二枚だ。二枚の魔法陣でひとつの魔術を行使する。
それの技法の名を「並列式重陣法」という。
これならば魔法陣への負担を分割でき、威力への制限のほとんどを解除しても――
「わたしの魔術は、光り輝く!」
ばちりと。
弾けて。
黒い閃光が走った。
竜に雷撃が直撃して轟! と雷鳴が領域内で劈いた。
「どうだ!」
……実はこの一撃が、アオら三人の中での最大火力である。
アオの魔術は破壊力よりも量や範囲が最大の特徴であり、凍結させることで敵を無力化するもの。
キィは造形魔術という戦闘不向きな術を工夫して攻撃に転じているが、本道ではない。
よって末妹の、「並列式重陣法」によって制限を取っ払った黒い雷こそが最大威力なのである。
そのためこれが効かないとすると――
「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
とても、勝利が遠のく。
◇
「うーん?」
クロの雷撃を直撃し、それでもまるで支障なく動く竜。
三人姉妹はめげもせずに奮戦を続けるが、それを後ろから眺めるジュエリエッタからすれば劣勢であると断じる他ない。
怪我は癒せる。疲労も解消してやれる。けれど魔力は増やせない。
そもそも離れた実力は揺るがない。
このままでは、順当に実力不足で敗れることは必定。
そう、このままならだ。
「アーヴァンウィンクルさまの弟子だ、もしかしたらと期待したが……流石にあの年齢でドラゴン打倒は無理があったかな」
ジュエリエッタは月位九曜の称号を失った魔術師――しかし、その実力は今も昔も変わらない。
この場において、最上の魔術師である。
たとえ戦闘に参加できない弱者であっても、介入するだけの力は手中に持っている。
「仕方ない――奥の手を切ろうか」