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第八話 魂の悲鳴

『ツムグ、最近元気がないですね。もっと私を頼ってくれてもいいんですよ。何でも相談してください』

「言ノ葉ちゃん、俺、このままでいいのかなぁ」


 探吾紡二十五歳(・・・・)は塞ぎ込んでいた。

 高校卒業後は同じ安アパートで言ノ葉ちゃんと一人一匹暮らしを継続。父が残した決して多くはない貯金を取り崩しながら、無職とフリーターを行ったり来たりしつつ質素に暮らしている。

 二十五歳……そう、もう(・・)二十五歳である。子供の成長は早いのだ。


『いいんですよ、ツムグはよくやってます。無理をしても自分を追いつめるだけ……それがわかっているから、こういう生活をしているんですよね。それ以上にツムグは、「待つ」ことのリスクを危惧した。今を犠牲に、未来になってから(・・・・・・・・)探し始めても間に合わないかもしれない。生きている保証も、健康でいられる保証もない。後回しにして、もしも予期せぬ出来事に未来を奪われたら……後悔する。だから天秤に掛けた。よく考えたうえで、今から(・・・)自分を探す道に懸けたんです。人並みに生きる道を断った、練習ではなく本番の、「一人の決断」をしたんです。もっと胸を張っていいんですよ。元気を出してください』

「ありがと言ノ葉ちゃん。俺、言ノ葉ちゃんがいなかったらとっくの昔に死んでたかもしれない」

『大丈夫ですよ! 私は死ぬまでツムグと一緒です。いや、死んでも!』

「言ノ葉ちゃん……」

『あっ、ツムグが私に欲情してます! まぁ今日はメンタルが落ち込んでますし、しょうがないですねぇ……いいですよ。3Pといきましょう』


 3Pとは! 紡と言ノ葉ちゃんと性欲の3プレイヤーで楽しむことである! 実は言ノ葉ちゃん、紡にはあまり性欲に(かま)けてほしくはないのだが、今日のような精神が不調な日はついつい甘やかしてしまうのだ。一番大事なのは紡が心身共に健康であることなので、そのためであれば多少は寛容にもなるというもの。


「ごめんね言ノ葉ちゃん」

『別にいいですよ、見られて嫌なわけではないですし』


 但し触れないので見抜きである。しかも脱がない。脱いだこともあるのだが、なぜか光り出してそれどころではなくなるのだ。


「なんか元気になってきた」

『現金な人ですねぇ』

「あっ! 心だよ、心が元気になったんだからね!」

『わかってますよ、それくらい』


 そんな冗談なのか本気なのかよくわからないおちゃめな会話をする一人と一匹。今は買い物を終えて帰路に就いているところであり、空模様はかなり怪しくなっている。念のために折り畳み傘は持って来ていたが……。


「雨が降りそうだな……言ノ葉ちゃん、早く! 早く帰ろう!」

『誤魔化されませんからね! もう、ツムグはせっかち過ぎま――――ッ』


 何かに気づいたのか、彼女は唐突に辺りを見回した。


「どうしたの言ノ葉ちゃん?」

『ツムグっ!』


 言ノ葉は堰を切ったように叫んだ。


『あっちです! あっちの方に向かって下さい! 悲鳴がッ――魂の悲鳴が聞こえるんです!』




 紡は言ノ葉ちゃんの指し示した方向へ向かいつつ、念を押すように訊いた。


「魂の悲鳴……自殺か?」

『自殺の前兆です。以前にもお話しましたが、紐は人が言葉を発した時、どこからか伸びてくる。「魂からではないか?」というのが、言霊族の定説です。私たちは魂を認識することはできませんが、紐に宿ったその残滓なら認識できます。宿るのは「捉えどころのないもの」。振動、音、色、光、香り、熱……。正確には魂の悲鳴なんて比喩表現で、言霊族にも聞こえません。聞こえるのは、ピンと固く張った紐の甲高い軋音。どんな凄腕の言霊族にも、紐解けたことはありません』

「……昔、他の言霊族は気侭に人間に憑いては紐解いてるって聞いた。その相手が自殺するってのは、言霊族にとっても悲しいことなのか?」

『悲しいというよりは、残念といった感じですね。言霊族は紐解くことで糧を得る。人がアニメを見て楽しむのと同じ、キャラが死んで残念と思う感じと同じ。基本は、ただそれだけの関係です。互いに益のある関係を築ければよかったんですけど……』

「一方的に人の情緒を知ることができる反面、言霊族側からコンタクトをとる手段はなかった……俺たちが特殊なだけで」

『はい。皆そういう感じですから、悲しむということはありませんよ。現存する言霊族は、人類に対して、ある意味で超ドライです。観察対象として見守りはしますが』

「言霊族のそういう事情はあまり話したくないんじゃなかったか? 興味深い話題だから俺としてはありがたいが……」


 言ノ葉はいつも、紡と関係のない事故や事件に対しては他人事だった。関わることはあっても、それは「心配して」ではなく、「好奇心」による行動だった。テレビやインターネットでそういった類の記事を見た時は、『人間はいつも大変そうですねぇ』と無頓着な態度を示していた。

 そんな彼女が、見ず知らずの人の命を案じて行動を起こしたのだ。


「答えにくいなら、せめて一つだけでも聞かせてくれ……なんでそんなに必死なんだ?」


 紡はその理由を訊かずにはいられなかった。答えの内容によっては、今後彼女との関わり方を改めなければならないからだ。例えば彼女が、見ず知らずの人の不幸に嘆いているとしよう。その場合、今後人の不幸を見た際に、彼女に興味本位で質問をするのは避けた方が良い。なぜなら紡は、他人の不幸を見聞きした程度では、そこまで心を痛めない(・・・・・・・・・・)からだ。


 価値観の不一致(・・・・・・・)――他人の不幸を嘆く者と、嘆かない者が上手く付き合う方法は、距離を置くべき時を見極め、その寂しさを許容すること。無理に共感しようとしないこと。慰めようとしないこと。身の程を弁えること。



 二十五歳の年の功は伊達じゃない。 



 探吾紡は足を止めた。正面に見える建築物の屋上に、辛うじて少女の姿が見える。

 言ノ葉は少し間を置いて、意を決したような面持ちで告げた。


『気が変わったんです』


 紡は彼女が言霊族の事情を話したがらなかった理由を洞察した。つまるところ彼女は、彼と出逢うまでは他の言霊族と同じだったのだ。

 寿命と呼べるようなものがあるのかは知らないが、言霊族と比べると、人の命は驚くほど短いのではないだろうか。意思疎通がとれないこともそうだが、愛着を持って長年見守っていれば、失った時の精神的負荷は大きい。ならばアニメを見るような、画面一枚向こう側の距離感の獲得は、きっと必要な適応だったはず。


 彼女は紡にはべったりだが、他の人を心配する時は彼が関係している時だけだった。彼と縁遠い人間に対してはドライなままだったのだ。彼との距離は近い癖して、他の人間はどうでもいい。そんな心情を悟られたくなかったのかもしれない。

 でも厳密には違った。少しずつ、水面下では変化していた。昔、中学二年生の時、道徳の授業で見せたあの涙は……その変化の兆しだった。


 そして『気が変わった』ということは、彼の生き方を知りながらもそれを告げてきたということは――。


「……」

『ツムグ、お願いがあります』


 言ノ葉は強い覚悟の上で無茶なお願いをしようとしている。彼と彼女の関係を、崩してしまいかねないレベルの要求を……。


『魂の悲鳴を上げているあの娘を、助けてあげてくれませんか?』


 紡は彼女の言葉を紐解けたような気がした。触れるわけがないのに、触れたような気がした。


 言ノ葉の魂の残滓。


 ――温かい熱を帯びた、細く小さな糸に。

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