表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

第六話 父の背中

 俺は今、親族主導の葬儀に出ていた……父が死んだのだ。


 不幸だとは思わなかった。いや、不幸だとは思ったが、仕方のないことだと許容してしまえた。憤りとか、悲しみとか、喪失感とか……普通なら抱くそういう感情も、まったくないというわけではない。


 でも、小さい……涙は出なかった。


 何の情も持たないのであろうか? 俺の心は凍るように冷たく、全てを俯瞰的に眺め、どうでもいいと言っている。「生きる」なんてこんなもんだと思ってしまっている。どこもおかしくないだろと。


 別にいきなり死んだわけじゃない……兆候はあったのだ。




 高校生になった俺は通学のために近場の安アパートを借りた。言ノ葉ちゃんと同棲……一人と一匹暮らしだ。だから最低でも月に一度は、父の様子を見に行っていたのだが……明らかに異常と言える量の酒が転がっていた。どれだけ片付けても、次また様子を見に行く頃には同じ光景が広がっていた。


 アルコール依存症。


 最初の内は『やめなよ』と何度も言った。飲み過ぎは体に悪いのだから、控えた方がいいに決まってるじゃないかと。だが段々と、そんな単純な話ではないと気づいた。これは唯事ではないと、俺は肌で感じていた。


 ――なぜ自分から人生を捨てるような飲み方をする?


 俺はその理由を想像することができなかった。どんな最悪の状況でも、せめて衣食住足りて平和に生きられるなら、希望はあると思っていた。

 『世界は目まぐるしく変化している。待っているだけでも、自分の想像を超えた未来が訪れるかもしれないじゃないか』と。

 その可能性を放棄して寿命を縮めるようなことをするなんて、視野狭窄に陥っているとしか思えない。いつも冷静だった父らしくない。


 ――もしかして、俺が未熟なのか?


 俺は自分の若さを痛感した。何も理解できないことが悔しかった。掛ける言葉を見つけられないのが悔しかった……己の無知さに気づき、恥じた。

 強引にやめさせるという手もある。でもそれは、下手な延命措置に過ぎないのではないだろうか。父の意志を無視してはいないだろうか。


 俺は言ノ葉ちゃんに相談した。ずっと一緒にいたのだ。当然俺が父と会話をしている時も近くにいたのであり、父の言葉も紐解いてくれていた。言ノ葉ちゃんはその存在こそ周囲には伏せているが、俺の理解者であり、父の理解者でもあった。しかし言ノ葉ちゃんから告げられた父の悩み(・・・・)は、俺の理解力を超えていた。父は賢かった。


 それは生きる意味の問いに、極限まで迫ったゆえの苦境。自分は何者なのか、何処から来たのか、なぜ生まれたのか。なぜ何もないのではなく、何かがあるのか。今とは何か、今を生きるとはどういうことか。妻の死に悲しむことさえ出来なかった己への失望と、唯一の息子すら生きる理由にはできなかった強い罪悪感……そんな全ての思考から解放されたくて、連日酔いつぶれるまで飲むしかないのだと。

 その後の言ノ葉ちゃんの話は哲学の講義に近かった。俺はそれを黙って聞いて、時々質問しながら理解に努めた。それでもまだ……難しかった。ただ一つ、はっきりしたことはある。


 これは超常(・・)()言霊族(・・・)にも(・・)解決(・・)できない(・・・・)問題(・・)なのだ。




 結局、俺は父をどうすることもできなかった。『生きてほしい』と告げることさえ出来なかった。


 俺は正解のない世界で、生を正解として選択し続けていると自覚した。その選択を誇れないことを自覚した。

 俺は己の内に、生が正解であるという確信がない。正解であってほしいという、意図すら持てない。ただ漠然と、傍観者のように生きている。

 なんで存在しているのだろうか……「世界」。何も無いままの方が良かったのではないだろうか。

 ……考えるだけなら、いい。でも『世界が悪い』と叫びたくなる自分には――罪悪感を覚えた。

 生まれてきたのは自分の意思じゃないという反論も可能だったが……これは、俺が払って返さなければならないツケなんじゃないかという、僅かな直感もあった。

 だから、まだ漠然と、生を正解として選択し続けるのなら……、


 ――知ろう。


 父を、人そのものを、世界を、理解しなければ。そうしなければ、心を、生を……「許容」できる気がしないから。

 生きることは拷問に近い。人は生きているだけで罪を生産し、清算する。清算しきれなくなったら……死ぬ。


 脳裏に浮かぶのは、()()忘れたいかのように(・・・・・・・・・)酒を呷る父の姿(・・・・・・・)

 意図を紡げなかった者(・・・・・・・・・・)は、そういう生き方しかできなかった。俺が父の背中から学んだ、一番大きなことがそれだった。


 それが、傍観者として生きる《オレ》が、道徳の価値を知る《ボク》が……心得なければならないこと。


 選択には責任が生じる……が、責任を負わなければならないという決まりはない。人は罪を投げ捨てることもできるのだ。だが投げ捨ててしまったソレを拾いに行かなかったなら、目を背けたままでいるのなら……俺は言ノ葉ちゃんに、胸を張って『好きだ』と言えなくなるだろう。




 俺は「非情な現実から目を逸らさない」と決めた――逸らしたくなかった。




「……言ノ葉ちゃん」

『はい』

「俺、人の心を知りたいんだ。それに、科学も」

『はい』

「あと、もっといろんなことを知りたい。可能な限り、自分の視野を広げたい。本気でやりたいことが見つかるかもしれないし」

『はい』


 どうせこれらの言葉にも、オレの魂の残滓とやらは宿っていない。


「手伝ってもらって、いいかな?」

『勿論ですよ! 寧ろドンと来いです。言霊族舐めんなですよ!』

「ありがとう」


 せめて、願う。

 人の心を、科学を、それ以外のことも、何でも学んでいくことが、経験していくことが、吾を探すことにも役に立ってほしいと。

 意図の紡ぎ方を知らない俺には、そんな不器用で遠回りな方法しか残されていなかった。


 仄かな希望。


 もしも言ノ葉ちゃんが――「言葉」が、俺の傍にいてくれなかったら、俺は次の瞬間、死を正解として選択していたに違いない。

 そう考えて、気づいた。

 今の時代は言葉に溢れている……親に愛されずに育った子供でも、言葉には愛されているのではないだろうか。

 本当に感謝している。こいつは最高の友達だ……俺にとっても、人類にとっても。 

 でも言ノ葉ちゃんは俺を甘やかし過ぎた。距離感が近すぎたのだ。


 言葉に依存するように、俺は弱音を思考した。


 ――もしも希望が潰えた時、俺はオレでいられるのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ