第十四話 不思議なこと
『紡~、やっと追いつきました……あっ、良かったぁ、しっかり止めてくれたんですね! でも全力で走るなんてひどいですよ、今回は一刻を争う事態でしたから仕方ないですけど。それと、私が感謝の言葉を贈るのは筋違いなのかもしれませんが……でも言わせてください。勿論わかっていますよ。紡は私のお願いを聞いてくれたんじゃなくて、紡個人の都合で止めに行ったってことは……ん? うぅん?』
まるでおかしなものを見つけたと言うように、言ノ葉ちゃんは当惑していた。
『紡、何か不思議なことはありませんでしたか?』
不思議なこと? 不思議なことならさっきからずっと起きっぱなしだと思うが。自殺現場に遭遇! そこに駆けつける俺! 頭だけとはいえ女の子を抱き寄せているこの状況! そもそもの話、俺にとっては言ノ葉ちゃんの存在が一番の不思議だよ! 人生ずっと不思議なことの連続だよ!
今喋る訳にはいかない俺は、首を傾げることで、言ノ葉ちゃんに『心当たりはありません』と伝える。絆されているこの少女から見れば――絆されていない人から見ても、虚空に向かって話しかける人間は不気味なのだ。
『ふーむ……』
どうしたのだろうか? じろじろと興味津々に観察してくる言ノ葉ちゃん。何? 女の子抱いてるから妬いちゃった?
『紡、ちょっと失礼しますね』
言ノ葉ちゃんはひとしきり観察した後、一言そう断りを入れて飛び込んできて、俺の胸に手を置いて神妙な顔をした。
今俺の胸は、一人の女の子の頭と一匹の言霊族の手が触れていて、カオスな様相を見せている。そんなどうでもいい評定を心の中で下していると、言ノ葉ちゃんは独り言ちるように何かブツブツ言い始めた。
『形状は鎖――金属製の輪を幾つも繋ぎ合わせて、線状にしたもの。紐と言えなくもない? 頑丈そうなのでもう少し手荒に触ってみてもいいですよね? むっ! 紐と違って硬い。読み取れない。あと何でしょう、この新しい感覚……気持ちいぃ~! 癖になりますね、いくらでも触っていられます! あっ、もしかしてこの感じが金属特有の冷たさ? だとするとコレが……冷たい? いや、ひんやりでしょうか。ふむ、人間はこういうのに囲まれて過ごしてるんですね。特に現代は……』
何やってんだ? そこには俺の着てる服のファスナーしかないぞ。何でスリスリしてるの? つか言ノ葉ちゃん物に触れないじゃん……コントかな? 素だとしたら天然にもほどがある。
ははーん、さてはこいつ、場を和ませたいんだな? まぁ確かに今はシリアスな雰囲気だ。おちゃめなことをして俺の笑いでも取ろうとしているのだろう。俺もさっき、この女の子から笑いを取ろうとしたからな。
ありがとよ。と、心の中でつぶやいておく。これ以上ないほどに高い言ノ葉ちゃんへの好感度と愛おしさも、更に上げておく。
さて、唐突だが、精神的に少しゆとりができたので、とりとめのない話の一つでもしようと思う。
愛おしさという単語で思い出したが、「恋をしている人」や「キャラクターを愛でている人」の紐なども、熱を帯びていることがちらほらとある。では俺が前に言った愛とは何が違うのかというと、「紐の質量を消費しない」という点だ。
これは他者が超常の領域に放っている光を、己の紐に色を宿らせることで受け取っている状態――光エネルギーを、熱エネルギーに変換している状態なのだ。
例えば好きな相手に振り向いてもらえなかったり、好きな漫画が完結したりして「貰える光が減る」ということは、「変換できる熱量も減る」ということ。
この体験は「オレが現象している実感の喪失」に近い。アニメや漫画のキャラならいつでも会えるから、まだ喪失感も小さいが……。
変換しているのは本人の実力なので、これも愛の形の一つではある。でも、紐の質量をエネルギーに変換する愛とは、区別した方が良いだろう。そうしなければ、「愛されなければ生きる意味を見いだせない」という論理に囚われることになる。
ちなみに俺は、他者の光を熱に変換する愛が劣っているとは思わない。
愛は現実を直視しなければならず、それは当然、自身の能力も関係してくる……努力でどうにかなる範囲を超えている問題は、少なくない。
昔レア先生にも言われたことだが……人は万能じゃない、有限な存在だ。諦めないことは大切だが、諦めることも大切なのだ。
節度ある言動――適度な距離感の維持は、高度な道徳性を望むボクがいなければ成り立たない。光を受け取れなくなったなら、執着は捨てて他の生き方を探しに行けるオレを示す……そういう魂の強さも、俺は忘れたくない。
それともう一つ。
白黒の紐は不思議なことに、色付きの紐とは少し法則が異なるようなのだ。
例えば復讐心に駆られている人の言葉は、色付きの紐が黒ずんでいることが多い。『恨みを晴らす』と強く意図する者ほど、色付きの紐に、黒色の紐が熔け込んでいく。
そしてリスクを許容する覚悟を持って復讐を遂げた者は、それについて語る時……「炭化した紐」を伸ばす。覚悟なき者は炭化せず、不仕付けな紐を伸ばす。
炭化するのは恐らく、愛が魂の外で紐を燃やすのに対し、復讐は魂の中で紐を燃やしているからだ。超常の領域には空気らしきモノが存在するが、魂の領域にはソレが無いのだろう。
これをどう解釈すればいいかは難しい。炭化した紐は言霊族には読み取れないらしく、言葉を大切にしているとも解釈できるし、絆を蔑ろにしているとも解釈できるからだ。
まぁ愛も眩しかったり、火傷したりは起こり得るらしいのだが……眩しいのは見なきゃいいだけだし、火傷にしても、燃えている紐に触れようとする変態な言霊族がいない限りは……いないよね?
念のため補足しておくが、黒色の紐が悪いというわけではない。
言霊族間に広まる定説によれば、黒色の紐は魂が「糧を得ている」時に出すとのこと。昔言ノ葉ちゃんに確認を取ったが、俺の言葉にも黒が多い……「非情な現実」を直視しているせいだろう。実際統計的に見ても、子供ほど白が多く、大人ほど黒が多いと聞いた。
……無駄話し過ぎたな。そんなことより今は、胸に頭を引き寄せている少女の反応が気になってきた。固まってる? いや、当惑か? 何かに反応しているような? これはあれだ、まるで耳を澄ましている人間の挙動だ。
今喋っているのは言ノ葉ちゃんだけ。
まさか、聞こえてないよな? そんなこと、ある、わけ――――。
「誰? 誰か、そこにいるの? 金属とか冷たいとか……、女の子の……声?」
少女は俺の胸を注視しながら、そう口にした。
「『 』」
俺は思わず言葉を失った。言ノ葉ちゃんなんか慌てふためいて俺の背中に隠れてしまった。今までずっとステルスモードだったのだ。それが不意に見破られ……それはまだわからないが、聞き破られたらこういう反応をとってしまうのも仕方ない。
それはともかく言ノ葉ちゃん。身体をすり抜けて移動するのは勘弁し……いや、もっとしてくれてもいい。中に住んでもいいよ?
場は静寂する。長い、長い沈黙。
女の子の頭に手を置いたまま緊張を露わにしている俺。そんな俺の胸を凝視したまま息を呑んでいる幸薄そうな少女。俺の背中に隠れてアワアワしているであろう愛らしい言霊族。
最初に沈黙を破ったのは、俺でも少女でもなく、一番冷静さを欠いていたはずのおちゃめ系美少女精霊――言ノ葉ちゃんだった。
(きこえ、ますか…あなたの心に直接呼びかけています)
なお、言ノ葉ちゃんは普通に喋っている。気分はテレパシー。そういうことにしておいてほしいらしい。俺はとりあえず、そういうことにしておいた。
実際言ノ葉ちゃんの声は空気の振動を耳で補足して聞こえているわけではないので、テレパシーという解釈も間違いではない。
なぜか俺にしか見えない聞こえないが、恐らく彼女の言葉は人の魂に干渉している。心の領域と重なり合っている魂の領域に、超常的身体で発した超常の声で干渉できる。
飽くまで仮説だが、物、心、魂の三つの領域は、一部だけとはいえ同期している部分があるのだ。
魂が干渉されれば思考も変わる。思考が変われば脳波も変わる。当然、人の行動も変わる。間接的にとはいえ、物にも影響を与えていると言える。
かといって脳波を読み取っても、きっと超常現象の証拠は出てこないだろう。
シュレーディンガーの猫で例えるならば、箱を開いたら何故か毎回猫が生きているくらいの現象は起きるだろうが、物理的な観測結果上からは「ただの偶然」と片付けられる……そんな気がするのだ。それでも人は必然だと解釈するだろうが、存在の根拠を物の領域に着陸させられないとなれば、経験論ということにするしかない。
それは危険だ。特に、限られた人しか享受できない現状は。実益のある超常は、人の弱さを明るみに出す。そういう人間が必ず出てくる。だから俺は、せめて超常が超常と呼ばれなくなる未来像が、その見通しが立つまで、秘匿しておこうと決めていた。
言ノ葉ちゃんの協力を得れば、伝説に残るレベルの名探偵やスパイの真似事などできることは多彩にあるが、変なことで恨まれたり狙われたりしたくないし、何より俺は、言ノ葉ちゃんをそういうことに利用したくない。言ノ葉ちゃんの時間を奪いたくない……誰かの救いになるのだとしてもだ。ボクか言ノ葉ちゃんのためでなければ、そういうことはしたくない。
だが言ノ葉ちゃんは語りかけている。幻聴で済ませたくない理由でもあるのだろうか? それともやはり、俺以外の人間とも関われることが嬉しいのだろうか?
まぁ折角の邂逅なのだ、会話を通じてこの娘が信用できるか判断するのもアリだと、素直に喜ぶ。言霊族なら、そのくらいお茶の子さいさいなのだ。
ダメだったならダメだったで、今日あった超常現象は全部、自殺未遂の幻聴ということにすればいい。その場合は、この娘に何か訊かれても『え、何のこと?』と恍けさせてもらう。
分かり易い実益や多数の経験者談がなければ、俺にとってもこの娘にとっても危険は小さい。吹聴すればほぼ確実に不思議ちゃん扱い、もしくはオカルト扱いされるだろうが……ごめんね、名前も知らない少女。
(きこえ、ますか?)
「はい! 聞こえます、聞こえます! あの、貴方様は……その、恐れ入りますが……どのような御方様なのか伺ってもよろしいでしょうか?」
さっきのテレパシーの話題をもう少し続ける。
とにかく今気になっているのは、なぜこの娘に言ノ葉ちゃんの声が聞こえるのかだ。生まれて初めて、俺以外の人にも言ノ葉ちゃんの声が聞こえたのだ。今考えないで、いつ考える。
この少女は、最初は言ノ葉ちゃんの声が聞こえていなかったはずだ。言ノ葉ちゃんが来たばっかりの時は、まだそういう反応はなかったと思う。
やっぱり要因は、三人でくっついていたからだろうか? つまり言ノ葉ちゃんが俺に触れながら喋っている時に、誰か他の人も俺に触れていればいいのか? いや、それなら……その程度の条件くらい、今までいくらでもあったはずだ……あった。
なんで今になって……?
他に何か影響しそうな要素があるとすれば……自殺未遂という極限状態、とか? 少し理解が進んだとはいえ、まだまだ未知な部分の多い魂の機能が関係してるのか?
駄目だ、わからん。情報が足りない気がする。今はこの少女とおちゃめモードの言ノ葉ちゃんの会話に集中しよう。
(私は神です)
「やっぱり!」
言ノ葉ちゃん神じゃなくて神の末裔でしょ! まぁ似たようなもんだと思うけど。大体それも、一部の言霊族間に広まる自分たちのルーツについての見解であって、昔から口伝にて伝えられてきたものでしかないと聞いた。
つまり言ノ葉ちゃんが神を名乗っているのは……うん、いつものおちゃめだな。
それと君、『やっぱり!』ってはしゃいでるけど大丈夫? 気持ちは分かるよ?
人の超常への憧れは強いのだ。
(貴方には素質があります。故に使命があります)
「はい、何なりと!」
今こんなこと考えるのもあれだけどさ、さっきから超至近距離で俺の胸に向かって話すのやめてくんない? 可哀想な人見てるみたいで頭撫でたくなる……。
(イートチキンください)
「わかりました、イートチキンですね。すぐに買ってきます――って、なんでイートチキンっ!」
(間違えました)
「…………」
言ノ葉ちゃん、言葉には触れるけど物には触れないもんね。できるならイートチキンくらい食べさせてあげたいものだ。
余談になるが、言霊族は人と同じように物理現象を視認できるし、音も聞こえている。だが厳密には違う。人はそれらを光や空気の振動から捉えるが、言霊族は超常の領域に同時に発せられる超常的なソレを捉えるらしい……うーん、不思議ッ!
(仕切り直します)
「はい」
ぐだぐだである。言ノ葉ちゃんだから許してあげて。神様ムーブのメッキ剥がれるの早かったなぁ。
(貴方には素質があります。故に使命があります)
「はい、何なりと!」
この娘いい子だな。言ノ葉ちゃんの友達になってくれないだろうか。もしも言ノ葉ちゃんがたまにこの娘の家に遊びに行ってくれるようになれば、俺も色々と捗るのだ。『何が?』なんて訊かないでね。
(この男と番いになって子孫を残すのです)
……は?
「えっ! そ、それは……えと、その…………」
子孫……昔はよくせがまれた、最近になってようやく聞かなくなったそのお願いを久しぶりに聞かされて、俺は過去最高の遺憾の意を覚えた。
「それまだ諦めてなかったのかよ! 前にそんな余裕はないって散々言っただろ!」
叫んだ俺の背中から言ノ葉ちゃんが飛び出す。
『今お願いしてるのは紡にではありません。この娘にです!』
「ズルい!」
姿を現した言ノ葉ちゃんと口喧嘩を始める俺。
少女はそんな一匹と一人を交互に見つめ、困惑の表情を浮かべていた。
俺は自室でしか言わないはずの呪いの言葉を叫んだ。
「勘弁してくれ言ノ葉ちゃん!」




