第十三話 探吾紡
「ありがとう、ございます」
いきなり感謝された。ワカンナイ、ナンデ? デレ期だろうか? チガウ!
……はっ! そういえば俺は、「ピンと固く張った紐を解けば魂の悲鳴は止まる」という、ゲームの裏技的な失礼な発想でさっきの話を考えたんだった。それって紐解かれた人はどういう心境になるんだ? やべぇ、まったく考えてなかった。どうしようどうしよう。
もしかして天才ってこういうことを素でやってるから凡人に理解されないのでは……って、今はそんなことはどうでもいいだろ!
落ち着け。とにかく今はクールでニヒルなおっさんを演じるんだ、探吾紡!
「何に対しての、礼だ?」
「…………………………」
間
なんだろう、何か失礼なことでも言ってしまったのだろうか? 折角いい流れがきたと思ったのになぁ……ごめんね、何で感謝されたのかホントにわからないの。
大体俺は君に話してたんじゃなくて、言葉に話してたの。わかる? 君に感謝される筋合いはないんだよ?
『これが言葉しか友達がいない男の末路か』と、俺が自身の対人能力の無さに嘆いていた時――。
「少し、居心地が良くなった気がしたから」
心地好い音がした。
本質を突いた、良い表現だと思った。凄く丁寧な言葉選びだ。言葉に敬意を払っている感じがする。奇妙にも意図せず一致した符号に、感動すら覚えた。さっきの間は、その慎重さ故なのかもしれない。
俺も言葉を選びたい側の人間だから、会話はあまり好きじゃないし、苦手な方なのだ。間を重視しなければならない会話はその分、言葉選びに思考を割く余裕がなくなってしまうから。
会話は言葉を大切にし過ぎれば成り立たない。定型的な会話であればいくらでも成り立つが、冒険ができない。だから俺はそっちへの興味は薄く、間と言葉選びの両方に死力を尽くせる非日常な会話の独壇場――架空の創作物が好きなのだ。
この娘の言う居心地とは、俺とこの娘の二人で作り上げている空間というよりは、「生きる居心地」のことだろう。熱情家が幅を利かせているこの世界は良いことばかりじゃない。距離感を間違えれば、暑苦しさに心身を削られる。俺だってその調整には四苦八苦しているのだ。
『独りは寂しい』や『居場所がない』はよく耳にするが、ずっとピンと来ないセリフだなと思っていた。言霊族風に言うなら――「絡まった言葉」だと。俺は孤独も孤立も、悪いことばかりじゃないと紐解くから。
人はいつだって独りだし、生きている限り今を居場所にしている。そこまで否定してしまったら人じゃなくなる、ボクとオレがいなくなる。
つまりそれらの言葉は額面通りに受け取るのではなく、言葉の背後――潜在的な思考を汲み取らなければならなかったのだ。俺は、俺たちは、「独りで居る」のが嫌だったんじゃない。
居心地の悪さをどうにかしたかっただけ。
独りとは何か……ようやくその問いに、答えが出たような気がする。
独りで居るとは、一人で居ることではない。
自分と言葉――「一人と一匹で居る」ことなのだ。
それが人にとっての、ボクにとっての「生きる」。
その居心地を良くしたいとは、言葉に『好きだ』と言う資格が欲しいということ……これ、言霊族の誰も知らないんじゃないか? 今度言ノ葉ちゃんに教えてあげよう。
それより今は、目の前にいるこの娘に言葉を紡がなければならない。勿論事情は訊き出せていない。最初から訊き出す気はなかったが、俺はもう、永遠に訊き出さなくてもいいんじゃないかと思い始めた。
「居心地が良い」と「心地好い」――奇妙な符号の一致が齎す謎の確信。
大丈夫だ、きっと上手くいく。俺の気まぐれとこの娘の言葉に払う敬意。二人の力でさらに一歩進むことのできた心の理論は、そのままこの娘にも通用するはず。
「分かる気がする」
もう少女の目に警戒の色はなかった。俺はクールでニヒルな体裁を保ったまま、喉を震わせる。
「息苦しかったよな」
「うん」
「飲みたくもない酒を押し付けられて、何様だよって感じだよな」
「うん」
「そんな風に他人を悪者にしてしまう自分が、嫌になるよな」
「うん」
「居るだけで皆の空気をぶち壊してしまう、心地好くない言葉が聞こえてくる、叫びそうになる……それに耐えられなくなって、帰りたくなったんだよな。自分は大人でありたいから、言葉を大切にしたいから」
「うん」
『居心地が良くなった』と言われて初めて気づいたが、さっきの「人類史上最も偉大な発明」の話には、本人次第とはいえ、ボクに資格を取り戻させるだけの力がある。
人は自覚的であれ無自覚的であれ、「人とどう生きるのか」ではなく、「言葉とどう生きるのか」を大切にしていると気づかせた。
人に対する作法を情と呼ぶのなら、これは《人類の非情な一面》を突きつけたことになる。
その事実は、近すぎた人と人の距離感を遠ざける。この少女が俺と同類であるのなら、知っているだけで暑苦しさは緩和される。生きやすくなる。
言葉への好感情を表現する選択肢も増えた。それが今までは、自殺しか残されていなかった……勿論、その選択に優劣をつける気はない。
俺が苦労したように、オレとして生きるのも一筋縄ではいかない。
決めるのはこの娘だ。
俺は自分を「二人で居る」空間に没頭させる気はない。当然この娘にも、そうさせる気はない。他の奴に没頭するならともかく、俺にだけはそうさせない。だからこいつとの距離感には気をつける。俺が提供したいのは心地好く二人で居られる「空間」じゃない、心地好く一人と一匹で居られるための「知恵」なのだ。
その最善の方法は、俺は人の心の理論に従って喋っているだけだと気づかせること。俺はクールでニヒルなおっさんだが、お手製の理論だけはガチなんだぜと。この娘に『生きてほしい』と言っていいのは俺じゃない、言葉だ。
それが傍観者の流儀。
俺にできることは……もうないだろう。『じゃあな』と告げて帰ろう。勝つのは俺という飲み仲間が離れていく悲しみか、それともお手製の理論が放つ言葉の魅力か。最悪死を見届ける覚悟はある。一生忘れないように努力もする。
でも目の前で泣きそうになっている少女を見て、ちょっと「おちゃめ」してみたくなった。今だけは熱情家を演じようと――気が変わった。
距離を詰める。
気まぐれだけでここまで来たのだ。その相手が情を零したとなれば、気まぐれで絆されてやるのも一興だろう。俺はそんなズレた論理でおちゃめ心を肯定してしまった。自殺現場に遊びを持ち込んだのだ。
魂の残滓? そんなものはさっきからずっと宿し続けている。つまりこれはズレた論理じゃない、本気だ。この娘が俺を咎めるというのなら、黙って受け入れよう。
「この世の空気を作っているのは世界じゃない、生きている人たちだ。俺たちだって、俺たちの空気を作って生きている。だから」
――似たもの同士、胸張って飲み会楽しもうぜ!
そう「絆の言葉」を紡いであげようとして……。
絆
(ひっ、ひらめいた――――!)
どこかの天才か哲学者が言いそうなセリフを、俺は内心で叫んだ。ついでに頭の中では雷が落ちていた! 何でこんなアホみたいなこと閃いちゃうかなぁ。なんだか今日は不思議なことが立て続けに起こる……ただの偶然だろう。
――気が変わった。俺には情で絆してやるよりも、ギャグで絆してやるのがお似合いだ。俺は少女の近くに腰を下ろし、相手の目を見ながら「極寒のギャグ」を披露する。
「いいか、よく聞け」
「人の言葉は、一意的に定まるものじゃない」
「言葉を紡ぐってことはな、二本の糸を絡ませるような行為だ」
「つまり絆だ」
少女は『何が言いたいの?』という感じで俺を見つめている。
答えてやるさ、今すぐにな!
「俺が何者なのか教えてやる」
少女の唾を呑む音が聞こえた気がした。
「俺は絆という単語を紡ぐクールでニヒルなおっさん……探吾紡だ!」
泣きそうになっていた少女はポカンとして、今度は笑いも堪え始める。だが、長くは持ちそうになかった。
ここに来る前の雨は俄雨だったのだろう。今では雲はほとんど見当たらず、太陽の陽は我が物顔で射し、辺り一帯を照らしている。
雨水を堰き止めていたダムが決壊するように、少女は涙と泣き声と笑い声を吐け出した。
「―――――っ、――――――――――――――ッ!」
言葉にならない感情の奔流。こういう時の様式美に倣って、俺は黙って胸を貸してあげた。抱きしめたわけじゃない。頭を少し、引き寄せただけ。
俺は男でこいつは女。
禁欲6日目。
疾しい気持ちは、ちょっとしかなかった。




