導入「言霊と紐」
――ヒトリニナリタイ。
とある安アパートの一室に住む一人暮らしの成人男性二十五歳、
探吾紡は、今猛烈に一人になりたかった。
彼は闘っていた。
何と闘っているのかというと、ナニと闘っていた。
もっと真面目に答えるならば、敵は男の煩悩だった。
溜まっているのだ。
一人暮らしならばナニを我慢する必要があるのかと思うだろうが、部屋に居るのは彼だけではない。
「これは呪いだ。言ノ葉ちゃんを甘やかしていた中学生の自分を殴りたい。あの頃から矯正しておけばこんなことには……。男の性欲は二十五歳ぐらいから、少しずつ衰えを感じ始めると聞く。歳をとるごとに多少緩和されていくとはいえ、四十歳くらいまではこの悩みと付き合わなければならない。いや、もし五十歳を超えても衰えてなかったらどうすりゃいいんだよ! 同じ悩みを週に一度は繰り返すのはもう嫌だぁ!」
『ツムグ、我慢しなくていいんですよ。私、遠くからちゃんと見てますから。悩むのはやめて素直になりましょう』
「ねぇ言ノ葉ちゃん。俺、たまには一人でのんびりシタいなぁ……」
ムッと唇を尖らせて、宙に浮いている謎の小さな美少女は不満げな表情を見せる。
『ダメダメダメ、絶対ダメですッ! 約束は守ってもらいます。「遠くからチラ見する程度ならいいよ」って了承したのはツムグなんですから!』
そこにいるのはフィギュアなどでよく見かける八分の一スケール程の大きさしかない小柄な体躯の人型の少女。艶やかなボブカットの白髪に茶色の瞳、白や黒を基調とした服を好む。無色透明な四枚の羽を背中に携え、幻想的な虹色の粒子を時折纏い、慈愛のこもった眼差しと声音で紡に話しかけている。
まるでファンタジーの世界から飛び出してきたかのような、天使のように愛らしい風貌のその少女は、この世に似つかわしくない荘厳さと威厳を具えた神秘的な存在感を放っている…………はずだった。
少し説明すると、言ノ葉ちゃんと呼ばれている少女は言葉の精霊だ。通称「言霊族」と呼ばれる、言葉を司る神とやらの末裔らしい。人の言葉を紐と認識している一族で、紐解くことで思考を読み取ることを趣味としている。
そう、この部屋に住む探吾紡はただの一人暮らしではない。成人男性が一人と、言霊族の少女が一匹、一人と一匹暮らしの安アパートの一室で、紡は今日も苦悶していた……己のちっぽけな自尊心を、羞恥心から守るために。
「勘弁してくれ言ノ葉ちゃん!」
それは呪いの言葉だった。
頑張れツムグ、負けるなツムグ、言ノ葉ちゃんの愛に溺れるな!