血の契約
「人は誰しも、誰かを批判したいと思う時がある。お前もそうだろう?」
その昔、俺がまだ幼い頃の話だ。父は俺に向かってこう言ったのだ。
「だけどな、人は誰しも、お前みたいに恵まれた人間ばかりじゃないんだよ。そうやって、考えてみるといい」
父はそう言ったが、果たして俺は、彼を許すことができるだろうか……。
「……思い出したよ。アントムだったっけ、あんた」
「はあ? よく覚えてんな。俺はてめえの名前なんざ覚えてねえけどな、落ちこぼれクン」
「そういや、アカデミーのトーナメントで負けてたよな。準決勝だっけ。相手はフレディス」
「あ?」
アントムの表情が凍りついた。やはり思った通りだ。
「あんたがアカデミーを去ったのは、素行不良でも何でもなかったよな。あんたより悪い奴なんて、山ほどいたからね」
「それ以上続けたら、タダじゃ済まさねえぞ」
「二学年の戦闘教練。四年に一度のクラス対抗トーナメント大会だ。準決勝であんたはフレディスに、完膚なきまでに叩き潰された。プライドをへし折られたあんたは、ケツまくってアカデミーから逃げ出したんだ」
「やるか?今ここで。てめえ1人潰すのに時間はいらねえんだよ」
「あんた、誰とやっても勝てるんだよな? あの時もそう言って、彼に負けた」
「てめえは誰とやっても勝てねえだろうが」
「勝てるさ。あんたが誰とやっても勝てるなら、必ず俺と当たる。言ってること、分かるか?」
「ギルド対抗トーナメントか」
「決勝をテルフ同士で飾るのも悪くないだろ」
「てめえが負けちゃしょうがねえだろ。俺は今すぐにでも、潰してやりてえんだからよ」
「負けたらあんたの言うことに何でも従う。何でもだ」
「俺が負けたら?」
「アリスに謝れ。そして彼女に2度と近づくな」
「……お前、相当なバカだな」
「乗るか? アカデミーから逃げ出した落ちこぼれクン」
「テルフ同士の私闘は厳禁だ。不本意だが乗ってやるよ。もちろん、俺と当たる前に無様な負け姿晒しても契約は守ってもらうぜ」
「お互いにな。血の契約だ。あんたもアカデミーの端くれなら分かるだろ」
アントムは不気味な笑みを浮かべ、短刀で掌を傷つけた。そしてお互いに、血の滴る左手を組み合わせる。
「面白えじゃねえか落ちこぼれクン。血の契約、これが初めてじゃねえんだろ」
「……二度目だ」
左手の皮膚がドス黒く変色し始めた。やがて掌に、悪魔の紋章が浮かび上がる。この印が刻まれたが最後。契約を放棄しようものならこの左手が崩れ落ちるのだ。
「契約成立だな。ハッタリかと思ったが、そこまでこの女が大事か」
「話はここでお終いだ。とっとと帰れ。あとはトーナメントで決着を付ければいい」
「せいぜい今のうちに王子様でも気取っとけ」
アントムはそう吐き捨てると、アリスの顔を一瞥して去っていった。
ようやく、緊張の糸がほぐれた。俺はその場にへたり込み、茫然自失にうなだれてしまったのだ。