キメラ討伐
エールボスは四方を壁に囲まれた城塞都市である。
巨大な西門を潜ると、王国の整備した街道が延々と続く。辺り一面は広大な平原であり、城内の喧騒とは無縁の世界が広がっているのだ。そして道の先に微かに見える小高い山林。そこが今回の目的地であった。
「アリスさん。いや、えーっと、アリスはいつからギルドに入ってるの?」
俺はこれまでずっと心の内に仕舞い込んでいた疑問を投げかけた。
「私? 本格的にギルドへ入ったのは一年前よ。それ以前もよくギルドに出入りしてたけどね」
「へえ。まだ若いのにすごいな」
「危険な仕事だけど、誰かがやらなくちゃいけないもの」
その通りである。特に今回のクエスト。都市の半径5キロメートル以内に魔獣が現れたという事実は、エールボス市民にとって直接的な脅威に他ならない。
「ここ最近、魔獣はこんなに近くまで来てるの? 俺がアカデミーにいた頃は近くとも10キロ地点、それもほとんど聞かないくらいだったのに」
「魔獣の数はここ数年で確実に増えてるわ。だいたいキメラのような弱小モンスターだから、私たち初級者でも簡単に倒せるんだけどね」
世間話をしている間に、俺たちは目的の山林まで辿り着いた。アカデミー時代、城外演習で目印にしていたのをよく覚えているが、今回は5体ものキメラが確認されているのだ。弱小とはいえ、油断はできない。
「どこかに巣があるはずよ。手分けして探しましょう」
アカデミー出身と聞いて、アリスはすっかり俺を信用しているようだ。彼女の提案で、俺たちは二手に分かれて山林へと踏み込んだ。
鬱蒼と繁る木々が、快晴の青空を覆い隠す。時刻は恐らく正午だろうが、ここはまるで、夜明け前のように薄暗い。
市民の多くはこの光景を知らない。城外のこと。他の都市のこと。そして、都市の外に暮らす貧しき農民たちの生活を。ましてや、街道を逸れた山林がどのような様相を呈しているのか、知るよしもないのだ。
落葉と小枝を踏み締める俺の足音、方々から聞こえる鳥の囀り、そして……。
(ビイィィィィィィィッ‼︎)
静寂を切り裂くように、竹笛の音が響き渡った。
「キメラが現れたらこの竹笛を思い切り吹くのよ。音の方向を察知する方法は、アカデミー出身者なら問題ないわね」
彼女の言葉を思い出す。
ようやく現れたようだ。俺は音の方向へ歩を早める。
「レイモンド! こっちよ!」
前方に彼女の姿が見える。その表情は緊迫に満ちていた。
「そこに巣があるわ。4体、外に出てきてる」
アリスの指差す方向に目を向けると、洞穴の入り口を塞ぐように4体のキメラが立ちはだかっている。
そのうち一体は、虎の頭に、竜の尾であろうか。これまで目にしたことのない形態のキメラであった。
「左端のキメラ。あいつには気をつけたほうがいい。竜の尾を持つキメラなんて、聞いたことないな」
「きっと洞窟の中にまだいるわね。1体。相手の出方を待ったほうがいいかしら」
「できれば、先に右の3匹を叩きたいな……」
チャンスだ。2年間の研究が果たして実戦でも役に立つのか。
俺は魔剣を手に取り、両手に力を込めるように念じる。
刀身は緩やかに熱を帯び、やがて外気を熱するほどの高温に達した。そして次の瞬間、弾けるような爆発音と共に、刀身から炎が吹き出した。
「うわっ」
あまりの勢いに俺は危うく魔剣を落としそうになった。アリスも驚きの表情で俺の刀を凝視している。キメラの咆哮が響き渡った。だが激しい威嚇の中には、隠しきれない怯えすら感じて取れる。奴等は後ろ足を洞窟の入り口に滑り込ませ、退避の姿勢を取っている。
俺はすかさず踏み込み、魔剣を振り下ろした。
刀身の炎が弾け飛び、数メートル先のキメラに襲い掛かる。
竜尾のキメラは素早く脇へ逸れた。しかし他の3匹は確実に捉えられたようだ。逃げ遅れた3匹のキメラは、業火に包まれのたうち回る。
「任せて!」
アリスは大剣を振り回し、3匹のキメラへと特攻した。
非常に重い斬撃であった。傍目で見ても感じる物理攻撃力の高さは、とてもか細い少女が繰り出せるものではないだろう。あの三匹は任せておいても良さそうだ。
俺は猛火を逃れた一匹のキメラと向き合った。身のこなしから見て、その動きは恐ろしく俊敏であることが分かる。
(近接戦に持ち込むしかない……)
俺の最も苦手とする分野である。アカデミー時代の近接格闘教練は学年最下位。剣術スキルは一般人に毛が生えた程度の代物だ。
だが……。
踏み出した右足に力を込め、バネのように地面を弾く。魔力を利用した高速移動術だ。
相手が反応する暇もなく、俺はキメラの背後へ回り込んだ。そして力一杯刀身を振り下ろす。
獲った、と感じたのも束の間。敵は間一髪で致命傷を避けていた。竜の尾がうねりを上げて宙を舞う。切り離された胴体が、最後の力を振り絞り、俺に襲い掛かった。
俺は慌てて刀身を構え、大口を開く虎の喉元めがけ突き立てる。しかし計算が甘かった。
喉元を裂かれた虎の牙が、俺の右肩に突き刺さった。
俺は更に火力を上げた。首元から焼かれる虎の断末魔が響き渡る。しかし俺の右肩に食らいついた虎の咬合力は緩まない。
そして奴の右前脚が跳ね上がり、俺の顔面目掛けて叩き落とされた。
(まさか、こんなところで…)
俺は反射的に目蓋を閉じた。鈍い打撃音。鼓膜を破らんばかりの咆哮。俺は地面にへたり込み、魔剣を支える両腕がだらりと滑り落ちた。
「しっかりして! 次が出てきたわ!」
アリスのやや興奮気味な激励に、俺は失いかけた意識を取り戻した。
目の前には叩き潰された虎の顔面。無残に転がる右前脚は、おそらく彼女に切り落とされたのだろう。
俺は狼狽しながら魔剣の柄を掴み、焼け焦げた虎の喉元から引き抜いた。そして彼女の姿を確認し、その前方に佇む異様な光景を目の当たりにした。
「……こいつ、まさか」
「ええ、キメラ5体の討伐クエストだなんて、とんでもないわよ」
堅牢な鱗に覆われたその身体は、長く伸びた尾っぽを含めておよそ2メートルといったところだろうか。まさに巨大トカゲとでも言うべきその姿。背中の翼は、まだ成長しきっていないらしい。
「……ドラゴンか」
その呟きに反応するかの如く、奴の口元から炎が溢れた。