3:サクラは、出会う
桜花が次に目を開けると、そこは街の中だった。
広場を行き交う人々の姿は様々で、鎧を着て剣を背に堂々と歩く戦士や厚ぼったいローブの魔術師を見ると、自分がまるで本物の異世界へ迷い込んだかのような錯覚に陥る。
「ワクワクしてきた! VRはやっぱりいいな」
ゲームの世界へ始めて入ったときの感覚、例えるなら見知らぬ街へ一人で来たときのような高揚感が、桜花はバイクと同じくらい好きなのだった。
遠足で訪れた隣町、修学旅行で歩いた古都、家族と行った遊園地、そのすべてが桜花にとって新天地だった。そこには自分の知らない物があるから。
知らない景色があって、知らない人たちが生活を営んでいて、自分の知らない楽しみがある。
考えただけでたまらなく胸が躍るのだ。
そして、そんな場所をいつかバイクで旅するというのが桜花の夢だった。
桜花は期待を胸に、レンガで作られた、いわゆる“ヨーロッパ風”の町並みを眺めながら歩きだした。
「武器屋、防具屋、宿屋……ここに店があつまってるのかな?」
様々な看板が、自分を見ろ!と言わんばかりに頭を出す通りを歩きながら考える。
始まりの街、アリストレア。
円状の壁に囲まれたこの街はこのゲームを始めた冒険者たちが最初に降り立つ地であり、その後も拠点として滞在するプレイヤーも多い。故に物も人も多く、活気に溢れている。
「バイク屋はどこだろう?……ん?」
ふと足を止め、店の窓ガラスを見た。
そこに映っていたのは桜色の髪を持つ少女。桜花のアバター、すなわちサクラだった。
「すごい、髪の毛ピンク色じゃん」
自分の髪に触れると、鏡の中の少女も同じように動く。
「目も緑色だ……それになんだろこの格好」
サクラの服装は白いシャツ一枚にショートパンツという、派手な顔と違って質素なものだった。
いわゆる初期装備だ。手には革のグローブ、足は同じく革のブーツに覆われており、これが武器となっているようだった。
「こんな短いズボン履いたことないんだけどなぁ」
桜花が今まで履いたことのあるのはいずれも膝丈以上のズボンやスカートだった。バーチャルの世界とはいえ、自分の脚をここまで晒すのは抵抗感があるようだ。
裾を引っ張ってみたが、当然、伸びることはなかった。
「まあいっか……というかここ何の店なんだろ?」
看板を見ることなく店先で自分を確認していたサクラだが、ふと、そこに何が売っているのか興味が湧いて窓の奥を凝視した。
窓辺に置いてある観葉植物で見えにくいが、その奥には机に鎮座する銀色に光る物体が見えた。
四角と横倒しの円柱を組み合わせた、鉄の塊のようなそれには蛇腹状の冷却フィンや屈曲したパイプがついており、全体的に磨き上げられて部屋の明かりを反射させていた。
「これってもしかして」
サクラには見覚えがあった。
そう、これは、
「単気筒エンジンだ!!」
バイクのエンジンである。
そしてこれがあるということは……
「ここがバイク屋だああああああ!!!」
人通りの多い路上だというのに、サクラは大声で叫んだ。
当然、通りがかったプレイヤーたちに奇怪な目で見られたのは言うまでもない。
しかし、サクラはそんなこと気にもせずに店のドアを開け放った。
「……らっしゃい」
無愛想で筋肉質な大男がカウンターからサクラに話しかけた。
頭上には『乗り物屋の大将』という字が表示されている。いわゆる店員NPCだ。
サクラはバイク屋と言ったが、正確には乗り物全般を扱っているらしく、その証拠に割と広い店内にはバイクだけではなく、車やボート、果ては馬車や馬そのものまで展示されていた。
「バイク見せてください!」
しかしそれらには目をくれず、目的の物のみをサクラは求めた。
「バイクならあれだ」
乗り物屋の大将が指し示す先には、黒光りする流線型のタンクと銀に光るマフラー、それに丸い目のようなライトが特徴的なバイク。
バイクといえば最初に思い浮かべるであろう物がそこにはあった。
「うぉぉ……バイクだ!本物だ!かっこいい!! いや、本物じゃないのか? まあいいや」
「正式量産型二輪車『飛燕』。ウチにあるのはそいつだけだな」
駆け寄って近くでまじまじと見つめるサクラ。
早速購入しようとしたが、値札が見当たらないことに気づき、乗り物屋の大将に尋ねた。
「これいくらですか?」
「600000ガルだ」
「え?」
あまりに聞き馴染みのない金額と単位につい自然と聞き返してしまった。
「60万ガルだが」
「……」
提示された金額に思わず閉口する。
そもそも、サクラが今どれだけお金を持っているか確認していない。サクラは一縷の望みをかけてメニューを呼び出した。
現在の所持金――
『1000ガル』
「……あの、割引とかは」
「ないよ」
「分割払いは……」
「ウチにそんなシステムはない」
「……」
残念ながら現金一括オンリーらしく、メタ的とも取れるような答えが帰ってきた。
このままでは買えない、とサクラは焦りだした。
当然である。ゲーム開始時持っている金額で『乗り物』という移動をアップデートする物が買えるはずがないのだ。
しかもこのゲームにおける乗り物はほぼ趣味である。誰も開始時から手に入れようなどと思わないし、想定もされていないのだ。
「で、お嬢ちゃん。買うのか?」
買えるはずがない。
結局、サクラは消え入りそうな声で「ありがとうございました」と言うと、おぼつかない足取りで乗り物屋を出た。
「バイク……バイクぅ……」
人目の多い往来だというのにがっくりと膝を曲げて地面に手をつく。
多くのプレイヤーに見られたのは言うまでもない。
「金だ、お金さえあれば……!」
こういうゲームでお金を稼ぐ方法といえばモンスターを倒すことである。そう考えたサクラはダッシュで街の外へと向かった。