プロローグ:そしてサクラは風になる。
こちらはプロローグですが、エピローグ形式になっています。
一話から読んで頂いても構いませんが、後々読んで頂けると嬉しいです。
風になびく草花が延々と広がり、なだらかな丘が点在する草原に一本の道があった。
道は舗装などされていない簡素な造りで、黄色味掛かった茶色い土がそのままになっていた。
その乾いた道の上を土煙を巻き上げながら走る側車付き自動二輪車が一台。
「うわああああああああ!! サクラぁ! 速い! 飛ばしすぎい!!」
クラシカルな見た目のバイクの後部座席に座る銀髪少女の絶叫が響く。
「速い、ってスノウ、まだ全然スピード出てないよ!?」
サクラと呼ばれた運転手の少女が前を向いたまま答える。
少女の手は鈍い銀色の籠手に包まれており、しっかり握ったハンドルをバイクの揺れに合わせて時々細かく傾けたり、戻したりしていた。
ゴーグルに覆われた大きな目は翠色の虹彩を持っていて、名前通り桜色をしている髪は蝶のようなリボンで後頭部に一纏めにしている。
「それでも速い! 揺れる! 風が超怖い!!」
後部座席、日光に反射してキラキラと光る銀髪で鎧を着た少女、スノウがサクラの背中に抱きつきながら反発する。
二人の少女はいずれもヘルメットを被っていない。いわゆるノーヘルだ。だが、そのことを咎めるものは一人としていなかった。
なぜなら、ここはフルダイブ型VRMMO『Glorious Last Frontier』、つまりゲームの中の世界だからだ。
「大丈夫! すぐ慣れるから!」
「ワン!」
「ほら、ジロウもそう言ってる」
バイクの側面にくっついた舟のような形の側車には犬用のパイロットゴーグルを着けた灰色のオオカミが行儀よくおすわりしていて、まるでスノウを笑うかのように舌を出しながら一吠えした。
「言ってない! 絶対言ってない! 適当に吠えただけだって!」
「ワフ?」
「おい、ジロウ。あとで覚えてろ。絶対モフモフしてやるからな!……ひゃあ!」
「どうしたの?」
石でも踏んだのかバイクが揺れた瞬間、スノウが素っ頓狂な声を上げる。
それに反応してサクラが首を傾けて後ろを見た。
「ごめん、揺れてびっくりしただけ……って! サクラ後ろ見ちゃ駄目!! 前!前!!」
「ん」
スノウが指し示したバイクの進路上には軽く五十匹はいそうな羊の群れ。丘の陰になっていたせいで、さっきまでサクラたちには見えていなかったのだ。
このまま直進を続けると事故間違いなしだろう。
しかしサクラはハンドルをそのままに、むしろアクセルグリップをひねっって加速した!
「ダメダメダメサクラぶつかる!!!」
「【跳躍】!!」
衝突寸前。サクラがそう叫んだ瞬間。光がバイクを包みこんで、重い車体が浮き上がった。
「おわあああああああ!! 飛んでる! バイクが! 飛んでる!!」
バイクはそのまま羊たちの上を放物線を描くように飛んだ。
羊たちは叫びながら自分たちの上を飛ぶ珍客に驚いて顔を上げたものの、それに害がないと判断した者から再び草を喰む作業へと戻っていく。
「ああああああああああああああああああ!!!」
「いやっほーい!!」
二人と一匹を乗せたバイクは、羊の群れを超えて着陸すると、勢いそのままに小高い丘を駆け上がって、スリップ気味に停車した。
「あはははは! いやー、楽しかった!」
「……」
「やっぱりバイクは最高だよ!」
「……」
先ほどとは打って変わってサクラは元気に、逆にスノウは静かに俯いたまま動かない。
「あー……あのー、スノウ?」
「……か」
「え?」
「バカバカバカ!! こっちは死んだかと思った! なんで加速すんの!」
放心状態から復帰したスノウは目に涙を浮かべながらサクラの背中をポカポカと叩いた。
「痛い痛い! ダメージ入ってる! ……ごめん、そんな怖がるとは思わなくって。スノウなら楽しんでくれるかと……いつもすごい速さで自転車漕ぐし。今日もそうだった」
「あれは遅刻しそうだったから! しかもいつもじゃないし! 自分で漕ぐのと後ろに乗るのは大違いだから!」
「そっか、そうだよね」
「でも、その……ちょっとだけ、た、楽しかった」
スノウの口から小さく言葉が溢れる。
それを聞いたサクラの表情が緩む。
「あ! でも今後はゆっくり走ってよね」
「ええー」
「ええーじゃない!」
「ワン!ワン!」
いつの間にか側車から降りていたジロウが、まだバイクに跨る二人に吠えた。まるで二人を呼んでいるようだ。
「おっと、ジロウ。どうした?……おっ」
「ちょい! 話はまだ……」
ジロウがいる方向を向いたサクラが固まる。つられて同じ方向を向いたスノウも口を開けたまま目を見開いた。
その目に写ったのは風になびく草花が延々と広がる草原。
木々の一本もない緑の海が風が吹くのに合わせて波のように揺らぎ、その上を轍の残る道がところどころ蛇行しながら続いていた。
道の先にはミニチュアのような『始まりの街』。周囲にはこの世界に降り立って間もないプレイヤーたちがモンスターと戦っているようだった。
街から川を挟んだ反対側には荒々しい岩肌を露出させた山々が連なり、長い尾を持つ飛竜たちが大きな翼を広げて悠々と飛び回っている。
そしてそれらが、雲間から差し込んだ光に、まるでスポットライトのようにゆっくりと照らされていた。
「アリストレアがあんなに小さく……」
「結構遠くまで来たね……」
サクラがバイクのエンジンを切ると、エンジン音にかき消されて聞こえなかった鳥の声や風の音といった環境の音が辺りに戻った。
「スノウ。すっごい綺麗だね」
「……ああ。一瞬あたしが綺麗って言ったのかと思った」
「ふふ、そうだよ」
「はははっ、バーカ」
「バカでいいよ。バイクに乗るにはバカじゃないと!」
「なんだそれ!」
二人で顔を見合わせてしばらく笑い合う。
「フーカさんにも見せたかったな」
「たしかに。……そうだ、写真撮ろ!」
スノウはそう言うとバイクから降りてパタパタと走り、サクラの方を振り向くと指で四角を作って覗くと、
「はい、チーズ!」
カシャリ、とシャッターを切る音が静かな丘に響いた。
「ありがと。あ、そうだ」
ふと、何かを思い立ったサクラが、
「インベントリオープン」
と唱えると目の前に半透明な板が現れた。
サクラは慣れた手付きでメニューをスクロールし、その中から『アイスバー』を選択して二回押すと、どこからともなく湧き出た光の粒子が集まって棒付きのアイス二つへと姿を変える。
そしてバイクの方へと戻ってきたスノウにその一つを向けた。
「スノウ」
「うん?」
「このゲームさ、勧めてくれてありがとう」
「どういたしまして」
感謝の言葉と突き出されたアイスを満足げに受け取るスノウ。
それを見たサクラが続ける。
「私、このゲームのことをもっと知りたい。もっと色んな街に行って、知らない人と話したり、もっと美味しいもの食べたり、もっと綺麗な景色が見たい」
「うん」
「もっとこの世界を旅がしたいんだ。スノウは付いて来てくれる?」
「もちろん」
隣に座る親友の願いをスノウが断る理由などなかった。
「でもバイクで空飛ぶのは勘弁ね」
しかし一言だけ注文を付けてアイスをかじった。