42・5 覚醒する時
目覚めたとき、外は大雨だった。
無機質な部屋は暖かく保たれ、柔らかいベッドと毛布の感触と全身の倦怠感が思考をぼやけさせている。
―――しばらくして、意識が覚醒し、バズはベッドの脇にいたジアと目が合った。
「まだ安静にしていてください。あなたは三日間眠り続けていたのです」
穏やかで優しい声がここが安心できる場所だと認識させた。
《そうよ。その間、この娘がずっとあなたの世話をしていたわ。きっとあなたに気があるのね》
バズはあまり反応しなかった。
「大丈夫ですか? 自分がどうしてここに居るかわかりますか?」
バズは黙って頷いた。
《ねぇ、まさかと思うけど、もう自分の役目は終わったと思ってない?》
これまでバズはレムルスの街で起きた大虐殺の生き証人コルベットを追いかけて来た。その途中で、禁書を手に入れるために大虐殺を引き起こした元凶が王室であり、それを知る者を暗殺していることを知った。その一人、ロムルスの姫巫女ジアを助けたものの、ロムルスからやって来た悪霊との戦いで第二王女の調査官ランスを失う。自身も悪霊に憑りつかれたことで瀕死の重傷を負う。その身体でジアを何とかロムルスまで送り届けたところで、五人の勇者が現れた。狙いはジアの命。
ジアを神殿に匿う数十秒のため、バズは己の限界以上の力を発揮した。
《状況は何も変わっていないのよ。勇者はいくらでもいる。ジアも禁書も安全じゃない。コルベットはどうするの?》
「ありがとうございました。バズ様。この通り無事ロムルスにたどり着いたのはあなた様のおかげです。大したことはできませんがどうぞゆっくりと傷を癒して下さい」
《そんな暇はないわ。このまま彼女に甘えて寝ている気なの?》
「どうしました? まだ話せませんよね。でもご安心ください。砕かれた顎は元通りです。ちゃんと男前ですからね」
《ええ、男前よ》
「何か胃に優しいものを持ってきますね」
ジアは部屋を出た。
「おれはただ真実を知りたかっただけだ。おれが救えたはずの、防げたはずのことで責任があった。だが、これはおれ程度の者が関わっていいことじゃないのかもしれない。そもそもおれはこの国の生まれではないんだ」
バズはただ天井の一点を見つめていた。力足らずを実感し、命を懸けて足止めに専念した。そしてそれは達成された。たかが足止めだったがそれはバズにとって拭いようもない自身の限界を知る行為に他ならなかった。
《なら真実を教えてあげましょうか? 私は三番目にこの世界に呼び出された。その前の二体のことは知らないけど、四番目以降はこの世に解き放たれ各地を荒らし回り、その都度封印されていった。その内の一体はここに封印されていた。封印されていたのは神殿の力だった。でも、王都で祈り力を持つ者は途絶えつつある。他の各地でも腐敗と世俗化、神官や巫女の形骸化、官僚化が進んでいる。このままいけば各地で封印が解かれこの王国は滅ぶわ》
「おれをからかっているのか?」
《なによ、知りたいのじゃなかった? 大サービスなのに。このことはね、実はあなたしか知らないのよ》
「なに?」
《最初のサモンがあったのいつだと思う? もう千年以上前なのよ。事実は風化して神殿も役目しか知らない。彼らは自分たちが毎日何のために祈っているのか、本当の意味を知らないのよ》
バズは全身に戦慄が走り、歯ぎしりした。
《起きなさい。私が認めた男がだらしない態度なのは我慢ならないわ。それともこれほどの危機を知ってまだケガ人として寝ていたいのかしら?》
「おれに何ができるというんだ!?」
《さぁ? 足掻いてみたら?》
バズはベッドから身体を起こした。
「おい、ルーキー、起きていいのか?」
そこにジアを暗殺に来た刺客の男がやって来た。
「お前、どうして拘束されていない? いや、それより今はどうなっている?」
「落ち着けよ、勇者は二人死んだ。同士討ちみたいなものだ。後の二人は正気に戻ってここにいる。もう一人は王都に戻った」
なぜか洗脳を免れていた土門アキラはすでにロムルスを発った。予定まで戻らなければ軍が動く可能性がある。そこで報告に戻った。
「一人で?」
「偽の報告をして時間を稼ぐ。それから洗脳されている勇者を何人か連れて来るそうだ。勇者が王室から解放されれば、第二王女様辺りが改革をして下さる。だからあんたは寝てろ」
「だ、だめだ! 勇者を開放しただけでは! 神殿の腐敗も改めないと王国が滅ぶ!!」
「……解放された悪霊のことですね」
ジアが食事を持って戻って来た。
「知っているのですか?」
「私が居ない間にここで悪霊が解き放たれたそうなのです。悪霊には祈りが通じたそうですが王都から来た神殿関係者たちは祈りを放棄したそうです。数日で封印が解けたという事なら、とっくに王都では悪霊が解き放たれているでしょう」
「……そうか」
《四番目以降がどこに封印されているかは私も知らないわ。安心していいのから? 王都に悪霊がいないと解釈するの?》
「とっくの昔から、王都の悪霊は復活している?」
「え? どういうことでしょう?」
「ありえない話じゃない。祈らない聖職者を建前上神官や僧侶と認めていたのは王族だ。王都の神殿ではずっと前から治療に当たっているのが治療系のスキルを持った異世界人だ」
刺客の男は王都の内情にも詳しく、バズの推測を裏付けた。
「まさかそんなにひどい状況だったなんて。シモンたちが神殿に来たときに見抜くべきでした」
「だが復活した悪霊はここの巫女や僧侶たちの祈りで倒せたんですよね?」
「いえ、倒したのはあなた様が追って居られる、あのコルベットという少年だそうです」
「彼が?」
「それに私を救って下さった天使、ルカ様も一緒だったそうです」
ジアが刺客の男に襲われた際、スライムを探していたルカがたまたま通りかかった。刺客の男ははたかれて気絶し、その時のことは覚えていなかった。
「おれは女にやられたのか」
「それより二人は今どこに?」
「それが復興を手伝い、炊き出しをして二日目の夜以降、誰も姿を見ていないそうなのです。それから禁書庫より彼が本を一冊持ち出していました。タイトルは『勇者召喚の危険性』」
《へぇ、あれを倒せる人間がいるとは驚きね》
バズは考えた。今、自分は何をすべきか。
「おれはバズだ。よく覚えていないが、お前に命を救われたはずだ。礼を言っておく」
「ご丁寧なことだ。おれに名前はない。だが便宜上ハウンドと呼ばれることが多かった。呼びたかったらそれでいい」
「おれは暗殺者という人種が好かない。だからお前に対して気を許すことはしないし、ここにいるからと言って油断はしない」
「前置きはいい、何が言いたい?」
「この後どうすべきか、意見を聞きたい」
ハウンドはジアの顔を確認した。冗談ではないと分かると、バズの顔を見た。
「身近にいる中で最も裏に詳しいのがおれだという判断は正しい。だが、おれの言ったことを何をもって信じる?」
「結果だ。お前のおかげでおれもジア様も生きている」
バズは暗殺者と言ったが、このハウンドはただ忠実に国に仕えた兵士に過ぎない。ただの一度として私欲のために人を殺したことは無かった。ただそれが得意だった。
「あのアキラという勇者が無事に報告できるかはわからない。悪霊というのが人を洗脳する元凶なら、誰が洗脳されていて、洗脳されていないかを誰が見極めているのかもはっきりしない。ならここの守りとしてあんたは必要だ。ここから王都まで陸路で二週間、軍隊ならもっと遅い。その間に第二王女派閥の諸侯に事の真相を伝える。これは最終手段だがな」
「もし勇者アキラが上手くやって勇者を洗脳から解放できたら?」
「王都に潜入して直接第二王女と接触を図る。洗脳を解いて回り、元凶の悪霊を封印もしくは撃退、王室の不正と悪行を糾弾する。勇者に依存した体制を見直すべきだな」
「わかった、ところでお前は追跡は得意だろうか?」
「まぁな」
「おれではコルベット・ライソンに追いつけなかった。だがお前ならできるか?」
「できる」
「なら頼む。王族の出方がどうあれ、悪霊の撃退はそう簡単にいきそうもない」
バズはジアから受け取った食事を口に運んだ。やることがハッキリして吹っ切れたのか、空腹に気が付いたのかバズの手は止まらなかった。
《いいわ。それでこそランスが認めた男だわ》
「うるさい」
「「え?」」




