29・5.名無しのランス
幕間です。
コルベットたちがデーモンを討伐していたころ。上空から迷宮へと降り立った者がいた。
「何? まさか、やられたのか?」
デーモンの眷属と化した神官アシモ。
主君たるデーモンの気配が消えたことに驚愕しながらも、目的を果たそうと動き出した。仲間の眷属も瞬く間に気配が消えた。焦ったアシモは、目標の前へ躍り出て、いきなり襲い掛かった。しかしそううまくはいかない。
「悪しき者よ、その邪悪なる精神の淀みで自らを貶める者よ、己の過ちの重さで膝をつきなさい」
神聖術『聖言』により、捕らえられえたアシモの身体は急激に重くなり、動くこともままならなくなった。
「ぐぅぅ、強力ですな、ジア様」
「ア、アシモ? どうして……?」
聖域を出る前、やって来ていたアシモとは顔見知りだった。ジアはアシモたちから禁書のことを聞き、聖域を出ることを決意したのだ。
「神官がなぜジア様を?」
「いや、狙いは―――」
アシモは動けないながらランスを見つけて必死に語り掛けた。
「時は来た! 宴は再開される。盤上さえ整えば手札が再び配られる。ゲームに参加されよ!!」
そう言うと、アシモの身体から黒い瘴気が流れ出た。それと同時にアシモの身体は崩壊した。
その様子にバズ、ランス、ジアは驚愕する。三人にはその瘴気は見えていなかった。気を取られた一瞬で瘴気はバズに向かった。
「――ぐぁ」
身体が勝手に動くことに困惑しながら、次第に意識を奪われていくことにバズは恐怖を感じた。
「恐怖心は禁物ですぞ、バズ殿気をしっかり持つんだ!」
「私が。『聖域』!!」
ジアが清浄なサークルを作り出すが、バズの身体はその範囲外に出てしまう。
『なぜだ? 聞こえているのであろう? どうして反応が無い?』
その声はバズのものだが問いはレッサーデーモンと化したアシモのものだった。
「マズイ。このままでは彼の肉体が持たぬ!」
バズの身体能力を得たアシモは機敏な動きから、『聖域』内へ短剣を投げ込んだ。聖域は悪しきものや、敵意を持つものからは守れるが物理的な障壁にはならない。
「ぬん!!」
それをランスが叩き落す。片腕で殴りつけられた短剣は、地面に巨大な亀裂と振動をもたらした。
『防いだ!?』
「きゃ!」
「ジア様、危険です。お下がり下さい」
「しかし、あれはおそらく悪霊。彼を戻すには神聖術が」
「バズの潜在能力を持ち出されれば、術の類は全て回避されるでしょう」
『なぜだ? タダの人間が今のを片腕で叩き落すとは……『ステータスオープン』!』
■×××=ランス(52)
・種族:人間
・職業:王室調査官/騎士
・レベル.56
・体力:A 魔力:D 精神力:S パワー:A スピード:B 運気:C 器用度:A
・スキル
S:『聖騎士』
A:『二刀流』『大剣・上』『身体能力強化・強』『格闘・上』
B:『気迫』『洞察』『盾・中』
C:『潜伏』『馬術』
『ばかな! スキルを10つ! それにこんなレベルの人間がいるはず―――……待てよ、ランス? そうか、お前は王に名を奪われたランス家の―――』
ランスは覆っていたフードとマントを取り、剣を抜いた。二刀。筋骨隆々の大男は目に覚悟を浮かべ、騎士らしからぬ実戦的な構えを取った。そして、後ろに控えるジア、前方のバズ(アシモ)とは別のものに語り掛けた。
「彼を確実に救いたい!! 彼があの神官の二の舞にならないように!! 最後の一回をここで使う!!」
《―――いいのか? 私のサービスはあと一回限りだ。君のことは好きだから、もう少し、人生を謳歌させてやりたいんだが―――》
その女の声は力強く響く、癖のある声色で、何処か色気があった。独特の抑揚は高貴さを感じさせるが、口調は気安い。そしてランスにしか聞こえなかった。
「ならば、サービスを延長してはもらえんか?」
《悪いがそれは出来ない。私は一度言ったことは覆さないからね。それにどっちにしろ、あと一回で君の肉体は限界を迎えるだろう》
「構わぬ」
《そうか。どうやらあれは私への招待でもあるみたいだし、いいよ。お友達は絶対に無傷で助ける》
白い光がランスを包み、それを禍々しい暗黒が覆った。二つは溶け合い、ランスの身体は蒸気を発し目と鼻から血が噴き出した。
《年を取ったものだね、ランス。悲しいよ》
「これまで、約束を守ってもらったこと、感謝する」
《さよならランス。では、身体をもらうよ》
一歩前に出た。
『何?』
その動きはただの老練な騎士の動きではなかった。一振りごとの風切り音はあらゆる命に等しく死を宣告する。それが常に連撃となって襲い掛かる。バズに憑依したアシモはその潜在能力を引き出し応戦しようとするが、全く付いて行くことができない。
『なぜだ!? 復活の機会をもたらしに来たおれをなぜ拒む!?』
《やめて欲しいな。こんな辺鄙な世界に来てまでそんな低俗な祭りに誘わないでくれよ。私は今バカンス中だ》
『ふ、ふざけるな! すでに黙示録は始まって―――』
《無理さ。この世界は無茶苦茶だからね。そんな決められた終末なんて素直にやって来ないよ。誰にも予想がつかない、神々に放置された失敗作、それがこの世界なのさ》
剣線が交じり合い、火花が炸裂する。
『くっ……『破壊衝』!!』
バズ(アシモ)の剣が木々を巻き上げ、衝撃波を生む。しかし、ランスの二刀がそれを正面から斬り裂く。
《そろそろ終わりにしよう》
『ふざけるな、裏切り者め! ここで朽ちてたまるものか!―――なぁ?』
バズ(アシモ)は動きを止めた。
《隙アリだね》
『くそ、抵抗するな!! こんなただの冒険者ごときが』
《出て行きなよ、お前は彼と相性が悪いみたいだ》
アシモはバズの身体からはじき出された。その瘴気を目掛け、ランスの二刀は光を放ち、巨大な光の剣と化した。その光をジアは目を覆うことなく見つめた。温かな光。それはまぎれもなくジアと同じ神聖な力だった。
《―――『聖剛光剣・六閃』!!》
《ぐぉぉぉぉ、……クソぉぉ!!》
光る二刀の剣から放たれた六枚の剣閃が、瘴気に戻ったアシモをかき消し浄化した。
解放されたバズはその場に座り込んだ形で動かなかったが、ジアが駆け寄る前にうめき声を上げ始めた。
「ぐ、うぉぉ……」
「バズ様、ランス様!!」
駆け寄るジア。彼女は眼を疑った。
バズの身体もまた、アシモの肉体と同じく、崩壊していく。
「そんな……『ヒール』!! 『ヒール』!! 『ヒール』!!」
『―――それは効果ないだろうね』
「ランス様? どうすれば……」
『そのまま続けておきなお嬢ちゃん。私はランスと約束したからね。助けるさ。助ける方法は言ってなかったけど』
ランスの口から別人の声がしたことに困惑しつつ、ジアは言われた通り神聖術による治癒を施し続けた。
《彼には神聖術の心得が無い。でも、姫巫女の力があれば何とか耐えられる。ランスの弟子なら―――……》
ランスの身体からドロリとした暗黒が流れ出た。ジアは目を疑った。対処する暇もなく暗黒はバズの身体に纏わりつき、その中へと入った。
それと同時にランスの肉体は赤い残り火のようなものを発しながら灰となり山道の風に煽られて消えていった。
「ああ、そんな、いやぁぁあ!!」
目の前で跡形もなく消えた命の恩人。もう一人も同じ末路を辿るのではないかという不安の中、彼女はただ修行で身に着けた神聖術の行使だけを祈りながら続けた。
◇
何が何だか分からなかった。
神官が空から降り立ち、ジア様を攻撃した。
おれは何かに意識を乗っ取られ、身体を奪われた。
まるで何日もそこにいたかのような、暗闇でなぜかおれは子供のころ聞いた勇者の話を思い出した。
かつて勇者とは、その名の通り勝算などない劣勢時でも、人々のために自ら前線に赴く、正に勇敢なる者のことだった。ロンヴァルディア王国が今の異世界人の召還をする前から、勇者は確かにいた。
当時敵国であった帝国にいたおれにとって、王国の勇者は敵兵の頭目。だが、ある時、帝国を魔物の大軍が襲った。おれの村にも見たことのないワイバーンの群れがやって来た。絶体絶命、村人の大半はあきらめ、その場にへたり込んだ。逃げる者はわずか。それぐらい活路など無い状況だった。
空を埋め尽くす黒い影。
おれもあきらめた者の一人だった。子供ながらに今自分にできることはただ、祈ることなんだと、周囲の大人たちを見て気が付いた。
今にしてみればそれは助けを求めてのものではなく、せめて安らかで、苦しまない死を望んでのことだったのかもしれない。
だが、おれは祈ればもしかしたらと思っていた。そしてそれは本当に起きた。奇跡だ。空を埋め尽くすワイバーンを巨大な閃光が斬り裂き、撃ち落としていく。群れはその攻撃で進路を変えた。おれたちはしばらく何が起こったのか実感のないままただ茫然とそこに座り込んでいた。
後日、おれは噂を耳にした。
「ロンヴァルディアの聖典騎士様が助けに来てくれたらしい」
「王国の勇者がなんで俺たちを?」
この日、その聖典騎士は本当の勇者となった。おれの心の中でも、帝国民の間でも。
彼は王国の騎士でありながら独断で敵国へ救援に来てくれたのだ。そんな人は今までいなかった。しかもあのワイバーンの群れを一人引き付け、戦い、勝利した。
これをきっかけに、両国は和睦を結んだ。
だが、その功績を得たのは国王で、両国の式典の出席者の記録に聖典騎士の名は無かった。以降、彼が誰だったのかは議論の的となった。
《答えを教えてやろう》
「……誰だ?」
《新しい同居人だ。ごあいさつ代わりに、君の勇者のその後を教えてあげよう》
「なぜ知っている?」
《その場にいたからね。彼は王国軍の軍規に逆らい、人々を救うために敵国へと向かった。激怒した国王と諸侯は、勇者から名を奪い、魔族国家との戦地へ送り込んだのさ》
「そうか」
そうなっていると噂を耳にしたことはあった。王国にとってワイバーンの群れと単騎で戦える者を殺すのは大きな損失だ。王国は反魔族を掲げ、今も戦争をしているが、当時も魔族との争いはひどかった。そちらに焦点を絞るために帝国とは和睦したのだろう。
「それで、彼を知っているのか?」
《目を開けてごらん》
―――気が付くと目の前にはジア様がいた。必死な顔でおれの名を呼んでいる。その後ろには灰に塗れた二振りの大剣が地面に突き刺さっていた。
その刃の根元には聖典騎士の紋章が刻まれていた。




