第二十三話 迫る決戦
幸樹は城中の騒がしさから、目を覚ました。じっと耳を澄ませると、バタバタと騒がしい音が扉の向こうから聞こえてくる。客室は、比較的兵舎に近い。その主はおそらく兵士たちだろうと、彼は思った。
すぐに身体を起こす。カーテンから漏れてくる光は淡い。未明に近い早朝――カーテンを開けて見えてきた空は、夜と朝が同居していた。雨は降っていないようだが、グライダーを飛ばすには少し暗い。
その間も、扉の外から触たしい雰囲気が伝わってくる。時折、男たちの大きな話声が漏れ聞こえてきた。ただしさすがに内容は幸樹には聞き取れなかったが。それでも、その声色がかなり緊迫しているのを感じた。
何かが起きている。それはきっとよくないことだ。彼はシエルの所に行くことに決めた。そっと扉に近づいていく。そのまま開けずに、右耳を木製のドアに押し当てた。
「大変なことになったな。まさか、俺たちまで駆り出されるなんて」
「仕方ないだろう。先遣隊が壊滅状態まで追い込まれたとあっちゃ――」
声はだんだんと遠ざかっていく。その二人組が最後だったらしく。それ以上何か物音が聞こえてくることは無かった。
思った通り一夜明けて、事態はかなり悪化していた。幸樹はいてもたってもいられなくなって、部屋を飛び出た。まっすぐに、シエルの私室を目指す。
やはり城内では人が慌ただしく動いていた。この異邦人が一人で闊歩していても、誰もそれを気に留めるものはいない。
「シエルっ!」
どんどんどんと、激しく扉を叩く。しかしすぐに答えは返ってこない。まさかこの事態で仮にも軍師である彼女が眠っているわけはないと思うが……。
もしかしたら、王に呼ばれているのかもしれない。幸樹は諦めて、その場を離れようとしたところ――
「……っと、コーキか。話はすでに耳に入ってるみたいね」
扉が開いた。中からシエルが姿を見せる。その顔色はとても青白い。特に目の下のクマはひどかった。
「だ、大丈夫か、その顔?」
「ああ、これ? 徹夜で魔法初読み漁ってたからね。さっきおじさまに呼ばれて、その後寝落ちしてた」
アハハ、と力なくシエルは笑う。
その後、幸樹は部屋に通された。眠気が覚めるような飲み物を持ってくると、シエルは食堂の方に向かっていった。
魔法使いの部屋に一人残された幸樹は、ぐるりと室内の様子を見渡す。あちこちに、書物が散乱していた。それが、彼女の一晩の努力を物語っている。
そのうちの一冊を拾いあげて、ぱらぱらとページを捲ってみたが、彼には全く内容は理解できなかった。使われている文字すらも謎。諦めて、元あった場所にそっと戻す。
「お待たせ~」
トレイにカップを二つ載せたシエルが戻ってきた。それぞれをテーブルに置く。幸樹がカップの中を覗き込むと、毒々しい緑色の液体が湯気を立てていた。とても緑茶には思えない。
「とてもにが~い草がこの近くに生えていてね。それを焙煎したものをお湯で戻したの。すっごい目が覚めるよ?」
言いながら、シエルは躊躇いなく液体を啜った。その顔が一気に歪み、少しだけむせ返る。それでも彼女は飲み続けた。その度に、苦しそうな反応を見せる。
それを目の当たりにした幸樹としては、正直飲むのが躊躇われた。そもそも、彼の目はスッキリ覚めている。徹夜をしたわけではないし、朝に弱いわけでもない。それでも用意してもらったからには、口にするのが礼儀か。彼は葛藤しつつも結局、カップに口を付ける。
えげつないほどの苦みが、口の中を襲った。思わずカップを落としそうになっ
た。自然と幸樹はむせ返してしまった。そしてじんわりと涙が浮かんでくる。それ以上、口を付けるのは不可能だった。そっとカップを押し返す。
そのまま手持無沙汰に待っていると、段々とシエルの表情に元気が宿っていくのがわかった。完全に目を覚ました様に見えたところで、彼は話し始める。
「何があったんだ? 先遣隊がほぼ全滅状態みたいな話は聞いたけど」
「何がって言われても、それが一番大きなことね。一番最初に駐在していた部隊は、敵にかなり押し込められていた。後退しながらの闘い。造園が到着する頃にはもはや闘える者は残り少なかった」
その情報が伝わってきたのは今から三十分ほど前のこと。責任者による会議が行われ、ひとまずさらに部隊を派遣することが決定。その数は三。だが同時に、国の守りはかなり手薄になってしまった。
「あり得ないと思うけど、今ここを別方向から攻められたら大変マズいことになるわね。そもそも、北東部における敵の勢いが弱まるとも限らないし。まさしく、今この国は非常事態にある」
言いながら、軍師は苦い顔で首筋を触る。
「冷静な分析だな……。例の策はどうなった?」
「もちろん、採用された。今回もたらされた情報の中に、敵が恐ろしいまでに白兵戦に強いことが判明した。正直うちの兵士じゃ相手にならないって。人間離れしてる――なんて意見もあったかな」
一瞬シエルの顔が一層険しくなった。人間離れ、と口にした時。魔法使いとして、見逃すことのできない言葉だったのかもしれない。
「攻め手を変えてみよう、ってことになってね。あたしが出ることにした。上空からだと、敵の陣営も確認しやすいし、なによりその優位性が一番の決め手だった」
「それはわかったけど。本当にできるのか? 昨日はてんでダメだったじゃないか」
「ふふっ。それを今からみせてあげるわよ。外に出ましょ。どうせ、あたしたちがこの城内でできることはないから」
そう言うと、シエルはゆっくりと立ち上がった。その足取りはしっかりしている。幸樹が腰を浮かしながら彼女のカップを確認すると、中身は完全に空になっていた。
まだ未明に近いということもあり、城下町の中はひっそりと静まり返っている。この広い空の下に、人間は幸樹とシエルしかいなかった。
そのまま発航場所――実際のところはグライダーが置き去りにされている野原だが――に向かうのかと思ったら、魔法使いは広場の真ん中で不意に足を止めた。
「どうした?」
「まあ見てなって――」
すると、彼女はあの火炎魔法と思しき呪文を唱えた。ぼうっと、空中に拳大くらいの火が灯る。ここまでは昨日と同じ。そしてこの後、そのまま落下して――
「落ちない」
「ふっふーん、どうだ!」
「……ど、どうなってるんだ?」
「とある魔導書に魔力の練り上げ方とその放出方法に関する画期的なアイディアがあって。王道的なやり方だったら、魔力を一つの塊として捉えて――」
「待て、待て。俺に言われてもわからないから」
「えー、つまんない! せっかく頑張ったのに」
「いや、それはわかる。これを見ただけで」
話している最中も、彼女が起こした火は決して落ちてくることも、消えることもない。大したものだと、幸樹は感心していた。
同時に立った一晩でここまで進歩できるなら、とちょっと微妙に思う。しかし、それを口にするとさらに彼女が騒ぎ出すことは目に見えたので、胸の中に留めておいたが。
やがて、シエルがぱちんと指を鳴らす。すると、炎があっという間に消えていく。これもまたこの一晩のうちにできるようになったようだ。ドヤ顔をしてくる彼女のことを、幸樹は鬱陶しいと思いながら子供っぽいところもあるなと微笑ましく思っていた。
「さあこれでいいでしょ?」
「そうだな。……まあ後は炎によっておこる上昇気流がどのくらいの勢いがあるのか、だけど」
「もちろん、本番はもっと大きな火を起こして見せましょうとも! 期待してて、コーキ!」
ポンと胸を一つ叩いて、のけぞってみせるシエル。彼にはその姿が今までにないほどに頼もしく見えた。
思わず、彼は右腕を彼女に向かって差し出していた。ちょっと怪訝そうな顔をしてシエルだったがすぐにその手を握った。
「頑張ろうな、この国最高の魔法使いさん」
「うん、そうね。この国唯一のパイロットさん」
戦果など感じないこの穏やかな町中で、二人はひしひしとこの国の命運をかけた戦いに赴く覚悟を固めるのだった――




