第二十二話 頑張る魔法使い
会議の結果、ひとまずシエルの作戦については保留となった。予定通り、一個小隊を北東部に派遣する。それで様子を見る。
城内で、夥しく兵士たちが動く中を、幸樹とシエルは移動する。結局やってきたのは、シエルの私室。とりあえず、なにかあったらその部屋へ。もはやこれは恒例になっている。
「おい、シエル。あんまり勝手なこと言わないでくれよ」
「勝手なことって?」
「グライダーから魔法を撃つって話だ! とぼけるなよ」
幸樹はやや苛立ちながら腕を組んだ。
「でも親書の件は協力してくれたじゃない」
「あれはただ物を運ぶだけだったからな。闘いになると話は違う」
「あの高さがあれば危険なことは何一つないじゃない。一方的に攻撃ができる。そういうのって、キミの世界にはないのかな?」
シエルの反論に、幸樹は爆撃という言葉を思い浮かべた。航空機が戦争において、絶大な効力を発揮することは彼もよく知るところではある。
「ふふっ、その表情を見ると、あながち悪い作戦でもないみたいね」
「まあそうだけど……でも、シエルはそれでいいのか? そんな相手を機械的に倒していくなんて――」
「向こうから攻めてきているんだよ? やるしかないじゃない。関所を越えたということは、当然村や集落があちこちにある。そこに危害が及んだら……あたしは、そっちの方が嫌だ」
シエルは力づよい表情で言い放った。その顔にはしっかりとした決意が浮かんでいる。あれがただの思い付きでないことは、今話しただけで幸樹にも伝わった。
必死だった。彼女も、部隊長も、兵士長も、大臣も、王も。誰もがこの国を守ろうとしている。得体の知れない敵から。
幸樹が文句を言ったのは、ただ争いごとに首を突っ込みたくなかっただけだ。自分の手を汚したくはなかっただけ。あくまで自分は余所者、その意識が根底にあった。彼は自分の常識だけで、このことを軽く考えていた。
だが、シエルの話を聞いて、彼の気持ちに新たなところが芽生えていた。まだこの世界のことはよく知らない。そして、ずっとここで生きていく覚悟を固めたわけでもない。それでも、城下町の風景を思い出せば、不思議と勇気が湧いてきた。
「……わかったよ。今回も協力する。でも同乗するのは誰だ? 王女、じゃないよな」
「まさか。そんなこと言ったら、さすがにおじさまも怒るわ」
「だよな。じゃあ、お前か……」
「なんでそんなに露骨に嫌そうな顔するかな?」
「だったら重大な問題点がある」
幸樹はため息をつきながら言った。シエルもわかっているのか、もっともらしい顔で頷いている。
「どうやって、目的地まで飛び続けるか、だよねぇ」
「そう、それだ。飛び上がった後の最初の上昇はカバーできるものの、その後は運任せだ。――もう一度確認しておくけど、風魔法は……」
「使えませーん。精霊様の加護がないのもそうだけど、そもそも相性が悪いんだよねぇ。火属性の魔法なら自在に使えるのに」
「……火属性、ねぇ」
幸樹は腕組みをしながら、その言葉にとある可能性を見出していた。上昇気流はどこに発生するか。グライダー用語に、サーマルというものがある。
「なあシエル。空気を熱するとどうなるか、わかるか?」
「むっ。前から思ってたけど、コーキってあたしのこと、馬鹿にし過ぎじゃない?」
「いや、そうじゃないんだって。――で、ほら、どうなる? 知ってるか?」
「もちろん。暖められた空気は上に行く」
「そうそれだ」
パチリと幸樹は指を鳴らした。ピクリと、シエルは身体を震わせる。そして彼女もまたそれを真似して、指を鳴らそうとする。……空気が擦れる音だけがした。
「それが上昇気流だ」
「……ああ、そういうこと。なるほどね。――あっ、もちろん気づいて」
「はいはい、わかってるから。で、そういうことはできるか?」
「ううん、やってみないとわからない」
そして、シエルは思わせぶりの笑みを浮かべた。幸樹は一瞬にして、嫌な予感を覚える。
「コーキ、何事も実験あるのみ、だよ!」
「……今から飛ぶって言うのかよ」
「もち。じゃあ、あたし、ドミニクとニコラに声かけてくるから。コーキはクラリスね」
「いやいや、ちょっと待てよ!」
静止の声も聞かず、思い切りのいい魔法使いは部屋を飛び出て行く。もうだいぶ、日が低くなっているから、幸樹としてはあまり気乗りしない。
だが結局、ぶっつけ本番よりましかと、諦めるようにして席を立った。そして、王女の部屋の方に向かう。
*
「わぁーっ、これはすごい! クラリスが言ってた通りだ!」
「シエル、興奮するのはわかるけど、もう少し静かに――」
「見てコーキ! あそこに、二匹の鷲がいる! つがいかしら?」
オレンジに染まりつつある空を、グライダーーは優雅に漂っている。あの後、すぐに飛び立つことに成功した。こんな時間に呼び出されたことに対して、シエルはかなりドワーフの技術者と馬主にこっぴどく絞られたらしいが。
そんなことはどこへやら。すっかりこの魔法使いは大騒ぎしている。その騒がしさは、王女の比ではなかった。
幸樹はうんざりしながら、機体を上昇気流に乗らせ続ける。とりあえずはクラリスの魔法が切れる限界まで、上がり続けてみることにした。本番の時を想定して。
「で、お前、肝心なことを忘れてないか?」
「……ええと、あれね。空気を熱するってやつ。大丈夫だって、あたしに任せなさい」
幸樹はその態度に一抹の不安を感じた。それでも一応水平飛行に戻し、上昇気流を起こして欲しい場所を指示する。
「オッケー。ではでは『炎よ、起これ《ボヌー・フラム》!』」
火炎魔法を起こすための呪文を唱えるシエル。すると、機体の前方その下の方で、大きな炎が発生した。
しかし――
「……おい、落ちてったけど」
「ありゃ、おかしいな。もう一回やってみる」
続けざまに、何度もシエルが呪文を口にする。その度に大きな炎は起こるものの、どれも重力に従ってそのまま落下していった。
その上空を通過したところで、全く上昇気流は感じない。
「……あはは、ダメみたい」
「見ればわかる。――でもどうしてだ?」
「遠距離過ぎて、コントロールが利かないの。ある一点だけを燃やし続けるってのはさ、かなり難しいんだよね」
「それでどうすんだ?」
「ううん、降りてから考えるしかないね。――とりあえずさ、今はこの美しい空を楽しもうよ!」
……ただグライダーに乗ってみたかっただけだな、と幸樹はそっと溜息をついた。そしてそのまま機体を旋回させ始めた。
「馬鹿者! いきなりびっくりするだろうが!」
降りるや否や、いきなりドミニクの怒声が辺りに響いた。迷惑そうな感じの兵士たちが、それに頷いて同意している。クラリスは、かなり困った表情を浮かべていた。
話を聞いたところ、上空からいきなり炎の塊が落下してきたと、彼らは口々に文句を行った。どう考えても、シエルの実験が原因だ。幸いにして、完全に地面に落ちてくる前に自然鎮火したため、被害は皆無だった。
事情を説明して、平謝りする二人。それでようやく、彼らの怒りが収まった。そして今度は全員で、シエルが話した夢物語をどう実現するかを考え始める。
「結局それは、お前さんの練度不足じゃないのかい?」
「……そんなことないわよ。そもそもね、空に燃やすことができないのがいけないの。目印でもあればいいんだけどなー」
「目印?」
「うん。例えばさぁ――ちょっと誰か紙持ってない?」
シエルは周りの人間から、一枚の紙を受け取ると、それをくしゃくしゃと丸めた。そして、クラリスにそっと耳打ちをする。話し終えた時、クラリスは目を見開いて、にこやかに笑った。
「見てて――」
そう言うと、シエルは空中に丸めた紙を投げた。すかさず、クラリスの風魔法の呪文が飛ぶ。その紙屑は空中に浮かび続けた。そして――
「炎よ、起これ《ボヌー・フラム》!」
その呪文と共に、紙屑がどんどんと燃え始める。それは暫く、そのまま燃え続けた。やがてその炎は小さくなっていき、後には燃え屑がパラパラと落ちるだけ。
「ねっ!」
「なるほどなぁ。それはわかったけど、そんな目印になるようなものなんて、無いだろうし」
「そればっかりは嬢ちゃんが頑張るしかないだろ。時間はあるはずだ。最短で次にこいつが飛ばせるのは、また明日さ」
ドミニクが強くシエルを睨んだ。げんなりした顔で、彼女はかぶりを振る。そしてぽつりと――
「徹夜、するかぁ。ちょっと魔術書漁ってみる」
と気の毒そうな声を漏らすのだった。




