第二十一話 事態は風雲急を告げる
その日の午後。幸樹はシエルの案内で城下町を巡っていた。午前中の長時間フライトの疲れもだいぶ抜けてきたので、暇潰しがてら観光をすることにした。
「ここのパイは絶品なのよ?」
「あそこはね、この国で一番古いカフェなの」
「そっちに行っても何もないよ? 民家がならんでるだけだから」
と、シエルが幸樹に解説しながら歩き回っている。……食べ物を売っている店を通ると「城にツケて」という魔法の言葉を吐いて、つまみ食いを繰り返しながら。この間、国王に怒られたのは全く効いてないらしい。
今はぐるりと円形の広場を反時計回りに巡っている。半周過ぎたところで、シエルは立ち止まり同行する幸樹の顔を見た。
「どうする? 教会行ってみる?」
彼女の指さす先には青を基調にした建物があった。
「ううん、そうだな……せっかくだし行ってみるか」
「はいはーい。――いやぁ、よかったよ。もし断られたら案内する場所ないからねぇ」
けらけらとシエルは笑ってまた歩き始める。
幸樹には彼女のその言葉が果たして本当かどうか区別はつかなかった。だが実際の所、彼はこうして歩いているだけでも楽しくはあるのだが。立ち並ぶ建物や、道行く人は、どれも現代日本では決してみられないものだ。
市民の表情は明るい。北東の国境部分では、トラブルが起きているというのに、それを全く感じさせない。幸樹は午前中のニュアージュ王とのやり取りを思い起こし、改めてちょっと現実離れした感じを覚えた。
「そういえばさ、初日お祈りの時間があったよな。あれは毎日じゃないのか?」
「うん、週に一日だけなの。安息日って呼ばれてて、その日は午前と午後の二回、あんな風に聖堂か教会に集まる。他の村でもおんなじ」
「へえ。なるほどな」
「なに、その反応。だったら、最初から聞かなきゃいいじゃん」
「いや、気になったもんだから」
と、言い争うように言葉を交わしながら二人は教会に近づいていく。そして、そのぴたりと閉じられた両開きの扉に手を伸ばしたところ――
「はぁ、はぁ。ここにいたか、シエル!」
「どうしたの、セザール。そんな血相変えて?」
二人がゆっくりと振り返ると、そこには汗だくの若い兵士が立っていた。初日に幸樹を拘束し、そのあと二日、彼を寝床に連れていく係をしていた兵士だ。
彼は膝に手をついて、ぜーぜーと息を吐いている。どうやら走ってきたらしい。見た感じ軽装とはいえ、その格好は普通の服よりは重量がありそうだ。確かに、あれではちょっと走っただけでも進度そうだと、幸樹は思った。
「大変だ! 北東の関所で動きがあった!」
「何ですって!?」
「今すぐ、王様の所へ来てくれ!」
「ええ。わかったわ。――念のため、コーキも来てもらえるかしら?」
「は?」
幸樹とセザールの声がぴたりと重なる。
「待て待て、こいつは関係ないだろ? 第一この国の人間ですらないわけだし」
「セザールの言う通りだ。俺はぼんやりとこの辺を見て回ってるよ」
「いいから、ついてくるの。これは軍師の命令です。セザールにも、文句は言わせない」
シエルにしては、それは珍しく固い口調だった。そこはかとない威厳を感じさせる。そう言われては、幸樹もセザールも黙って従うしかない。
だがしかし。自分が一緒に行って、何か役に立てることがあるのだろうか。一つあるとすれば、グライダーだが……。そんな風に思って、幸樹はふと空を見上げた。まだまだ太陽は高い位置にある。グライダーを飛ばすことに支障はない。
しかし、いったい何をさせられるのか。少し気分が重たくなるが、まあこの国の力になれるのならそれでいいか、とどこか割り切って二人についていくのだった。
*
玉座の間には、幸樹が見知らぬ顔も集まっていた。兵士長と部隊長。そして、少し傷だらけの兵士――彼はしっかりと武装してあった。
そんな中、幸樹はシエルの隣で目立たないように話を聞いていた。初めこそ、軍師が連れてきたこの少年を誰もが訝しがったが、話が始まると、すぐにその注目はそちらに移った。
「まさかこのタイミングでくるとはな」
国王が渋い表情で顎髭を撫でる。玉座の間には、緊迫とした雰囲気が漂っていた。
武装した兵士は北東の砦近辺に出陣した部隊の一員だった。それは昨夜のこと。砦に陣取る敵軍に動きがあった。――夜襲。見張りの兵士の機敏な対応で事なきを得たものの、その初めての事態を重く見た兵士長が彼に報告に行かせた。それが夜明け前のことだった。
「ニュアージュ王に協力を取り付けられたといっても、それはまだ先のこと。現有戦力で、なんとしても敵の侵攻を防ぐ必要がある。――兵士長、追加部隊の出動準備はどうなっておる?」
「目下、至急準備中でございます」
「とりあえず、それを出すしかないな。準備ができ次第、すぐに向かわせてくれ」
「承知いたしました」
兵士長は、自身の隣にいた部隊長に声をかける。すると部隊長は部屋を飛び出していった。
「おじさ――クロヴァス王。よろしいですか?」
ずっと黙っていたシエルが、一歩前に踏み出た。
「シエルか。この状況を打破できる上策でも思いついたか?」
「まあ、それはおいおい。気になることが二つほどあります。まず一つ目、向こうの現在の状況について」
そして彼女は報告をした兵士の方に目を向けた。
「ううん、どうでしょう。わたしが戦場を離れた頃には、比較的落ち着いていたのですが。ただ押し返しただけなので、その後再侵攻されていても不思議ではありません。付け加えますと、隊長は急を要する場合は伝書鳩を送る、と申しておりました」
彼は大臣の方を見た。
「……わしの方には、まだ何も届いておらん。それが果たして、その余裕がないからか。あるいは、全ての問題が無事に解決したかは不明じゃが」
「しかし、たとえ向こうの状況がどうであれ、追加の援軍は送るべきだろう。次に襲われた時に、取り返しのつかないことにならないためにも」
「でもその分、王都の守りが手薄になりますよ。だから今までも一部隊の駐在で済ませていたはず」
シエルの指摘が的を射ていたからか、他の者は一気に黙り込んだ。国王が、次の問題はと顎をしゃくる。
「もう一つは、実力差、です。兵士長様の前でこんなことを言うのもあれですけど、うちの軍は弱い。それは未だに、砦を取り戻せていないことからも明らかです」
「……攻城戦は難しいのだ。それがいくら、元はうちの砦といえど」
申し訳なさそうに兵士長は弁明する。
「それを非難するつもりはありません。私が言いたいのは、その状態で援軍を送っても焼け石に水なのでは、と」
シエルの言葉に、兵士長のみならず国王もまた眉を顰めた。先ほどから彼女は援軍反対派のようだ。だが実際問題としては、敵が強力ならば、既存部隊だけでも対応するのに限度はある。彼女自身が、この国の兵の弱さを語ったのだから、なおさらである。
だから国王としては、その手段を選んだ。可能な限り迅速に。それに水を差される形のため、面白くはないんだろう。幸樹は部外者として、冷静に議論の流れを見守っていた。
「そういうからには、何か策があるのだな、シエル? 先ほど、ちらりとそんなようなことを言っていたが」
「ふっふっふ。みなさん、私のもう一つの仕事をお忘れでは?」
「……魔法を使う、というのか? けれど、その策は一度却下したはず」
「威力はあるが、効果範囲に不安あり、ということでな。敵が砦に閉じこもっている以上、絶大な効果は発揮しない。――ぶっ壊す、というのなら話は別だが」
「それはならん。あそこは重要な防衛拠点だ」
一層険しい顔で、国王は首を横に振った。
「ええ。それは向こうが攻めてこないから。でも状況は変わりました。もし、向こうが砦から出てくるのなら、いくらでも魔法攻撃の余地はある」
「そうかもしれんが、そうそう上手くいくか? 第一、お前の身にも危険が及ぶだろう」
「だからですね、私が提案するのは――」
シエルは意味ありげににやりと笑った。そして、幸樹の背中をそっと押す。何が何だかわからないままに、彼は一歩進み出る羽目に。
「上空から攻撃するのです!」
――魔法使いの突然の提案に、玉座の間はこれ以上ないくらいに静まり返るのだった。




