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第二十話 帰還

 無事にニュアージュ国王から書状を受け取り、幸樹たちはグライダーのところに戻ってきた。待ち時間の間、時計塔や湖を見に行くことも考えたが、結局来賓用の控室で待つことにした。正確な所要時間が不明だったからだ。王女はかなり残念がっていた。


 機体の近くには、あの年嵩の兵士が一人で佇んでいた。しっかりと胸を張り、槍の柄を地面につけて、どこか厳格そうな雰囲気を醸し出している。


「ややっ、お帰りなさい。いかがでした、国王との会談は?」


 だが、幸樹たちの姿を認めると、彼はにこやかにほほ笑みかけた。そして数歩歩み寄ってくる。


「ええ、成果は得られました。この度はほんとうにありがとうございました」

「いえいえ、わたしはなにもしておりませんゆえ。――一応報告申し上げます。この乗り物に近づいた者は、誰一人としていません。異変も特にありませんでした」


 ちらりと幸樹はグライダーの方に目を向けた。着陸時と何か違ったところは見受けられない。


「それにしても、本当に不思議な乗り物ですなぁ、これは。こんなものが本当に空を飛ぶだなんて」

「ですが、事実です。わたくしもコーキさんもこれに乗って、やってきたのですから」

「それはわたしも目撃しましたが――いやはや、失敬。不快にさせたのなら謝ります」

 兵士は申し訳なさそうな顔をして、深く頭を下げた。


 幸樹はそんなことないです、と笑顔で手を振った。信じられないのは無理はない。事実、ボワトンの人たちも初めはそうだった。疑われるのには、慣れていた。そして同時に、この国にも航空機の概念はないのだな、と妙に納得していた。


「しかし用事が済んでお帰りになるということは、これが飛ぶ姿が見れるのですよね?」

 少しだけ兵士は嬉しそうな顔をする。

「それが――」

 幸樹は王女の方をちらりと見た。

「いえ、帰りは違う方法なのです」

「なんと、それは! ううむ、とても残念ですなぁ」


 がっくりと兵士は肩を落とした。落ち着いた喋り方や、その見た目の年齢からは、少し不釣り合いな反応だった。本気で楽しみにしてたのかもしれない。そう考えると、幸樹としてもちょっと気の毒な気持ちになる。

 だがまあ、グライダーを飛ばすにもいろいろと用意がいる。この国でそれが手早く済むとも限らないので、帰りもこれに乗らなくてすむと聞いて、彼は気が楽にもなっていた。


 ――クラリスが教えてくれた帰還の方法、それは移動魔法だった。そんな便利なものがあるんだったら、ここに来るときにもそれを使えばいいと幸樹は思った。

 だがそうはいかないらしい。この魔法には、二人の魔法使い――魔力を持った者が必要だ、幸樹の指摘に、クラリスはそう反論した。


 術者の魔力を注ぎ込んだアイテムを、移動させたい相手に持たせる。移動する側の人物がそれに魔力を込めると、術者に反応が伝わる。そしてそれを引き寄せる呪文を唱える。というのが、二人の使う移動魔法の仕組みらしい。


 挨拶もそこそこにして、二人は早速グライダーに乗り込んだ。幸樹にはその理由がわからなかったが、王女からの命令には逆らえず。

 ただしグライダーを動かすわけではないから、二人ともハーネスはしていない。パラシュートは幸樹が軽く背負っているだけ。キャノピーも閉めていない。


「これでよし、っと」


 クラリスが立ち上がって、キャノピーに例の魔法陣が描かれた紙を張った。幸樹は不思議そうにそれを眺めていた。


「それではお世話になりました」

「いえ。どうかまたいらしてください。その際には、ぜひともこの()()()()()が飛び上がる姿を見たいものですな」


 クラリスが兵士と短く言葉を交わす。幸樹もまた、何か言葉をかけようと思った時――


「な、なんだ!?」


 突然まばゆい光に包まれて、視界がホワイトアウトした。


 だがすぐに、風景が元に戻る。さっきと変わらず草原が広がっている。しかし――


「おかえりー、二人とも。グライダー旅行は楽しかったかな?」


 目の前に、幸樹のよく知る魔法使いの顔があった。それは本当に、あっという間の出来事だった。





        *





 ニュアージュより帰ってきて、クロヴァスへ報告を終えた二人は、シエルの部屋にいた。


「いいよなぁ、クラリスは。ねね、どうだった、グライダーの乗り心地は?」

「そうですね、おおむね楽しかったですよ? ただ、あの最初のぐわーんと上がっていくのはちょっと」

「ああ、一気に浮いていくあれね。外から見てても、凄い勢いだなーと思ってたの」


 話に花を咲かせる女子二人。幸樹は完全に蚊帳の外にいた。紅茶をちびちびと飲みながら、目の前で展開される話に耳を傾けている。


 思えば、こうして何もすることがない時間というのは、この国に来てから初めてのことだった。今までは確固たるすべきこと、があった。しかしそれも今はすっかりなくなり――


「ねえねえ、コーキ! あたしはいつ乗せてくれる? これからでも全然かまわないよ、あたしは」

 魔法使いは身を乗り出して、幸樹に迫っていた。

「落ち着いてくれ、シエル。流石に今日は疲れた、勘弁してくれ」

「そうですよ、シエルさん。無理を言ってはいけません」

「むっ、クラリスまで。いいわよね、あんたは。もう一回乗ってんだから」


 あんたという呼び方はどうなのだろうか。相手は一国の王女だというのに。幸樹は微妙な気持ちになっていた。しかしその王女の方といえば、気にした風ではない。二人は年が近いようだし、身分の差を越えて仲がいいということかもしれない。彼は一人勝手に納得していた。


 そんな二人を見ていると、少しだけ幸樹は部活仲間のことが懐かしく思った。わけのわからないままで今日まで来たが、ようやく生まれてきた。そろそろ自分のこれからについて、真剣に考えたいところである。


「なあ、シエル。訊きたいことがあるんだけど」

「いいよ~。この天才魔法使いちゃんが何でもお教えしましょう!」

「……そこはかとなく、不安を感じるんだが」

「ダ、ダメですよ。シエルさん、大真面目なんですから」

「あの、二人とも? 本人を目の前にして言うことじゃないからね!」


 シエルは不満げに唇を尖らせる。まあ幸樹にしても本気で言っているわけではなかった。少なくともさっきの移動魔法はすごかった。それは認めている。


「俺はどうやったら元の世界に変えれるんだ?」

「……やっぱりそれだよねぇ」

 渋い表情で、魔法使いは頭を掻く。

「一応ね、考えてはいたんだよ? でもね、ぶっちゃけよくわかんない」

 ごめんねと言って、彼女は顔の前で手を合わせた。


 魔法使いだという彼女に訊けば何かがわかると思っていたが、あてが外れて幸樹は少しがっかりした。今すぐに、何としてでも戻りたい。……そこまでではないが、かといってずっとこのままだというのも。

 今まで考えていなかったことが一気に襲い掛かってくる。家族や友人、仲間、楽しみにしている娯楽の数々――未練は尽きない。いいようの知れない恐怖を感じて、幸樹は思わず深いため息をついた。


「あの、大丈夫ですか、コーキさん?」

「ええと、平気です、王女……」

「そんなことないはずです。いきなりこっちの世界に来たんだから、色々と不安に思って当然です」

 ぎゅっと、クラリスは幸樹の手を握った。


 それは小さな手だった。幸樹が握り返せばそのまま覆いつくせてしまうほどに。だが、しなかった。自分は異邦人で、彼女は王女。それはよく弁えている。


「コホン。あの何なの、キミたち?」

「へ、何のことですか、シエルさん?」

「天然娘め……コーキ、鼻の下を伸ばさない!」

「伸ばしてねーよ」


 言いながら、彼はクラリスの手から脱出した。彼の顔は少し開け赤くなっていた。


「ねえ、クラリス。何か心当たりはないの? コーキがこの世界に()()()()ことについて」

「呼ばれたって、どういう意味だ?」

「だってそうでしょ。飛行中目の前に謎の雲が現れた。それに巻き込まれ、抜けるとここにいた。そこには()に《・》か《・》の意志が介在しているはず。もしかしたら、精霊様じゃないかって、あたしは思う」

「なるほど、一理ありますね。ある種の召喚術に近い現象ですから。異世界に介入するとなれば、確かに精霊様の御業かも」

「ねっ。――はあ、師匠がいれば一発で解決してくれると思うんだけど」


 師匠……幸樹は少し記憶を探る。確か、先代のこの国の軍師のことか。それ以外のことは何も知らないが、その人物もまた魔法使いだった。そしてその実力はシエル以上ということらしい。


 となると、幸樹としてはその人物にも話を聞いてみたいところだ。口ぶりからして、この国にはいない感じはするが。それでも一応尋ねてみる。


「実はね、ずっと前から行方不明なの。今から五年くらい前だったかな?」

「はい、そうだと思います。あの日は確か――」

「クラリス、余計なことは言わない。――ってなわけで、無理よ」

「そうか、ごめん。変なことを訊いてしまって」


 シエルもクラリスも控えめな笑顔を浮かべたまま、首を横に振った。室内の空位が少しだけ暗くなる。


「まあだから、正確なところはわからないけど、精霊様の仕業の可能性はあるって話よ。それでどう、クラリス?」

「ううん、どうでしょう。そんな話、聞いたことないです。近頃は神託もありませんし」

「……ううん、そっかぁ。ごめんなさい、コーキ。力になってあげられなくて」

「いや、仕方ないさ。色々と考えてくれてありがとう」


 結局、元の世界に帰る手掛かりはなし。幸樹はそのことについて今日はもう考えないことに決めた。できないことをあれこれ悩むのは、彼の性分ではなかった。

 また明日。今度はドミニクにでも話してみよう。そう思いながら、彼は一気にカップを傾けた。

 目下の悩みは、この後何をして過ごすかだった。とっくに電池が切れたスマホは、この状況下ではただの箱でしかない。そのことがとても恨めしく思うのだった。

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