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第二話 見知らぬ空に彼はいた

 ガタガタガタ――激しく機体が揺れる。思わずどこかにしがみつきたくなるほどに、不安定なコクピット内部。それでも、幸樹は懸命に操縦桿を握っていた。必死に抗おうとした。

 黒雲の中は気流があり得ないほどに乱れていた。時折、機体が大きくよろめく。すると、彼の腕に感じる力が増す。機体を平行に保とうとするが、押し負けて舵は勝手に動く。ペダルなんてもっとひどいもので、自動的にギコギコと音を立てていた。どちらも外部にあるパーツと連動しているからだ。


 果たしてどうなるのだろうか。かかるGに身体を抑えつけられながら、幸樹の心は絶望に染まっていく。グライダーは安全な乗り物、新歓では散々そううたってきた。もちろん、そこに嘘偽りはない。エンジンを積んでいないのだから、そうしたトラブルには無縁だ。

 しかし、空を飛んでいる――いや、乗り物である限り事故とは無縁でいられない。自動車もバイクも、自転車だってそうだ。陸を走る乗り物でさえ、危険はついて回る。であれば、航空機は――その先は言わずもがなだろう。


 安全管理に気を遣っている彼の部活では、毎週一件ずつ過去のグライダーの事故について、全員でディスカッションしていた。危険性について、わかっていた。()()()()()()


 しかしこうして危機に直面すると、とても冷静ではいられない。迫りくる終わりを予感すると、幸樹の目からは自然と涙が零れてしまう。心臓は突き破るように跳ねている。嫌な脂汗は、身体をどんどんひたしていく。呼吸をするのすら、もはや辛い。悲鳴は勝手に口から飛び出ていた。


 その地獄のような――地獄に続く時間は無限のように思われた。

 

 だが――


「た、たすかった……?」

 

 それはとても間の抜けた声だった。とても自分の声には思えないくらいに、情けない感じに彼の耳には届いた。拍子抜けしながら、反射的に息を整える。

 呆然としている幸樹の眼前には、青空が広がっていた。さっきの黒雲が嘘であったかのように、穏やかな天候。グライダーはすっかり安定を取り戻していた。


 ASK21は暗雲を抜け出していた。それも下に、ではなく、ほぼ水平方向に。


 それはあの乱気流のことを考えれば、奇跡と呼ぶに等しい出来事だった。上から叩きつけるような大気の波が、その機体を突き落としていても不思議ではなかった。彼自身、その終わりを覚悟……予感していた。


 ひとまず助かったことに安堵しながら、彼は直線飛行を続けた。せっかく助かったのに、操作をミスって墜落だなんて、目も当てられない。深呼吸をしながら、ぐんぐんあの悪魔のような雲との距離をとる。

 

「180°旋回!」


 自分の心を落ち着けるため、噛み締めるように彼は言った。そして、操縦桿を傾けていく。小さく、そっと――基本に忠実に。

 左手に見える山の稜線を頼りに、機体を回転させていく。目的はただ一つ。あの雲の位置を再確認するため。


 水平飛行しているグライダーの時速はおよそ90キロ。数分、ただ真直ぐに機体を進めたから現状十分距離はあるはず。少しの間、その方向に合わせたところですぐにどうということもなし。

 それに確認が済み次第、すぐにまた機体を回転させるつもりだった。雲に巻き込まれたのは、滑空場近くでのこと。しかも風下側。決して避けては通れない位置にあるといえる。だからこそ、正確な状況を把握し、速やかに帰投プランを立てる必要がある。先ほどから、何度無線のスイッチを入れてもうんともすんともいわない。やはり故障したままだった。


 しかし――


 見当たらない。あの黒雲は影も形もない。そんなに離れたはずはないのに……。消失マジックのように、ひとかけらの残骸すら残っていなかった。


 しかし、幸樹にとっては好都合な事態ではある。彼の着陸を妨げるものは完全に消えたわけだ。その消息については気にかかっているが、余計なことだと頭の片隅に追いやった。


 とりあえず、滑走路の状況を確認しようと、左下に目線を向けるが――


「……な、ないっ! 一体どうして!?」


 あるはずのもの――河川敷に沿ってまっすぐに敷かれたアスファルトの一本道(かっそうろ)は、そこにはなかった――





      *





 周辺を飛行して見て、わかったことが一つだけある。どうやらここは、滑空場の近くではない。いや、それどころか――


 その先の結論を彼は飲み込んだ。あまりにも現実味がなさすぎると思った。


 眼下に広がる平原を眺めながら、彼はまっすぐに飛び続けていた。とにかく、着陸できる場所を探していた。ここまで手際よく上昇気流を捕まえて、飛行を続けていた。しかし、無限に飛び続けることは不可能だ。ここが見知らぬ場所なら、無理は禁物だ。

 正確な時間はわからない。腕にしている電波時計はうんともすんともいわない。上着のポケットに入れているスマホなら話は違うかもしれないが、生憎と取り出せる状況にはなかった。


 周囲の風景に、彼は完全に打ちのめされていた。遠くに見える山々の姿は、いつもよりも高く見える。見れば見るほど違和感を覚える。

 それだけならば、気のせいかもしれない。だが、稜線の伸び方が違っている。ぐるりと辺りを取り囲むようにはなっていなかった。

 そして、あの南北に流れる巨大河川はどこにもない。当然滑空場が併設された河川敷も。そして、どこまで飛んで行っても、()()()()というものが見当たらないのだ。中層ビルや低い家屋が寄り集まったあの街も、道路も車も、平野に敷かれた線路も、何一つない。


 ただ漠然とした平原が広がるばかり。右手には蛇行している川が見える。先ほどまでは、ちらほらと畑があった。そして、村なのか、人家の密集地帯も。

 

 現代日本において、こんな風景が存在するとは、彼には思えなかった。


 だとすれば――


 またしてもありえない結論に至って、幸樹は渋面を作った。少し歯を食い縛りながら、力なくかぶりを振る。そして、一つため息をついた。


 それは後で考えるべきことだ。今はこの見慣れぬ土地において、安全に着陸することに集中しなければ。幸い眼下には広がるはなだらかな平野。降りようと思えば、どこにでも降りられる。

 なるべく人のいそうなエリアの近くがいい。さっきの村はとっくの昔に通り過ぎてしまった。何もない地表を見つめながら、少しずつ焦りが芽生えていく。偏屈なところに降りてしまうと、その後が困るだろう。


 だがそこに――


(あれは――)


 高い壁に囲まれた街らしき姿が見えてきた。その中央は高台になっていて、大きな城がある。世界史の教科書で見たことのあるような、古風で豪華な造り。作り物めいていると評してもいいくらいに、彼の目には奇妙に映った。


 とにもかくにも。その不自然さは引っ掛かりを覚えるが、着陸するのには好都合なように思えた。やはり辺りに障害物もない。

 機体はそのまま街の上空を通過する。ちらりと見えた街並みは、中世を思わせる雰囲気だ。嫌な予感が、弘樹の胸の中に広がった。それはさっきから彼がずっと考えている結論でもあった。


 十分に街から距離を置いたところで、彼は操縦桿を右に傾けていった。すると、着陸ポイントの延長線上と直行する形になる。真横に城の姿が見えた。十分に壁との間隔を取ったところで、彼は再び機体を90°右に旋回させた。


 進入角は問題なし。後は速度に気を付けながら、彼はダイブブレーキのロックを解除した。両翼のダイブ――中央部分から出っ張りが飛び出した。すると、グライダーの空気抵抗が増して、その高度がぐっと下がってる。


 そして――


「――っ!」


 かすかな衝撃と共に、車輪が接地する。わずかに機体がよろめいた。操縦桿に余計な力がかからないように最善の注意を払う。ダイブブレーキを全開にしながら、速度が完全に落ちきるのを待つ。


 やがて、ASK21は静止した。がたりと、その左翼の端が地面に触れた。


「なんとか、なったか……」


 ふーっ、と大きく彼は息を吐いた。着地の時が一番緊張する。グライダーで最も事故の起きやすいポイントだから。それに、この見慣れぬ土地ということもある。草地への着陸はしたことはあるが、いつもは走っていけばやがてはアスファルトに達する。

 強い安堵感と、微かな疲労を感じながら、彼はハーネスのバックルを回した。するとその身体の拘束が外れる。ロックを外して、操縦桿を覆う透明なカバーをを開いた。


 操縦席から降りて、外界に身体を晒す。微風が彼を撫でた。過度に汗をかいていたせいで、少しだけ涼しさを感じる。午後の間延びした日の光が、彼とグライダーに注がれていた。

 幸樹はすぐに背負っていたパラシュートを下ろした。そしてそのままそれを、コクピットの中に戻す。あんなものを背負ってうろうろしたくはない。意外と重さがある。

 改めて、彼は大きく深呼吸をした。澄んだ空気が肺を侵す。空気は全身を駆け巡ると、口から一気に出て行った。


 改めて、周囲にぐるりと視線を巡らせる。右手に見える壁意外、建造物は何一つとしてない。だだっ広い草原が続いている。どこか、牧歌的ともいえる雰囲気に、彼はひたすらに薄ら寒さしか覚えていなかった。

 ここはどこだろう――不安感と共に、上着のポケットからスマホを取り出した。圏外、おまけに時計の表示も狂っている。GPSも機能していないようだった。こうなると、この科学技術の結晶はただのアクセサリーと化す。


 これはいよいよ……幸樹の心に黒い影が差す。一層気分が沈みこんだ。どうしようもない閉塞感がぐるぐると胸の中に渦巻く。呼吸が段々と浅くなっていき、心拍数が次第に上がっていく。


 右手に見える高い壁――城壁に、幸樹はぼんやりと視線をやった。行くしかない、か。初めから決めていたことだが、正直かなり気が引けた。

 とりあえず、ダイブを全開にして車輪ブレーキをかけた。微風だから、翼が煽られることはないだろう。パラシュートを重し代わりにする必要はないと判断して、キャノピーを閉めた。


 そして歩き出そうとしたところ――


「おいっ、貴様何者だ!」


 背後から、鋭い男の声が聞こえてきた。


 ゆっくりとその方向を見ると、物騒な装備に身を包んだ兵士が二人立っている。それぞれ、槍の穂先を幸樹に突き付けながら。ひたすらに彼のことを睨んでいた――

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