第十二話 一日目終了
「なるほどのう、話はわかった」
幸樹があらかた事情を説明し終えても、ドミニクは依然としてグライダーに視線を向けたままだった。話の最中からずっとそうだ。彼はすっかりこの空飛ぶ乗り物に興味津々だった。
実際に飛ぶ姿を見たわけではないのに。ドミニクはこの鳥のような形をした物体が空を飛ぶことを疑ってはいなかった。
幸樹はそんなドミニクの様子に、一安心していた。シエルは未だに複雑そうな表情をしていたが、彼にはこのドワーフにそんなに悪い印象を覚えてなかった。スムーズに自分たちに協力してくれそうだ、という手応えを感じていた。
本題に入ろうと、幸樹はドミニクに話しかけようとした。だがその前に、てくてくと小刻みな足取りで彼はグライダーに近づいていってしまった。
「しかし見事なフォルムじゃ。これはいったい何でできておるんじゃ? 見たところ、木材や鋼材ではなさそうじゃが」
ドミニクは右翼の前縁を撫でながら、ようやく幸樹の方を振り返った。緩やかな丸みを帯びているその前部分はかなり頑丈な造りをしている。ちょっとやそっとのことじゃ壊れない。
幸樹はそれを止めることなく、そのままドミニクの隣に立った。
「FRP――特殊なプラスチックです。……わかりますか、プラスチック?」
「いんや、全く」
「ええとまあ新しい素材だと思ってください。――これはそのFRPでできてますけど、木製のグライダーもあるんですよ」
「ほう、木でも作れるのか」
ドミニクは目を丸くしながら、にやりと笑った。
「……おじいさん、まさか作ろうなんて考えてるんじゃないでしょうね?」
「これだけのものを見せられて、職人魂に火が点かない方が無理があるじゃろうが! ――なあ坊主! ぜひともバラバラにしてよく見たいんじゃが!」
「ええっ! そ、それはちょっと……確かに翼とかは取り外せますけど、道具がないですし」
「ううん、残念じゃ……せめてこの娘が創造魔法に長けておればなぁ」
「えへへ」
「えへへ、じゃないわっ、まったく! お前のお師匠さんも居た堪れないじゃろうてからに」
はにかんだように笑う魔法使いを、ドワーフはきつく睨み上げた。どんどんシエルの威厳が下がっていくのだった。
「それで、さっきの話ですが」
「複数の馬にこいつを引かせる機構を作れ、ということじゃろ? それくらい簡単じゃ、任せておけ。いくつかもうアイディアが浮かんでおるわ」
ドミニクは胸を大きく張ると、ポンと叩いて見せた。シエルがよく同じ仕草をするが、それとは比べ物にならないほどに頼りになると幸樹は思った。
「へぇ、意外とあっさり引き受けるんですねぇ。いつもは、みんなにあれやこれやと難癖をつけるくせに」
「それはお前らがいつも持ち込んでくるのがくだらないものだからだろうに。全くみんなして、ワシのことを何だと思ってるのか……」
「どんなものでも作れる天才職人ドワーフ!」
「そんな見え透いたお世辞に喜ぶのは今時いないわいっ!」
ドミニクはしかめっ面をしながら、シエルの頭を叩いた。身長差がかなりあるにもかかわらず、見事に小気味いい音が周囲に反響した。彼はジャンプしたのだ。その跳躍力には目を見張るものがあった。幸樹はかなり驚いていた。
「で、いつまでにあればいいんだい?」
「飛ばすのは三日――いや、もう二日後か、なんですけど。試運転もしたいので、できれば明日の正午に……なんて」
どんどんと幸樹の言葉は弱くなっていく。ドミニクの表情が、見る見るうちに険しいものに変わっていったからだ。
話しながら、自分がとんでもないことを口にしている自覚は彼にもあった。度重なる移動のせいで、日差しはすっかり傾いている。ドミニクに与えられた作業時間はとても十分ではないだろう。
それでも、幸樹にはもうこれしかなかった。タイムリミットを意識した今、このドワーフにすがるしかない。時間がないのは、彼も一緒だった。
「――おい、小娘。報酬はどうなってる? これだけの突貫工事だ、わかってんだろうなぁ?」
「ひっ! ど、どうして、あたしが……これはコーキの依頼でしょ?」
「何言ってんだ、この坊主の保護者はお前さんだろう? 見たところ、大したものも持ってなさそうだしなぁ」
ちらりと幸樹を一瞥すると、ドミニクはふんと鼻を鳴らした。
「……くっ。おじさまと似たような理論を振りかざしちゃって。――わかりました! あたしにできることなら何でもしましょうとも!」
「そうこなくっちゃな。これだけ時間がないと、今回は小人どもにも手伝わせる必要がある……おい、シエル。今、お前もそうだろうとか、思ったな?」
「い、いえ、そんなことは!」
ピンと彼女は背筋を伸ばした。いつものどこかお気楽な雰囲気は、もうすっかりと消え失せていた。
幸樹にも、なんとなく彼女がこのドワーフを苦手とする理由がわかった気がした。相性が悪いのだ、この二人。
「金だ。たんまりと金を用意してもらおう」
「意外と俗物的……」
「小人ども、最近はすっかり遊ぶことを覚えちまってな……」
そのなんともいえないドワーフの表情からは、とてつもない苦悩が読み取れるのだった。
*
すっかり夜も更けて、昨日と同じようにシエルの部屋で共に食事を摂り、あとはまた牢屋に行くだけだと思っていた頃――
「シエルよ、お前、今日一日何をしていた?」
二人は――いや、この無茶苦茶な性格の軍師の巻き添えを食らう形で、幸樹は玉座の間に呼ばれていた。
どっかりと腰を落ち着ける隣には、非常に苦い表情をしている大臣――名前はジャンだったか。
「一日、この彼――コーキにと一緒にあのグライダーを飛ぶ方法を模索していただけですけど?」
シエルは平然とした表情で言い退けた。国王がその目を鋭く光らせているというのに、微塵も動揺したところはない。悪びれもせず、堂々としている。
王はゆっくりとその顔を大臣に向けた。そして顎をしゃくる。合図を受け取った大臣は、懐からおもむろに一枚の紙を取り出した。
「果物屋から、リンゴ一個……10ロー。道具屋から、ロープ代、計100ロー。ニコラ牧場から、馬使用料1000ロー。そして、ドミニクから10万ロー……これは技術代、とあるな」
紙面を読み上げる大臣の声が、静かなこの部屋に響く。ピクリと、シエルの眉が動いたのが幸樹の目に映った。
「お前はこの国を潰す気か?」
ぎろりと、国王の目がシエルを睨んだ。
「……アハハ、ソンナワケナイジャナイデスカー」
「――きっちりお前の給料から引いておくからな」
「待ってください! 後生ですから、それだけは勘弁を! 第一10万ローって……あたしのお給料じゃ全然足りないですよ!」
「知らん! いつもいつも、かってにツケ払いで好き勝手しおって。今度やったら、減俸だ!」
その言葉に、さすがのシエルもがくっと肩を落とした。力なく、ぼんやりと床に目を落としている。
「それと、お客人――コーキと言うそうだが、首尾はどうだ?」
今度は国王の顔が幸樹に向いた。
「首尾、と申しますと……」
「お前の夢物語を現実にする準備はできているか、と聞いておる。あともう一日半しかないからな」
今日一日で、かなり前進はした……と思いたい。動力の目途はついた。それがグライダーを完全に飛ばすだけのエネルギーがあるかは不明だが。
少なくとも、昨日の問答時点よりもかなり絶望感は薄まってはきていた。だから幸樹は、ゆっくりと力強く頷いた。
「順調です。グライダーが飛ぶところ、しかと王様の目にも届けましょう」
「ふん、良い面構えをしているな。だがしかし、どんな壮言を吐こうが、実らなければ意味がない。それはしかとその胸に刻んでおくんだな」
飛べなければ、死刑。それは今も、幸樹の胸に深く刻み込まれている。生きるためにも、自分は飛ばなければならない、あの大空を。
「話は終わりだ。シエル、くれぐれもあまり派手なことは控えるように」
のっそりと立ち上がると、国王は大臣と共に玉座の間の奥に消えていった。
幸樹はその姿をしっかりと見送っていた。胸に強い闘志を秘めながら。二人に空飛ぶ姿を見せて、絶対に生き抜くんだ、と。
今日一日の出来事は、彼に強い活力をもたらしていた。全ては明日。まずは試運転をしてみてから。不安はもちろんあるが、再び飛び上がれることを彼は少し心待ちにしていた。結局彼は、すっかりグライダーの虜なのだった。
依然として落ち込んだ様子のシエルに声をかけて、二人はゆっくりと部屋を出て行った。その後、迎えに来たセザールに連れられて、幸樹はあの地下牢へと戻っていくのだった――