第十話 見える光明、選ばれたのは……
シエルに連れてこられて、幸樹は町はずれにある牧場にやってきていた。張り巡らされた柵の内側では、兵士たちが乗馬訓練を行っている。
それを二人は場外から眺めていた。
「それで、どうしてここに?」
「コーキは馬車って知らないの?」
軍師は挑むような笑顔を浮かべた。
幸樹は少しだけ渋い顔をした。そしてゆっくりと頷く。もちろん馬車は知っている。乗ったことはおろか、この目で見たことはないけれど。
しかし、自分たちはグライダーをどう発航するかを考えていたはずだ。なのにどうして、馬車という地上を駆ける乗り物が出てくるのか。彼女の真意を測りかねていた。
「っと、そろそろいいかな」
柵の内側で大きな動きがあった。兵士たちが次々に馬から降りていく。そして、二つある建物のうち、小さな小屋の方に向かっていった。残された馬たちは、人間から解放されてのんびりしていた。
その中に、ぽつりと一人だけ人間が残っていた。兵士たちとは違う、農夫のような恰好をしている。麦わら帽子がよく似合う、日焼けした中年男だった。背は低くがっちりとした体型。
「おーい、ニコラ~!」
彼女がその人物に向かって大きく手を振った。
「ん、魔法使いの嬢ちゃんか」
すると彼はゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきた。
男の名前は、ニコラ・ファルギエール。この厩舎の管理人だ。かつては軍にいたが、早期に退職して馬の世話をする仕事に移った。馬術の腕前もなかなかのもので、兵士たちを指導する立場でもある。
――と、あいさつもそこそこに交わして、幸樹はニコラとしっかり握手をした。
「で、今日は何の用だ? また馬、乗りに来たか?」
「ううん、違う。今日はね、お馬さんを借りに来たの」
「馬を借りにぃ?」
中年男は口をぽかんと開けて、そのまま首を傾げた。幸樹もまたわけがわからず、反射的にシエルの顔を振り返った。
だが、このお転婆な少女は涼しげに笑うだけ。全くその余裕を崩さない。
「そ。力の強い子が良いなぁ」
「力の強い子って……荷馬車でも引かせるつもりか?」
「まあ、そんなところ」
「待て待て、シエル。ちょっとこっちに――」
幸樹にもようやく話の流れが読めた。話を遮って、彼女の腕を引っ張って、ニコラの側を離れる。
「まさか、グライダーを馬に引っ張らせるつもりじゃないだろうな!」
「そう、そのまさかよ! 馬車っていう実例があるし、いい考えでしょ」
「……バンジャマンさんが言ってたのはこのことだったのか」
幸樹にもようやくあの落ち着いた兵士の言葉の意味が理解できた。
「いやぁ、やっぱりバンは頼りになるわ。……あっ、もちろん、あたしも思いついてたよ? 言わなかっただけで」
「はいはい」
だがシエルはその反応が不服だったらしく、ぐっと前のめりになる。
「むーっ、何よその目! 信じてない――」
「わーった、わーった。シエルが凄い策略家だってのは、よくわかったから!」
幸樹は手で払う仕草をした。それでようやく、シエルは渋々といった様子で引き下がった。この女魔法使いは、意外とプライドが高い。彼はその情報を心に刻み込んだ。
「とにかく、俺は反対だ。無理だって」
「コーキは悲観的ね。何やるにしても、ムリムリムリムリって……やってみなきゃわかんないじゃないの!」
「さっきグライダー引いてみたよな。あれを馬が引いて、かなりの速度が出ると思うか?」
シエルはうっと詰まった顔をして、腕組みをした。
「そもそも馬車に馬が普通に走るのと同じスピードが出せるとでも?」
「……い、意外と賢いじゃない、コーキ」
悔しそうに、彼女は上目遣いで幸樹を見上げた。
そんな彼女の様子を見て、幸樹は少しだけ罪悪感を覚えていた。批判ばっかりしていては何も生まれないのは確かだ。
心のどこかではグライダーを飛ばすことができないと思ってた。ここは勝手知らない異世界。目の前の女性が協力してくれるといっても、そもそも彼女はグライダーが飛んでいく姿を知らない。その中でいったいどんな方法が見つかるかと。
だがそれでも、彼女は何とか考えてくれている。本当はそれは自分がやらなければいけないことだ。幸樹は今までの自分の態度をかなり恥じた。
「どしたの、そんな難しい顔して」
「言い過ぎたなって……」
「あたしのこと、気遣ってくれてるんだ。やっさしー」
口調からも笑顔からも、揶揄う気持ちがダダ漏れだった。
「お前なぁ……!」
「ふふっ、ごめんごめん。――しかしそれは全く無用のものよ。確かに難しいでしょう、お馬さんの力を借りても。しかし、あたしに秘策がある!」
そう言うと、自信満々な足取りで彼女はニコルのもとに戻っていた。
幸樹は少しだけ呆気に取られていた。しかしすぐに、やれやれと思いながらもついていく。もう彼女に反論する気持ちは少しもなかった。
「話は終わったのか?」
「うん。円満解決した」
「そこのにーちゃんは微妙な顔、してるぜ?」
「いいから、いいから。――とにかく、ニコラ。お馬さんを貸してってば! 一番強い子ね」
「……結局何に使うんだよ?」
「さっきニコラが言ってたじゃない。荷馬車よ、荷馬車。荷馬車を引かせるの!」
「荷馬車、ねぇ……」
渋い表情のまま顎を擦る牧場主。傍らで聞いている幸樹は、そろそろ荷馬車という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。
「で、王様の許可は?」
「あるわ、もちろん」
「嘘だな」
そのやり取りを見て、幸樹は途端に頭が痛くなってきた。
「ホントよ、ホント! 全権を委任されてる秘密の仕事なの、これは!」
「まぁたお前は、ろくでもない言い訳ばっかり。ま、先代には世話になったからな、いいぜ、貸してやる」
「ホント!?」
「ああ。ただし、一番強い奴は無理だ。何かあったりしたらたまったもんじゃないからな」
そう言うと、ニコラは奥の大きな建物の方にきびきびと歩いていった。その姿を見て、シエルは幸樹に目配せをして一つウインクをする。
果たして何が起こるのやら。幸樹はこれから先のことを考えて、少しだけくたびれた気持ちになるのだった。
*
アドリーヌの店で追加でロープを買い込んで、二人は三度グライダーのもとへ。あと何度行き来することになるだろう、幸樹は事態が進んでいないことに少しだけ危機感を覚えた。
「これでよし、と」
「ごめんね、バン。また手伝ってもらって」
「これくらいお安い御用さ」
軽く手を振りながらバンジャマンはそそくさと馬の側を離れた。
かなり不格好な形に、栗毛の馬と白いグライダーが繋がれている。荷台につなぐように、何本かのロープが馬の身体に結びつけられた。
気性が穏やかなのか、その馬は謎の物体を取り付けられているにもかかわらず大人しい。その静かに佇む姿を幸樹は翼端から見守っていた。遠目から見ていても、その姿は凛々しく見える。
「よし、それじゃやってみよ~! コーキ、準備いい?」
「問題ない」
幸樹は翼を持っていない方の手を挙げて応じた。
「それじゃ頼むわね、ブロウ」
ぽんぽんとシエルは馬の頭を叩いた。
少しずつ馬が歩き出す。それにつれて、弛んでいたロープに次第にテンションがかかっていく。やがてピンと張ると、馬は一度歩みを止めた。
「がんばれ、ブロウ! 負けるな、ブロウ!」
馬――ブロウの近くでシエルが大声を出した。その謎の応援に効果があったのか、一つ馬はいきむと再び歩き出そうとする。
幸樹は右手越しに機体に強い力がかかるのを感じた。そして、ゆっくりとだがグライダーが進んでいく。
だが――
「さっきよりも速いけど、それでも歩くのと変わらないくらいだぞ?」
「そうみたいだね。……でも、これならどうかな?」
シエルは不敵に笑った。そしてくるりと身を翻す。ローブの裾が軽くはためいた。
彼女はブロウの背中に手を置いた。幸樹の目には何をしているのかは、いまいちよくわからなかった。
しかし、間髪入れずにその手元が大きく光り輝いたのははっきりとわかった。
ヒヒーン! ブロウの鳴き声が辺りに大きく響き渡る。それはかなり力強い雄叫びだった。
そしてブロウは再び動き出す。始動からして、さっきよりも力強い。すぐにロープがぴんと張り、グライダーが大きく進んでいく。
ブロウはいつの間にか駆けていた。そのため、グライダーの進行速度はさっきよりも速い。幸樹も小走りをしないと追いつけないくらいに。
「待って、待ってくれ!」
翼端に必死にしがみ付きながら、彼はシエルに呼びかけた。少し間があって、段々とブロウは速度を落としていった。
やがて静止する。ロープをグライダーから外して、幸樹はシエルのもとに走り寄った。
「何をしたんだ?」
「魔法よ、魔法。あたしの職業、忘れてない?」
おどけるように彼女は肩を竦めてみせた。
「魔法って……いったいどんな?」
「身体能力強化、よ! 今あの子の脚力は普段とは段違いになっている!」
シエルは偉そうに胸を張った。
理屈はよくわからないものの、確かに幸樹も馬の力が上昇しているのは感じた。これならいけるかもしれない。彼は誇らしげな魔法使いに、次に行う作業を指示した。
先程とは打って変わり、幸樹は操縦席の内部にいた。普段の発行前と同じ態勢。パラシュートを背負い、しっかりとベルトを締めて、右手で操縦桿を握っている。
左の様子を窺うと、バンジャマンが翼端を持っている。彼にはある程度まで機体についていくよう指示してあった。
幸樹はバンジャマンに向かってグーサインを出した。バンジャマンは強く頷くと、左手を大きく上に振り上げた。
――それが合図だった。
前方で、ブロウが走り出す。すぐに機体に力がかかるのを感じた。ロープはしっかりと張りつめている。継ぎ足しをして、今や300クーくらいの長さにしてある。
ぐんぐんと加速していく。幸樹は機体の傾き具合と操縦桿の二つだけに、しっかりと意識を集中させた。
やがて――
機体がふわりと浮かび上がるのがわかった。ウインチの時とは比べ物にならないほど緩やか。あれは一気に急上昇する。
幸樹は何とか機体の水平を保つ。万が一翼のバランスが崩れれて地面に激突でもしたら、壊れる可能性が高い。そうなれば、一巻の終わりだ。
だが、やがて機体は接地した。明らかに勢いがなくなっている。幸樹は慌ててレリーズを引っ張り、ダイブブレーキを全開にした。
ロープだけがどんどん前に進んでいった。機体はやがて、速度を落とし静止する。ゆっくりと翼端が落ちていった。
浮かんだ――その事実に、幸樹は高揚していた。馬なんかでできるわけがない。それは決めつけだった。この世界には魔法がある。彼はそこに光明を見出していた。
キャノピーを開けて、外に出る。大きく深呼吸して、ようやく気分が落ち着いてきた。彼はいつもよりもゆっくりと機体の外に出た。
「ほ、ホントに浮かんだ!」
嬉しそうに、シエルが駆け寄ってくる。その顔はとても興奮している。彼女もまた、目の前で起こったことを信じられないようだった。
「まあな。でも全然足りないよ」
逆に幸樹は冷静に言葉を返した。あのとき感じた高揚感はすっかり冷めていた。今はこれからの課題に目が向いている。あれでは飛行とはいえない。
「途中一気に力が落ちてきたんだが、ブロウに何かあったのか?」
「えーと、疲れちゃったみたいね。連続で使ったから、魔法の効き目が薄かったのかも」
「そうか。やっぱり、もう少し馬の数を増やさないとダメだな」
「そうだね。……でもさ、どうやって繋ぐ? 変な風に力がかかっちゃわないかな?」
シエルがそんな心配をするのは、幸樹が初めに機体を繋いだ時に同じことを危惧したからだった。
幸樹はぐっと考え込んだ。どうやって複数の馬を繋いだらいいか。ふと、滑空場で聞いたある言葉を思いついた。
昔は自動車曳航ってのもあったんだって――
「馬車だ!」
幸樹は思わず叫んでいた。答えは最初から出ていたじゃないか。だがそれは、シエルの提案でこんな実験を行わなければ決して浮かばなかったことだろう。