テンプレと適切な説明の量についての「すげーどうでもいい」こと ~テンプレを馬鹿にするヤツってさ・・・~【すげどう杯企画】
本作は「すげどう杯企画」参加作品です。
本作の内容は、フィクションであり、実在の人物または団体とは関係ありません。
また、これは誰かの作品の代筆などではなく、企画物のオリジナル作品(樋口諭吉作)であることを誤解なきよう、明記しておきます。
みんなに、報告したいことがある。
最近、僕の家の近所の道路では、新しく自転車用のレーンを作るための工事をしている。
僕の要望が、ちょっとばかり通るようになってきた証拠だな。僕の目標からすれば小さな一歩だが、目標の進展を目の当たりにして飲むウイスキーはうまいぜ。ちなみに、今僕が飲んでるウイスキーはバランタインのファイネストだ。飲み方はもちろんロック、と言いたいところだが、トワイスアップもなかなかいける。こうするとファイネストの華やかな香りがぐっと引き立つんだ。コイツをいい気分で飲みながら、僕は一つ宣言しよう。もっと自転車を広めて、現在ほぼ自動車専用の道路をいずれ自転車と折半させてやる。
自己紹介がまだだったな。僕は、マグネッ○とカ○ヨムで、チャリンコマンズ・チャンピオンシップという自転車普及のための小説を書いている古城ろっくというものだ。今回は、訳あって、なろうの友人に頼んで代筆してもらっている。彼は、『いたもん』という作品を書いている。下にリンクを貼っておくので、気になったら見てやってくれ。
さて、そろそろ本題に入ろうか。今回のテーマは、「テンプレと適切な説明の量」についてだったな。テンプレがヒット作を生む理由ってなんだ? みんなはテンプレって、そもそもなんだと思う? 流行、王道、定石、型、おおよそこんなところかな。なろう作家はテンプレを模倣し、作家は流行や王道でヒット作を作り、棋士は定石を学び、武道家は型に添って素振りを行う。
これって、そこに守るべき礎があるからテンプレたり得てるんじゃないか? 多くの人が価値が高いと思う作品こそが、人気作品・ヒット作品であるならば……。つまりは、テンプレってさ。人気作品の十分条件なんじゃないか? 全くラノベを書いたことのない人間が、「私はテンプレは書きません」とイキリ高ぶって表明しつつ初投稿の自分の作品に人気がないと嘆く。これって、本末転倒なんじゃないか? 最近、僕はそんな事を考えている。
矛盾するようだが、テンプレ作品がつまらない理由についても考えてみよう。多くのヒット作はテンプレ作品であり、また、もっと多くのテンプレ作品はつまらない。なぜだ? テンプレを使ってるってところは同じじゃないか。
で、あるならばだ。テンプレ作品がつまらないのは、テンプレそのものが悪いんじゃなく、テンプレ以外の部分がクソだからつまらないんじゃないか? 例えば、「主人公を持ち上げるために同じ反応をする、語尾と胸のサイズだけが違うハーレムヒロイン」、「借り物の力でちやほやされて真面目に生きている現地人を愚弄するイキリなろう主太郎」、「ダラダラ間延びしたクソのような日常回」、これらは、テンプレ作品にありがちだが決してテンプレの要素じゃない。テンプレ以外が拙いクソ作品を掴まされた挙げ句、テンプレを忌避する風潮が生まれるのだとしたら、これって残念なことなんじゃないか?
そもそも、テンプレ作品と非テンプレの作品の間にある違いって、なんだ? それは、必要とされる説明量の差なんじゃないか? 非テンプレ作品は一見して情報量があるからテンプレ作品と比べて上等に見える。でも、実際非テンプレ作品を読んでみると説明がスッカスカなクソ作品だったりするわけだ。説明を怠っている作品はつまらないって話は、以前、酒飲みの別の友人に代筆してもらったな。
これはただの例で含むところは特にないとあらかじめいっておくが、SFジャンルで銀河電車とかの独自設定をなんの説明もなしにさらっと出すな。軌道エレベーターならまだわかるが、銀河電車なんていう独自設定には必ず説明が必要だ。宇宙に線路が敷設されているのか? 電気はどうやって確保されているんだ? 修理はどうやって行うんだ? 等々。こういうすべき説明の放置プレイが続くと、そこが気になって作品に入り込めなくなる。没入感が削がれ、先を読もうという気力がなくなる。
なんでこういう説明をせずに放置できるんだ? 作品を裸で放置せず、見合った綺麗なオーダーメイドの服を着せてやってくれ。もっと自分で書いた作品を愛してやってくれ。反対に、すでにテンプレ作品は既成品の服を着てるから、説明をだいぶ省くことができるわけだが、どこまでが既成品の服(マジョリティとの共通認識)になるのかを作者が判断できてないのが問題だ。例えば神が人の世に降りてきて冒険するような話。こんなのは紀元前から世界中にあるテンプレだ。そう、それは、神話と呼ばれているよな。神話に対し、「神様がどうやって人の世界に降りてくるんだー!」みたいなツッコミは、よほど教養のないアホからしかなされないだろう。
しかし一方で、「ステータス」だの「スキル」だのはゲームに慣れ親しんだ人間にしか受け入れられない可能性は高い。僕はステータスオープンと叫ぶことで、細かい数字が俺TUEEと言わんばかりに羅列されるのを見るのは大好きだけどな。作品には、それに見合った最適な説明量がある。非テンプレの場合は特に、説明部分こそがクソ作品か名作かを分ける部分になるのだろう。
説明するべき情報量についてだが、非テンプレ作品の場合、僕は説明は行わないよりは行なったほうがいいと思っている。僕が書いているチャリチャンは、自転車一台一台について、その特徴、特性、活かし方なんかがレースを通じて紹介できるようにと、非常に細かい説明を用意してある。
最初は説明はいらないか? と、部品に関する専門用語なんかを唐突に出していたんだが、今のままだと敷居が高い、序盤に説明回をくれと、某正体不明の友人(いったい何者なんだ?)から忠告をもらってね。やっぱり説明は必要かと思い直した。僕は自作品を彩る服は用意するべきだと思うぜ。初心者にすんなり自転車に興味を持ってもらえるように、よりライトなチャリチャンLこと、『スポーツ自転車はじめました!』も書いた。むしろ、説明回ばっかりのこっちのほうが好きだって友人もいるな。
ともあれ、激しい駆け引きが出てきたときに、詳しい人からツッコミを受けても大丈夫なように、やっぱり説明はこと細かく行わないといけないと思う。シフトアップのタイミング一つで、また、ディレイラーの挙動一つで、決着が変わることだってあるだろう? 説明もなしにどうやって読者を説得するんだ?
じゃあ結論にいこう。テンプレは有用。説明は事細かに行うべし。最後に、恒例のいつものやつをやっておこうか。そ・ん・な・こ・とより、チャリチャンを読んでくれ! 一人でも多くの人が、自転車に乗る日を僕は楽しみに待っている。
『本作は「すげどう杯企画」参加作品です。
企画の概要については下記URLをご覧ください。
(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1299352/blogkey/2255003/(あっちいけ活動報告))』