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神様だより

 ハイ、あなたが和泉(いずみ)小春(こはる)ね?


 お礼参りと、長い長いお手紙をありがとう。あなたの絵馬(えま)には、本当に驚いたわ。

 あの台形の木の板に、どうしてこんなにぎっしり文章を詰め込めるのかしら。あまりにも目立ったものだから、あなたの願いは私達にしっかりと届きました。


 神様みんなで回覧して、上半期の最も優れた絵馬(えま)――最優秀絵馬に輝きました。


 賞品として、あなたにこの『神様だより』を送ります。


 次々と内容が書き換わるおみくじだと思って下さい。

 大吉なら、即やるべきこと。

 大凶なら、絶対にやってはいけないこと。

 しばらくの間、あなたを導いて差し上げます。


 でもね、一つだけ言わせて。

 次に『絵馬』を書くときは、一言でいいからね。表にも裏にも、薄い板の真横にも書いてあって、私ども戦慄いたしました。耳なし法一って知ってる?



 よき初恋でありますように。


 あなたの町の稲荷様より



     ◆



「なにこれ」


 和泉(いずみ)小春(こはる)は残念な朝を迎えた。

 天気は快晴。梅雨入り前の五月晴れだ。汗だらけになる体育が延期になる見込みはない。

 朝ご飯には苦手なブロッコリーが出た。顔をしかめて一飲みすると、妹が鼻で笑った。あれは姉に向ける目ではない。進化に失敗した草食獣をあざ笑う目つきだった。日に日に生意気になる中学生の妹が、高校一年の小春を日々苦しめていた。

 極めつけが、この手紙である。


「……ん~?」


 ふざけたような、明るいような、不思議な内容だった。

 封筒からして変わっている。神社でお札を配るような、真っ白い封筒なのだった。表面の真ん中に、『和泉小春様』とだけ書いてある。

 今日はたまたま、小春が郵便受けをチェックした。母か父が見れば、怪しんで開けもしなかったかもしれない。


「神様、だより?」


 内容にも覚えがある。

 小春達は、受験のお礼参りに神社を訪れていた。その時に、確かに絵馬を書いた。若干暴走して、願い事を書きすぎた気がするが。


(差出人は、稲荷様……?)


 稲荷様とは、確か、神社にまつられる狐の神様だ。

 封筒を逆さに振ると、折りたたまれた紙がこぼれた。

 開くと、白地に文字が浮かび上がっていく。


 ――小吉。


(小吉?)


 まるでおみくじだ。続きを読む。


 ――いつもより五分遅く、家を出るべし。


 小春は首を傾げた。


(どんな仕組み? 神社の宣伝?)


 家に戻ると、食卓はすでに片付けられていた。制服に着替えて、鏡で化粧をチェックする。

 ショートボブの黒髪に、ぱっちりした目元。小さめの鼻に、明るい色のメガネが乗っている。小学生の頃に祖父母に買ってもらったものだ。


「姉貴、鏡」


 後から、妹の小夏(こなつ)が呼んだ。


「ん」

「……あんた化粧すんの?」

「いいでしょ、別に」


 勝手に小春の化粧水などを使うのを、いつか注意しようと思っている。なにせ、分量が乱暴で、無駄にじゃばじゃばと使うのだ。


(そもそも……こいつの学校って、確か化粧禁止よね)


 卒業して半年ほど経つが、小春はいまだに校則を覚えていた。


「ねぇ」


 行使するか。姉の威厳を。


「なによ」

「使いすぎ。もったいないでしょ?」


 鳥獣戯画のポーズで、姉妹が向かい合う。ちり、と殺気が舞った矢先、母親の声がした。

 小春は、慌てた。妹とのやりとりに時間をかけすぎた。すぐ出ればよかったのに、いつの間にか十分も経っていた。


「やばっ」

「今、駅で車両故障だって」


 母親がテレビを親指で示す。

 確かに、朝のニュースは車両故障を流している。


「お母さん、隣駅までお父さんを車で乗っけてくから。あんた達も、今日は学校まで乗ってきなさい」


 普段通りの時刻に出ていれば、とんだ無駄足を踏むか、駅の混雑に巻き込まれているところだ。


(いつもより五分遅く出た、せい……?)


 小春は慌てて、ポケットに入れた手紙を広げる。


「……うそ。これに書いてあるとおりってこと?」


 まるで認めるように、文字がくしゃりと歪む。そして消えた。体が震えた。

 不気味さに、喉が鳴る。紙は、普通のものだ。なのにその表面を、黒文字が生き物のように動くのだ。


(なに、これ)


 ちょっと怖い。

 でも今日だけは、確かにどんな味方でも欲しい。小春は意を決して、紙を制服のポケットに突っ込んだ。


「どうしたの? 乗っていくでしょう?」

「うん!」

「傘持ってね」


 小春は車へ飛び乗った。うだるような暑さも、通学の混雑も、エアコンの効いた車内なら気にならない。

 小春はスマホを取り出し、SNSのトーク履歴を眺める。入学した後に、クラスの仲の良いグループで遊園地へ行った。その時に作った、連絡用のチャットがある。言いだっしっぺが如才ないタイプで、誰かが呟けば、誰かが返すという具合に、緩やかなやりとりが続いていた。

 読んだ印に、次々とハートマークを入れたり、既読を付けたりする。


「……あの、大輔(だいすけ)って人?」


 妹に言われて、小春は慌てた。

 母親もそれとなく聞いている気がする。


「だ、黙ってなさい」


 メガネを直すふりで、窓の外へ視線を逃がす。妹は笑みを深めただけだった。姉がメガネをいじるのは、逃げのサインだと見抜いているのだ。

 家族を乗せた車は、駅に向かう。父を送り出し、二人は学校へ。


 小春は今日、告白をするつもりであった。



     ◆



 ――末吉。黒板を消しながら待つべし。


 いつもより早く学校に着いた。電車が遅れているせいもあって、空席が目立つ。

 今日は日直だ。授業の開始と終わりに挨拶することと、黒板の整理をする。


(来るかな……)


 前日の日直がイマイチなせいで、黒板は消し跡で汚れたままだった。黒板消しで、几帳面に跡を拭っていく。


「精が出るね、委員長」

「何の委員長でもないけどね」


 友達とそんなやりとりをしていると、廊下が騒がしくなった。朝練を切り上げた生徒が帰ってくるのだ。

 緊張。

 教室へ入ってきたのは、いくらかの男女グループだ。校則で染髪は禁止。にも関わらず、よーく見ると、女生徒の中には髪色がアヤシイのがけっこういる。

 その中に混ざる男子が、小春の意中の人だった。


「ダイスケ、お前また朝練付き合ったのか」


 誰かがちゃかして、どっと笑いが起きた。

 付き合う。

 敏感な単語に、小春はさらに緊張する。黒板の隅には日付を書く。力みすぎて、途中でチョークが折れた。


「あっ」


 背後から声がした。


「ごめん、和泉さん。俺も日直なのに……」


 日直欄の、小春の横に、彼は石井大輔と記入する。

 頭一つ分、大きな人だ。目鼻がはっきりとした、爽やかなイケメンである。そのくせ、困った顔にも愛嬌があるのはズルい。

 お人好しに見えて、実際にお人好しだ。サッカー部にいることが多いので誰もがサッカー部だと思う。でも本当は将棋部で、体が大きいので大体キーパーになる。


「いいよ。石井君、朝忙しいでしょ?」


 石井を名字で呼ぶ人は少ない。石井という名字が他にもいるので、自然とみんな下の名前で呼ぶのだ。

 小春も心の中では、ずっと大輔と呼んでいる。


「えっと、他なんかある? 代わりにやるよ」


 日焼けした大きな手が、黒板消しを取り上げた。手が触れそうになって、小春はどきりとする。

 告白を決めたせいだろうか。ちょっとしたことでも、動揺する。

 事情を知る友人の、ニヤニヤ笑いが背中に刺さった。


(変かな)


 小春はなんとか平常心を練り上げた。


「また、朝練に出たの?」


 まずは小手調べのようなもの。会話は順調に滑り出した。


「うん。まだ入学して半年だけど……やっぱり、サッカー部の方へ入るかも」


 へぇ、と小春は意外に思った。


「運動嫌いって、言ってなかったっけ? 大丈夫なの?」

「うん。でも、ちょっとね」


 他愛ない会話が続く。

 小春は、時たま自分の単純さが心配になる。

 今も大輔と話しているだけで、ぽかぽかと暖かい気持ちになった。思えば末吉とは、この幸せな気持ちかもしれない。


「あ」


 つまりは、そのせいだった。時間を確認して、はっとする。


「どうしたの?」

「ごめん。職員室、行かないと」


 小春達の高校には、未だに『学級日誌』なるものがある。八時三十分までに、これを職員室へ取りに行かなければいけないのだ。


「すぐ行こ!」


 二人は連れだって教室を後にした。


(神様だよりを、読んでたからだ)


 それですっかり、黒板と大輔のことばかり考えてしまったのだ。あれだけ早く来ていたのだから、職員室に一度でも寄ればよかった。


(ああ、もう……)


 我ながら、手際が悪い。

 小春は神様だよりを広げる。


 ――凶。廊下で……


 目が飛び出そうになった。


「きょ、(きょう)ぅっ? ここでっ?」

「今日?」


 出した声に、大輔が反応していた。


「な、なに? 今日なんかあるの?」

「う……あ、いや」


 小春は咳払いした。

 神様だよりが、かえって心を乱している。これでは逆効果だ。どこかで狐が笑っていまいか。


(凶? ってことは)


 凶の場合は、確か、『してはいけないこと』が出るはずだった。


(こ、こんな日に……?)


 周囲を警戒してしまう。

 ジュースを持って歩いている子、階段を駆け下りてくる子。学校の廊下は、何が起こるか分からない。

 いつもの廊下が、今は危険地帯だ。みんなが小春目がけて突っ込んでくる気がする。


「早く行こ」

「急ぐと危ないよ」

「は、はは。い、一限古典でしょ? 小テスト、ちょっと予習してなくて。早く済ませて、私達も戻ろうね?」


 そう言った矢先、廊下にボールが転がってきた。


(ぼ、ボールぅ?)


 よけようとして、足がテニスボールを踏んづけた。


(あ。転ぶ)


 思ったときには、ポケットから紙が飛び出て、見事に宙を舞っていた。


 ――凶。廊下を走らぬこと!


 小春を叱りつけるように、言葉の最後に『!』がついた。

 黒文字はぐにゃりと歪み、白紙へと戻っていく。


「大丈夫? 廊下でボールなんて」

「うん……」


 玄関の脇にボールを置いておく倉庫がある。そこからこぼれてきたらしい。倉庫の中で、カゴが横倒しになっていた。


「大丈夫ですか?」


 近づいてくるのは、知っている女の子だ。サッカー部にいる子で、彼女も一緒に遊園地へ行った。


「ごめんなさい!」

「だ、大丈夫だよ、大丈夫」


 小春は立ち上がる。

 相手の女の子は、ひどく申し訳なさそうに、顔を伏せていた。恥ずかしさからか、顔が真っ赤だ。


「……和泉さん。俺、片付けるの、手伝っていくよ」


 大輔はそう言った。

 小春は時計を確認する。授業開始まで、あまり余裕はない。


「……うん、そうしよっか」


 小春も、地面に散らばったボールを拾う。

 ボールをこぼしたサッカー部の子は、大輔の助けにさらに顔を真っ赤にしている。

 きゅっと胸を締め付けられる気がした。

 内心では、小春はちょっと厄介なことになったと思っていた。小さな仕事とはいえ、職員室には始業前に行かなければいけない。小春は、ときどき自分でも嫌になるほど、決まりや仕事にうるさい。

 でも、大輔はきっと手伝うだろうと、思っていた。

 優しいやつだから。


「ん、遅かったな」


 結局、職員室へはギリギリになった。事情を説明すると、先生はからからと笑った。

 小春が妙に赤い顔をしていたからかもしれない。みんなに気持ちを見透かされてる気がして、小春は俯いた。

 不本意ながら、その仕草はサッカー部の女の子にもそっくりだった。



     ◆



 古典のテストは生き延びた。神様だよりは、授業の間も次々に指示を出した。次に当てられるのは誰か。何ページ先まで予習しておけばいいか。


(調子はいいし、役に立つ、けど)


 小春は神様だよりを凝視する。二つ前の席で、大輔は熱心にノートを取っている。


(いつ、ゴーサインが出るんだろう?)


 小春はシャーペンの先で、神様だよりをつつく。

 吉、吉、中吉、凶、中吉――神様だよりは、おみくじのように運を示しながらも、なかなか小春に告白を勧めなかった。

 だんだんと、我慢も辛くなってくる。

 ふとした瞬間、大輔のことを考えて、赤くなる。周りに気持ちを悟られそうで、さらに赤くなる。赤面の永久機関が完成していた。

 気持ちをこんなにもてあましたのは、初めてだった。


「日直」


 言われて、はっとした。


「起立、気をつけ、礼」


 その挨拶が、午前中の最後の仕事だった。小春は神様だよりを確認する。


 ――中吉。石井大輔達と昼食をとるべし。


 小春は、文字を凝視した。何度見ても、それは彼と昼ご飯を食べろという指示だ。


(……声、かけろってことだよね?)


 小春は席からなかなか立てなかった。あれほど覚悟を決めていたはずなのに、一緒にお昼を食べようの一言さえ言えないとは。

 眼鏡のレンズ越しに、大輔達が遠ざかっていく。


(言わなきゃ)


 思い詰めた時、心配はあっさりと片づいた。


「あれ、和泉さん」


 小春に、一人の生徒が声をかけた。短い黒髪の彼は、今朝大輔達の周りにいた一人だ。

 彼は、弁当を出している小春に、首を傾げる。彼も、一緒に遊園地へ行った一人だった。

 いつものように、へらりと笑った。


「……来る?」

「う、うん」


 彼は、相原という。高校に進学する前の、中学時代から小春の友達だ。幼馴染というほどではないが、付き合いは長い方に入る。

 つかみ所がない性格で、男子とも女子とも絡むタイプだ。

 彼は、小春が大輔に告白しようとしていることを、知っている。耳が早いし、その割に口も固い。遊園地へ遊びに行くプランも、彼が言い出しっぺの一人だ。


「……それにしても、君が石井にねぇ」


 食堂まで歩きながら、彼は言った。小春はメガネのブリッジに手を当てて、口元を隠した。


「い、いつも、食堂で食べてるんだね」


 見え透いた話題そらしにも、彼は付き合ってくれる。実にやり手だ。


「ま、ね。色々ハナシが聞けて面白いし」


 相原は、そっと小春へ囁いた。


「でも……早くしたほうがいいと思うな。あれでけっこう、人気あるからね」


 同じグループで食事をしても、小春はなかなか会話が頭に入ってこなかった。どうやら想いは、たわめればたわめるほど、暴れだそうとするらしい。

 大輔がサッカー部へ入ることは、食事でも話題になった。

 小春は笑顔で話を合わせる。けれど、何かが引っかかった。


(なんで急に、サッカー部へ入ることにしたのかな?)


 天気予報のとおり、晴れていた空に雲が増え始めた。



     ◆



 放課後が訪れた。今日と思い定めた告白も、じわじわと時間が過ぎる内に、撤退戦の様相を呈し始めた。

 いつの間にか、外には小雨が降っている。体育の時から妙に涼しいと感じていたが、いよいよ降り始めたようだ。


(明日にする?)


 そんな甘い囁きも、起こる。

 しかしそうやって、伸ばし伸ばしにした結果、ついには妹にまで恋を疑われる始末だ。


(なにか、ヒントがありますように!)


 小春はおそるおそる、神様だよりを開く。


 ――大凶。


「へ」


 心臓が止まるかと思った。


 ――石井大輔に告白をするべからず。


「はあっ?」


 小春は声に出した。だが、神様だよりの内容は覆らない。


(ここまで来て――告白しちゃ、だめってこと?)


 小春は、少しずつ今日のことを考える。

 なかなか出さなかったゴーサイン。友達の言葉。

 でも同じくらい心に引っかかるのは、今日一日で感じた、大輔の変化だった。


(もしかして――)


 最後の鐘が鳴る。下校時刻だった。日直が終わる。今日が終わる。

 ボールをこぼした女の子の、とても恥ずかしそうな笑顔が、眩しいくらい鮮明に思い起こされた。


「ね、ちょっといいかな。さっき、聞いたんだけど……」


 相原が教室へ入ってきた。思い詰めた顔だ。


「……私、言ってくる」


 驚く相原の顔も、もう目に入らなくなっていた。


「和泉さん?」


 きゅっと、手の中で神様だよりを握りしめた。

 神様に頼っていては、いつまでも言い出せない。メガネのブリッジに触れて、気持ちを整える。

 神様頼りは、やめにしよう。自分の初恋は、自分でけりをつけたい。仮に辛い結果に、なったとしても。

 一息で教室を出て、小春は大輔を呼びに行く。


「大輔君、あの――」


 小春は、言う。

 呼び出した場所は、屋根のある体育館の裏だった。雨が降ったらここ、晴れていたらここ、人がいたらここ――そんな風に、何通りも告白の方法を思い描いていた。


「あのとき、忘れ物の傘、ありがとう」


 遊園地に行った日、小春は傘を置き忘れた。鞄に入れた小さな、赤い折りたたみ傘だ。祖父母に買ってもらった。

 大輔はそれを、小春と探してくれた。

 恋のきっかけとしては、他愛ないものだろうか。でも彼は本当に親身に探してくれて、結局座ったベンチの下で見つけた。猫が枕にしていて、二人して笑った。


「和泉さん……」


 大輔は、戸惑ったように聞いていた。

 思い描いていたとおりの情景だ。なのに、胸の痛みだけは、想像と違う。

 『俺も同じことを思っていた』――そんな言葉が聞きたいのに、心は事実を察している。それでも、小春は思いを伝えることしかできなかった。


「私、ほら、言い方きついところがあるから。だから、あんまり優しくされるなんて……思ってなくてさ」


 嬉しかった。

 言葉が同じところをぐるぐると回る。

 次の言葉はもう簡単だった。


「好きなの、大輔君」


 小春は目を見て、気持ちを伝えた。大輔は、ひどく驚いた顔をしていた。

 彼の頬が赤くなる。あえぐように、口が動いた。

 しかし――



     ◆



 大輔は告白を受け取った。しかしそれは、一昨日の土曜日だった。

 小春とは違う、別のクラスの女の子からだ。小春が情報収集したり、日直を待ったりしている間に、告白をした子がいたのだ。同じく遊園地へ行った子で。

 その相手とは、今日ボールをこぼしていた、あのサッカー部の女の子だった。


「ごめん」


 相原が、なぜか謝った。いつもにやにやしているので、こんなに真剣に謝る姿は、初めて見た。


「これは知らなかった……!」

「いいよ。土曜日で、本人が黙ってたら、絶対分からないよ」


 小春は帰り道、空を見上げる。さっき降りそうだった雨は、あっという間に止んでいた。


「狐の嫁入りだね」


 相原が、ぽつりと言う。


「え?」

「通り雨のこと」

「へぇ……」


 生返事を返してしまう。

 恋破れた乙女の前で嫁に行くとは、ひどい神様もいたものである。


「振られちゃったな」


 正直なところ、頭がぼうっとして、まだ実感がわかない。

 一人になった時、どうっと感情がやってくるのかもしれない。ツケを払うように、きっとその時にわんわんと泣くのだろう。


(言わない方が、よかったのかな……)


 いまさら、そんなことも考える。でもそれが小春が決めたことだ。

 恋の終わりを、自分で選んだのだ。

 あの、大輔の戸惑った顔。おそらく本当に、恋愛の対象ではなかったのだろう。

 神様だよりを開く。

 もう何も、書かれていない。何度か文字が現れかけたが、結局どれもうやむやのままに消えた。


(……言葉もないってことかな)


 思えば、苦笑するほど不器用なやり方だった。

 小春も、この神様も。

 神様だよりは、何度も大輔と話させたり、サッカー部の子と絡ませることで、事実をそれとなく小春に伝えようとしていたのだろう。案外、成就の見込みのない恋に、神様も困っていたのかもしれない。

 小春も、ちょっとは察するべきだった。ボールをこぼした女の子。あれは、恋をしている顔だった。


「ま、許してあげますよ、神様」


 浮かんできた涙を拭った。

 悲しいけど、そういう気分でこそ、笑っていたい。次に会った時、大輔にも気を遣わせてしまう。隣を歩く彼にも。


「相原、ありがとうね」


 相原はその時、いつもと違う笑顔を見せた。ちょっと目を細めた、眩しいような顔。

 どうしてそんな顔するのだろう。


 ――吉。辛いけれど、これからにも期待。


 しまう直前の神様だよりが、そんな文字を描いていた。


(吉?)


 小春は首を傾げる。


「……和泉さんなら、きっとすぐいい人が見つかるよ」

「へへ、ありがとね」


 雨上がりの帰り道を、小春と相原は並んで帰る。雨上がりの風がやってくる。新しい季節の、あじさいの匂い。

 いい人の中に、彼自身が入っていたなんて、その時は思いもしなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 耳なし芳一状態の絵馬、という描写が好きです。どれだけびっしり書いたのでしょう。 神さまのお節介がほほえましくて、面白かったです。ありがとうございました。
[良い点] ( ;∀;) ちょっと敵わん。 面白かったです。 神様だよりの設定はもちろん、その結末もマーベラス。 ちょっと最後にいい雰囲気で終わらせるのが、数行前に破局したヒロインとは思えない。 …
[良い点] 恋愛もの好き。眼鏡の小春ちゃんが神様だよりにあたふたする様子がかわいい。 神様が困って遠まわしに予言を伝える様子がユーモラス。 妹や友人との会話もいいですね。テンポよく場面を変えて進むスト…
感想一覧
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