魔女の隠れ家
よろしくお願いします。
翌朝の七時半。
俺はハローワークのお姉さんの指示よりも早く、町の入り口で馬車を待っていた。
お姉さんが言うに、馬車の運転手には「8時になったら、人が乗っていなくても王都に向かって下さい」とお願いしたらしい。尚、俺に家がないことも考慮した結果、費用はハローワーク持ちだ。ここまで特例続きだと、もうハローワークには頭が上がらなくなってくる。
8時になる少し前、一台の馬車がやって来た。
俺は「お願いします」と会釈して乗り込むが、無論運転手は気付かない。
そして8時を回ると、「本当に出発して良いのかな?」と呟きながらも、はたから見た誰もいない馬車は王都に向かい始めたのだった。
王都までの時間は、およそ2時間。長いとは言えないが、短いとも言えない。そんな距離である。
俺は馬車の中で寝転がり、目を閉じた。
昨夜は結局寝床が見つからず、路地裏で野宿をした。
寒さに凍え、空腹に耐え、人目……は気にしなくて良かったけど。
そんな環境の中で熟睡出来るわけもなく、俺は目の下にクマが出来ているほどの寝不足である。
馬車が町を発ってから数分、俺の意識は既に夢の中を旅していた。
✳︎
眠っていると時間というのは早く進むものである。つまらない授業の50分と、眠っている時の6時間では、後者の方が早く過ぎたように感じる。
それ同様に、今の俺にとって王都までの2時間は一瞬に等しかった。
夢の中から無理やり現実へ連れ戻すほどの振動が、俺を襲う。
「……んん?もう着いたのか」
目を開き、多少体をほぐした後、外の景色を覗く。
「……おいおい、こりゃあマジかよ」
眼前には、まるでヨーロッパのような街並みが広がっていた。
つい2時間ほど前までいた町が小さかったわけではないが、それでも霞んで見えてしまうほどに大規模な王都。
俺は馬車が再度出発しない内にと、王都へ降り立った。
「さっきまでとはえらい違いじゃねーか。まぁ、国の中枢都市なんだから、当たり前っちゃ当たり前か」
日本で表すなら、ここは東京。それも渋谷や新宿と言った大都市だ。栄えていないわけがない。
美味しそうなものやオシャレな洋服屋など、目移りしてしまう店が盛り沢山だったが……いかんせん金がない。王都までの費用を負担してもらうほどに。
腹が減っては戦はできぬと言うが、金がなければ戦をすることも腹を満たすこともままならないのだ。
まず入手すべきは職である。そう悟った俺は、さっきから引っ切り無しに鳴いている腹の虫を無視して、『魔女の隠れ家』を探すことにした。
ハローワークのお姉さんから聞いていた情報は、
・王都に『魔女の隠れ家』がある。
・『魔女の隠れ家』のギルドマスターは、ゴッドマザーである。
という二つだけだった。
つまり、俺は『魔女の隠れ家』がどこにあるのかを知らない。王都に着いたら後は勝手にやって、状態なのだ。
文句を言えた義理ではないが、ここまでしてくれたのなら最後まで面倒見て欲しかった。
そして歩くこと数分。
「……こんなに早く見つかって、大丈夫なのかよ?」
『魔女の隠れ家』は、あっさり見つかった。
というのも、他の建物に比べて『魔女の隠れ家』はデカすぎるのだ。王宮の次に大きな建造物という理由もあるが、何より魔女の帽子を模した屋根が、特徴的過ぎて目を引いてしまう。
依頼者や国の役人なども利用するせいか、出入り口は常に解放されていた。
……と、『魔女の隠れ家』の外装を多少説明している間にも、数十人もの人間が出入り口を行き来している。
日本で表すならば、ここは上場企業の本社。店に入ればどこかでそのロゴを見る、街に出ればどこかでその名前を聞く。そういうレベルのブランドだ。
そんな『魔女の隠れ家』という大企業の長が、俺がこれから会おうとしている人物、ゴッドマザー。……それ程人物なら、確かに俺の存在を認知してくれるかもしれない。
「よし、行きますか!」
俺は両頬をペチンッと叩き、気合いを注入する。
そして気分が盛り下がらない内にゴッドマザーに会うべく、『魔女の隠れ家』内部へ足を運んだ。
途中白髪赤眼の美少女とぶつかりそうになったが、俺はラッシュ時の新宿駅で人を避ける要領で、体を逸らした。
咄嗟に口から「すみません」という言葉が出てしまう。すると美少女も、「すみません」と会釈を返してくれた。
そのまま進むこと数歩、俺はふとあることを思い、足を止めた。
「ん?おかしいぞ?」
頭に浮かんだのはハローワークのお姉さんの説明でも、バニーガールの言葉でもない。先程の白髪赤眼の美少女の「すみません」だ。
俺は後ろを振り返るが、もうそこにあの美少女はいない。抱いた疑問を解消する術は、もうどこかへ行ってしまったのだ。
俺は誰に言うわけでもなく、誰に気付かれるわけでもなく、その疑問を口にした。
「ーー彼女はどうして、俺に謝る事が出来たんだ?」
✳︎
この広い異世界で、もう二度とあの美少女と会うことはない。つまり彼女の存在に一喜一憂するのは、時間の無駄なのだ。
そう考えた俺は、疑問を疑問のまま放置して、ギルドの中へ足を踏み入れた。勉強ならば褒められたことじゃないが、これは勉強じゃないので、目を瞑って欲しい。
内部は外以上に活気付いており、老若男女問わず皆がどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。昼間から酒盛りとは、全くいい御身分である。
執筆活動をしない小説家はニート同然。そして冒険をしない冒険者や、世界を救わない勇者もまた、ニート同然なのだ。
『オオオォォォ!』
賑わっているギルドの中でも、一層人集りの出来ているテテーブルがあった。
鎧を着た冒険者から、買い物カゴをぶら下げた主婦まで、様々な人間輪を作り、盛り上がっている。
そんな輪の中心にいるのは、なんと俺と同年代と思われる少女だった。
「ユユカ様、聞きましたよ!あの食に飢えた猛獣、『ハングリーベアー』を一撃で仕留めたとか!」
「さすがユユカ様!『魔女の隠れ家』最強の女!」
「フハハハハハ!あんたたち、このユユカ様をもっと崇めなさい!敬いなさい!」
……何だよ、あれ?新手の宗教か?
しかもその中心にいるのは女の子。『魔女の隠れ家』最強と言われていた女の子。
……あんな女の子が最強だなんて、本当に王国一のギルドなのか、ここ?
世間で言われている肩書きに一抹の不安を感じながら、俺は空いている席に着いた。
近くに座っている子供が食事をしているのを見て、無意識に生唾を飲み込んでしまった。……いつから自分は、こんなに卑しくなったんだ?
すると突然背後から、女性が声を掛けてくる。
「盛大に腹なんか鳴らして、そんなに減っているのか?
「⁉︎」
俺は驚き、慌てて振り返る。……が、そこには誰もいない。
「こっちだ、こっち」
「⁉︎」
今度は横から話しかけられ、俺は左隣を向き直した。
そこには大きな魔女の帽子を被った女性が、ワインを飲んでいた。
「一体いつの間に……?」
俺が座った時には、隣に誰もいなかった。だからこそ、この席に座ったのだ。
「いつの間に?今だよ、今。一瞬でお前の隣に座り、ワインを飲むことなんて、私にとっては造作もないことだ。……時に、お前がハローワークから連絡があった、クロカゲで良いんだよな?」
女性が俺に尋ねてくる。
ウェーブのかかった、腰まで伸びている赤髪。身の丈程ある大きな杖。そして体は、黒いマントによって覆われていた。
その姿を一言で表すのなら、まさしく魔女……。
「そうですけど……よくわかりましたね」
「なーに、影が薄いということは聞いていたからね。魔力と人より薄い存在感を放っている人間が、クロカゲというわけさ」
そんなんでわかるものなのか?
疑問は残るし、完全に理解出来たわけでもないが、俺を認識出来た以上嘘ではないのだろう。
つまり彼女の正体は……。
「そういうあなたは、ゴッドマザーですよね?」
その容姿も俺を認知できる点も、彼女がこの『魔女の隠れ家』のマスターであるゴッドマザーだということを示唆していた。
「如何にも。私がゴッドマザーよ」
名乗ったゴッドマザーは、更にセリフを続けた。
「まずはこう言っておくわね。ようこそ!『魔女の隠れ家』へ!」