ハローされないワーク
よろしくお願いします。
異世界生活一日目。俺は早くもある重大な危機に直面していた。今までは父がおり、母がおり、高校生という身分を持っていたが故に、気にも留めなかった事実。
ーー俺は今、無職なのだ。
異世界転生ものというと、大抵が勇者になったり、チート的な能力を有しているお陰で、食うのに困ることはない。
しかし、俺はどうだろうか?確かに『影』というチートクラスの能力を手に入れはしたが、それが日常生活に役立つかと言われると、皆無に等しい。
宿屋に泊まろうとしても、受付人に気付かれない。レストランで料理を食べようとしても、ウェイトレスに気付かれない。何か世の為人の為になるようなことをしても、それに対して労ってくれる人間がいないので、一銭の得にもならない。
俺はこの異世界そのものにハブられた人間なのだ。
『影』の能力を使って、隠密になろうかとも考えたが、彼らは存在感を消すことが出来るだけであって、ないわけではない。
面接すら受けられない俺は、隠密にすら採用されないのだ。
「野宿するしかねーのかな?……いや、今晩はそれで良くても、何日も続けるわけにはいかないよな」
屋根はなくても生きてはいける。でも、食料がなければ生きていけない。
生憎俺は武器を持っていないので、森に住む動物を狩ろうにも仕留める術を持たない。
たとえ仕留めることは出来たとしても、その動物を解体し、調理する技術がない。
誰にも認知されないので、無銭飲食やゼロ円宿泊も可能なのだが……それをしてしまうと、人として終わりな気がする。
存在感を失っても、捨てたくないものはあるのだ。
「……働かざる者食うべからず。やっぱり仕事を探すしかないか」
✳︎
というわけで、やって来たハローワーク。
異世界も日本と変わらず、就職に困っている人間が沢山いるようで、中はそれなりに混雑していた。
多かったのは子持ちの母親や正装をした老人。子育てが一段落したりから、定年後の再就職先を求めて、そう言った理由だろう。
俺は発券機から一枚券を千切り、中央に並べられているソファーに腰をかける。
与えられた番号は「68番」。現在職員と話しているのは「48番」。……まだまだかかりそうだ。
✳︎
待つことおよそ一時間、ようやく俺の順番が訪れた。
「続いて68番の方ー!5番カウンターまでどうぞー!」
番号を呼ばれた俺は立ち上がり、導かれるままに5番カウンターに向かった。
担当は、青い髪をしたクール系お姉さん。
俺は「失礼します!」と半ば叫びながら椅子に腰掛け、彼女の言葉を待った。
「……68番の方ー!いらっしゃいませんかー?」
……やはり認知されていなかった。
その後も「68番」を呼び続けるお姉さん。このままだと68番は帰ってしまったということになり、順番を飛ばされてしまう。それだけは避けなければならない。
姿を直視出来ない、声も聞こえない。ならば……。
俺は自分の存在を認知させるべく、ある行動に出た。
トゥルルルルルルル。
ハローワークに、突然電話が掛かってくる。
今は忙しく、ほとんどの職員が仕事に追われている中、唯一手の空いていた目の前のお姉さんが、電話の受話器を取った。
「はい、もしもし。こちらハローワークです」
『あっ、もしもし。自分、今あなたの目の前にいる人間なんですが……』
「は?」という低い声と共に、目の前のお姉さんが電話を切る素振りを見せるので、『待った待った!切らないで下さい!』と全力で阻止した。
「あのー、冷やかしならやめて欲しいんですが。忙しいんですよね、今!」
女性からこんな強い口調で叱責を受けるなんて、日本にいた頃は考えられなかった。
……しかしまぁ、媒体を通してなら自分の存在を認知させることが出来る。それがわかっただけでも大きな収穫だ。
俺はタブレットを持ったまま、お姉さんに説明を続けた。
『本当にあなたの目の前にいるんですって!』
「どこに⁉︎誰もいないじゃないですか!」
念の為にと思ってカウンターから身を乗り出し、辺りをキョロキョロ見回すお姉さんだったが、やはり俺の姿を見つけることは出来ない。
『いますよ。なら、その証拠をいくつか言いましょうか?あなたは今、「68番」の相談者を待っている。でもその「68番」が来ないので、次の番号を読み上げようとしたところ、タイミングよく電話が掛かってきた。皆忙しく、手が空いているのは自分くらい。そう思って受話器を取ったんでしょう?』
「えっ、えぇ……」
俺の完璧過ぎる推理に、お姉さんは声を失う。……実際見たことをそのまま話しているだけなので、推理でも何でもないのだが。
『あとお姉さんの襟元にご飯粒付いてますよ。あっ、因みに「68番」の人ならいつまで経っても現れませんよ?だって俺が「68番」なんですから』
お姉さんは「嘘⁉︎」と言いながら、自身の襟元を見る。俺の言った通り、そこにはカピカピに乾いたご飯粒が付着していた。
「……本当に目の前にいるんですか?」
付いていたご飯粒はたった一粒。遠くから目視出来るような大きさではない。
様々な証言から、俺の「目の前にいる」という主張を、お姉さんは信じ始めた。
『だから、さっきからずーっとそう言ってるじゃないですか……』
「ですが、一体どうして……?」
『それが俺の特殊能力?ってやつだからです。『影』といって、自分の存在を周囲に認知されないような能力でして。しかも常時発動型です』
「……?」
ステータス欄に書いてあったことをそのまま言ったつもりだったが、どうやら口で説明されるだけだと、理解が難しいようだ。
お姉さんの頭の上に、大きなはてなマークが浮かんでいる。
『……簡単に言えば、影が薄いってことです』
「あー、成る程」
影が薄いと自分で言うのは悲しいところがあるが、そのお陰でお姉さんが理解出来たのだから、良しとしよう。
「少しお待ち下さい」と言いながら、お姉さんは相談シートなるものを取り出す。……ようやくスタート地点に立った、そんな感じだ。
「では初めに、あなたのお名前を教えて下さい」
『黒咲……いえ、クロカゲです』
長年の癖で黒咲政景と名乗ろうとしてしまったが、よく考えたらこの世界での俺はクロカゲなんだよな。
両親が付けてくれた名前を手放す名残惜しさを感じながらも、同時に新しい名を名乗る高揚感も抱いていた。
「クロカゲさん……と。続いて、希望する職種をおっしゃって下さい」
『え?職種を選べるんですか?』
「あくまで参考にです。絶対に希望通りにいくとは言えませんが、善処させていただく所存です」
『成る程……』
そうは言われても、やりたいことなど特にない。と言うより、選ぶ余裕がない。
今の俺の最優先事項は、働いて金を得ること。生活出来るようになりさえすれば、内職でも肉体労働でも何でも構わないのだ。
その旨をお姉さんに伝えると、彼女は「そうですか……」と考え込み始めた。
「でしたら、能力面から考えてみてはどうですか?」
『能力面?』
「はい!クロカゲさんの能力……確か『影』でしたよね?それを最も上手く活用するには、どんな職種が良いのか?そこから考え始めるんです」
『適材適所、というわけですね?』
「そんなところです。……タブレットのステータス画面に、【オススメの職種】という欄がありましたよね?そこには、何て書いてありますか?」
【オススメの職種】、確かそこには……。
『泥棒、又は痴漢です』
「はぁ?」
ガチトーンで「はぁ?」と言われた。
そして、「ふざけないでください」とも言われた。……聞かれたことを答えただけなのに。
『すみません。…………手違いがあったのか、【オススメの職種】欄には何も書かれていませんでした』
お父さん、お母さん。生まれて初めてではないですが、俺は今嘘をつきました。
「何も書かれていない……。そんなこともあるんですね。少なくとも、私が働き出してからは初めて聞くケースです」
でしょうね。実際嘘なわけだし。
お姉さんは「そうですねー」と言いながら、先程以上に熟考し始める。何だか非常に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「正直に言いますと、あなたに紹介出来るような仕事は弊社にはありません。やはり相手に気付いてもらえないというのが、最大の難点になっています」
ですよねー。
「しかし一箇所だけ、やっていけそうな場所はあります。あくまでやっていけそうというだけで、オススメはしませんが……」
『本当ですか⁉︎それは一体⁉︎』
「ギルドです」
ギルド……異世界に来てその単語を聞いたら、必然的に冒険者や勇者の集まるそれを連想してしまうだろう。
そして詳細を聞く限り、俺の想像していたギルドと何ら変わらなかった。
「ギルドならば様々な仕事が舞い込んで来ますから、その中で自分に合った仕事を選べば良いと思います。ただ、ギルドならどこでも良いというわけではありません。『魔女の隠れ家』というギルドに入ることが、前提条件です」
『『魔女の隠れ家』?』
「はい。王国一の規模を誇る大ギルドで、何人もの有名人を輩出しています。先日も王女直々に任務を与えられたと聞きました」
まるで芸能事務所みたいな物言いだな。
「しかし仕事は簡単なものから難しいものまで、幅広く舞い込んで来ます。故に戦闘をしたことのない人間でも気楽に入ることが出来るんです」
『つまりは心躍る冒険だけでなく、便利屋みたいな仕事もするのが『魔女の隠れ家』である。そういうことですか?』
「そういうことですね。まぁ、その点は他のギルドと違いはないのですが、クロカゲさんの場合、『影』という問題がありますよね?」
『はい。人に認知されない以上、ギルドに入れるかどうかすら疑問ですから』
今回のように電話をすれば何とかなるかもしれないが、所詮は一時凌ぎ。毎度こんなことをやっていられない。
「ですから、『魔女の隠れ家』なんです。そこのマスターであるゴッドマザーさんは、王国随一の魔術師と言われています。彼女ならば或いは、クロカゲさんの『影』に対応できるかもしれません」
「あくまで、かもしれませんですが……」。お姉さんは申し訳なさそうに言う。
たとえ僅かだとしても、可能性を提示してくれるだけでありがたいものだ。この異世界を生きていける、そんな希望を持つことが出来たのだから。
『お姉さん、もう転職した方がいいんじゃないですか?バニーガール辺りに』
「はい?」
『いえ、何でもありません』
ここに来る前にあったバニーガールより有益な情報をくれたので、思わずそんなことを口走ってしまった。
完全にセクハラだよな、うん。
「では先方へのご連絡や、手続き諸々はこちらでやっておきますね。クロカゲさんは、明日の8時に町の入り口で待っていて下さい。『魔女の隠れ家』のある王都行きの馬車を手配しますので」
『はい。……あの、何から何まですみません』
口では「仕事ですから」と言うお姉さんだが、実際そこまで面倒見るわけにもいかないだろう。
俺の能力では王都へは辿り着けない。そう考えての言動だろう。全く、感謝と謝罪の念しかない。
『じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします』
「はい。良い結果になることを、心から願っております」
そんな挨拶を交わして、俺の就活の第一歩は終わった。
電話越しだが「さようなら」が言えたことは、本当に良かったと思う。