タベモノ
1周目
その日は、近年稀に見るほどの猛暑日だった。
蝉の声がけたたましく鳴り響き、人々を包む熱気は氷菓子の購入を促す。
当然ながら多くの者はクーラーの効いた部屋に閉じこもり、外出を避けていた。
日曜だということで、無理に動く必要のない者が大多数を占めていたのが一つの要因だろう。
しかし例外もいるようだ。
中学生くらいの女子三人が、遊園地に吸い込まれていく。
「……ねえ、ソフトクリーム買っていかない?」
「あー。ならドリームアイス買おうかな。パンフで見たのが、超美味そうだったの」
「マジ? んじゃ、私もそれにしようかな」
なんの波も立たない、何気ない会話。きっと普段も仲がいい三人組なのだろう。
しかし、少しぎこちない部分があるように感じられる。理由は明白なのだが。
ーー全く人がいない。
いくら猛暑だからといって、客が彼女ら以外にいなかったのは不自然だった。
従業員の人数も、最低限といったところだ。マスコットの着ぐるみなど、到底見当たらない。
流石におかしいと思ったのだろう。
人を求めるように、三人は足早にアイス屋へと向かう。
幸運というべきか、アイス屋には店員が一人いた。他の店には誰もいなかったというのに。
店員と面と向かった時、彼女らを襲ったのは安堵だった。強ばっていた顔が、つい緩んでいく様子を伺える。
「あ、すいませーん。ドリームアイス三個」
その言葉に店員は笑みを浮かべるも、合図地を打つことはなかった。
その笑みはあまりに不気味で、一度緩んだ表情を再度硬直させる。深く被った帽子によって、店員の目を見ることができないのも不安を煽る原因となっていた。
無言のままシャーベットを手渡されると、そこから離れようという義務感に彼女らは苛まれる。
「ねえ、なんかこの遊園地おかしくない?」
「それ私も思ってた。帰る?」
「でもさでもさ、折角だから一つくらいアトラクションに乗っていこうよ。これってある意味、貸切状態でしょ?」
貸切、という単語は他の二人を誘惑する。
たったそれだけの理由で、意見に押し切られた。
そして行き着いた先は、大観覧車。本当は多くのアトラクションを廻ったのだが、従業員らしき人が見当たらなかったせいで乗れなかった。
まるでここに誘導されたようだ。そんな感覚を三人は覚える。
例のごとく一言も喋らない従業員は、作業的に彼女らを観覧車に乗せた。
その無言が再び彼女らの不安を煽ったことは、話すまでもないだろう。
「……ねえ、やっぱりおかしいってこの遊園地。帰るべきだったんじゃない?」
「このアトラクションにしか乗れないようになっていたよね……?」
「まあまあ二人共、今は観覧車を楽しもうよ。ほら、もう結構高いところまで来たよ」
その言葉に、三人は外を覗く。
既に全体の四分の一くらいは回っていた。数々のアトラクションが模型のように小さくなっていく様子を、彼女らは茫然と見つめている。
全てのアトラクションは動いているように見えたが、肝心の人々はやはり見当たらなかった。
「あっ」
よそ見をしていたせいで、一人がアイスを落とした。べちゃっという音を立てて、床に紫色が広がる。
「……あーあ」
「降りたら従業員さんが片付けてくれるでしょ」
口を開いた二人も、アイスの存在を忘れていたようだ。思いついたように溶けかけたそれを舐め始める。
「……甘ったる!」
「うわ……本当だ。口の中ベトベトなんだけど」
そう言いながらも、アイスを落とした彼女に二人はアイスを差し出す。きっと彼女らなりの気の使い方があったのだろう。
礼を言うと、アイスを落とした彼女は順番にアイスをいただく。
無論甘ったるくなんかない。
観覧車が上昇するにつれ、不安な気分も晴れてきたようだ。彼女らの会話に明るみが増してきた。引きつった顔も、徐々に力が抜けてきている。
しかし、そんな中水を差すように、不快な羽音が鳴り響いた。
蛾である。いつから潜んでいたのだろうか。斑が入った茶色い羽に、捕食者の目を模した黒い模様が刻まれている。それらが擦り合わせて作り出す音は、聞いている者たちの身を縮ませた。
よほど虫が嫌いなのだろう。直後三人揃って絶叫する。当然ながら蛾はその声に反応し、羽音をいっそう強くした。
そんなやり取りを続けている内に、観覧車は既に降下を始めていた。あまり規模の大きくない遊園地のことだ。もうすぐ地上に到着する。
彼女らは一刻も早く蛾のいる密室から抜け出したいのか、極力出口の方へ身を寄せている。
観覧車のボックスが接地し、中が揺れると落ち着いた蛾が再度羽ばたいた。当然彼女らは悲鳴をあげる。
早く開けろと言わんばかりに入口を叩き、従業員を探す。
……が、見当たらない。
彼女らの動悸が早くなる。何故観覧車を降りられないのか。それは、蛾ともう一周過ごさなければならないことへの恐怖ではなかった。
観覧車はそのまま、地面を離れて二周目に突入する。
***
✕✕✕周目
辺りは闇に包まれている。
なんとなく彼女らも勘づいていたようだ。
二周目を終えようが、三周目を終えようが、ボックスの扉が開くことはなかったということに。
扉や壁を叩きまくった彼女らは、既に衰弱している。蛾が肩に留まろうと、頬に留まろうと、気にできる余地はない。水分を求めて、滴る汗を舐める始末だった。
一人は外を眺めて放心し、一人は長椅子に寝そべって目を見開き、一人はじっと落ちたアイスを見つめていた。
すかさずアイスを見つめていた彼女は、床に手を伸ばす。そしてそれをおもむろに掴み、口に運んだ。時間が経過して飴のように固まっていたそれは、床から離れる時にバリバリッと音をたてる。
虚ろな眼差しでそれを眺めていた二人は、衝動に駆られるように床のアイスに手を伸ばす。
最早人間としてのプライドなど捨て去っていた。
それでも彼女らの腹が満たされることはない。
ボックス内に空虚な音が鳴り響いた。
***
✕✕✕周目
かなり前から齧っていた爪が、ついになくなった。全員ほぼ同時に。
指先からは血が滲みでているが、乾燥した皮膚からは痛みを感じることも出来ないようだ。
なくなっても尚、指をしゃぶり続けている。
***
✕✕✕周目
ついさっきまで元気に飛び回っていた蛾は徐々に床に近づいて、やがて地に伏した。
それを見計らったように、三人は死んだ蛾に目を向ける。しかし、思うように手が伸びていない。
やっと一人が蛾を握りしめ、粉々になったそれに顔を寄せる。そして掌を舐めた途端、彼女は発狂してそのまま動かなくなった。
残された二人は涙を零す余裕もなく、虚空を見ていた。
***
✕✕✕周目
眼前に友達がいるのだ。耐えろと言うのはあまりに酷である。
二人は動かなくなった彼女に思いっきり噛み付いた。舌が麻痺しているせいで味は殆ど感じていないようだが、ただ腹を満たすためにかぶりつく。観覧車がもう10周する頃には、かつてそれが動いていたとは思えないほどに無残な見た目の、何かが残っていた。
そんな惨状を目に焼き付けてしまったのだ。
まだ生きている内の一人は枯れた瞳で涙を流し、眼球を180度回転させた後に喉を掻きむしって、観覧車内のモノを増やした。
残された彼女は、かつて友達だったモノを黙って眺めたあと、なんの躊躇もなく噛みちぎる。
***
✕✕✕✕周目
文字通り骨しか残っていない友達には、所々歯型がついている。食べられるモノなど、とうになくなっていた。
諦めたように彼女は、自分の腕に目を向ける。
最後に残ったものは、「出して……」という彼女の掠れた悲鳴だった。