閑話 すずめ
すずめの幼少期。
意識が戻った時、そこは薄暗い世界だった。
目はかろうじて見えている……のだろうか?
まばたきをしている感覚はある。
でも、何もかもがぼんやりしていて、よくわからない。
私は今、温水プールよりもずいぶんと暖かい液体の中にいるようだった。
水の中なのに、なぜ息ができるのだろうか?
ん?あれ?そういえば私、息を、してない……?
ああ、そっか、私、死んだんだっけか?
じゃあここは、死後の世界?
でも、結構、いや、かなり眠いけど、でも、んー?
思考がうまくまとまらない。
今は深く考えるのをやめておこう。
体に意識を向ける。
私は、体育座りのような格好で縮こまっているようだった。
ずっと同じ体勢なのは、なんとなくしんどい気がする。
私は身じろぎした。
しかし、すぐに足やら背中やらが何かにつっかえてしまう。
いろいろ試したが、どう頑張っても足は伸ばせないようだ。
びっくりするほど窮屈である。
ふと、今の自分の状態を想像してみる。
狭い空間に満たされた液体。
そこに体育座りで詰め込まれている私。
これはまさに……ホルマリン漬け……!
ああでも、こんなに居心地がいいのならホルマリン漬けも悪くない、かなあ?
――どれくらい経ったのか。
起きているような、それでいて眠っているようなまどろみを繰り返す。
不思議と退屈は感じない。
窮屈だけれど、どこかが痛くなることもなかった。
ゆらゆらと世界が揺られると、あわせて自分も揺れる。
ドキドキ、どくどく、ざわざわ。
聞こえるのは、力強い、生命そのものの音。
それから、直接響いてくるくぐもった声や、歌声。
ああ、たまに感じる強い不安は、誰のものなのか……
ずっとこの場所でぼんやりしているうちに、私は気づいた。
気づいてしまった。
ここは、お母さんの胎内なのだ、と。
前世?では、私に子供はいなかった。
そもそもそういう相手すらいなかった。
しかし、まさか胎児の気持ちを知れるなんて思わなかった。
ゆらゆら、ごうごう、ゆらゆら、ごうごう。
ああ、ずっとここでまどろんでいたい。
――ん?
っていうか、胎児の脳みそってこんな難しいことを考えられるの……?
長いことかかってそういう考えに至ったそのとき。
私はふいに強い衝撃を受け、思考は途切れた。
次に意識が戻った時、私はやけに肌寒い場所にいた。
私の足は伸ばされている。もう狭くはないようだ。
あと、やたらと眩しい。
「……ぉあぁ。」
伸びをすると、声が出た。
おっ?私、息してる?
そっか、産まれたのか、私。
ハッピーバースデー、私。
どこか他人事のように、そう思った。
生まれてからどれくらい経ったのかはわからないけれど、私の目は、開いてはいた。
しかし、視界に霞がかかったようで、あたりに何があるのか全くわからない。
それもそうか、赤ちゃんだなんだし。
赤ちゃんの頃に周りが見えないのは、動物も人間も同じなんだなあ。
……あの子達はみんなちゃんと引き取ってもらえただろうか。
もしもの時のために、全員、引き取り手は決めておいたけれど。
でも、いきなり私がいなくなったら、悲しむだろうなあ。
ふと、遺してきてしまった子供たちの事を思い出して、たまらず私は泣いた。
「ぉ……ぉあ、ぉああ、ぉあああああ。」
その声を聞きつけた誰かに、私はすぐに抱き上げられる。
耳に押し当てられた柔らかい胸から聞こえるのは、どく、どく、どく、どく、というずっと胎内で聞いていた律動。
お尻の上の方をポンポンと叩かれると不思議に落ち着くのは、胎内に居た頃に感じていたお母さんが歩くリズムに似ているからだろうか。
……お母さん、なのかな?
頭の上から聞こえる私をあやすようなその声は、胎内にくぐもって響いていたものとはちょっと違う。
でも、きっとこの人が私の新しいお母さんだ。
それから周りから聞こえるのは……子供の声。もしかして、私の兄弟だろうか?
ああ、泣き止まなくてごめんねお母さん。
泣いているのは、おむつが濡れたわけでも、おなかが減ったわけでも、ないんだよ。
不思議と産まれてからというもの、胎内では感じなかった暇や退屈を強く感じるようになった。
その時、ふと、そういえばなんか神様っぽい人?と話したなあ、と思い出した。
――――――――――
【無人島に行かなければならないとしたら、何を持って行く?】
いきなり現れた、やけに神々しくて水晶みたいな髪の色をした神様っぽい人は、同じように水晶っぽい瞳に私を写していた。
うわあ超イケメン!とか思いながら、私は深く考えもせずに答える。
「無人島かー。Coocleとか使えれば誰でもわりと生き延びれそう。」
と。しかし、それがなんとも頭の悪い回答だと、さすがにすぐに気がついた。
インターネットを使うには、なによりもまず、端末が必要である。
端末がなくては、Coocleもくそもない。
つまり、無人島でCoocleを使いたいのなら、「どれだけ通信料を使っても永久無料で、ソーラー充電ができて、防水が完璧で、象に踏まれても壊れない、長寿命の携帯型の端末。」というのが正しいのだろう。そんなものが存在すれば、だが。
いや、存在するわけないけども。自分でもアホだなーとは思うけども。なんていうか、ほら、私が考えた最強の端末、みたいな?っていうか、圏外だよね、無人島。あほだなー、私。
しかし神様っぽい人は特に疑問を抱かなかったようで、【そうか、分かった。】と、かるーい調子で応えた。そして、透明の瞳に神々しい虹色の輝きを灯して微笑む。
【……すずめよ。うっかり死んだ、すずめよ。】
「えっ、その呼び方はちょっと。」
【そなたにCoocleを授けよう。】
「えっ?」
【新しい生を、謳歌せよ。】
「えっ?」
――――――――――
そんな感じだった。
まさに、会話のドッジボール。
Coocleを授けるとか、ちょっと意味が分からないが、それ以前に「うっかり死んだすずめ」って呼ばれたのが気になる。なんだろう、嫌味だろうか?まあ、たしかに死因はうっかりだったし、正しいっちゃ正しいけどさあ……。
うん、まあ、Coocle、使って?みよう、かな?
なーんて思い浮かべただけで、目の前にはついこの間まで普通に見ていたようで、でもすごく懐かしい検索画面が広がった。
「ぉ、ぉああ……。」
思わず、言葉にならない声が出る。
ぼやけた視界の中なのに、検索画面だけはかなりはっきり見える。どうやら視力は関係ないらしい。
まず最初に、なんとなく、自分の名前を検索してみた。
思い浮かべるだけで、空欄に文字が浮かぶ。
しかし、なぜか私の名前は検索しても出てこなかった。あんな死に方したのに、ニュースにもならなかったのだろうか?そう思って自分のブログを検索したものの、1日に5桁の人が見に来ていたブログも存在していなかった。
検索画面に浮かぶ日付けは前世のままで、それによると、私が死んでからまだ1年も経っていないようだ。私の家族や、友達の名前も検索してみたが、出てこなかった。
よくわからないが、まあ出てこないならしょうがないかな、と、ちょっとほっとしたような、残念なような気分になった。ついでに泣いて、新しいお母さんに抱っこしてもらった。
それからは、退屈な時はずっとCoocleを見て時間を潰した。
耳だけは良く聞こえるのだが、お母さんが何を言っているのかは分からない。
でもその声は穏やかで、私が夢で過去(前世?)での生活を思い出して夜中に泣き出してしまった時も、優しくなだめて包み込んでくれた。
そうして、あっという間に2年の月日が経った。
私は2才になり、召喚士としての意識教育がはじまった。
それは、できるだけ幼いうちからやることが効果的であるらしい、訓練。
召喚士になるためにこの家では誰もが受ける、訓練。
召喚獣に対して愛着を湧かせないための、訓練。
それは前世では考えられない方法だった。
なぜこんなことをさせられるのか分からなかった私は、それから逃げた。
それはもう全力で逃げた。
そもそも召喚獣は痛みを感じないが、そんなことを私が知るわけがなく。
今まで優しかった家族がなぜこんな事をさせはじめたのか、理解できるわけがなかったし、見た目は動物そのものである召喚獣を傷つけるなんて私には堪えられるわけがなかった。
逃げに逃げること、3年。
私が5才になった頃には、兄や姉らの協力もあり、両親や教師は私に意識教育を受けさせることを諦めていた。もちろん、私は召喚士になることもできないだろうと、言われていた。
しかし私は、意識教育からは逃げていたものの、その間、こっそりと召喚術の勉強はしていた。
なぜ、意識教育をさせられていたのかも、その頃には理解していた。
召喚術は、遊び半分・復習半分で兄や姉らも教えてくれてはいたが、何よりも伝説の召喚士である曽祖父さんが率先して教えてくれていた。
前線を退いたばかりの曽祖父さんは暇を持て余していて、なおかつ小さな私を溺愛していたので、事あるごとに色々と教えてくれていた。たまに無茶な試練もあったが、私は全てをやり遂げた。
そうして8才になる頃には、私は一般的な召喚獣は全て召喚できるようになっていた。
8才になると、曽祖父さんは私に【創造召喚】を教え始めた。
それは、この世界に存在する魔獣を召喚する【召喚】とは違い、頭に思い浮かべたものを召喚する、という曽祖父さんオリジナルの召喚術だった。
成長した兄や姉とは召喚術の話をすることもなくなっていた私は、それがどういう意味を持っていたのか、知らなかった。
ただ、想像したものを召喚して、動いている所を見ることが出来るという【創造召喚】を習得すべく、ひたすら修行をした。
遺してきた子供たちに会うために。それだけのために。
召喚術に限らず、魔法士の教育はできるだけ幼い時からした方がいいというので、私は頑張った。すごく頑張った。大学受験の時より頑張ったと思う。
いつのまにか、私の召喚術は、兄や姉を凌ぐほどになっていた。
しかし、そんなことはつゆ知らず、私はひたすら曽祖父さんに課された試練をこなしていった。