第1話 生徒会長藤堂
「先生、今日は転校生が来るはずでは?」
「それがね藤堂くん、まだ来てないのよ」
「転校初日から遅刻ですか…馬鹿なのか大物なのか…」
「私は大物だと思うわよ?」
「えっ? 先生見たことあるんですか?」
「ううん……ただ転校生のお母さんだったんだけど」
「はい?」
「転校生のお母さん!! がとてもハイスペックだったのよ」
「はっ! はいすぺっく!?」
「そうなのよ、あの人の息子さんなら大物以外はあり得ない! そう思わせられるくらいハイスペックだったのよね~」
「はっはぁ…」
「ああ、クラスの皆には遅刻もしくは無断欠席かもしれないって伝えておいてね」
「わかりました。それでは失礼します」
「はいよ~」
僕の名は藤堂……下の名は聞いてくれるな……
今日は2学期初日で僕が在籍するクラスに転校生がやってくる予定だったのだがまだ来ていないらしい。
この学校は他の学校とは一線を画す教育方法を実践しており「進学クラス」というものが存在しない。
理由としては「進学クラス」を設けてしまうと「進学クラス」内での劣等生というものが発生してしまう確率が非常に高いことと「進学クラス」が他のクラスを見下す傾向になりやすいことの2点を防ぐためである。
折角「進学クラス」を設け優等生を集合させたにも関わらず、優等生集団内のカーストにより劣等生が発生してしまうのは本末転倒。
特に見下すの部分は非常に宜しくない。
他のクラスを見下すという行為は「進学クラス」という特別感から見下す方も見下される方も共通して先輩から後輩に受け継がれやすい大変に危険な要素だからだ。
さて、それでは「進学クラス」の概念を真っ向から否定したこの学校が採用している教育方針とは一体どのようなものだろうか?
答えは単純にして明確。1つのクラスを1つの国として考え、学年の壁を取り払った上で全てにおいて競わせることだ。
入学と同時にすべてのクラスには不良生徒やギャル、ホモ、レズ、バイ、オタク、メンヘラ、ヤンデレ、凡人そして優等生などが均等に配分されている。
こうすることによって優等生の質を維持。更に限りなく同条件下のクラス同士を競わせることによって優等生の増加を成功させている。
これは僕自身、学校が始まってから気付いた事なんだが、もう一つ面白い現象が発生している。 最初から各クラスに存在するカーストは教育方針の為に学校側からの強制的なカーストであるため実質的には皆対等。
となるとカーストが虐めの原因になることはなくなり、更に公式カーストは本人の素のようなものなので脅威のストレスフリー率が実現されているのだ。
優等生というくらいだ。
当然優等生はプライドの塊のような連中ばかり。
そんな連中に限りなく同条件の駒を持たせた状態で争わせるのだからこれは本当にすさまじいことになる。
優等生とは勉強が出来るから優等生なのではない。
勉強が出来るから優等生であるという者は議論の余地なき愚か者であろうことは明白。
日本国の次世代として日本国を先進国の頂点とさせ続ける才覚と力量を兼ね揃えているからこそ、優れたに等しい生ける徒と書いて優等生なのである。
中学生時に感銘を受けた僕は猛勉強の末にトップの成績で合格し優等生としてクラスに配分された。
その後、空席だった生徒会長の席を激戦の末に勝ち取り生徒会長に就任したわけだ。
僕の目標は総理大臣になり歴代最高内閣を組閣。日本国主導の世界政府の樹立。毛唐を始めとした大陸の土人どもを一掃、と同時進行で日本国内の不穏分子の弾圧と粛清。
日本国は世界になくてはならない存在なため、国内外の敵対勢力を同時に始末する必要があるから大変だと思われる。
まあこうすることによって戦後よりはびこってきた様々なゴミ利権、最近特に目立つ被害者利権の屑共やそれに群がる売国奴や政治家などを消すことができ、普通に働いて税率に従って税金を納める普通の日本国の納税者が一番優遇される『普通の国』に向かっていくことが可能となっていく事だろう。
優等生だからこそ『普通』の凄みが理解出来るし、次世代としての責任という形で重くのしかかってくるというものだ。
そう、僕は僕自身と日本国の未来の為にクラス同士の競争で僕が在籍しているクラスを卒業式までトップで独走させて見せる。絶対にだ!!
ゆえに、新しい駒となるであろう転校生のことを知りたかったのだけれども……転校初日から遅刻というのはちょっとねえ……
先生はああ言ってはいたけれど、これは期待出来ないなあ………