第三話 服従か抵抗か
夜、あたりが真っ暗となった中、リヒトを連れていた一行は行軍が困難だということで簡単に休みを取ることになった。
現在は見張りが数人立っているものの、その他は恐らく寝ているのだろう。
村のほうで上がっていた火が消えてからしばらくして吹いてきた風も今はかなりの強さとなっていてごうごう吹いている。
ある程度の自由はあるものの、殆ど動くスペースもないほどの狭い場所に押し込められていた捕虜の一人、リヒトはどうにかしてこの状況を打破できないかと考えていた。
今現在、恐らく殆どが寝ているこの状況こそが動くには最もよいためだ。
逃げた後で視界がとりにくいというのはあるが、それは追いかけてくるほうだって同じはずだし、幸い今は風も強く、音で追いかけてくることもない。
少し先に見える森にさえ逃げ込んでしまえば、たとえ馬であっても速度を出すことはできないだろうし、それならば、逃げ切れる可能性はある。
村は燃やされてしまっているため、逃げ帰る場所はないが、それは逃げてから考えればよいところであろう。
がしかし、彼は一人で逃げようなどとは全く思っていなかった。
仮にもあの村でリーダー的な仕事をしていた彼は皆を助け出す義務が自分にはあると思っていたためだ。
がしかし、周りを見てもみな、諦めたような表情ばかりであり、逃げ出そうという意欲が見られる者はいない。
それを見て彼はあせった表情を浮かべると共に、近くの何人かに話しかける。
「おい、何で皆、諦めたような表情をしているんだ。
今が逃げるには一番いい時間帯なんだ、ここで逃げなくてどうするというんだ」
「残念だけどそれは無理だよ。
今逃げたって、帰る場所もないし、そもそもここから逃げ出せるはずもない」
「そうさ。
そんなことをやったってどうせ無駄だよ」
その完全に諦めたような返答に対し、リヒトは若干切れつつ、更に問いかける。
「お前たちは悔しくないのか?
突然やってきて今までの平和な日常を壊され、家を燃やされて。
なにか仕返しをしてやりたいって思わないのか?」
「思うさ!
そんなことは俺たちだって思っている。
だけどな、だけど、ここで反抗しても間違いなく寿命が縮まるだけで何も得られはしない。
それだったら、彼らに従って少しでも生きながらえるべきなんだよ」
「その通りだよ。
命を失っちゃ何もできやしない。
そもそも、ここから抜け出せる可能性も限りなく低いし、仮に抜け出してもどこかでのたれ死ぬのが落ちだ」
「お前ら、本気でそう思っているのか?」
「あぁ、そうだとも。
生きているほうが言いに決まっている」
「当たり前だろ、そんなことは」
周りの人の言葉にかんしゃくを起こしそうになった彼であったが、ここでかんしゃくを起こしてしまっては台無しだと思い直して、一度深呼吸をし、更に続ける。
「確かにお前たちの言っていることは正しいだろうよ。
生きながらえるためには彼らに従っているのが最善の手だろうさ。
だがな、生きながらえるということと、存在するっていうことは違うんだよ。
俺たちはあくまで存在するために生きている。
その目的を忘れちゃいけないんだ」
自分の意思のない人形のような状態でも生きてはいるが、そこに存在はしていない。
人が求めているのは生きることではなくて、そこに自分が存在することなんだ。
そして自分が存在するためには服従ではなく、抵抗を選ばなくてはいけないとそんな意味をこめて、彼らに話しかける。
「だが、そんなことを言ったって逃げる手立てはないし……」
「心配するな、俺が何とかしてみせる。
あの森のところまで逃げ切ってしまえば、向こうに速度の点での利はなくなる。
つまり、あそこの森まで逃げ切れれば勝ちなんだ。
任せてくれ」
彼の力強い断言に心を動かされたのか、そばで聞いていた何人かの顔に希望の色が見えはじめる。
「今の言葉を全員に伝えてくれ、後は俺が何とかしてみせる」
「分かった」
こうして、月のない夜の中、彼の計画はスタートしていったのであった。
作戦を練っている間、ふと彼は誰かの視線を感じた。
あわてて周りを見渡すも、誰もいる様子はない。
一瞬なら勘違いかとも思ったのではあるが、明らかに何度も誰かに見られているような感じを受ける。
幾度かの回数を重ね、彼はその視線が自らの真上、何もない空中にあることを確認した。
「誰かいるのか?」
そこまで大きくはない声、周囲の風によってかき消されてしまう程度の声ではあるが、はっきりと口に出して言葉を発する。
「もし、誰かいるのであれば、手を貸してくれないか?
俺はここからみんなを逃がしてやりたいんだ。
頼めないだろうか……。」
そう言葉を発するも返答はない。
まぁ、誰もいるはずはないか、そんなものに頼るなんて相当追い詰められているのかななどと思いつつ、また作戦を考え直そうとしたところで耳元で急に女性の声が聞こえる。
「よろしい、力を貸してあげるわ」
◇
「さてさて、どうしましょうか」
馬に寄りかかるように背中をつけていた彼女は目を閉じたままぶつぶつとつぶやいている。
「う~ん、捕虜はつながれていたりはしないみたいだし、最悪何とかなりそうな気はする。
内部のほうは抵抗はないだろうと見ているのか、たかが農民となめているのかあんまり監視はしていないようだけど、外方向に関しては結構きびしめに見張っていると。
う~ん、ばれないように近づいていったとしてもどこかで気づかれちゃいそうね。
どうしようかしら。
何とかして内部に目を向けられればいいんだけど、厳しそうよね」
そんなことを呟きながら、敵陣を眺める。
すると、風に乗って、一つの声が彼女に届けられた。
『誰かいるのか?』
「!?」
ばれるなどとは全く思っていなかったかのか、彼女は体をびくりと震わせる。
それも仕方のないことであろう、こちらがいることがばれるという事は奇襲をかけることが失敗するということを意味し、それはすなわち、戦いが更に厳しくなるということを意味するのだから。
そんな状況の中、どう対応しようかと迷っていると、更なる声が彼女に届けられる。
『もし、誰かいるのであれば、手を貸してくれないか?
俺はここからみんなを逃がしてやりたいんだ。
頼めないだろうか……。』
「敵、ではないのかしら?」
この声の内容からすると、声の主は敵ではないように思える。
敵であれば、助け出したいというようなせりふは出てこないだろう。
勿論、罠という可能性もなくはないのだが、その声に含まれた真剣な声色から、彼女はこれは罠ではないと確信する。
さらに、これが敵でないとなれば、内部に連絡を取れる味方がいるということであり、取れる手段が広がるわけだ。
そして、同時になんと返答するかということも決める。
こうして、彼女は声をかけてきた主に対して返答したのであった。
先ほど驚いてしまった自分を忘れるかのように、彼ら捕虜を助けたいという意思に答えるために。
少し偉そうになってしまったかなと思いつつも彼女は告げる。
『よろしい、力を貸しましょう』
と。