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2.敬助と恵輔

 助けて。


 そう言えればよかった。

 手遅れになる前に、いつもみたいに感情を露わにして、皆に叫べ

ばよかった。

 出来なかった。

 …………出来なかったんだ。






 オレンジの光が目の奥に届いた。

 瞼を持ち上げる。一が、側にいた。

「長い昼寝だったな」

 柔らかい言葉が落ちてくる。

 体を起こして、元の場所へ戻れていないことを嘆くふりをする。

ふりだったことに、自分で驚いた。

「何か、変な夢みてた……気がする」

「昼間に寝るからだ。俺も昼寝をすると、よくおかしな夢をみるぞ。

長い髪を振り乱した女に追いかけられたり、落ち武者みたいな奴に

追いかけられたりな。おかしいのは目が覚めたら、夢の中で最後に

いた場所にいるということだ」

「怖い話、無理」

 耳を塞ぐ。

 一が、少し笑った。





 現実の空気が感じられるようになると、ぼくは息を大きく吸って、

ノートを開けた。さっき軽く目を通しただけの文を、じっくり読む。

「や、ま、な、み、さ、ん、を、た、す、け、る」

 “目的”という言葉の後に、ピンクの蛍光ペンで大きく書かれて

いる文字を音読する。背中に冷たいものが走った。

「助ける? 山南やまなみさんに何かあったのか? ……うむ。で、どうや

るんだ?」

「まず、山南さんって人と仲良くなって、信頼を得ろってさ」

「かなり難しいぞ。簡単なら俺がやっている」

「でも、やらなきゃ帰れないらしいし」

「そうだな」

 もっと詳しいことが書いていないかと、ノートを読み進める。

 斎藤一に伝えてもいいこと一覧、というものがあった。

「一」

「ん」

「今から言うこと、内緒だから。誰にも言うなよ」

「心配ない。俺は必要なことも、そうでないことも、なかなか言わ

ない男だ」

「必要なことは言えっての。お前がそんなんだから……」

「何だ?」

「……ごめん、よく分かんない」

 一の性格なんか知らないはずの自分の口を、押さえる。

「いや」

 一が頷く。

「分かった。必要なことは言う」

 約束を貰った。すごく簡単に。

 氷に小さなヒビが入るような音が、頭の中から聞こえた気がした。

「えっと……」

 喉につっかえた色々を払うために、一度唾を飲み込む。

「そうだ、山南さんって人なんだけど、このままだと近い内に死ぬ

んだって。しかも仲間に殺されるらしい」

 ノートに書いてあることを要約して伝えただけなのに、嫌な気分

になった。

「そうか」

 一は驚かなかった。

「知ってた?」

「いや。ただ、あり得るなと」

「分かってたんなら……!」

 また何かが出そうになって、慌てて口を押さえる。

「……ホントごめん、気にしないで。ぼく、頭おかしいんだ」

 笑ってみせると、一の手が頭に触れてきた。

「おかしくない」

「いいよ、本当におかしいんだし」

「大丈夫だ」

 一が乱暴に髪を撫でる。子供扱いが恥ずかしくて、その手から逃

げると、一がしょげたような目を向けてきた。

 それを無視して、話を戻す。

「で、山南さんが死ぬことで、ギスギスした感情が色んな人に生ま

れて、嫌なことが起こるんだって。嫌なこと、具体的に書いてない

んだけどさ」

「うむ」

「だから、とにかく山南さんと仲良くなって、他の人達とも仲良く

なって、ぼくが山南さんと他の人達との架け橋になればいいらしい

んだ」

「面倒な人間が何人かいるぞ」

「らしいね。ここにもそう書いてある。頑張れ、って」

 女装姿で手を振っている藤川を想像して、ノートを畳に叩けつけ

たくなった。けれど、元の場所に帰る唯一かもしれない手がかりを

乱暴に扱うことはできないと思い留まった。





 一に着せられた和服に恐ろしいほど違和感がない。それに違和感

を覚えて、袖を引っ張ってみる。

「似合うぞ」

 褒められても嬉しくない。

 当たり前だと返したくなった。

「では、行くか」

「何処に?」

「まずは山南さんの所だな」

 廊下を歩く。知らない風景が、たくさん目に飛び込んできて、視

界が回りそうになる。座り込みたいのを堪えて、一に付いていく。

 綺麗に張られた障子の前で、一が立ち止った。

「斎藤です」

 少し間を置いて、中から穏やかな声がした。

「どうぞ」

 静かに障子が開く。

 向こう側では、穏やかな人が、疲れた顔で笑っていた。

 畳に頭を擦りつけたい衝動に駆られる。でも変だと思われたくな

くて、足に力を込めた。

「珍しいね、君が訪ねてくるなんて」

「そうですか?」

 言いながら、一がぼくを押し出す。

「君の子?」

「弟です」

 息をするように嘘を吐く。

 そういう人間を初めて見た。

「へえ……」

「ほら、名乗れ」

 言いたいことがたくさんある。

 一にも、山南さんにも。

 それを一旦仕舞い込む。

 きっと口にしても言葉が散らかるだけだ。

武藤恵輔むとうけいすけ……です」

 声が少し震えた。

「私は、山南敬助やまなみけいすけ。同じ名を持つ子が斎藤君の弟とは、何だか複雑

な気分だよ」

「字が違います。……違うよな?」

 一が確かめてくる。断言したくせに、不安そうだ。

「ぼくの字は、恵みに、こう、こんな字」

 空気に書いてみせる。

 一は満足そうに頷き、山南さんに向き直った。

「それでですね、こいつを山南さんの側に置いて欲しいんです。

たまに通わせてもらえれば、それで」

「監視役として? それとも暇なら子守りでもしておけと、そうい

うことかな?」

 山南さんが、嘲笑する。

 多分、自分を。

「いえ。こいつ、無学なもんで博識な人間が好きで。さっき山南さ

んの話をしたら、是非一緒に居て、色んな話を聞きたい、としつこ

く頼んでくるもんで。恥ずかしながら、俺、弟に弱いんですよ」

「苗字が違う弟を急に寄こされてもね。土方君にでも命じられたの

かい?」

「土方さんは、まだこいつのこと知りませんよ。さっき来たばかり

なので。苗字は、こいつ、余所の家にやられていたんで」

「信じるとでも?」

「駄目ですかね」

「当たり前だろう」

 話が終わってしまいそうだった。

 慌てて、山南さんに駆け寄る。

「一の話なんて、信用しにくいかもしれないけど!」

 山南さんの温かい腕を掴む。

「けど……けどさ……」

 何を言うべきか、考える。

 何を言っても届かない気がして怖くて、ずるずると、座り込む。

 山南さんが怪訝そうに見つめてくる。

 それが嫌で、何とかこの状況から逃れようと、頭の中にないは

ずの、それなのに嘘ではない気持ちを一杯にした声を、絞り出す。

「ぼくは、本当に! 山南さんと一緒に居たい……んです」

 拒否の言葉を覚悟した。

 下唇を噛む。

 山南さんは、困ったように笑った。

「子供にこんな顔をさせて……、私が悪人のようだね」

 いいよ、と諦めた声と共に、山南さんの手がぼくの手に重なった。

「君も大変だね。確かに私は子供の頼みを断るのが苦手だけれど、

まさかこんな方法でくるなんてね」

 痛い言葉は来なかった。

 代わりに、重いものを心に乗せられた。

 知らない罪を、告白したくなった。




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