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1.修学旅行が斎藤一


────皆と一緒にいると、不幸になる。






 そう、信じている。

 根拠はない。皆というのが誰と誰のことなのかも分からない。ぼくには、『皆』

とまとめて呼べるほどの友達なんかいない。

 だけど、ずっとその思いがぼくの中に居座り続けて、誰かに裏切られた経験

なんて無いはずなのに、何故か否定できなくて、怖い。

 だから、ぼくは独りがいい。




 京都の空が青く青く、見下ろしてくる。

 ぼく達は小さな改札口の前で、通行人から邪魔だという思いが込められた

視線を浴びながら、自由行動に関する説明を聞いていた。

 修学旅行に興奮して騒いでいるクラスメートを、先生が声を荒げて注意す

る。

 次いで、それを揶揄う声があがる。

 先生は口で怒るだけで、危害を加えたりはしない。

 当たり前の光景が、眩しい。

 息を吸い込む。京都の初夏の香りが、鼻から心に広がった。





「何もこんな場所で自由行動にしなくてもいいのにな。行く場所限られすぎ」

 そんなことを口にしながら、同じ学年の人間達が同じ方向に進んでいく。

 ぼくも特に興味の無い寺を観るため、それに倣う。

「とー」

 一人ぼんやりと歩いていたら、腕をきつく掴まれた。

「何やってるのー? とーは、こっちー」

 歌うように言って、幼馴染みの藤川がスカートを揺らした。

 藤川とは家が隣で、幼稚園も、小学校でのクラスもずっと一緒だった。何か

の呪いかと思うほどに一緒で、毎年初詣で今年こそはクラスが離れるようにと

祈るのだけれど、毎年神様に無視される。

 それどころか、藤川は年々変態になっていく。最初の頃は、口調を何度も変

えるだけだったのが、そのうち性格を何度も変えるようになり、最近は性別も

変えようと頑張っている。元が男らしい顔つきなだけに、周囲からの評判はと

てつもなく悪い。

「その喋り方、気持ち悪い」

「そー? 可愛い女の子って感じでしょー?」

「お前、女じゃないだろ」

「とーは、女の子の幼馴染みの方が嬉しいかなって」

「別に……男も女も、いらない」

 藤川が困ったように笑う。

 本音だけれど、口にしてはいけない言葉だった気がした。謝ろうと咳払いをす

る。

 うまく声が出ない。何度咳払いをしても、出ない。

「大丈夫、気にしてないから」

「何のことだよ?」

 謝罪以外の言葉なら、簡単に出た。

「ね。わたし、とーのこと、大事な友達だって思ってるよ」

 昔から、口癖のように繰り返してきたものを、ここで向けてくる。

「とーが、そう思ってくれなくても。……嫌かもしれないけど、諦められないの。

ごめんね。本当、ごめん。だって、せっかく」

「ぼく、もう行くから」

 藤川の手を振り払う。藤川のことが嫌いなわけではない。ただ、一緒にいると

何となく嫌な気分になるから、出来るだけ関わりたくないだけだ。

「ダメ。とーは、わたしと一緒にあっちに行くの」

 また腕を掴まれる。今度は、ぐいぐい引っ張られた。クラスメートや先生達が

遠くなる。午後の静かな坂道を上る。すこし急で、きつい。

「……お前、観光はいいのか? こういう所、好きなんだろ?」

 藤川一家は旅行好きで、休みのたびに出かけている。たまに休みではない

日にもいないことがある。そういう時は、静かで、楽で、少し、何かが欠ける。

「ん。いいの、京都はしょっちゅう来てるから」

「そういえば、お前からの土産って、京都とか東北とか北海道とかのが多いな」

「この前なんてね、異世界に行ったの。収穫は色々あったけど、あれは大変

だったなあ」

 藤川は、いつも変だけれど、たまにものすごく変なことを言う。昔、部屋に招

き入れられた時には、本棚に魔術やら呪いやらの怪しげなタイトルの本がびっ

しりと詰まっていた。

 さすがに異世界の話にまでは付き合えないと、無視を決め込んでいると、藤

川が薄いものを押し付けてきた。赤褐色で汚されたノートだった。

「……何?」

「遅くなっちゃったけど、12歳おめでと。誕生日プレゼント、ここのところ忙し

くて渡せてなかったから」

「いらない」

「ひどいっ。手作りなんだから有り難くもらって!」

「……修学旅行先で渡して荷物を増やす嫌がらせ?」

「ここじゃなきゃダメなの!」

 真剣な目でノートを押し付けてくる。目の前で破り捨てたら、どんなふうに怒

るのか興味が湧いた。

 たまに、藤川を不幸のどん底に落としてやりたくなる。

 藤川は何も悪くないはずなのに、そんなことを考えてしまうのが、気持ち悪い。

 感情が回って回って、ぼくはノートを握りしめた。



「着いた」

 藤川が、手際良く小さな鉄の扉を開ける。

 墓地だった。

 薄暗くて、穏やかな。

「こっちだよ」

 入口近くにいくつかまとめて建てられている墓石達に藤川が歩み寄る。いく

つかの内から1つ選んで、藤川は手を合わせた。

 墓石に刻まれた名に目をやる。知っている漢字のはずなのに、うまく頭に

入ってこない。

 代わりに、手を合わせている藤川にひどく腹が立った。

 真面目に拝んでいる姿が、許せない。

 どうしても、許せない。

 どうしても許せないのに、許したくて、それでもやっぱり、許せない。

「とー」

 呼び声で我に返る。

 許せない理由なんか、何もない。精神を病んでいるのかもしれないと、

いつものように考えて、泣きたくなる。

「だから……、お前といるのは嫌なんだ」

「もう少しだから」

 藤川がぼくの手を引いて、さっきまで自分が拝んでいた墓に触れさせた。

 墓石に、円のような模様が描かれている。

「これ」

 言いかけて、やめる。

 藤川が棒のようなものを振りかぶっていた。

「ごめん」





 世界は真っ白だった。

 体の感覚がない。ぼくもきっと真っ白なのだ。このまま、死んでしまうに違い

ない。藤川は、本当はぼくを殺したいほど嫌いだったのだ。いつも付きまとって

いたのは殺す機会を窺うためだったのかもしれない。

 真っ白なはずなのに、心だけ真っ黒になっていく。真っ黒に穴がボツリと空い

て、わけが分からなくなった。

 もう何も考えたくなくて、すべてを放棄する。






 いきなり、衝撃がやってきた。

 何処かに叩きつけられ、すべてを放棄したはずの体が痛みを訴えた。やがて

痛みが和らぎ色が増えていく。穏やかな畳の匂いが鼻を掠める。

 充満する、懐かしい空気。

 体をゆっくりと起こす。多分、痛みのせいで、涙が溢れ出た。

 周囲を素早く観察する。そこは、小ぢんまりとした和室だった。日本人だから

だ、と覚えのない懐かしさに納得した。住人の趣味なのか、所々に和室に合

わない変な模様が描かれている。それだけは懐かしくなかった。

 部屋の隅には、人がいた。時代劇に出てくる人物のような格好をして、綺麗

に正座したまま、ぼくを見つめている。ぼくも視線を返す。相手の顔が、はっき

りと脳に伝わった。

 途端、ぼくは畳を蹴っていた。力を込めた拳が、侍のような人の頬を思い切

り殴った。彼は避けなかった。ただ、ぼくを無表情で見つめていた。それが悔し

くて仕方なくて、どう考えても初対面の相手を殴るぼくの方に非があるのに、

どうしても腹が立って、抑えられなくて、今度は畳を殴った。何度も何度も、

殴った。

 指に赤いものが見え始めた頃、無表情だった人は、とても困った顔でぼくの

拳を止めた。

「痛いだろう?」

「痛い……」

 止まらない涙が大きくなって、畳に染みを作る。

「すまない」

 彼は、ぼくの手をとり、躊躇いながら謝った。

「何で、謝るんだよ……」

 加害者はぼくなのに。理由のない謝罪への苛立ちと、ほんの少しの安堵が

襲う。

「絶対に謝れと、言われていたからな」

「誰に? ぼくは、あんたなんか知らない」

「俺も、お前とは初対面だ。しかし、話は色々聞いている」

 傷だらけになった拳が、そっと握られる。

「本当に、すまなかった」

 深く頭を下げる彼に、黒と白の気持ちが入り混じって、吐きそうになる。どう

していいか分からなくて、嗚咽を一生懸命飲み込んだ。






 ぼくが落ち着いたのを確認すると、彼は訊いてもいないのに淡々と説明を開

始した。

「今は元治元年四月。ここは新選組屯所。俺は、斎藤一さいとうはじめだ。何か訊きたい

事は?」

「……いっぱいある」

「何だ? 待て、その前にお前も名乗れ」

「ぼくのこと、色々知ってるんじゃないの?」

「あまり長く話せなかったからな。名前を聞きそびれた」

 理解が出来ない。けれど、尋ねてわけの分からない会話が長引くのが億劫

で、さっさと望みを叶えることにした。

武藤恵輔むとうけいすけ……」

「けいすけ、か」

 一は渋く唸った。

「何?」

「いや……。で、何だ?」

「元治って何?」

「そんなことも知らんのか。元号だ」

「平成、みたいな? でも平成じゃないんだ……」

「俺にもよく分からんのだが、お前は百よりもっと前の昔に飛んできたらしいぞ」

 タイムスリップを宣告された。百よりもっと前というのは、どれくらいの時間

を移動したことになるのか、考えようとして、頭が破裂しそうになる。

「……よく、分からない」

「何も聞いていないのか?」

「誰に?」

「まあ……あいつが言いたくなかったのなら、俺も言わないでおこう」

 一は、それが正義だと言わんばかりの顔で数度頷いた。

「とりあえずさ、ぼく……帰れるの?」

「用が済めばな」

「用って?」

 一がぼくの後ろに目をやる。ぼくも、つられて振り向く。藤川に押し付けられ

たノートが畳の上に落ちていた。

「あれに書いてあったりしないのか?」

「書いてあったら、ぼくは幼馴染みのせいでタイムスリップしたことになる。い

くらあいつでも」

 ノートを拾い上げ、開く。ローマ字がびっちりと並んでいた。

「何だ? 読めんぞ?」

 一が覗き込んでくる。

「何て書いてあるんだ?」

 そこには、ここが江戸時代の終わり頃の京都であること、目的を達成すれば

帰れること、誰に何をすればいいかの提案、この時代でこれから起こる事件、

何人かの人物の一生などが書かれていて、この状況が藤川のせいだという証

拠を、あっさりと掴ませてくれた。

 一気に疲労感が押し寄せてきて、畳に崩れ落ちる。

「おい、大丈夫か?」

「少しだけ、寝たい」

 目が覚めたら、元の時代に戻っているのだ。そんなベタな暗示をかけて、目

を閉じる。

 優しい香り。優しい音。優しい温度。

 不幸な状況にあるはずなのに、たくさんの優しいものが包み込んでくる。ここ

から逃げたくて闇に駆け込んだのに、手が側にいる一の着物を掴む。自分の

行動が理解できない。

「藤川が側にいなくても、ぼく……頭おかしいんだ……」

 笑ってしまう。自分の異常を他人のせいにして、自分の異常さから逃げてい

たのだ。

「頭おかしいぐらい、普通だぞ。割といる。大丈夫だ」

 フォローしているつもりなのか、一が様々な変人について語り出す。それを耳

に入れながら、ぼくは遠く暗い場所へ旅立った。






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