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ラストステージ

 なぜだか大輝は、その外国人の男は信用できると思えた。どうしてなのかは自分でもわからなかったが、それはきっと自分を、そして七海を助けようとしてくれたという単純な理由からだろう。

「させるかぁッ!!」

 背の高い軍人のような外国人が叫ぶと、両腕にまとわりついた炎から、まるで蛇のような炎が伸びて、七海たちへ迫る敵の群れへ襲いかかる。

「クソッ!!」

「ぐわあぁああッ!!」

 撃ち落した者や避けた者、何とか致命傷は避けた者なども居たが、数人はまともに喰らって足を止めた。

 男が戦う姿を見て大輝もハッとなる。連中を七海たちに近寄らせるわけにはいかない。

「ストーン・ウォールッ!!」

 突如として、七海と協会の女に迫る人波の前面に石の壁がせり出す。最前列の敵は回避することが出来ず、まともに激突して悶絶する。

「へぶぁッ!!」

「がぁあ……っ!!」

「――おいおい、お前らの相手はそっちじゃねーぞッ!!」

 人波に気を取られていた二人目掛けて、再び男の謎の攻撃が迫る。

 予備動作も攻撃の軌跡も見えず、プレッシャーの正体は依然として掴めない。

「がッ!!」

「うわあぁああっ!!」

 大輝はまともに喰らい、再び地面にめり込んだ。一方で協会の男は辛うじて横に転がって回避した。

「おい、外人!てめー名前はなんてンだ?」

 立ち上がり、反撃を仕掛けようとした男の機先を制すように、一宮が問いかける。

「……ディートリヒだッ!!」

 律儀にも名前を叫びながら、協会の男――ディートリヒは両腕を一宮へ向ける。炎は弾丸のように一宮目掛けて発射される。

「ディートリヒね。俺は一宮っつーんだ……よっとぉッ!!」

 一宮も自分の名を名乗りながら、周囲に無数の"衝撃"を作り出すと炎を全て相殺させた。

 その間、ディートリヒは一宮と大輝、そして七海と協会の女――佐知子に迫る敵を見渡すと、

「――仕方あるまいッ!!」

 と呟いた。

 直後、両腕の炎が霧散。ディートリヒは一瞬動きを止めて立ち止まる。

(何か仕掛けてきやがるか――!?)

 さすがの一宮も不可解な行動に眉を顰め、警戒を露わにしながら手を翳す。正体不明の不可視の攻撃がディートリヒに迫る。

 だが、それよりも早く――、

「"EODソリチュード"――ッ!!」

 ディートリヒの全身を爆炎が包む。そして、凄まじい突風が吹き荒れる。

「うわぁ……っ!!」

「ちぃッ!!」

 その場の老人を除いた全ての者が突風に圧されて怯む。

 お蔭で一宮の力も緩み、大輝は何とか拘束から逃れることができた。

「ほう……中々やるな」

 老人はまるで動じず、それどころか楽しそうに目を細めて爆炎を見つめていた。

 爆炎が晴れ、そこからは――モスグリーンの鎧装結界に包まれたディートリヒが表れた。

「鎧装結界か、クソッ!!」

「へ、変身した!?」

 肉厚で非常に動きづらそうな寸胴のスーツは、一見すると宇宙服に似ていた。

 全体的にずんぐりとしており、要所要所には黒い装甲のようなものが埋め込まれている。特に襟が高くなっていて、頭部を覆い隠すようにぐるりと囲んでいた。肝心の頭部は、前面の一部が鏡面のヘルメットになっており、顔はうかがい知れない。

「佐知子くん、全力で防御しろぉッ!!」

「は、は――」

 佐知子の返事を待たず、ディートリヒが叫びと共に両腕を真横へと翳す。

「――うぅるぁあああぁッ!!」

 その瞬間、強烈な爆発が二つ、敵の群れのど真ん中で炸裂する。

「あ――――」

 両腕の延長線上に居た敵の群れはうめき声を漏らす暇さえないまま、大爆発に巻き込まれて沈黙した。

「きゃぁあああッ!!」

 佐知子は七海に覆いかぶさって守りながら、全力で"衝撃"の壁を作り出すことで爆発をどうにか逃れた。

 が、焼けつくような熱風に肌を撫でられ、巻き込まれていたらと思うと血の気が引いた。

「うわぁ――――っ!!」

 大輝も爆発によって体が浮き上がるが、即座にディートリヒに引き寄せられて難を逃れた。

 二人は示し合わせたように七海と佐知子に目をやるが、無事を確認して安堵の息を漏らした。遠くでは老人も笑みを浮かべてその状況を眺めている。

「あ、あの博士、えっとおじいさんは僕の仲間だから、敵じゃないよ」

「ん?あ、ああそうなのか」

 大輝はディートリヒに抱きかかえながら老人を弁護する。どう見ても異質な老人を、疑問に思わないわけがないと思ったからだ。

(と、いうことは……あの老人が件の"善意の第三者"か?)

 炎が消え去ると、もう人波の中に動く者は居なくなっていた。惨劇を目の当たりにした大輝は、ディートリヒが敵じゃなくてよかった、と心から思った。

 だが、敵は全て倒れたわけではなかった。

「えげつねえことしやがるぜ、おい……!!」

 その声は紛れもなく一宮のものだった。

 だが、煙の向こうのシルエットは異様であった。

 まず目に付くのは両肩の球体だ。くるくると自転するそれを見て、大輝は地球儀を思い出した。

 だが肩の球体とは裏腹に、全体的にエッジの効いた尖ったデザインをしている。顔らしき場所はつるんとして何もなく、頭は長く後ろへと突き出していて、歪んだ水滴のような形だ。

「てめえがそう来るなら仕方ねえ、こっちもとっておきだ。こいつが俺の鎧装結界――"天球核アストロハイブ"だ」

「やはり貴様もそれが使えるのか……!!」

 パールホワイトの姿は、先ほどまでの一宮とは対照的な印象だった。

 ディートリヒは一宮も鎧装結界を構築できると予想はしていたが、それでも実際に顕現した姿を見ると驚かずにはいられなかった。

 互いの表情が読めなくなった分、一層緊張感が増す。

「行くぜ……二人まとめて相手してやる」

 一宮の体が不気味に地面から離れ、地上数十センチの空中に浮かぶ。

 ただならぬ気配を察知したディートリヒは、突入前から考えていた一つの判断を大輝に告げる。

「……少年。私がやつと戦っている隙に、少女を連れて逃げるんだ」

「え……?」

 ディートリヒの不意の言葉に、大輝は耳を疑った。

「ま、待ってよ……おじさん一人じゃ……」

「……無論私とて、手は尽くすさ。深い事情は知らないが、あの少女は君にとって大切な人なんだろう?」

「……うん」

 でも――そう言いかけたが、その言葉を紡ぐ前に、

「――はぁあッ!!」

 一宮が仕掛けてきた。

「させるかぁッ!!」

 何かアクションを起こされる前に――ディートリヒも負けじと動く。

 ディートリヒの眼前に、周囲を歪ませるほどの熱気を帯びた灼熱の塊が出現。それは目にもとまらぬスピードで、一宮へ飛ぶ。

「喰らえぇッ!!」

 火球は完全に一宮を捉える。だが――、

「ッ!?」

 ――当たる寸前、大きく軌道を逸らして明後日の方向へ飛んで行き、見当違いの場所に着弾する。

 と、同時に――ディートリヒの頭上から凄まじいプレッシャーが降り注ぐ。

「――ぐぅうぅうああぁッ!!」

 結界のおかげかどうにか倒れずに済んだが、まるでプレス機に挟まれたかのように体が沈み、足首まで地面に埋まる。

(またこれだ!――これは一体なんだ!?)

 逡巡するディートリヒに、すかさず一宮は追撃を加える。

「おぉらあぁぁぁッ!!」

 アイススケートのように宙を滑りながら一宮が迫る。防御しようにも、頭上の圧力を防ぐのに手一杯で身動きが取れない。

 がら空きのディートリヒの胴体へ、一宮の鋭い跳び蹴りが食い込む。

「ぐあぁあッ!!」

 ディートリヒは後ろへと蹴飛ばされ宙を舞うが、空中で一回転して器用に着地を決める。

 だが叫びとは裏腹に、ディートリヒの動きには相変わらずキレがある。

「なんだ……?イマイチ決まった感触がねえぞ」

 派手に吹き飛んだ割には手ごたえがなかった。蹴りの衝撃は結界によって吸収されているようで、まるでクッションを踏んだような柔らかい感触だった。

(あいつの鎧装結界……どうやら見た目通りの防御力って感じだな。大輝のやつみてーに硬いんじゃなくて、こっちのは衝撃吸収とかそんな感じだ)

 厄介だな、と一宮は心の中で一人ごちる。

 一方のディートリヒは、一宮ではなく未だに逃げずに居る大輝を気にかけていた。

「少年、早くしろ!」

 大輝は迷っていた。

 七海のことや、自分の中の恐怖心を思うと、ディートリヒに全て押し付けて逃げ出してしまうのが一番だというのは、理屈ではわかっていた。

 何よりディートリヒは戦い慣れていて実力もある。間違いなく戦いのプロだ。そもそも場違いなのは自分であって、こんな馬鹿げた争いは専門家に任せるべきなのだろう。

 だが。

 それでも。

「行け、少年ッ!!」

「――ッ!!」

 その一言をきっかけに、少年は走り出す。

 しかしそれは七海の方ではなく――悠然と構える一宮目掛けてだ。

「チェーンジッ!ウッド・フォームッ!!」

 正攻法で勝てないのなら、スピードで翻弄する!

 大輝なりのアイデアで、五つのフォーム中最も素早いウッド・フォームへと姿を変える。

「なッ!?無茶をするな、少年ッ!!」

「ウィンド・カッターッ!!」

 大輝の周囲で風が唸る。高圧の風は刃と化して、床や壁に傷を刻みながら一宮を襲う。

「早ぇえ……が、それじゃあダメだ」

 言葉尻に笑いを滲ませながら、一宮は肩をすくめる。

 カッターはディートリヒの火球の時と同じく、命中寸前で軌道が大きく外れてしまった。

「おらぁあッ!!」

「ぐぅ……うわあぁぁぁッ!!」

 一宮が大輝へと手を翳すと、大輝は成す術なく押し戻され、吹き飛ばされてしまう。

 何とか着地しようと踏ん張るが、堪えきれずに思い切り倒れ込んでしまった。すかさずディートリヒが大輝の傍へと駆け寄る。

「馬鹿な真似を……君では無理だ!なぜ逃げないんだッ!!」

 強い言葉に反し、優しく大輝を起こしながら、ディートリヒが叱責した。

「……なんだ」

「え?」

「ここで逃げちゃ、ダメなんだ」

 無力感を噛みしめながら、震える声で大輝は言った。

「……これからも僕は七海を守らなくちゃいけないんだ。でも、もしここで逃げちゃったら……僕はきっと、七海を守り通すことなんてできなくなっちゃう!だから、逃げちゃダメなんだ!!」

 勇気を絞り出すように叫ぶと、果敢に駆け出して一宮へと突進する。

 無謀な攻撃は容易く見破られ、軽々と吹き飛ばされ、またディートリヒの足元へと戻ってくる。

 それでも大輝はまた立ち上がり、攻撃を試みる。

 一方的な蹂躙。しかしその光景を目の当たりにしたディートリヒの胸には、熱い思いが込み上げていた。

「走り出した男を止めることは出来ん、か……」

 スーツの下で、ディートリヒは静かに笑う。それは目の前の小さなヒーローを認めた瞬間だった。

「――――ぅわあああっ!!」

「ふんッ!!」

 懲りずに吹き飛ばされた大輝を、ディートリヒは抱き留めた。

「あ、ありがとう……」

「――君を戦士と見込んで頼みがある」

「え?」

「君が逃げないと言うならば……私と共に、奴と戦ってくれ」

 ディートリヒは誠実に申し出た。大輝を子供ではなく、対等な一人の男として向き合っている。

「うん!」

 大輝は大きく頷いてみせた。状況は先ほどと変わっていないにもかかわらず、一緒に戦う仲間が出来たという事実は、大輝に力を与えた。

「ありがとう。――まずは遠距離攻撃で様子を見よう。なるだけ敵に近づかず、回避と攻撃の両方を意識して動くんだ。……行くぞッ!!」

「う、うん!」

 ディートリヒが駆けだすと、大輝も反対方向へ駈け出した。

「お?連係プレーってやつか?」

 二人を交互に見やってから、しかし一宮は依然として落ち着いて状況を観察した。

「――はぁぁッ!!」

 足を止めず跳ね回りながら、ディートリヒが力を込める。

 フラフープのように火炎がグルグルとディートリヒの周囲を旋回したかと思うと、見る間に炎は成長し、ついには灼熱の大蛇と化した。

「行けぇッ!!」

 掛け声に合わせて大蛇が舞う。

「ワイルド・アローッ!!」

 一方の大輝は虚空から弓矢を取り出すと、慣れない手つきで矢を放つ。

 始め一本だった矢は途中で三本、さらに九本に分裂し、バラバラの軌道で翻弄するかの如く一宮を狙う。

 紅蓮の大蛇とミサイルのような矢、回避不可能な同時攻撃だ。

「……かぁーッ。温すぎて話になんねーわ」

 やれやれ、とでも言いたげに、悠長に首を横に振る一宮へ攻撃が迫る。

 だが――、

「テメェら自身で喰らいやがれッ!!」

 ――攻撃はまるで一宮を避けるかのように屈折し、やはり当たらない。

 それどころか大蛇は大輝へ、矢はディートリヒへと襲いかかる。

「何ッ!?――ぐぉおおッ!!」

 辛うじて大輝に当たる前にディートリヒは大蛇を消滅させ、さらに自身の全身を炎で覆い尽くすことで、矢が当たる前に焼き尽くした。

「お、おじさん!」

「あら、リサイクル失敗かよ。だがな――」

「ぐぅあああッ!!」

「うわあぁあぁぁっ!!」

 一宮が軽く手を動かす。瞬間、ディートリヒと大輝の体が思い切り吹き飛ばされ、勢いよく壁に打ち付けられる。

「――それならそれで、このまま押し潰してやる」

 ギシッ、と何かが軋む不吉な音――あまりの圧にディートリヒの結界が悲鳴を上げているのだ。

(なんとか……なんとかして逃れなければ……!!)

 頼みの綱の大輝も、奮闘空しく壁に押さえつけられている。

 必死にもがき逃れようとするが、いくら力を込めても腕が上がらない。

「くっ……そぉ……っ!!」

「しぶてぇなぁ……はぁッ!」

 一宮がさらに力を込めると、ピシッというかすかな音と共に、今まで全くの無傷だった大輝の装甲に罅が走った。

 大輝の顔が蒼白に変わる。

 それはすぐ目の前に迫った死への恐怖によるものでもあるが、それ以上に、自分が倒れてしまうことはすなわち七海の死を意味しているからだ。

「うぅ……ごぉ……けぇ……ッ!!」

「ぐぁぁあ……くそぉ……ッ!!」

 二人をあざ笑うかのごとく、見えない力はなおも力を増して圧し掛かる――。



 佐知子と七海は、一宮と大輝・ディートリヒの戦いを遠くで眺めていた。

 防戦一方、それどころか目に見えて押されている二人を見つめる七海の瞳から、絶えず涙が溢れ続ける。

「やだぁ、大輝……逃げてよぉ……!!」

 錯乱寸前の七海は、今にも戦いの渦中へと駆けだして行きそうだった。佐知子にはそんな彼女を強く抱きしめて留めることしかできなかった。

 ディートリヒに言い渡された佐知子の任務は七海の保護だ。

 自分があの戦いに割って入ったところで、足手まといになるだけだ――そう理解していたからこそ、七海の傍を離れずにいた。

 だが――、

「ぐぅあああッ!!」

「――――ッ!!」

 ディートリヒと大輝が同時に吹き飛ばされるのを見て、佐知子の腰が浮いた。

(ダメだ、駄目だ……行っちゃいけない!この子を守らなくちゃ……)

 佐知子は無意識に、血が滲むほど強く唇を噛みしめていた。そうでもしないと、感情を抑えきれそうになかったのだ。

 いつの間にか体も震えていたが、それは恐怖によるものではなく憤りによるものだった。

「しぶてぇなぁ……はぁッ!」

 一宮が叫ぶと、二人の体がさらに深く壁へとめり込む。

「ぐぁああッ!!」

「うわあああッ!!」

 二人の悲痛な叫びが、佐知子と七海の耳にまで届いた。

「ディートリヒさん……ッ!!」

「嫌ぁ、大輝ぃ!!」

(もう、ここで待ってるなんて――無理)

 相棒の絶体絶命の状況を前にして――ついに佐知子の感情が理性を凌駕した。

 その瞬間、体の震えは止まり、やけに頭が冷静になる。

「――七海ちゃん、ごめんね」

「……えっ?」

 突然佐知子に頭を撫でられ、七海は呆気にとられ彼女を見上げる。

 佐知子の顔には憔悴が見て取れるが、しかし笑顔が浮かんでいた。

「無責任なこと言うけど、いざとなったら……一人でも逃げて」

 言葉が終わると同時に、佐知子の姿が掻き消える。

 優しく触れていた体の感触が離れてゆき、まるでそこには誰も居なかったかのように七海だけが取り残された。

「お、お姉さん……?」

 きょろきょろと探すが、姿はどこにもない。

 佐知子は突然姿を現したのと同じく、また消えてしまったのだ。


(――何もできないとしても、何もしないでいるのは――嫌だッ!!)

 大輝とディートリヒを圧倒する一宮に、"消失"で透明化した佐知子が忍び寄る。

 佐知子の体力はもう限界ギリギリだった。

 これほど連続して魔術を使ったことは今までなかったし、その上初めての戦闘や強大な魔術師の登場と、緊張の連続だ。

 だが、自分にそんなものがあるだなんて思っても居なかった"決死の覚悟"が痛みも疲労も忘れさせて、佐知子を突き動かしていた。

 一歩、また一歩と踏み出すと、時々戦闘で撒き散らされた床や壁の破片を踏み、ジャリッという音がした。いくら足音を忍ばせたところで、これではいずれ気づかれてしまう。

(姿だけじゃダメだ、音も……!!)

 佐知子は"消失"だけではなく、さらに"消音サイレンサー"を使用することで足音も掻き消した。

 いずれも高い集中力を要する魔術であるが、過酷な状況によって研ぎ澄まされた精神がそれを可能としていた。

(倒すのは自分の役割じゃない。私は、一瞬でもあの攻撃を途切れさせることができればいい!それが私の役割!)

 床に散乱する人々を踏み越えて、細かい石片を踏みしめながら駆ける。

 残り距離、三十メートル。

(……そうだ、この石を……!)

 姿勢をギリギリまで屈めて石片を一つ手に取る。こぶし大の石は佐知子が手にすると同時に消失。

 さらに佐知子は手にした石を核にして"衝撃"を作り出す。音も姿もない"衝撃"は回転数を増し、巻き込まれた石も高速回転を始める。

 残り距離、二十五メートル。

「このまま潰れちまってくれよぉ……ッ!!」

「ぐがぁッ!!」

「あぁあああっ!!」

 一宮は二人を交互に見据えながら、両手に力を込めた。石壁が壊れる音か、鎧装結界の叫びかわからない嫌な音と、紛れもない二人の叫びが響く。

 残り距離、二十メートル。

(やるしかない――ッ!!)

「……あぁ!?クソッ、さっきの女か!?」

(ッ!?気づかれた……ッ!!)

 踏み込んだ瞬間、一宮が見えないはずの佐知子の方へ振り向いた。それと全く同じタイミングで、佐知子は石を巻き込んだ"衝撃"を放つ。

 まるで砲弾のように凶悪な回転とスピードを伴った"衝撃"は、透明無音のまま一直線に一宮へと襲いかかる。

「なんだこりゃ!?"衝撃"、いや岩石……ああ、なんでもいいッ!!」

 不意の奇襲に、さすがの一宮も同様を隠せない。

 反射的に見えない圧力によって反撃し、"衝撃"を佐知子もろとも吹き飛ばす。

「くっ……ぁあああああっ!!」

 押し返された"衝撃"は吹き飛んだが、石片はそのまま逆に佐知子を襲う弾丸と化す。

「かふぁ……ぁッ!!」

 自身も吹き飛ばされているためそこまでのダメージにはならなかったが、腹部に食い込んだ岩石の痛みによって肺の中の空気が押し出され、呼吸が出来なくなる。

 佐知子はそのまましたたかに床へと打ち付けられ、数メートル滑った後に停止する。

「ごほッ……ぐッ…………ぉえっ…………っはぁ……ッ!!」

 辛うじて意識を繋ぎ止めたものの、"消失"も"消音"も解除され、無様に転がる姿が露わになる。

 床に涎と汗を零し、目尻に涙の浮かべながらも、佐知子は強く一宮を睨み付けた。

 しかし一宮に佐知子の相手をしている余裕はなかった。なぜなら――、

「うぉぉッ!!」

「はあぁあッ!!」

 ――佐知子に気を取られた所為で、二人の拘束が解けてしまったからだ。

「ちぃッ!!」

 熾烈な攻撃が再開する。迫る炎と風を避けながら、再び一宮は二人を狙い澄ます。

 だが二人は複雑に移動しながら、ギリギリのところで攻撃を避けて難を逃れる。

 だが、このまま戦いを続ければ、再び二人が捉えられてしまうのは目に見えていた。

「……くっ…………ふッ……くそぉ……ッ」

 佐知子は泣いていた。

 自分の役割は果たせた――だが、そんなものは焼け石に水だった。

 生まれて初めて、自分の無力さが許せなくて、泣いていた。

 自分がもっと強ければ――いや、いっそここに居るのが自分よりももっと強い魔術師であれば――ディートリヒも、大輝も、七海も死なずに済んだかもしれない。

「くそッ……ちくしょう……ッ!!」

「お、お姉さん!!」

 蹲りながら床を強く叩く佐知子に、七海が駆け寄る。

 加減なく叩きつけられた手には裂傷が生じ血が流れるが、それでも佐知子はやめない。見かねた七海が腕をつかんで必死に止める。

「ダメだよお姉さん、怪我しちゃってるよぉ……!!」

「私はッ……こんな…………くそぉッ!!」


「――無力が悔しいか?」


 突如として老人の声が二人の背後から響く。弾かれたように振り返ると、いつの間にか白衣の老人がそこに立っていた。

「え?……あ………………く、國井秀雄!?」

「く、葛葉博士!?」

「む?」

 二人のバラバラな反応に、老人は首を傾げる。が、すぐに二人の驚きの理由を理解して答える。

「ああ、なるほど。小娘はあの小僧と同じで番組を見ていたのだとわかるが……眼鏡の娘、お前が言っているのは演者の名前か。だが私は別人だ」

「え?ど、どういう、こと……というか、あなた誰ですか?」

 突然すぎる老人の来訪に、すっかり佐知子は気を取られて手が止まる。

「私はあの小僧に力を――鎧装結界を与えた者だ。……便宜上、葛葉博士と呼ばれているので、そう呼べ」

 そういえば地下に突入した際、一人だけ異質な雰囲気の老人が居た。てっきり敵の一味で攻撃に巻き込まれたのかと思っていたが、白衣には汚れ一つなく無垢なままだ。

 老人の言葉を聞きながら、佐知子はハッとなった。

(待って……この人は、本当に味方なの?)

 佐知子は七海を庇うようにして身を起こし、警戒を露わにする。

「目的は何!?この子は渡さないわ……!!」

 精一杯の虚勢を張る佐知子を、老人は薄笑みを浮かべながら眺めた。

「ふーむ……いや、意外にも……お前には資質がありそうだ」

「……?」

 不審な老人の挙動を気にしながらも、刻々と続く戦いが気になりそれどころではなかった。

「あの子の味方だって言うんなら、どうして助けてあげないの?」

 佐知子の言葉には、明らかな非難の色が滲んでいた。老人はそれを感じ取りながらも、気分を害する様子はない。

「いや、私にもそれなりのルールがあってな。必要以上の直接的な手出しは出来んのだ」

「ルール?」

「ああ、気にするな。それより娘よ――――お前は力を望むか?」

「力……?」

 あまりにも得体の知れない老人だが、その言葉には不思議な説得力と――何より魅力があった。

 そのため今すぐにでも二人を助けなければならない状況にありながら、佐知子は真剣に悩んでいた。

 力――老人の言う通り、もし自分にもあの少年のような力が――鎧装結界があれば、戦況を逆転させられるかもしれない。

「……本当に、力をくれるなんてことが出来るの?……見返りは何?」

「ん?見返りと言うとひょっとして、寿命だの肉体だのとでも言うつもりか?言っておくが私はメフィストフェレスでもなければ、お前のような貧相な女に情欲を覚えることもないぞ。何、私は世界が――この状況の変革こそが最大の報酬なのだ」

 馬鹿にされていることすら頭に入らないほど佐知子は集中していた。

(もし、もしもこのおじいさんが言うことが本当だとしたら――)

 そして、考えるまでもなく、答えは決まっているのだ。

「――欲しい。とにかく、力が、欲しい」

 老人は破顔するなり、懐に手を差し入れた。

 抜き出した手に握られていたのは、小さな結晶だった。

 金色の上に薄く漆黒のベールがかかったような、蠱惑的な輝きを放つ丸い石だった。

「綺麗……タイガーアイみたい……」

「これは――賢者の石だ」

「えっ!?」

 敵の男・一宮が――いや、魔術師ならば欲してたまらない結晶が、まるで近所のおばさんが子供に飴でもくれてやるかのような手つきで佐知子に渡された。

「それを使えば、お前でも鎧装結界を構築することができる。ただし使い捨てだ。あくまでこの戦い一回こっきりしか使えんぞ。だがそれで十分だろう」

 賢者の石が怪しく輝く。握っているだけで力が湧いてくるような、引き込まれる奇妙な魅力があった。

 佐知子は目をつむって強く握りしめた。

 そして、願う。

「そうだ。力を想像し、創造しろ。自らの力の最適解を導きだし、形を成せ」

 自らの力の最適解。

 ディートリヒのような劫火を操るものではない。

 かといって大輝のようなオールマイティな力でもない。

(私の力は――これしかないッ!!)

 願いに呼応するようにして、賢者の石がはらりと解けた。

 そして包帯のような白い帯が瞬時に佐知子の全身を覆うと、佐知子の姿は――消滅した。

 姿はおろか、音も、気配も――何もない。

「またお姉さん……消えちゃった」

「ほう……やはり娘、お前はなかなか面白い」

 茫然と周囲を見回す七海とは裏腹に、老人は相好を崩した。

「小娘。お前にも力をやろうかとも思ったが……古今東西、攫われた姫君が果敢に戦う物語は存在せん。少し勇者が増えてしまったが、お前はそこで救い出されるのをどっしりと構えて待っていればよい」

 老人に促されるまま、七海はぺたんと力なく座り込み、再び戦いを眺めていた。



 苛烈な応酬は続く。

 ディートリヒの火炎と爆発、大輝の多種多様な属性攻撃。

 それらはパールホワイトの男――一宮を屈服せしめんとして襲いかかる。

 だが攻撃をどれだけ撃とうとも、一宮に当たることはない。全て軌道を外れ、あらぬ方向へと逸れてしまうのだ。

 一方で、一宮の攻撃に慣れてきた二人は紙一重で致命傷を避けて、なんとか捕まることなく抵抗を続けていた。

(……段々と攻撃の正体が掴めてきたぞ。引力、斥力、あるいは重力か……奴の攻撃はその類だろう。"衝撃"等の風圧を利用した魔術と違い手応えがない。こちらの攻撃が当たらないのも、局所的に力を発生させることで軌道を逸らしているのだろう)

 戦闘のさなか、ディートリヒは冷静に敵の攻撃を見極めていた。そしておそらく正解である答えに辿り着いた。

「ちょこまかと逃げてんじゃあねえぞッ!!」

「く……ッ!!」

 結界の効果で感覚が引き上げられたことで、見えない攻撃の接近を察知し、すんでのところで横に跳んで避ける。

(奴の結界……あれだけ頑なに攻撃を当たらないようにしていると言うことは、防御性能には自信がないのか?……いや、防御性能を犠牲にして魔術強化に特化していると考えるべきか。脆弱な結界であっても攻防一体の術を扱えれば、装甲は申し訳程度でどうにかなる。攻撃を当てることさえできれば――勝機はある!)

 しかし、それでも自分の攻撃を当てる方法がないのでは、勝ち目がない。

 鎧装結界の構築や魔術行使による消耗は敵にもあるはずだが、まだ一つとして外傷を与えることが出来ていない。

 このまま戦いが長引けば、負けるのは消耗と損傷が激しい自分たちだということは、痛いくらいに理解していた。

 その時だった。

『――ディートリヒさん』

「!?」

『振り向かないで。そのまま聞いてください』

 背後から聞き覚えのある幽かな声――佐知子の声が響き、振り返りそうになったディートリヒだったが、すかさず言葉で牽制されたため、なんとか振り向かずに居た。だがその胸中では動揺を隠せない。

 どうしたものかと答えあぐねていると、

『……あのおじいさんに力を借りて、一時的に私も鎧装結界を構築しているんです。……これから作戦を伝えます。敵に気づかれないように、はいなら舌打ち、いいえなら無言で答えてください。いいですか?』

 と佐知子が促した。

「…………チッ」

 落ち着いた佐知子の声とは対照的に、ディートリヒは戸惑いながらも答える。

 声はするが、姿はもちろんとして一切の気配を感じ取れない。普段以上に感覚が鋭敏化しているにもかかわらず、である。

『私なりに、敵の結界について気が付いたことがあります。……おそらくあの結界は、二重結界とでも言うんでしょうか……あの男を中心にして約二十メートル圏内の物体・存在を知覚しています。先ほど姿を消して近づいた時、その圏内に踏み込んだ瞬間に気が付かれました。姿や音で気づかれたんじゃなく……その圏内のものを感覚として捕えているような、そんな感じでした』

「……チッ」

『でも今、あの男は私に気が付いていません。つまり私の力をうまく使えば――あの男を倒せる可能性があります。でもそのためには、敵の気を引く必要があります』

「……チィッ!!」

 敵の攻撃を避けながら、ディートリヒが答える。

 佐知子はちゃんと回避できたのか、ひょっとして透明なまま倒れてしまってるのではないかと心配になるが、

『――いいですか、まず――』

 と声がしたので胸をなでおろした。

 だが、その作戦内容を聞いて、装甲の下のディートリヒの表情が変わった。もしも敵に顔が見られていたら、すぐに何かしているのがばれてしまっただろう。顔を覆うヘルメットに感謝した。

(……本気なのか、彼女は?ある意味で……俺よりも遥かに度胸があって、大胆と言うか……)

 その作戦はあまりにも無謀で危険なものだったが、悩んだ挙句にディートリヒは舌打ちではなく、魔術で応えた。

「――――はぁああああッ!!」

 ディートリヒの手の中で、火炎が肥大化してゆく――。



 ドォン、という爆発と共に、ディートリヒの姿が煙の中に埋もれた。

 攻撃は一宮を狙ったものかと思いきや、ディートリヒは自分の目の前に向かって発射したのだった。

「あぁッ!?」

 濃密な煙によって影さえも見ることができない。

 だが一宮は、踵を返して駆けだしたディートリヒの動きも、視界の外で反撃を企む大輝の行動も、手に取るように感じ取っていた。

「おい、逃げんのかテメェ!?」

 語気を強めて叫んだ。隙が生じたと判断した大輝はすかさず攻撃を試みるが、

「クレッセント・プロミネン――――ぅうわぁああああぁッ!!」

 一宮は顔を向けることさえせず、淡々と攻撃を弾き大輝を吹き飛ばした。

 その間にもディートリヒは距離を離し――ついに知覚圏内を越えてしまう。

(クソッ……何をする気だ?体勢を立て直してるのか……もしや本当に逃げ出したか?……いや、それはねぇな。今までの感じじゃ、アレはテメェが死んででも突っ込んでくるタイプだ)

 頭では冷静な判断を下しながらも、一宮の顔には焦りの色が一筋の汗と共に浮かんでいた。

(あとどれくらいだ?持ってせいぜい二十分ってところか……クソッ。思ったより、長引いちまってるな)

 一宮の鎧装結界"天球核"は魔術の絶大な強化と、佐知子の指摘通り半径二十メートル圏内の人や物体、魔術までも察知することができる。単独での多人数戦闘を想定して構築された、攻守に優れた結界である。

 ただし致命的な欠点が、その広範囲知覚による消耗である。

 脳内で立体的に位置を把握し、さらに同時攻撃や魔術への防御を行うのは、非常に集中力を要する。

 そのため結界を維持できるのは一時間が限度である。短期集中決戦を想定しているため、長期戦に持ち込まれると太刀打ちできないのだ。

(多分もう能力や結界の範囲は気づかれた頃だろうが……さすがにタイムリミットまではバレてねえだろう。だがとっととカタつけねぇと、こっちがやべえ)

 まずは大輝を倒し、それからディートリヒを追いかけて倒そうか――そう思っていた矢先、再び煙の向こう側から何者かが踏み込んできたのを感じ取った。

 脳内にはその存在がはっきりとビジョンとして浮かんでおり、それは紛れもなくディートリヒのものだった。

(帰ってきたのは幸いだが……なーんか企んでるんじゃねえか?一旦逃げて戻ってくるっつーのは明らかに妙だ。一体、何を仕掛けてきやがるんだぁ……?)

 一宮は最大級の警戒を全神経に巡らせて、目や耳以上に現状を察知する結界に意識を集中させる。戦場を俯瞰で眺めているかのように、動きが手に取るようにわかる。

 自分を中心にして、前方丁度二十メートル、結界の知覚圏内ギリギリの位置にディートリヒ。両腕を上げており、その掌中では"波"の流れが起こっている。何か攻撃を仕掛けてくるつもりらしい。

 一方、ななめ左後方およそ十五メートルほどの位置には大輝。見えない力――重力によって押さえつけられ身動きが取れず、どうにかして拘束を逃れようともがいている。

(あんまり時間かけてる暇もねえ……外人の方は様子見でほっといて、まずは弱ってるガキからぶっ殺す……!)

「おらぁ、潰れちまえぇッ!!」

 生身であれば全身の骨が砕けるほどの負荷が、さらに威力を強めて圧し掛かる。

「ぅぅぅうううううああああああぁッ!!」

 大輝の絶叫に紛れることなく、鎧装結界が軋み罅入る悲鳴が響く。

 それでも結界はまだ形を保ち内側の少年を守っているが、あと少しでガラスのように砕け散ってしまうだろうと言うことは、誰の目にも明らかだった。

「…………ッ!!」

 突如、ディートリヒが走る。その周囲には火球が一つ、また一つと灯る。

 パンッ、と手を叩くと同時に、火球は複雑なジグザグの軌道を描きながら一宮目掛けて飛んだ。

 その間もディートリヒは大輝の方へと走っている。

「だぁーかぁーらぁー……無駄だっつってんだよ!」

 今までの攻撃同様に、多角度的なその攻撃も一宮に当たることなく、全てでたらめな場所に当たって消えた。

 一宮は結界に意識を強めて、次の一手を探る。

 大輝の状況は依然変わらない。だがディートリヒの手の中には再び"波"が揺らいでいるのを見逃さなかった。"波"は凄まじい勢いで回転をしている。

(炎じゃねえ……"衝撃"の類か?今度は何をするつもりかわかんねえが……めんどくせえ、これ以上やらせるわけにはいかねえな)

 既に竜巻のような回転を始めたそれは、さらなる高速回転をするべく加速を続けている。

「喰らえやぁあッ!!」

「……ッ!?」

 一宮は大輝を左手で押さえつけながら、右手から"重力グラビティ"を放つ。

 が、その攻撃を見透かしていたのか、あるいは一宮の攻撃に驚いたことによる反射的な行動か、ディートリヒの手から暴風が滑り出した。

 暴発と同時に、ディートリヒの体は石壁へと打ち付けられた。

「――――ぁッ!!」

 何とかこらえたのか、声を小さく漏らしながらも、一瞬でディートリヒは縫い付けられて停まる。

 しかし、

「――――!?クソッ、そういうことか!!」

 竜巻は手から零れあらぬ方向へと飛んで行った、と思っていたが――それは真っ直ぐに大輝を狙っていた。

(あのガキをぶっ飛ばして逃れさせるつもりか!クソッ、どうする!?)

 "重力"の操作は結界同様、大きな集中力を要する高度な魔術だ。通常は一つの対象、あるいは一か所に対してしか行えない。

 しかし一宮は過酷な練習と努力、何より恵まれた才能によって、同時に数か所への負荷をかける術を習得していた。そのため多人数を相手にした場合であっても、同時に全員を無効化することが可能だ。

 だが、今相手にしている二人は凡百の魔術師とは格が違った。

 一人は戦闘に不慣れな子供と言えど、鎧装結界の効果によって超強力な魔術をノーリスクで放ってくる上、いざとなれば自分自身が傷つくのも厭わない覚悟を持った大輝。

 もう一人は場数を踏んで戦いに慣れている上、火炎・爆発系の術を得意としている、およそ自分と同格の魔術師・ディートリヒ。

 彼らを押さえつけるためには、力を分散させず局所的に集中させなければならない。同時に二か所を押さえつけるのが関の山だった。

 既に大輝を押さえつけている上、右手からも強力な"重力"を発射しディートリヒを食い止めている。一宮の実力では、これ以上の魔術を同時に扱うことはできない。

(竜巻を止めるには外人かガキのどっちかの手を離さなくちゃならねえ。ほっとけばどのみちガキは吹き飛ばされて助かっちまう。そうなったらガキがまた仕掛けてきて、外人の拘束が外れちまうかもしれねえ。そろそろ俺も限界に近ぇ、ここで悪手を打って逃がすわけにはいかねえ……どうする!?)

「ちいぃッ……はあああああッ!!」

 大輝とディートリヒのどちらも逃がすことなく、竜巻だけを逸らす方法――それは、一旦二人への"重力"を弱めることでキャパシティを確保し、最低限軌道を逸らすだけの第三の"重力"を生み出すというものだった。

「…………ッ!!」

 ほんの少しだけ荷重が弱まったのも束の間、竜巻は目の前で軌道が逸れて、石の床を大きく抉り破片を撒き散らして消えた。

「そしてぇ、いよいよぶっ潰れやがれぇぇぇッ!!」

 そして竜巻の消滅の直後、再びプレス機に押しつぶされるかのような圧力が戻ってくる。

「ぅぅううううわあああああっ!!」

「…………ぅ……ぅぅあああッ!!」

 全身がバラバラに砕け散ってしまいそうな衝撃に、二人は叫ぶ。

「――――ああ?」

 その叫びが、一宮を驚愕させた。

 大輝の悲痛な叫び、そして――ディートリヒの結界の中から聞こえた女の叫び。

 ディートリヒの結界は、叫びに呼応するかのように消え去ると、その下からはミイラのように白い包帯のようなもので覆われた何者かが出現した。その姿は明らかにディートリヒではない。

 一宮は思わず老人と七海、佐知子が居た場所を振り向く。

 そこには泣きながら戦いを見守る七海の姿と、不敵な微笑を浮かべる老人の姿しかない。肝心の佐知子の姿はなかった。


「――"天牛火刑ゼトンブレイズ"ッ!!」


 老人と少女の姿は、一宮の視界から消えた。眼前を謎の影と紅蓮の光が覆い隠していたのだ。

 眩さも忘れるほどの、痛みと紛うばかりの灼熱だった。

 ラグビーボール大のそれは、太陽の欠片と形容するのが相応しいものだった。炎の後ろには、見覚えのあるモスグリーンの対爆スーツによく似た鎧装結界を纏った男――ディートリヒが立っていた。

 炎の塊は、火炎・爆風に対して驚異的な防御力を持つ"EOD"のグローブさえも真っ黒に焼け焦がしながら、およそ一メートル先――絶対回避不可能の距離に居る一宮に、無慈悲に迫る。

(――ああ、クソッ――)

 間もなく、避けることも、防御することも出来ないままの一宮に着弾。

 室内を焼けつくような爆炎と熱風が満たす――。



 大輝は目の前で起こる光景を、あらかじめ知っていた。戦闘中、どこからともなくディートリヒの声が聞こえたからだ。

『――大輝。驚かず、何も反応せずに聞いてくれ。今から私が出来うる限り最大級の魔術を持って、一宮の結界を破壊する』

「ぁ――」

 思わず声を漏らしかけるが、すぐにディートリヒの言葉を認識して何とか黙った。

『攻撃と同時に、部屋中が爆炎に包まれるだろう。……おそらく私もただではすまない。それでももし、まだ一宮が立っているようであれば……その時は、君が奴を倒すんだ』

 頷くことも尋ねることも出来ないまま、言葉が終わった。まだ近くに居るのか、それとも遠くに行ってしまったのか、果たして本当に近くに居たのかさえわからなかったが――ディートリヒが覚悟を決めていることだけは、大輝にも理解できた。


 ――そして、予告されていた光景が訪れた。

 爆発と聞いていたから、炎への耐性が最も高いファイア・フォームにチェンジしていたが――それでも、突き刺さるような灼熱は耐え難いものだった。

「ぁああつっつぅぅうぅ!!」

 まるで溶鉱炉に突き落とされたような地獄で、大輝はあまりの熱さに転げまわった。

 爆発はたった十数秒で消え去ったが、体感的には数時間のようにも思えた。

 大輝はふと、風邪をひいて熱が高い時に見る、漠然としながらも妙にプレッシャーを感じる、言いようのない悪夢に迷い込んだ気分になった。

 七海と再会した時に流した涙以上の汗が、全身からボタボタと滴る。

 口内が渇き、舌が上手く動かない。

 吸い込む空気も焼け付くようで、とにかく今すぐにでもプールに飛び込みたい衝動に駆られた。

「……ぁあ……ぁあぁっ……ぇんぢぃ、うぉー……ぁ・ふぉぉむ……」

 砕け散りそうな結界が赤から青へ姿を変える。それと同時に結界内に清浄で冷涼な空気が満ち、何とか飛び去ってしまいそうだった意識を繋ぎ止めた。

「ぜぇあぁ…………どっ……どう、なったの…………?」

 未だに余熱で歪む室内に目を向けると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

 部屋は火災現場の焼け跡よろしく真っ黒に焼け焦げていて、ところどころには小さな火がちろちろと燃えている。

 部屋の中央付近、爆心地は爆発によってクレーターのように抉れていた。

 その爆心地には、パールホワイトからくすんだ炭のような黒に姿を変えた一宮だったものが、膝をついたままの状態で銅像のように固まっている。

 七海と老人はと言えば――その周囲だけは時間を切り取ったかのように、爆発前と変わらぬ状態だった。そういえば部屋のあちらこちらに転がっている敵の一味も皆、先ほどの爆発を受けたとは思えないほど綺麗な姿を保っていた。おそらく老人の手によるものだろう。

 しかし七海たちの手前には、結界の前面が真黒く焦げてボロボロになったディートリヒが仰向けに倒れ込んでいた。大輝の場所からは生きているのか死んでいるのかもわからない。

 攻撃を受けるまでディートリヒの姿をしていた、謎のミイラのような人物が鎧装結界を纏った佐知子であると、ようやく大輝も理解した。彼女もまた白い結界を黒く染め上げた焼け焦げた姿でぐったりと体を投げ出していて、生死は不明だった。包帯巻きのような外観と相まって、この場で最も重傷そうに映ったため、大輝は心配になった。

「――だっ……大輝ぃい!!」

「な……七海ぃ……!!」

 その声を聴いて大輝は痛みも心配も――何もかもを忘れた。七海が駆け寄ってこようとしているのだ。

 しかし二人を邪魔するように、老人は七海の肩を掴んで静止した。

「は、離して!邪魔しないでよ!」

「まあ待て。その前に……小僧、この室内を冷やせ。この娘が火傷するのを見たくはないだろう?」

「あ……う、うん。えーっと……エターナル・ブリザード!!」

 外気よりもさらに冷たい吹雪がたちまち室内に吹き荒れ、急激に気温が低下する。大輝は床に触れて温度を確かめるが、結界越しではわからなかった。多分大丈夫だろうと思ったけど、自信はなかった。

「よし、行くといい」

「あ、えっと、はい。……その、ごめんなさい」

 タイミングを逃したな、と思いながらも、やはり少しでも大輝の傍にいたいと思った七海は老人に頭を下げてから、改めてボロボロになった大輝の元へ走り出した。

「もう……心配だったんだから……。慣れないことしてぇ……」

「……なんだよぅ…………ひっ……」

 七海と抱擁を交わした瞬間、戦いが終わった実感が流れ込む。

 緊張の糸が解けた所為か、突然大輝の目から涙が溢れだした。もう体中の水分は干からびてなくなってしまったと思っていたのに、まだ涙はどこからか溢れてくる。

「……よ、かった……ひっく……がん、ばったよ……ぼく……」

「うん……ありがとう……ぅうっ……大輝、かっこ、よかったよ……ひっく……」

 小さなヒーローは、弱虫の小学三年生の少年・大輝に戻ったように、めそめそと泣き始めた。だがそれを咎める者は一人としていない。

 互いが生きている喜びを確かめ合うかのように、ただただ二人は抱き合って泣いた。



「――――うぅっ……」

 ピチャピチャという音がした。ちゃんと閉めていなかった蛇口から水滴が落ちるような音だった。

 顔に当たる水気と冷気が、なんだか妙に気持ちいい。

 今は十二月、真冬だ。それなのにどうして夏の暑さにうだるように体が火照ってるんだろう――そこまで考えてから、ようやく佐知子の脳内で記憶が循環を始め、自らの置かれている状況を思い出した。

(……あの一宮とかいう男の攻撃をもろに喰らって、それから……)

 ――部屋を舐め尽くすような劫火が広がった。

「そうだ、敵は……!!」

 体を起こそうとするだけで、体中が悲鳴を上げる。筋肉の痛みと疲労、火傷など原因はいくらでも思い当たる。

 が、それを一々と考えている余裕はない。

「あっ……!」

 一宮は先ほどまで立っていた場所に膝をついて、炭化したように真っ黒になって死んでいた。

(か、勝ったんだ……って、ディートリヒさんは!?)

 安堵したのも束の間、佐知子はすぐにディートリヒがどうなったのか心配になった。

 クレーターを穿つほどの爆発を近距離で浴びたのは一宮だけではなく、姿を消して接近したディートリヒもだった。

(いくらあの人の結界が爆発に強いからって、あれをモロに浴びたんじゃ、無事なわけがない……!!)

 ふらつく体にムチ打って何とか立ち上がると、数十メートル離れたところにすぐにディートリヒを見つけた。

 ディートリヒは仰向けに倒れたままピクリとも動いていない。

 その姿を目の当たりにして、急速に血の気が引いたのが自分でもわかった。

「で、ディートリヒ……さぁん……!!」

 片足を引き摺り、肩を押さえながら歩く。早く駆け寄りたいのに、それが出来ないのがもどかしい。

 一歩、また一歩と歩くにつれて、体を覆っていた鎧装結界がボロボロと破片となって地面に落ち、消えて行く。使い捨ての賢者の石には、既に結界を維持できるほどの力は残っていなかった。

「無事で……お願い……無事で、いて……!!」

 途中、抱き合って泣きじゃくる大輝と七海を横目で見つける。

 二人が助かっていて心から良かったと思うと同時に、ディートリヒも助かっていてくれと神に祈った。

 たっぷり二分はかかって、ようやく佐知子はディートリヒの元までたどり着いた。

「…………ッ!!」

 あまりにも痛ましい姿に、佐知子は言葉を失った。

 表面はボロボロに焼け爛れ、顔を保護するヘルメットにも蜘蛛の巣状の罅が無数に走っている。結界は何とか形を保っているが、腕や足などの数か所は破けている。その下に覗く傷は、赤と黒が綯い交ぜになったような、深刻で無惨な火傷だった。

「起きて、起きてください……」

「………………」

 体を揺さぶる。反応はない。

「いや、嘘……ディートリヒさん……起きて下さいよぉ……!!」

「………………」

 最初は優しく揺さぶっていたが、次第に力が入り揺れが大きくなる。だがやはり、何の反応も返ってこない。

「ディートリヒさぁん!!」

「――――ぅ……ぁあ……」

 溜息にも似た吐息と共に、うめき声が漏れた。

 それはつまり、ディートリヒが未だ生きていることの証明に他ならなかった。

「ディートリヒさん!?…………よ、よかったぁ……」

「…………佐知子、くん……?そ……そこに、居るのか……?」

「はい……私たち、勝ったんですよ!」

「……そうか……」

 ディートリヒの結界が消えて、ようやく顔が露わになる。全身傷だらけで酷い火傷もあったが、ひとまず命に別状はなさそうだった。

 初めはあれだけ苦手だったディートリヒの不機嫌そうな顔を見て、佐知子は心の底から安堵していた。その変化に気が付くほどの余裕はないが、思わず泣きそうになって彼の胸元に顔を埋めた。

「……ああ、よかった……。そうだ……少年と少女は、無事なのか……?」

 苦痛に顔を歪めながら体を起こそうとするディートリヒを佐知子は静止する。

「あ、無理しないでください。……みんな、無事ですから」

「……そうか。それは、よかった……くっ……」

「あっ……応急処置だけしますから、じっとしててください」

 なけなしの力を振り絞って、何とか佐知子は"治癒キュア"を行う。小さな傷は気にせず、一番酷い火傷に手を翳す。

 傷口はじんわりと温かくなり、痛みが少し和らいでゆく。

「俺のことより……君の怪我を……」

 気遣うディートリヒに、佐知子は少し困ったような、しかし優しい微笑みを返す。

「この場にあなたよりも酷いけが人はいませんよ。……今だけは、私を頼ってください」

「…………そうだな。無理をしたところで……却って私が足手まといになる」

 ディートリヒも目をつむって微笑む。

「ありがとう、佐知子くん。……君が居なければ私は死んでいたし、あの子たちも助けられなかっただろう……。本当に、ありがとう」

 聞きなれない礼を言われて、思わず佐知子は照れくさくなる。だが感謝を素直に受け止めて、佐知子もディートリヒに頭を下げた。

「……お礼を言うのはこっちもです。ディートリヒさんが命がけの攻撃をしてくれたおかげで助かったんですから。それにあの結界、貰い物ですしね」

 少しの沈黙が流れる。ホテルの一室で待っていた時とは違い、二人の間には穏やかな空気が流れている。心地のいい沈黙だった。

「……すまないが、肩を貸してくれないか」

「え?……どうかしましたか?」

「いや……あの少年……大輝の元まで連れて行ってほしいんだ。……彼にも礼を言わねばならない」

「……はい」

 佐知子は、そういえばちらりと抱き合っている姿を確認しただけで、大輝の怪我の状況まではわかっていなかったことを思い出し、少し心配になった。

 ディートリヒの腕を肩に回して立ち上がる。

「…………くぅっ」

 体中の傷が痛むのを表に出さないようにしつつ、何とか平静を保とうとしたが、それでもやはり顔には苦痛の色がにじみ出てしまう。

 しかしそんなことさえも忘れさせてしまう一言が、ディートリヒの口から飛び出す。

「――――いや、まだだッ!!」

「え?」

 突然ディートリヒの表情が戦闘中に立ち戻ったかと思うと、佐知子の肩から手を離してしまった。だが満身創痍の体は言うことを聞かず、ディートリヒはその場に倒れ込んでしまう。

 それでもディートリヒは這いつくばってでも進もうとする。

「ち、ちょっとディートリヒさん!?」

「まだ……まだあの男は生きている……ッ!!」

「え?あの男って……え!?」

 いくらなんでもそんなはずはない――そう佐知子は思った。

 黒くボロボロな一宮の姿は、とても生きているようには思えない。どう贔屓目に見ても、間違いなく結界の中で息絶えている。

「……術者が死ねば、鎧装結界も消えてなくなる!だが……あいつの結界はまだ確かに残っているッ!!」

「――ッ!!」

 指摘を受けて、ようやく佐知子は理解した。

 魔術は物質化し安定したものを除けば、術者の死と共に消滅する。鎧装結界は魔術が物質化したものだが、あくまでもそれは一時的なものであり、やはり魔術師が死ねば結界も消滅するのだ。

 つまりいくら炭化したように見えても結界が構造を維持している以上、一宮は間違いなく生きている。

「…………ぐぅ…………そがぁ……ッ!!」

 ディートリヒの叫びによって呼び覚まされたのか、黒い腕が持ち上がる。しかし動きに合わせて炭化した結界は剥離し、地面を汚す。

 炭の下から現れた一宮もまた、結界同様全身に酷い火傷を負った惨たらしい姿ではあったが――その目はギラギラと輝き、意識は明瞭だった。

「でめぇ……ぇらぁ……ごはッ…………邪魔ぁ……じぁがってぇ……!!」

 絞り出すようなしわがれた声が不気味に響く。

 既に限界に違いにもかかわらず、一宮は力を振り絞って"波"を発生させる。

「俺もぉ……やべぇがぁ……がふッ…………でめぇらを……殺すぐらいはぁ…………わげねぇぇぜぇ……ッ!!」

「ぐっ……!!」

 ディートリヒは、既に一発"衝撃"を生み出すのも難しいくらいに疲弊していた。

 佐知子も似たようなもので、戦おうにも先ほどの"治癒"で力を使い切ってしまい、もう力がほとんど残っていない。

 一宮がよたよたと不気味に近づく。

 両手には何もないが禍々しい気配を感じる。なけなしの力で攻撃を仕掛けてくるだろうことは、火を見るより明らかだった。

 しかしどれだけ弱い攻撃であっても、もうそれを耐え凌ぐだけの体力はディートリヒにも佐知子にもない。

「死ぃ…………ねぇ…………ッ!!」

 絶体絶命の瞬間。だが、

「――――タイダル・ウェーブッ!!」

 横凪の水流が一閃、一宮を壁際まで押し流した。

「――――ぁっ」

 全身を壁に強打した一宮は、言葉にならない呻きだけ残し、ずるずると力なく壁から滑り落ちると、そのまま動かなくなった。

「………………」

 一瞬、誰もが口をつぐんだ。なんと言えばいいのかわからなかったからだ。室内には水の滴る音と、大輝の荒い呼吸だけが残っていた。

 ――パン、パンと静寂を割いたのは、澄んだ響きの拍手だった。

「小僧、MVPはお前のものだ」

 老人は相好を崩して大輝を見つめていた。



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