闘志の芽生え
バンッ、という爆発音が断続的に空に響く。
道行く人は音の出所をきょろきょろと探すが、どこにもそれらしき影は見当たらない。次第に遠ざかって行く音に首をかしげながらも、数秒後にはすっかりそんなことも忘れて帰路に着いた。
そんな通行人の頭上遥かを、姿の見えない二人の魔術師が往く。
先ほど広場に向かった時と同様、佐知子が姿を消し、彼女を抱えたディートリヒが爆発によって空を飛ぶ。
コンビ結成間もないにもかかわらず、すっかり板に付いて来ているのは、意外と相性がいいからかもしれない。
「結局、情報をリークしたのって何者なんでしょう?内部告発なんでしょうか」
佐知子がふと、そんな疑問を口にする。
「確証はないが、違うと思う。組織の人間だったらこんな回りくどいことはせず、アジトの場所と目的を告げてくるだろう。だが今回の場合、あまりにも漠然としすぎている。この町で、今週中に事件がある……信じていいのかどうかさえ、怪しいものだ」
「でも、本当に事件が起こった……」
「ああ。その何者かは、偶然か意図的か、今回の事件の情報を入手した。おそらく外部の人間だろう。だが不可解なのは、その動機だ。仮に善意の第三者だとしても、私たちに一体何を求めているんだ?それがわからない。そもそも私たちがあの公園に到着するより前に、既に事態は動いていた。さっきから後手を踏み痕跡を辿るだけで、私たちは事件の淵をうろうろとしているだけに過ぎない。……次の現場に辿り着いた時には、もう手遅れかもしれん。それでも行く以外に出来ることがないのがもどかしいな……」
「その第三者が、本当に善意でやってくれていたらいいですね……」
「敵じゃないことを、祈るばかりだな」
気まずくなったわけではないが、自然とそれきり二人は無言になった。
だが工事現場が視界に入ると、眼下に広がる光景に、驚きと共に言葉が飛び出す。
「……あれ!」
「ああ……また、のようだ」
建築予定地よりも手前、夜の林道にはまばらに人影がある。が、一様に倒れたまま動かない。
「これも……"善意の第三者"の仕業ですかね……」
惨劇とでも形容すべき光景に、佐知子は顔をしかめる。
ざっと十五人ほどの男女が冬の冷たい地べたに寝転がっているという異様な状況が、ここで起こった戦いを饒舌に語っているように思えた。
「とにかく、降りて調べてみよう。……念のため"消失"は維持しておいてくれ」
「わかりました」
林道の途中に着地し、佐知子はディートリヒの腕から降りると、そのまま腕をつかむ。互いの姿が見えないため、はぐれないようにするためだ。
「…………」
足音を忍ばせながら、一番手近な男に近づく。
見る限りでは、男には先ほどの公園の四人と同じく、何ら外傷は見当たらない。
そうそう目を覚ましそうにないので、首筋や手首に触れて脈を取ってみたが、いずれも正常だ。
「眠らされた……ってわけじゃないですね」
言いかけてすぐ、地面や木肌に残った痛々しい破壊の痕跡を目にして訂正した。
しかし、それにしては倒れている人には傷一つないのが不自然すぎた。これだけの人数が乱戦したのだ、よほど統制されていない限り、フレンドリー・ファイアの一つもあるのが普通である。
「ここの連中が必死に戦ったが成す術なく眠らされたか……あるいは、戦って致命傷を負うに至ったが、それすらも治してしまうような凄腕の魔術師が居たか……どちらにせよ、"通報者"様はとんでもない魔術師のようだ。しかも怪我人を見ると我慢が出来ん性分のようだな」
「そうですね……ん?」
佐知子の耳に、ふと低く響く、地響きのような音が聞こえた気がした。
「何か聞こえるな……」
ディートリヒにも聞こえているので、佐知子の錯覚ではないようだ。
二人は耳を澄ませる。
ドォ……ン、という音は遠くから聞こえているようだった。だが近くにそれらしい場所はない。何よりも音はくぐもっている。
「どこから聞こえてくるんでしょう……」
「もしかしたら……地下室でも、あるのかもしれない。――いや、あると断言しよう。ここの連中は儀式を探していたというのだから、地下遺跡があったとしても不思議ではない。先ほどからの音は戦闘によるものかもしれないな……急ごう」
「はい!」
倒れている人を避けつつ、建設途中のため足場とカバーに囲まれたビルへと滑るように侵入する。
「……これは……」
ビルに入ると、先ほど遠くに聞こえていた音がよりはっきりと聞こえてきた。
それもそのはず、入口すぐの廊下中央には、真下に向かって大穴が穿たれていたのだ。地下で響く音は穴を通じ、二人の下へと届いていた。
二人は穴を覗き込んだ。
まるで刳り貫いたかのように真っ直ぐ開いた穴は、優に二十メートルは下まで続いていた。
最下層では、たまに紫色の塊が駆け回り、すぐ見える範囲から消えてしまうが、吹き飛ばされたのだろうか、また勢いよく穴の下を通り過ぎて行く。その間も轟音や叫び声は続く。
佐知子には、それが戦いであることは理解できたが、紫の塊が一体何なのかがわからなかった。
しかしディートリヒは見るなり、
「鎧装結界か……!?」
と漏らした。
その言葉に聞き覚えはあったが、具体的にどういうものか見たことがない佐知子は、素直に尋ねる。
「あの、こんな時になんですが……鎧装結界ってなんですか?」
「ああ、そうか。君はまだ知らないか。名前の通り鎧のように身に纏う結界の一種だ。ただ通常の結界とは異なり、肉体強化や魔術強化の特性を持っている」
「そんなことが可能なんですか……」
「ああ。実は鎧装結界というのは、高度に圧縮された魔力で……つまり、端的に言ってしまえば、あれは賢者の石と同質の物体なんだ」
「そ、そんなすごいものなんですか!?」
思わず頓狂な声を上げる佐知子だったが、ディートリヒは特に咎めるでもなく解説を続ける。
「もっとも、あれは一時的なものなんだ。本来の賢者の石のように常時存在させることはできず、自分の波動が尽きればその時点で崩壊してしまう。……君も実力をつければ習得する機会があるだろう。より高度な魔術を行使する際には必要となるからな」
問題は、果たして無事に帰れるかなんですけどね――そう思ったが、佐知子は自虐的で不吉な言葉を呑み込んだ。
「それで、どうしますか?」
ふむ、と一言だけ漏らし、ディートリヒは逡巡した。地下の状況がここからではよくわからないからだ。
だがディートリヒの背中を押したのは、
「――嫌ぁ、大輝ぃ!!」
という悲痛な少女の叫びだった。
剣呑な空気にはあまりにも場違いである悲痛な声に、ディートリヒは直感的に声の主の正体を察知した。
(観測室の言っていた情報では、連中は"音叉"を利用した儀式を行おうとしていた。状況から考えて普通の子供が居るとは思えない。ならばあの声は――"音叉"か!?)
「子供の声?でも、なんでこんなところに……」
「――行こう、佐知子君。事情は知らんが、子供の危機とあらば行くしかあるまい」
その一言が佐知子の疑問を掻き消す。そして、人として、大人としての義務感や正義感に火が灯るのを感じた。
「……はい!でも、どうやってぇええええ!?」
言うが早いかディートリヒは佐知子を抱きかかえると、躊躇なく穴を飛び降りた。
確かに一番の近道だが、いくらなんでも無茶だ、と佐知子は思ったが、重力のまま落ちて行く感覚が、既に文句を言っても手遅れだと告げていた。
「いいか、着地の際に侵入がばれるだろう。その瞬間、私の"消失"だけ解除してくれ。君は少女を探し出し、保護するんだ」
反応や答えを待つよりも早く、あっという間に二人は遠かった石の床に肉薄する。
着地の寸前、小さな爆発音がして、一瞬体が宙に留まる。
「――あぁッ!?」
場の視線が音源に集中する。が、そこには誰も居ない。
「………………」
ディートリヒは素早く周囲を見渡し、状況認識に努める。
およそ十メートル先には、魔術師と思しき男と、蹲る紫色の鎧を纏った背の低い何者か。その近くには泣きじゃくる少女。彼らの様子を遠巻きに眺めている三十人ほどの男女は、いずれも組織の人間だろう。壁際には独特の雰囲気を纏った白衣の老人。
瞬間的にディートリヒは鎧の誰かを"通報人もしくは関係者"と断定、さらに少女が近くに居ることから"音叉"を助けるべく戦っているのだと判断。ここは彼らに協力するべきだ、と考えた。
「――はぁあッ!!」
不可解な音がした場所から声が聞こえたかと思うと、陽炎のような揺らぎと共に、両腕に炎を宿したディートリヒが姿を見せた。周囲が一斉にざわつく。
ディートリヒは腕の炎を立ち尽くす男に向けて発射すると同時に、紫の戦士の傍へと跳ぶ。
「紫の戦士、その少女は"音叉"なのか!?」
いきなり声をかけられた戦士は状況が呑み込めず戸惑うが、闖入者の荒い語気に圧倒されてしまい、
「う、うん……?お、おじさんは誰?まさか、敵!?」
と返事をしつつ、即座に警戒を露わにして身構える。
その声を聞き、ディートリヒは紫の戦士がまだ子供だと知った。驚いたが、それを表には出さずに答える。
「いや、私は協会の魔術師だ!得体の知れない組織が、"音叉"を利用した儀式を行おうとしていると聞き、駆けつけた!」
「じゃ、じゃあ味方……なの?」
「そのつもりだ――」
「邪魔してんじゃあねぇぞテメェえーッ!!」
ディートリヒの攻撃を受けたはずの男は、しかし全くの無傷だった。
「――ぐあぁぁあッ!?」
男は煙の向こうから姿を見せたかと思うと、ディートリヒを強烈な衝撃によって吹き飛ばした。
("衝撃"……いや、この感触は違う……何かもっと別の魔術だ!)
咄嗟に両腕で防御しながら後ろへと跳んだためダメージをほとんど殺すことができた。だが攻撃が一体どういう魔術であるのかはわからない。
「チッ……おい、協会の魔術師がなんで居るんだよ」
男が忌々しげに吐き捨て、ディートリヒと対峙する。だが男は面倒事が増えたとでも言いたげなだけで、慌てる様子はない。
「貴様が首魁か」
「あ?見りゃわかんだろ、この状況ならよ。そーだよ、俺だ」
悪びれもせず男は言い放つ。余裕を感じさせる態度に、ディートリヒの緊張感が高まる。
「非人道的な儀式、看過出来ん。その少女は無事元の家へと連れ戻させてもらう!」
ちらり、と少女に目をやる。
「ひっ……!?」
少女は驚いて、何故かきょろきょろと周囲を見回す。すぐにコクコクと小さく頷くが、表情から驚きや恐怖は消えない。
「んー……?」
男は少女の態度に不審な物を感じ取ったのか、ディートリヒから目を逸らして少女を睨んだ。
(佐知子くん……うまく近づけたか。しかし、あの男は気が付いているのか……?)
ディートリヒの懸念を裏付けるような言葉が、男の口から飛び出る。
「おい、外人。てめぇ一人じゃねーなー。そりゃあそうか。いくらなんでも単身乗り込んでくるとは思えねえ――ハァッ!!」
「――くぅぅあッ!!」
少女に向けて男が手を翳すと、少女のものではない女の叫びが響いた。
次の瞬間、佐知子の姿が白日の下に晒され、地面を転がる。
「佐知子くんッ!!」
「舐めんなよ、ねーちゃんよぉ。二人で乗り込んできたことくらい、最初っからわかってんだよ」
周囲のざわつきを一身に受けながら、すぐに体勢を立て直した佐知子は少女の傍に駆け寄る。
両手には攻防どちらにも使えるように"衝撃"を構え、男と少女の間に割って入るようにして立ちはだかった。
「大丈夫、もう大丈夫だから……」
少女を安心させようと、佐知子は精一杯の強がりで無理矢理笑顔を作る。
少女も佐知子を信頼したのか、他に寄る辺がないからかはわからないが、すがるようにジャケットの端を掴む。
「お姉さん……大輝をっ、大輝を助けてぇ……っ」
少女は大粒の涙をこぼしながら、佐知子に懇願した。
大輝、というのが誰だろうと一瞬悩んだが、すぐにあの鎧の少年のことだと理解した。
ディートリヒ、佐知子、そして大輝の三人は身構える。さすがの部下たちも一斉に攻撃態勢を取るが、肝心のリーダーの男はその状況を眺め「んー……」と呟きながら何かを悩む。
「おい、お前ら。あの女と"音叉"のガキをとっ捕まえろ。外人とこっちのガキは俺に任せとけ」
「了解ッ!!」
数十の魔術師が波のように動き、佐知子たちへと迫る――。