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佐知子、初めての実戦

「ま、マグニチュード8って……!!」

 公園へ向かう最中、ディートリヒから聞かされた情報はあまりにも衝撃的だった。

「そ……そんなの、私たちじゃどうにもならないじゃないですか!」

「破壊魔術であればツァーリ・ボンバ級……本部でも一体何人が、そんな化け物じみた力を持っているかわからん。私が全力を出したところで……4にも届かんだろうな。ただおそらくだが、先ほど観測されたのは破壊魔術ではないだろう」

「わかるんですか?」

「単純に考えて、その威力の破壊魔術ならもっとこの一帯騒ぎになる……いや、下手すれば一帯が吹き飛ぶ可能性すらある。だからといって、一体どんな魔術を使ったのかは見当もつかんがな」

「…………」

 協会内では魔術の威力は便宜上マグニチュードを指標にし、魔術行使の際に発生する波動の余波からおおよその威力を推定する。魔術そのものの指標であるため、実際の熱量や破壊力とは関係のない数値となっている。

 数字を聞いて佐知子は本当に逃げ出したくなっていた。彼女が扱える破壊魔術は基礎クラスのものがほとんどで、彼女自身強力な波動を扱えるわけではない。最大限の力を発揮した場合でも、せいぜいマグニチュード3が限度だ。

 戦闘経験もない自分がどうしてこんな目に……初めての実戦だったらもっと難易度の低いものにしてほしい。そう切に佐知子は思っていた。

 安穏とした日常を引き裂いて唐突に表れた"死の恐怖"だったが、佐知子は自分を置いてどんどん先へと走ってゆくディートリヒを追いかけることに必死な所為か、あまり実感がなかった。

 歩幅も基礎体力も目に見えて違うにも関わらず、佐知子のことを全く気にかけることなく先へ行ってしまうディートリヒに、段々腹立たしさを覚えていた。


「――ここか。よし、二手に分かれて痕跡を探そう。私はこっち側を、君は向こう側を調べる。異論はないな?」

 人っ子一人いない公園に到着するなり、ディートリヒは事務的な口ぶりで、肩で息をする佐知子に尋ねた。

「は……はい……」

「痕跡を発見した場合はすぐに知らせること。何もない場合でも、十五分後に一度ここに集合だ。それでは調査を始めてくれ」

 言い終えるなり即座に佐知子に背を向けて、ディートリヒは地面や遊具をペンライトで照らして調査に向かってしまった。

 呼吸を整えた佐知子も、仕方なく調査を行うことにした。どこで何を探していいのか見当も着かないため、ディートリヒに倣って地面や植物にそれらしい痕跡はないか探した。

(はぁ~あ……。もうちょっとくらい、気にかけてくれればいいのにな……)

 思わず溜息が漏れる。不満は白い水蒸気となって夜の闇に溶け込んで消える。

(でもどうしよう……。正直、私なんか居たって足手まといだし。それがわかってるから、あの人もあんな風に冷たいのかな……いや、ただ単に、私が暗くて地味でどんくさくて、純粋に興味がないっていうか呆れてるんだろうな……それとも、嫌われてるのかな……?ていうか私、なんでこんな寒空の下でこんなこと考えてるんだろ……)

 いつの間にか地面を見るためではなく、気が滅入ったことにより視線が下がってゆく。

(そりゃー実戦経験ないし?体術も全然だし、魔術だって大して上手くないけど……ていうか、そもそも部長がテキトーな人選で押し付けたのが原因なのよ。……なんかもー、いろいろと腹立ってきた)

 自分に向かっていた不満や怒りの矛先は、次第に外側へと向かってゆく。

 イライラとしながら歩いていて、もはや調査という本来の目的すら忘れかけていた時、

(……あれ?)

 公園脇、植え込み横の地面に妙な窪みを見つけた。

 地面にしっかりと刻まれたその窪みは、妙に尖っている。まるでアイロンでも押し当てたような形をしている。長さはおよそ二六センチほど。先端が一番深くなっており、およそ十センチほど沈んでいる。

 他に何かないか周囲を見渡すと、その斜め後ろにも似たような窪みがもう一つあった。だが二つ目の窪みは、一つ目の窪みの先端部だけのようで、深さも五センチほどしかなかった。

(これって、なんだろう……ちょっと足跡みたいな……でもそれにしては尖がってるなぁ)

 しかし、周囲を見ても二つの痕跡以外には、それらしきものはない。

 冬の寒さで土は恐ろしく固い。試しに佐知子は地面に強く踵を落としてみるが、ほんの少しへこんだだけで、とてもじゃないが足跡を刻むのは無理そうだった。

 つまりこの足跡らしきものは、自然に出来上がったものではない。何者かが強い力で残したものに違いなかった。

「ディートリヒさーん」

「何か見つけたのか?」

 二十メートルほど離れた位置で調査をしていたディートリヒが佐知子の元へ駆け寄る。

 佐知子に近づいてすぐ、足元にある痕跡に気が付いたようで、すぐにしゃがみこんで跡に触れた。

「これは……足跡、か」

「やっぱりそうでしょうか……。でも、なんでここにだけ足跡が?」

「見た感じからすると、クラウチングスタートのような姿勢を取った際に刻まれたもののようだが……佐知子くん、足跡に重なるように立ってみてくれ」

「は、はい」

 ディートリヒに従い、言われるがまま佐知子は足跡の横に両足を添わせた。すると一つ気が付いたことがあった。

「あ、これって……子供の足跡、ですかね?」

「どうやらそのようだ」

 佐知子は足跡のサイズだけを見て成人男性のものと思い込んでいた。だが実際に横に並んで足を置くと、二つの足跡の間隔が狭かったのだ。

「君の身長と股下はどれくらいだ?」

「えっと、一五二センチの、股下が七一センチです」

「するとこれはおよそ五〇から六〇センチ前後。逆算すると身長は一二〇から一四〇センチくらいだ。背の低い女性、あるいは子供と考えるべきだろうな。……あれほどの力を持っているの子供というのは、いささか考え難い話だが」

 さらにディートリヒは立ち上がると踵を返し、無言のまま植え込みを飛び越えてその先へと進んでゆく。

「ち、ちょっと、ディートリヒさん?」

 植え込みの向こうは、ほんの三メートルほど歩くとすぐに背の低い柵があり、その向こうは歩道、そして一車線道路となっている。

 ディートリヒは柵に近づいて、すぐに佐知子を呼ぶ。

「佐知子くん。ここを見てくれ」

 佐知子も小走りで駆け寄って柵を見て、

「あ、凹んでますね」

 と、見たままの感想を述べた。

「情報を整理しよう。まず数十分前、マグニチュード8の魔術によって、あそこで何かが起こった。その後何者か――魔術師かケイオスか――が、クラウチングスタートの要領で、こっちの方角へと跳び出した。この柵の凹みも、その何かが足をかけた際のものだろう。植え込みも少し窪んでいたことから考えても、まあ間違いないだろう」

「はー……なるほど」

 言われてみれば、そんな感じである。

「とにかく、この足跡と同じ痕跡が他にないか探そう」

 言うが早いかディートリヒは柵を飛び越え道路を渡って行ってしまう。

 壁や地面に素早く目を配りながら、痕跡を見つけるとさらに先へと駆けだして行った。

「ま、また……!!」

 勝手に先へ先へと進んでゆくディートリヒを、佐知子は全力で追いかけた。

 ふと頭の中に、友人の理恵がくれた、

(思ったことは口にしろ、ってこと)

 というアドバイスがふと浮かんできた。

 足を止めては痕跡を探し、見つけると駆けだすディートリヒの背中が、段々と大きくなる。

 そして、すぐ目の前に来たとき、また走り出そうとしていたディートリヒの袖を佐知子はぎゅっと掴んだ。

「……ん?なんだ?どうかしたのか――」

「――あのッ!!」

「ん、んん?」

 いきなり佐知子が大声を出したので、ディートリヒはたじろいだ。

「な、なんだいきなり」

 ゆっくりと顔を上げた佐知子の表情は、ちょっと困ったようであり、しかし確実に怒気を含んでいた。

「――私、そんっ……なに邪魔で、役立たずですか?」

「…………はあ?」

「足手まといだなんて、それくらいわかってますよ……。でも、だからって、勝手にどんどん先に行って……置いてかなくたっていいじゃないですか」

「………………」

 無意識のうちに感じている実戦への不安やストレスの所為なのか、何故か普段ならとても言えないようなことがするすると口を突いて出てくる。

「この数日だって、話しかけてもちっとも会話に繋がらないで終わっちゃうし……そりゃ私なんかと話したって楽しくなんかないでしょうけど……初めての実戦かもしれなくて、怖くて、どうしたらいいのかよくわからないのに……」

「………………」

 ただ呆気にとられたような顔をして、口を半開きにして黙っているディートリヒを見て、佐知子は突然はっとなって我に返った。

 勝手に独りで言うだけ言ってぶちまけて、しかも大半がただのネガティブ発言――思い返してみて、急激に恥ずかしさと自己嫌悪に襲われた。

「あ、ご、わ、私、その、ご、ごめんなさい!!」

 物凄く手遅れの杜撰な謝罪をしながら、佐知子は、

(やってしまった~……!!)

 と穴を掘って埋まったまま死にたい気分になった。

 しかし、謝罪を受けたディートリヒは意外にも、

「あぁ~~~…………また、やってしまったかぁ……」

 と、情けない声を漏らしてしゃがみこんでしまった。

 普段の氷のような印象とは違う気の抜けた声だったため、てっきり佐知子は聞き間違いが幻聴の類かと思ったが、紛れもなく目の前の彼の声に違いなかった。

「……いや、本っ当に申し訳なかった」

「え、えっと、いや、むしろこちらこそ……?」

 混乱気味に答えを返したものの、ディートリヒのあまりの豹変ぶりに佐知子は戸惑うばかりだった。

「何も君が嫌いだとか、実戦経験がないことを馬鹿にしていたわけではなかったんだ。しかし、侮辱したように思えただろうな……心からお詫びする」

 ディートリヒはすっと立ち上がり、深々と頭を下げた。段々と佐知子の方が申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。

「……実は、な。昔から一つのことに集中してしまうと、恥ずかしながら他の様々なことに気が回らなくなる性分なんだ。……両親や友人からも、さんざん口を酸っぱくして注意されていたんだが……すまない。またやってしまったようだな」

 ボリボリと頭を掻きながら、ばつが悪そうに空を見上げて大きな溜息を吐き出すディートリヒを見て、おずおずと佐知子は、

「…………えーっと、じゃあ別に不機嫌だったわけでは」

 と尋ねた。

「ああ、ちっとも」

 その答えを聞いて、今度は佐知子が脱力してしゃがみこんでしまった。

「ど、どうした」

「なんかもう……取り越し苦労って、なんでこう……」

 よくわからないことを言いながら佐知子は、化粧が着くのも構わず自分の腕に顔を埋めた。

「なんか、なんなんでしょうね、もう。…………くっ」

 そう呟いてから、

「くっ?」

「くっふふふっ……ダメだ、おかしい……ふふふふははははっ……お、お腹痛い……」

 何故か今の状況が無性に可笑しくなってきて、笑いが止まらなくなった。

 どうしていいのかわからなくなったディートリヒには、笑いが収まるまでただ茫然と佐知子を眺めるしかできなかった。



「はぁー……はぁ……。……す、すいませんでした」

「……いや、全て私が悪かったんだ、うむ」

 たっぷり二分は笑い続けて、佐知子は少し疲れていた。ディートリヒは佐知子を見ながら困惑気味に頷いていた。

「もう大丈夫か?」

「は、はい。……本当にすいません、失礼極まりないこと言って、ご迷惑おかけして……」

「謝らないでくれ。自分が大失敗をしでかす前に気が付けてよかった。これから先は、もっと協力するよう心掛けるよ。得体の知れない相手に立ち向かおうと言うんだ、今は一人でも手が欲しいからな」

 そう語るディートリヒの顔は相変わらず怖かったが、人を寄せ付けない雰囲気はもうなくなっていた。その所為か、佐知子も自然と笑顔になる。

「……はい。私も精一杯頑張ります」

 ディートリヒの手が差し出される。佐知子もその手を握る。

 寒さの所為で冷えていたが、じんわりとした温もりが伝わってきた。

 だがそんな二人を引き戻すかのように、ブブブ、と低いバイブレーション音が響く。通信だ。

 ディートリヒは佐知子に目くばせをして、彼女が頷いたのを見てから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。

「ディートリヒだ」

『観測室の坂田です!』

 電話の向こうは相変わらず逼迫した様子だった。

「何かあったのか?」

『再び局所的に強力な波動を観測!推定マグニチュードは6ですが、その後も3から5を中心に何度か観測しました!戦闘があったものと思われます!』

「場所は?」

『桜通り公園です!長久保南部公園から』

「大丈夫だ、場所はわかる。また情報が入り次第連絡頼む」

 通信を終えると、携帯電話を素早くポケットに仕舞い込み、佐知子に顔を向ける。

「ここから少し先にある広場で反応があったそうだ。今度はマグニチュード6らしい」

「…………」

 ある程度予想は出来ていたので、今度はそう驚かなかった。しかし、やはり観測機器の故障などではないと理解し、却って事実が重くのしかかってくるような圧迫感を覚えた。

「――そうだ。君は確か、隠遁系の魔術が得意だと言っていたな」

「え?は、はい。と言っても、他よりマシってレベルですが……」

「"消失バニシング"を、君と私の二人分出来るか?」

「……やってみます。あ、私の肩に手を置いてもらえますか」

 目を薄く開き、意識を集中させる。

 すると、ディートリヒと佐知子の姿が陽炎のように揺れて、そして完全に消えてなくなる。

「えと、成功ですね」

 互いの姿が完全に見えなくなる。だが佐知子の肩をディートリヒが掴んでいる感触があるので、後ろを向いて声をかける。

「……驚いたな。この精度とこのスピード……」

 ディートリヒが自然と零した言葉は、佐知子には上手く聞き取れなかった。

「それで、どうしましょう」

「ちょっと失礼する」

「え?何をって、えっ、ひぁあ!?」

 ひょい、と体が浮かんだかと思うと、空中で寝ころんだような状態で静止した。

 佐知子は、自分がディートリヒに抱き上げられたと気が付くまで、姿が見えないこともあって時間がかかった。

「場所さえわかっていれば、こっちの方が速いからな……くれぐれも途中で"消失"を解除しないでくれよ」

 パン、という爆竹が弾けるような音が響いたかと思うと、視線がみるみる高く遠くなってゆく。

 不思議な浮遊感がして、それから落下してゆく感覚がしたと思うと、またパン、と弾けるような音がした。

「なっなな、何をしてるんですかぁっ!?」

「あまり喋らない方がいい。舌を噛むぞ。……足元に小規模な"爆炎イクスプロード"を発生させ、爆発によって生じるエネルギーを推進力にする移動法だ。さすがに空を飛んでいるところを人に見られたらマズイからな。君のおかげで助かった」

 佐知子の顔のすぐ真上、思ったよりもかなり近いところから声が聞こえてきた。

 これまで男性と付き合う機会に恵まれなかった佐知子は、思いがけない状況にドキドキしていた。透明化のおかげで真っ赤に染まった顔を見られずに済んだのは、彼女にとって救いだった。

 民家の屋根を次々と飛び越えて行く奇妙な空中散歩。たまに下の道を歩いている通行人が、破裂音を聞いてキョロキョロと見渡している姿を見つけると、佐知子はちょっと面白いなと思った。

 走るよりも遥かに早く、二人はあっという間にレクリエーション広場へとたどり着いた。

 着地の前に、見晴らしのいい空中から広場を俯瞰していると、

「あの、あれ!」

 広場の隅の方に何かがあるのを見つけた。佐知子が指差した先を凝視してみると、そこには何人かの男が折り重なって倒れていた。

 一瞬にして緊迫した空気が流れる。

 警戒し、一分ほど遠目に眺めていたが、全く動く気配はない。

「……下がっていてくれ。私が調べる」

 ゆっくりと広場に降り立つと、佐知子はディートリヒの腕を離れながら頷いた。頷いてから、自分たちの姿が透明であることを思い出して、慌てて小声で「はい」と返した。

 ディートリヒは足音を忍ばせて慎重に倒れている男達に近づく。良く見ると数は四人。

 距離が離れるにつれて透明化も困難になるが、佐知子は自分の役割を果たすべく慎重に魔術を繰り、倒れた男達に肉薄するディートリヒを見守っていた。

「………………」

 耳を澄ます。

 ヒュオオと吠えるように吹く風の音にまぎれて、静かな寝息が聞こえる。四人は少なくとも生きている。

(待ち伏せにしては隙がありすぎる……罠か?いや、ここであったという戦いの敗者だろうか)

 最大限に警戒をしながら、一番上に積まれた男に慎重に触れる。が、何の反応もない。

 安全だと判断し、ひとまず四人を地べたに並べた。

「……佐知子くん、こっちに来てくれ。ああ、もう"消失"は解除してくれ。なるだけ力は温存しておいた方がいい」

「はい」

 再び陽炎のように景色が揺らぐと、佐知子とディートリヒの姿が露わになった。

 佐知子はおずおずと近づき、四人の男を見る。

 左から順に、茶髪にピアスの軽薄そうな男、眼鏡をかけた特長に乏しい男、五分刈りで無精髭を生やした人相の悪い男、頬のこけたやせ気味の男。

 いずれも外傷はなく、ぐっすりと眠っているようで、それが却って異様だった。

「魔術師、ですかね……」

「状況的にそう考えるべきだろうな。念のため確認するが、見覚えのある顔は居るか?」

「いえ、全く」

「そうか。私もだ」

 ディートリヒは男達のそばにかがみこむと、懐やポケット、バッグをあさる。

 財布や携帯電話、ペットボトル、ワイヤー、よくわからない粉末やバタフライナイフまで色々と出てきた。そのうち、財布と定期入れの中を探すと、目当てである免許証と保険証が出てきた。

「茶髪は木島勇吾、眼鏡は加納泰典、無精髭は近藤賢、痩せているのが三田裕司か……。何か情報がないか協会に確認してみる。念のため他に何かないか調べておいてくれ」

「わかりました」

 ディートリヒは携帯電話を取り出し"観測室"と書かれた番号を選ぶ。

 ワンコールですぐに応答が返って来る。

『観測室の坂田です』

「ディートリヒだ。桜通り公園で魔術師と思しき四人の男が倒れているのを発見した」

 そして四人の名前を手早く伝えると、

「データベースに該当する名前がないか調べてくれ」

『少々お待ちを……ああ、加納と近藤という名前はありますね。一時期協会に所属していたようです。二人とも同時期に脱会していますね。もう三年前です』

「その後の足取りはわかるか?」

『えーっと…………二人の目撃情報が三件、そのうち一件は交戦となっています。昨年の八月に近藤と名前・所属不明の魔術師五人が確認されています。小競り合いだったみたいですね』

「他に情報は?」

 カタカタとキーボードを叩く音とマウスをクリックする音が雑音に紛れて聞こえてくる。

『その交戦の原因ですが、儀式の争奪となっていますね。錬金術絡みです。多勢に無勢で近藤達を追い返し、その後儀式は破壊された、となっています』

「破壊……?その儀式の内容は」

『……えー、少々お待ちを……ああ、なるほど。分類は変性。賢者の石を利用した儀式で、卑金属を貴金属に変え、石ころを宝石に変える目的で作られた儀式ですね。ですがブンダーカマーの一種である"音叉"を媒介とすることで、"音叉"の体内に高精度の賢者の石を作り出す非人道的な利用法があると判明したため、悪用を防ぐために破壊するに至った、となっています』

「……そうか、ありがとう」

 通信を終えたディートリヒの表情が険しくなる。通信の度、得られる情報は大抵が悪いものだ。

 会話は聞こえて居なかった佐知子でも、きっとまたろくでもない情報だろうということが察せられた。

「あの、何かわかりましたか……?」

 ディートリヒは少しの沈黙の後、重い口を開き、

「……少なくともこの連中の目的と思われるものはな。ただ依然としてあのマグニチュード8の事態はなんであって、ここで何が起こったかはわからん。調査を続けよう」

「はい」

 佐知子が頷くと同時に、キキィ、という耳障りな音が響いた。

 振り返ると、広場の入口に一台のライトバンが停まっていた。先ほどの音はブレーキによるものだとわかった。

 だが、ライトバンはどこか物々しい雰囲気を醸し出している。

「"衝撃ショット"を構えろ!」

 叱り飛ばすような声で、ディートリヒが叫ぶ。嫌な予感がする。

 言われたとおりに佐知子は両手に意識を集中すると、空気が徐々に回転を始め、次第に高速回転する空気の球が顕在する。

 同時に、車から四人の男が素早く跳び出してきて、距離を置いて二人の前に立ちはだかった。

 他の三人よりも一歩前に歩み出た、ベリーショートの男が二人を睥睨した。

「お前ら……そいつらに何をした?」

「……信じてもらえんだろうが、ついさっき私たちが到着した時には、既にこの有様だった」

 ディートリヒが冷静に返す。

「こいつらじゃないなー……確か変な全身スーツの緑のチビと白衣のジジイだって話だったっしょ?」

 横に控える気怠そうな男が言った。

「面倒なやつだってことには変わらないだろ。……お前ら、協会の連中か?」

 佐知子とディートリヒの顔を値踏みするように、交互に眺める。

「だったら、どうする?」

 ベリーショートの男は深呼吸してから、

「ぶっ殺しだあぁ――――ッ!!」

 と吠えた。瞬間、三人の男が散り散りになる。

「佐知子くん、俺の後ろに回れ!」

「は、はい!!」

 とにかく足手まといになるのだけは避けなければならない、と佐知子は自分に言い聞かせる。自分の力量と相手の力量の差はわからないが、明らかに四人には場数を踏んでいる雰囲気があった。

 佐知子はとにかくディートリヒの指示に従い、背中合わせになって周囲を警戒した。

「いいか、離れるなよ!!――うおぉぉぉぉぉぉッ!!」

 ディートリヒが獣のように咆哮すると同時に、両腕に炎が宿る。さらに炎から、蛇のように身をよじらせる火炎の紐が何本も首をもたげる。

 蛇は意思を持っているかの如く、四人の男に一斉に飛び掛かる。

「くっ、は、はやッ――ああぁああぁぁッ!!」

「やめ、ぐっそお、ぅぎぁあぁづぃぃいいぃッ!!」

 一瞬にして絡め捕られた二人の男は、身を焼く炎に悶絶する。ばたばたと地面に転がって火を消そうとするが、途中で力なく横たわる。

「死ねやゲロ野郎がぁ――――ッ!!」

 正面に立っていたベリーショートの男は地面を蹴り上げ、土の塊を周囲に旋回させ、炎を悉く撃ち落した。

「おっとっと……」

 もう一人、佐知子の方へ回ろうとする、後ろで髪を縛った眠たげな目をした男も、炎を器用に躱しながら"衝撃"によって相殺させる。

 突然ベリーショートの男が腰からぶら下げた鉄のインゴットに触れる。

 するとインゴットがみるみるうちに融けだし、形を変えて、男のジャケットの袖に滑るように侵入してゆく。

 口汚い罵りの言葉とは裏腹に、男は距離を取って様子を伺っている。開戦からものの数秒で仲間二人が戦闘不能に追い込まれたため、警戒しているようだ。

 もう一人、眠たげな目の男も、佐知子と相対しながら動かないでいる。その表情は飄々としていてどこか余裕そうだ。手元にはいつの間にかナイフが握られていた。

「……丁度いいじゃねーの。一対一でやろうぜ、外人」

「上等だ。……佐知子くん、無理だけはするなよ。その男も、中々手慣れていそうだ。いざとなったら――逃げろ」

「……はい。ディートリヒさんも、御無事で」

「んじゃまあ、そういう話みたいなんで。ま、お手柔らかに頼むよ、おねーちゃん」

 四人は対峙したまま、弾かれたように互いの敵を見据える。

「ブチ撒けなぁ――――ッ!!」

 絶叫と共に、ベリーショートの男が両手をディートリヒにかざす。いつの間にかインゴットは完全になくなっていた。

 本能的に危険を嗅ぎ取ったディートリヒは、咄嗟に腕をクロスして炎の蛇を網状にして前面を覆い防御態勢を構えた。

「――――ッしゃあッ!!」

 袖口から高速で無数の輝く粒が飛び出す。

 それは先ほどのインゴットが玉になったものが、まるでショットガンのような散弾となって発射されたものだった。

「おぉぉぉぉぉぉッ!!」

 叫びに呼応するかの如く炎が勢力を増し、細い炎の蛇が太く変わり、網の目が小さくなる。

 弾丸は全て炎に飲まれて、ジュッという音を残してはんだのように融けて落ちる。

「まだまだぁ――――ッ!!」

 続いて第二波、第三波と絶え間なく散弾が撒き散らされては、炎に融けて地面に落ちて行く――。



「ほら後ろ、危ないよー」

 向かい側、十メートルほど離れた場所で戦う佐知子たちのところにも、流れ弾が飛んでくる。

「くっ……!!」

 "衝撃"を薄く延ばし、シールドのようにして何とか弾丸の威力を和らげたことで、何とか佐知子は傷を負わずに済んだ。

 だが弾丸に気を取られているうちに、男が手の中でナイフを弄びながら佐知子に近づいてくる。

「そんじゃそろそろ俺らも始めようかね」

 暢気な声とは裏腹に、手の中に握らているサバイバルナイフは殺意を示すかのように鋭く光っている。刃渡りはおよそ十センチ。

「まずは小手調べっ……てか」

 ヒュンッ、と白刃が闇を切り裂くようにして佐知子に迫る。

「っ!!」

 横に跳んで避けると、すかさず男も身を捻って追撃する。

「ほー……らっとぉっ!」

 半回転し、横薙ぎの一撃。機敏に反応し、辛うじて回避した――、

「くっ……つぅッ!?」

 ――はずだったのに、佐知子の右腕には赤い血が滲んでいた。

「あちゃー、惜しい惜しい」

 ボリボリと頭を掻きながら、ひらひらとナイフを振りつつ佐知子をぼんやりと眺めていた。

(避けたはずなのに……なんで?)

 傷口を寒風が撫でる。

 普段は味わうことがない痛みが腕から伝い、脳を刺激する。傷口から恐怖がじわじわと体を蝕んでくるような錯覚さえしていた。

 自分には何ができるか。敵に対してどうするべきか――恐怖を掻き消すように、佐知子は考えた。

「はぁっ!!」

(まずはあの厄介なナイフを叩き落とさないと!)

 手に狙いを定め、"衝撃"を二発放った。

「あぁ、残念。それじゃあダメかなー」

 男は空いている左手で、佐知子と同じように"衝撃"を発射し難なく撃墜。彼の放った"衝撃"は、佐知子のものよりも小さいが威力が高かった。

「おねーちゃんさぁ、あんた、実戦経験ろくにないでしょ。なんかそんな感じする」

「……!」

 言い当てられたことで佐知子は動揺するが、それこそ男の思う壺だろうと察し、とにかく戦いに集中することにした。

「あー、ひょっとしてこのナイフが欲しいとか?しょーがないなぁ、大盤振る舞いだ」

 ふざけたことを言いながら、男は"衝撃"と共にナイフを勢いよく撃ち出した。予想外の攻撃だった。

 ナイフは回転しながら佐知子に迫る。

(避け……いや、衝撃で軌道を逸らす!)

 後退しつつ、前方のナイフ目掛けて先ほどよりも回転力を増した"衝撃"を発射する。

 焦りの所為で雑になった"衝撃"では撃ち落すことが出来なかったが、ギリギリで躱せる位置にはなった。

 しかし――、

「くぅッ!!」

 ――またしても、ナイフは避けきることが出来ず、頬をかすめて後方へ消えて行った。

 背後の壁に当たったナイフは、そのまま地面へと落下して動きを止める。ナイフには佐知子の血液が着いているが、何かおかしい。

 そしてその違和感の正体に、佐知子は気が付いた。

(――そうか、あいつは私と同じタイプだ……!)

「あー、その様子だとばれちゃったかなー。ま、いいや。大概ばれるもんだから、手品ってもんはさ」

 ナイフの先端よりもさらに先まで血液が付着していたのが、違和感の正体だった。

 単純な話だった。男はナイフの先端にだけ"消失"をかけることで、刃渡りを誤認させていたのだ。

 外見的には十センチほどしかないサバイバルナイフの本来の刃渡りは、おそらく倍の二十センチにはなるだろう。佐知子がギリギリで避けたにもかかわらず傷を負うことになったのは、その所為だった。

(でももうネタはわかったし、ナイフもない。……次に何か来る前に仕留めなくちゃ!)

 右手には先ほどよりもさらに高速回転させた"衝撃"、左手には防御用の"衝撃"のシールドを装填。

 佐知子は姿勢を低くして走り、一気に間合いを詰める――。



「とっとと死ねや糞外人がよぉ――――ッ!!」

 炎の盾を前にしながら、当たっては融け落ちる弾丸を、ベリーショートの男は次から次へと撃つ。

 ディートリヒも防御を緩めずに炎を飛ばすが、片手で放たれる"衝撃"によって掻き消されてしまう。

 そのためディートリヒは、インゴットの総領から考えて長くは続かないだろうと思い、情報を聞き出すためにも殺さず倒すべく、持久戦に持ち込もうとした。

 だが――、

(おかしい。あの量から考えれば、とっくに撃ち尽くしているはずだ。しかし攻撃の手は緩むどころか、苛烈さを増すばかり。となると、やはり)

 ――懐にも大量のインゴットを隠し持っている。そう結論付けたディートリヒは、じりじりと間合いを詰めて焼き尽くそうと考えた。

「無駄だ無駄だ馬鹿がぁ――――ッ!!」

 ドスン、という重たい音と共に撃ち出される弾丸は、先ほどまでのものよりも大きく、しかも速い。

「――――ちッ!」

 火力を上げて何とか撃ち落すが、これ以上の速度と大きさになると融けきる前に、自分の肉体に到達するだろう。現に今の弾丸でさえ、ほんの少し先端が腕に触れていた。

「ならば!」

 炎の蛇が三匹、男の方へと飛ぶ。

「無駄だっつってんだろぉがよぉ――――ッ!!」

 片手で撃墜のための"衝撃"を放つが、蛇のうち一匹は"衝撃"に当たる前に、地面へと落ちて消える。

「くッ!!」

 "衝撃"はディートリヒの後ろへと回り込み、背中に当たる。力いっぱい殴られたような痛みに、思わず声が漏れる。

「このまま嬲り殺しだぁ――――ッ!!おるぁ――――ッ!!」

 ショットガンからライフルのような一点集中の攻撃へ変わり、さらに"衝撃"も飛来する。

 ディートリヒは炎の蛇で対応するが、外れた"衝撃"のいくつかは彼の体へと食い込み追いつめる――。



「――――はぁああッ!!」

 佐知子は攻撃の意思を載せた"衝撃"を、男目掛けて放つ。

「俺さー、無頓着な性格の所為か、昔っからモノの扱いが雑で、よくなくしたりするんだよね。だから最近はさ――」

 迫る攻撃を前にしながらも、相変わらず暢気な調子で話しながら、男はジャケットの内側へと手を滑り込ませる。

 男の行動に、戦い慣れしていない佐知子でも瞬時にまずいと思い、"衝撃"の盾を翳しながら真横へ転がるようにして回避動作を取った。

「――たくさん持ち歩くようにしてるんだよね」

 ズラッとジャケットの内側に並んだナイフ。しかしいずれも柄だけがあり、刃は全く見えない。

「よっ……とぉ!」

 透明なナイフが次々と佐知子目掛けて投げつけられる。

「人間ってのは不思議なもんでさー、頭じゃ大体「あ、刃渡りこんくらいかー」ってわかってても、見えないってだけで途端に感覚がおかしくなるんだよねー。ついつい安心しちゃうっていうか」

 話しながらも、次々にナイフが佐知子に迫り、見えない刃によって脚や腕に切り傷が生じて行く。致命傷にならないのは、男が遊んでいるからなのか、それとも単に運がいいのか、彼女にはわからなかった。

 痛みに耐え、無様にごろごろと転がりながらも佐知子は考えた。

(私に出来ることで、力量差を埋めるには正攻法じゃ無理だ。――じゃあどうすればいい?考えろ、私!)

 転がっていくうちに、倒れている四人の足元にぶつかって動きが停まる。しかしすぐに、男達の上を転がるようにして避けて、立ち上がって男に向き直る。

「………………」

 佐知子は眠たげな男に体を向けながらも、視線はちらりと四人の男達に落としていた。

「お?そいつらを盾にでもする?いいねそれ」

「……そんなこと、しないわよ」

 男の視線を真正面で受け止めながら、佐知子は虚勢を張って応じる。

「……さっきから、私をからかってるの?あなたの実力なら、私ぐらい軽いもんでしょ?」

「あ、わかるー?いや、案外戦う機会ってなくてさー、ひっさびさの折角の戦いなのに、あっさり終わってもつまんないでしょ?だからこれはまあ、ハンデだと思ってくれればいーよ。うーん、俺って優しいなぁ」

「……なら素直に受け取っておくわよ。そうやって油断してくれてる方が助かるもの」

 佐知子は頬の傷から垂れる血を拭う。その間も、視線は男から外さない。右手には常に"衝撃"を充填し、臨戦態勢を緩めることはなかった。

「へー、案外怖いこと言うねぇ。まあでも災難だったねー。俺じゃなくてそこに倒れてるやつらとか……」

 話している最中、男は漠然とした違和感を覚えた。

 一体それが何かはわからない。が、何かが違うような、そんな気がした。

「?そいつらが、なんだって言うの」

 しかし佐知子は怪訝そうに睨むだけで、変わったところはない。

 男が戦いの中で確信したのは、間違いなく彼女は戦い慣れしていないということだ。

 身ごなしも魔術も洗練されていないし、基礎の破壊魔術である"衝撃"を利用した、攻守一体の戦闘スタイルという教科書通りの戦いしかしてこない。

 雑魚を装っているのではなく、単なる雑魚である。それは紛れもない事実だった。

 だから佐知子が何か仕掛けてきたところで、男には絶対に捌ききる自信があった。

「……ああ、えーっと、そうそう、そこの連中とか、さっきそっちの外人さんにやられた二人が相手だったらさ、あんたにも勝てる可能性はあったかもしれないのになー、って」

「……ずいぶんな自信なのね」

「うん。そりゃーねー、俺は戦い慣れしてるから。組織の中でも結構上なんだよ?こう見えても」

「組織?」

「おっと、それに関しては、あんまりしゃべるわけにもいかないんだよね。聞かれても教えてあげないよー。ま、教えたところで、おねーちゃんが誰かに喋る時間なんてもうないからいいんだけどね。どーせもうすぐ死んじゃうんだから」

「………………」

 ふざけた口調に、佐知子の目つきが厳しくなる。わざとらしく男はおどけて見せる。

「うひゃー、怖い怖い。女の子がそんな目ーしちゃ、男に逃げられちゃうぜ?あ、でも今ここから逃げたいのはそっちかな」

「――あなた、そんなにのんびりしゃべくってていいの?」

 震える声で佐知子は言った。

「どういう意味、それ?」

「……私の仲間が駆けつけてきて、あなたなんかあっという間に倒すかもしれないじゃない」

「心配ご無用。ご近所迷惑な大声出してるやつだけど、あれで腕は確かだから。……さて、でもそうだな、言うとおりかもしれない」

「……!!」

 男がじりじりと佐知子に近づく。

 右手にはナイフが握られている。おそらく刃渡り二十センチから三十センチはあると思うが、肝心の刃の姿がどこにも見当たらない。

「見栄え悪いけど、これで案外有効なんだよ、この作戦。却ってこっちの方が怖くない?……っと」

「ぁあッ!!」

 今までよりも遥かに速いスピードで投げつけられたナイフに、佐知子はほとんど反応できなかった。

 見えない刃は佐知子の左太腿に突き刺さり、真っ赤な傷口が透けて見えるのが恐怖心を煽った。柄だけが不気味に浮いている。

 佐知子は痛みを堪えながら柄に手をかけ、ナイフを引き抜いた。抜くと同時に血も勢いよく漏れ出す。

「~~~~っ!くぅ……っ」

 目に涙を滲ませながら、近づいてくる男にナイフを向けつつ後ずさる。

「あーあ、抜いても苦しいだけだよー?さー、そろそろ終わりにしよっか――」



「ちぃ……ッ!!」

「オラオラどうしたてめえぇ――――ッ!!」

 敵の猛攻は終わらない。

 理由はインゴットを隠し持っていたこともあったが、炎によって融け落ちた鉄を引き寄せて再利用していることも理由だった。

 先ほどから炎の蛇は一発も男の体には当たらないまま地面へと落ちて消え、ディートリヒの体力だけが"衝撃"によってじわじわと削られている有様だ。

「協会っつってもこんなもんかぁ――ッ!?つっまんねぇ――のぉ――――ッ!!」

 逃げるようにしてディートリヒは、男を中心にゆっくりと旋回しながら身を守っていた。

 防御を解けば弾丸で撃ち抜かれてただでは済まない。それに佐知子のことも心配だ。ここで無理をしてやられるわけにはいかなかった。

 何より、こんなところで切り札を使うわけにはいかない。

 その間もディートリヒは、ただ攻撃を耐えながら、炎の蛇を飛ばしては撃ち落されていた。

(あと一歩……)

 しかしその目には諦めも怯みもなく、勝利を見据えて輝いてた。

 そして、最後の蛇が地面へと呑み込まれた。

「――――焼き尽くせッ!!」

「はぁっ――――!?」

 男を中心にして、地面には綺麗な円形の跡が出来ていた。それは全て炎の蛇が落下した痕跡だった。

 焼け跡に再び紅蓮の光が灯ると、火柱が立ち上り天を焼く。

「ぁッ!?あっづ、あっぢゃぁああ―――――――ッ!!」

 炎は円錐状の壁となって男を包囲し、内部の酸素を奪って燃える。

 直接身を焼かれていないが、逃げることのできない熱の暴力によって、男は呼吸すらままならない。

 ――無駄なように思えた攻撃は、全て"炎渦フレイムプリズン"への布石だったのだ。

 炎の結界の中で、男は成す術なく、火が消えると同時に膝から崩れ落ちて動かなくなった。

(それより、佐知子くんは無事なのか!?)

 ディートリヒが振り向くと、そこには――、


「――な……っ!!」

 男の顔が驚きに歪む。凄まじい光と音で振り向くと、劫火が天を突くようにして延びて仲間を呑み込んでいた。

 衝撃の光景に気を取られ、思わず佐知子から意識が逸れる。

(――――今だ!!)

 この瞬間を、佐知子は見逃さなかった。

「…………はぁッ!!」

「っ……くぁッ!?」

 佐知子の声に視線を戻した瞬間、背中を鋭い痛みが貫く。

「ふぅ……ッ!!」

 佐知子が睨み、力を込める。

 すると男の背中に刺さる異物が、より奥へと潜り込んでくる。しかし、そこには何もない。

「ぐぅぁああ……ま、まさか……!!」

 背中へと手を伸ばすと、そこには確かに覚えのある感触――愛用のサバイバルナイフの柄に間違いなかった。

 しかし刃だけではなく、柄まで見えないのが不可解だった。

「まだ、まだだぁッ!!」

「ぎぃいッ!?」

 普段は聞くことのできない、佐知子の激昂した叫びに合わせて、背中に伸ばした手にも激痛が走る。背中だけではなく手の甲までも見えないナイフが貫き、背中に縫い付けられ動かせなくなる。

(――そういうこと、だったのか!!)

 男はようやく先ほど感じた違和感の正体に気が付いた。それは自分が使い捨てたナイフが見当たらなくなっていたことだったのだ。

(ナイフを透明化したのはわかったが……ナイフをいつ回収したんだ!?いや、そもそもどうやって操っている!?)

「――ぎぃあッ!!ぐうぁあッ!!」

 太腿、足の甲、腹部――次々と不可視の攻撃が、男を冷たく無情に貫いてゆく。完全に想定外の反逆に頭が回らず、無様に踊るように身をよじらせることしかできない。

「はぁあぁああッ!!」

 そして顔面を岩石がめり込むような"衝撃"が襲い――そのまま勢いよく倒れ込んだ所為で、背中のナイフがさらに深々と刺さってゆく。

「ぐふぁあぁッ!!ああ、やぁ、やべぇ、にに、げ、逃げないと……ッ」

 数刻前までの余裕が消え去り這う這うの体で逃げる男だったが、退路を遮る一つの陰があった。

「――どこへ行くつもりだぁ?」

「あ、ああぁあぁあぁ……」

 逆光を浴びながら陰を落とすディートリヒの歪な笑みに、既に限界間近だった男は泡を吹いて気絶してしまった。



「――それにしても驚いた。まさか一人で倒してしまうとはな。君を見くびっていたようだ」

 町の平和なレクリエーション広場に気絶した八人の男が転がっているという、傍から見ると異様な状況の中、妙に穏やかな空気が二人の間に流れていた。

 結局、後から現れた四人の男達はそれぞれ大なり小なり怪我を負ったものの、命には別状がないため、放っておけば誰かが通報するだろうということで、適当に転がしておいた。

「いや、そんな……相手が油断してたのと、ディートリヒさんのおかげで隙が出来たからどうにかなったんで……実力で勝てたのとは、ちょっと違うと思います」

 傷の手当てをしながら二人は会話を続ける。応急処置と治癒魔術によって、殆どの傷は治っていた。だが衣服までは治らないので、ボロボロになった佐知子の格好は見るからに事件性を感じさせる。それなりに愛着のあるコートだったので、余裕ができた今になって悲しさと怒りが少し込み上げてきて、恨みがましく倒れた敵を睨み付ける。

「しかし一体、どうやって倒したんだ?」

「あの、さっきの人がナイフを使い捨てるみたいに転がしていて……それで敵の戦い方を見ていて、完全に透明なナイフだったら気づかれずに攻撃できると思ったんです。でもどうやればいいかなって思った時、ここに来た時に倒れてた四人の持ち物の中にワイヤーがあったのを思い出して、あれがあれば"念動力サイコキネシス"でナイフを動かせるな、って気が付いて。逃げ回ってる時にばれないように回収して、ワイヤーも"消失"で透明にして操って、会話に気を取られているうちにナイフに結びつけて透明化して……それでまあ、どうにかこうにか……」

 そう言われてから、まだ"消失"を解除していないことに気が付き、ナイフとワイヤーにかけていた魔術を解除する。

「あ、ナイフの指紋とかって拭き取った方がいいんですかね……」

「それは気にしなくていい。後で上が警察に掛け合って、連中の身柄ともどもどうにかしてくれるだろう。それより――」

 言いながら広場の外に耳を澄ますと、ざわざわとした声が近づいてくる。

「――さすがに近隣住人に騒ぎを聞きつけられたようだ。ひとまず別の場所に移動しよう。すまないが、また"消失"をお願いしたい」

「はい」

 来た時と同じように、二人の姿が景色に溶け込むと、逃げるようにしてその場を立ち去った。



 敵から情報を得ることも出来ず手詰まりになった二人は、人気のない公園に身を寄せた。休息と連絡待ちのためだ。

「ほら、これ」

「あ。ありがとうございます」

 ボロボロになった服装の所為で人目に付くのを避けたかった佐知子を待たせ、ディートリヒは「ちょっと待っていてくれ」と言うとどこかへ行ってしまった。帰って来た時には両手に缶コーヒーが握られていた。

 差し出された缶コーヒーを佐知子は受け取る。冷えた手が温まりるのが心地よい。プルタブを引いて一口飲むと、内側から全身に熱が浸透してゆくような気がした。

 やっと人心地つき脱力しそうになるが、まだ任務の最中だということを思い出し、崩れかけた姿勢を正した。

 そんな様子を見てディートリヒがクスリと笑う。

「別にそんな肩肘張らなくてもいいさ。誰が見咎めるわけでもないんだ、楽にしていい」

「は、はい……」

 見透かされたことが恥ずかしくなり、思わず赤面する。明かりが乏しいため気が付かれないのが幸いだった。

 ディートリヒは買ってきた缶コーヒーを口にしてから、

「実際に戦ってみて、どうだった」

 と、正面を向いたまま尋ねた。

「……思ってたよりも怖くって、痛くって、辛くって……でも」

「でも?」

 佐知子もまた一口飲んでから、

「自分に自信が持てた気がします」

 小さく笑った。

「……そうだな。うん、君はもっと自分を誇っていい」

「まあでも、運が良かっただけですけどね……」

「運も実力のうちだ」

 佐知子の人生の中で、褒められるという経験はほとんどなかった。それは偏に自分には何の取り柄もないからだ、という負の確信があった。

 しかし今日、佐知子は初めて何かを成し遂げることができた。その経験が自信に繋がってゆくのを自分でも強く感じていた。

「君は自分を過小評価しているようだが……隠遁魔術、特に"消失"をあれだけの精度・速度で扱えるというのは、それだけでかなりのアドバンテージになる」

 自分が出来ることというのは、往々にして他人も当然出来ること。そう佐知子は思い込んでいたため、ディートリヒの話は意外だった。

「そう、なんですか?」

「ああ。少なくとも私にはできない。……戦闘になるとどうしても破壊魔術に目が行きがちだが、操作魔術や隠遁魔術は実力差を覆すだけの可能性を秘めているんだ。不可視の相手と戦うのは骨が折れる。何より疑心暗鬼によって集中力が削がれるのは堪えるな。その場合、きっとみだりに大技を乱発して疲弊してしまうだろう。万一それでも仕留めきれなかった場合……私は負けるだろうな。君が得意とする"消失"は、それだけの脅威を秘めた魔術なんだ」

「…………」

 滔々と語るディートリヒの言葉を聞きながら、佐知子は自分の手を見つめていた。

 自虐的に「透明人間になれるなんて、地味な私にぴったりかも」などと思いながら、何かをする度胸もないまま持ち腐れていた力。

 それが今日、自分の命を救ったのだ。いまさらになって実感と共に、力への恐ろしさが圧し掛かってきた。

 ――しかしそんな感慨も、携帯電話の着信音によって掻き消された。

 顔を見合わせてから、ディートリヒが急いで携帯電話を取り出す。

「ディートリヒだ」

『観測室の坂田です!強力な波動を検知しました!最大マグニチュードは5.5!現在も断続的に無数の波動を観測していることから、交戦中と思われます!』

「場所は!?」

『郊外のビル建設予定地です!位置情報を送信しますので、そちらでご確認ください!』

「わかった!……ところで応援はどうなっている?」

『現在急行中ですが、道が混雑しているため到着まで時間がかかりそうです!』

「間に合いそうにないな……危険だが、私と河口で情報収集にあたる!」

『了解しました!ですが危険を感じたら、すぐに退避してください!』

「了解だ!……佐知子くん、どうやら敵の本拠地がわかったかもしれん。最悪、人命が失われる可能性がある……急ごう!」

 手早く携帯電話をポケットにねじ込むなり、緊迫した面持ちで佐知子に言った。しかし彼女はもう臆することなく、

「……はい!」

 と、瞳に決意を灯し力強く頷くと、コーヒーを一気に飲み干した。



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