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大輝、初めての戦い

 まるで父親の運転する車に乗って、外の景色を眺めているような気分だった。

 しかし周囲の風景が尾を引いて遠ざかってゆくのは、紛れもなく自分の意思と足によるものである。

 足に力をこめ、跳び出す。すると一瞬のうちに遥か先だった場所を通り越してしまう。

 壁にぶつかりそうになり慌てて足を止めようと思うと、先ほどまでの速度を忘れたかのようにピタリと停止する。

 自分の意思でありながら、まるで自分の感覚ではないような不思議な浮遊感の只中にあった。

 今の自分だったらオリンピックでだって優勝できる――平時であればそんな暢気なことを考えもしただろうが、たった一つ"七海を助ける"という思いに支配された大輝には、とてもそんなことを思いつくだけの余裕はなかった。

 弾丸のような速度で駆け回っているのに、どうして風景を認識し、障害物とぶつからずにコントロールできるのが疑問で、着かず離れず、しかしはぐれることなくピタリと着いてくる葛葉博士に尋ねたが、

「本来であればお前自身の知覚を加速させるのがベストだが、あまりにも負担が大きすぎる。だからスーツの方にいくらかの姿勢制御や動体認識処理の機能を付加している」

 と、さっぱりわけのわからない説明をされたので、大輝はひとまず"とにかくすごい"とインプットして、深く考えないことにした。

 植え込みを抜けてすぐ、足跡は途切れてしまっていた。代わりに今度は現場から立ち去る車のタイヤの跡を追うことになった。

 初めは光の帯となって浮かび上がる無数のタイヤ痕のどれを追えばいいのか戸惑ったが、老人の的確な指示によって事なきを得た。

「次を右だ」

「うん。……ねえ、博士」

「なんだ?」

「僕たちって、周りの人からどう見えてるの?」

「割とはっきりと見えているが、せいぜい一瞬では肉眼で認識することは出来ん。……まあ不可視、姿を見えないようにも出来るのだが、する気はない」

「な、なんで?」

「古今東西、英雄やヒーローがこそこそとするか?何も不可視を卑怯と言うつもりはない。戦略の一つとして非常に重要だ。だがそれは"見られるとマズイ"何らかの理由があるからやるんだ。例えば自分と相手の力量差が明確な場合、暗殺以外にやりようがないのなら可能な限り姿を隠すべきだろう。しかし、そのスーツを着ている以上、その必要性は皆無だ。それに我々には何も見られて困ることはない。なぁに、胸を張っていればいいんだ。ま、あまり極端に騒ぎになりそうであれば、その時は私が姿を消してやるさ」

 普通、ヒーローが街中を飛び回っているのを見られたらとんでもなく騒ぎになり困りそうなものだが……そんなことを言っても、多分老人には通じないだろうと思い、大輝はただマスクの下で苦笑するだけだった。

 ただただ二人は道から道を、痕跡を追って駆け抜けた。

 既に周囲は真っ暗で、家々に灯る明かりと街灯が寂しく道を照らしている。だが、大輝の目に景色は昼間のように明るく映っていた。スーツのおかげだ。

 その所為でふと時間を忘れそうになってしまうが、いつもの大輝であればもうとっくに家に帰り、母親に急かされて風呂に入っているか、まだダラダラとゲームや漫画を読んでいる時間だった。

 お母さん、心配してるだろうな。でも七海がこのまま帰らなかったら、七海の家のおじさんもおばさんも悲しむし、僕のお父さんもお母さんだって悲しむだろうな――道中そんなことを考えていたが、ふと大輝は色々と肝心なことを老人に聞いていないことを思い出した。

「ねえ、博士」

「今度はなんだ?何が知りたい?スーツのことか?」

「あ、そのことじゃなくて……」

「ふむ、じゃあなんだ」

 大輝は少し質問するのをためらったが、意を決して尋ねることにした。

「……その、博士はなんで、僕にこんなことしてくれるの?セイマンアーマーくれたり……」

「なんだ、そんなことか。お前に力を与え行動してもらうことで、私にも目的や利益がある。どうせ詳細な理由を言ったところで、お前では理解できん。ただ少なくとも、私が何もしないままであれば、ただあの娘は犠牲になり、お前は何も真実を知らぬまま途方に暮れる人生を送ったんだ」

「そうだよ、なんで七海はさらわれちゃったの!?」

 老人の答えを聞いておきながら、それよりも重要な話題が出るや否や、すっかり大輝の関心はそちらへ移ってしまった。

「ああ、そういえば話していなかったな。――あの小娘は無自覚だが、"音叉ピュリスト"と呼ばれる特殊な魔術師だ」

「――え?」

 まるで日常会話でもするかのようにさらっと発した老人の言葉は、しかしとんでもなく重大な発表だった。

 七海が、魔術師?

 さっきから老人の言葉のほとんどは、その内容が難しすぎて意味が理解できなかった。しかし今、大輝が理解できないのは言葉の意味だけではなく、その言葉が意味する事実である。

 大輝は思わず足を止める。老人も彼に合わせて止まる。閑静な住宅街を通る道路の真ん中だったが、幸い周囲に人気はなかった。

「ちょ……ちょっと待ってよ、そんなわけないって。だって七海はそんなことしたことないよ。今までずっと一緒に居たけど、そんな、魔法なんて使ったりしたことなかったよ」

「落ち着け。だから言っただろう、あの小娘は"無自覚"だと。お前の言うとおり一度として自分が魔術師である、と認識したことはない」

「そうだ、そもそも魔術師ってなんなの?博士も魔術師なの?なんでそんなのだからって、七海はさらわれなくちゃ――」

 狼狽する大輝をなだめるように、老人は彼の顔前に手を突き出した。

「いいから、まずは落ち着け。順を追って説明する」

「…………うん」

 少しうつむきがちだったが、ひとまず大輝が落ち着いたのを確認すると、老人は改めて口を開く。

「まずは魔術師が何か、ということだが……お前が言うとおり、確かに私も魔術師だ。正確には普通の魔術師とは異なるのだが……それはお前にとってはあまり関係のない話だな」

「………………」

「さて、魔術師に何が出来るか?そのことに関してもっとも簡単かつ乱暴に言ってしまえば"何でもできる"。世界は根源の力によって満たされており、魔術師とはその力に"波動"という力で干渉することで、あらゆる現象を引き起こすことが出来る者の総称だ。おとぎ話に登場する魔法使いと似たようなものだと思ってくれていい。ここまでは、なんとなくでも理解したな?」

「……うん、多分……」

「それでいい。では次だ。あの娘の力について話す前に、魔術師の話をもう少しだけ続けるぞ。……さて、あの娘が無自覚な理由についてだが、魔術師には力を先天的に自覚している者と後天的に覚醒する者の二つに分かれている。生まれつき手足を動かすことができるように、生来魔術師としての力を備えている者は、生まれつき魔術が使えるし、そのことを自覚している。この感覚はお前には理解できないだろうが、それは生まれつき目が見えない人間に対し、色や光を理解しろと言っているようなものだから、気にすることはない。ただし、今のお前はそのスーツによって、疑似的に魔術師の力を扱えるようになっている」

「えっと、それでなんで七海は」

「焦るな。物事には順序がある。……次に、後天的な魔術師についてだが、そういう者たちは生まれつき魔術師としての素質を備えていながら、何らかの不備によってチャネルが開いていない者たちだ。その者たちは、外的要因により覚醒する。言ってもわからんだろうが、撹拌波動というものがあり、魔術師の力である強力な"波動"を身に受けることで、チャネルが開くことによって覚醒する。このチャネルの有無によって魔術師になれるかどうかは決定してしまう」

「うーんと……そのチャネルっていうのが七海にはあって……」

「そうだ、あの娘にはあるが、お前にはない。一応、素質がない者であっても"ケイオス"という混成生物になることで魔術が扱えるようになる可能性はあるが、そもそもケイオス化に成功するかどうかは博打みたいなもんだ。ああ、この話は別に覚えていなくていいぞ。説明義務を果たす上で話しているだけで、直接的に関係のない話だからな」

 言われなくてもさっぱりわからなかったが、とりあえず大輝は頷いてごまかした。

「以上の前提を踏まえた上で、七海だったか?あの小娘についてだ。さて、あの小娘は魔術師としての素質がありながら、魔術師として目覚めていない。先ほど話した中では後天的な魔術師と言うことになる。しかしあの小娘は、魔術師の中でも少し特殊でな。実は魔術師には二種類あって、魔術師のほとんどは、こう言ってはなんだが便宜上"普通"の魔術師だ。さっきも言った通り、いわゆる何でもできる"魔法使い"をイメージしてくれればいい。だが、稀にたった一つの、しかも極めて特化した固有能力とでも言うべき術しか使えない魔術師が存在する。そうした魔術師は"ブンダーカマー"と呼ばれ、能力の特殊性の所為で汎用性に劣るが、代わりに特定条件下で恐ろしい力を発揮する存在として重宝されている」

「……えっと、あのー、つまりどういうこと?」

「そうだな、わかりやすく言えば……お前のそのセイマンアーマーは、木・火・土・金・水の五つの力を扱える。状況に応じて切り替える手間はあるが、バランスよく様々な力を使える、非常に便利なスーツだ。そうだろう?」

 やっと自分の理解が及ぶ説明をされて「なるほど」と思うことができた。

「うん、テレビだとそんな感じだった」

「それが普通の魔術師だ。一方でブンダーカマーは、その五つの属性のうち、たった一つ……例えば火炎に関する魔術しか扱えない。その代り、あらゆるものを焼き尽くす炎を、いとも簡単に生み出し、自在に操ることが出来てしまう」

「そっか……敵の幹部の火車みたいなもんか」

「む?……ああ、ヒーロー番組の話か。まあ、そうだ、そんな印象を持ってくれればいい」

「それで、えーっと、七海は……なんだっけ、ぴゅ、ぴゅり……」

「"ピュリスト"……"音叉"だ。ブンダーカマーの中でも少し異質でな、音叉の連中はどちらかといえば普通の魔術師に近いんだ。普通の魔術師と同等の訓練を積めば、魔術を習得することができる。多くのブンダーカマーと違い、こちらは特殊能力者と言うよりも特異体質という言葉の方が当てはまる。……先に断っておくが、この先の話はお前には色々と難しいだろうから、話半分に聞いてくれればいい」

「う、うん」

 今まででさえ難しくて話半分だったのに、これ以上難しくなったらさっぱりわからないだろうなと思いながらも、話の腰を折るわけにはいかないため、空気を読んでただ頷いた。

「魔術師が魔術を行使する際に発生させる波動には、少なからずその魔術師の意思が介在する。ここで言う意思は、感情と言い換えてもらってもいい。特にケイオスを生み出す際の撹拌波動などではその影響は顕著だ。そうした意思は時に強大な力を生み出す原因にもなり得るが、基本的にはノイズでしかない。意思の影響を可能な限り抑えることが出来れば、魔術はより正確かつ精密な純粋なものとなり、最大限のポテンシャルを発揮することができる」

「………………」

「そこで、"音叉"の力が鍵となる。"音叉"はあらゆる波動に介在する意思を純化できる力を持つ。そのため"音叉"は普通の魔術師であれば修行しなければ扱えないような純度の高い、つまりロスの少ない魔術を生まれながらにして扱えるゆえに、非常に優秀な魔術師になりうる可能性を秘めている。だが一方で"音叉"は、言うなればフィルターとして扱われるケースも多い。特に、錬金術の一つの到達目標であり、高位の魔術師であれば必要不可欠な"賢者の石"を手っ取り早く作ろうと思った時、"音叉"は非常に優秀な純化装置として働いてくれる」

「賢者の石?」

「端的に言えば、波動の増幅装置だ。そうだな……小僧、お前テレビゲームはやるか?」

「ゲーム?うん、やるよ」

「ああいうものだと、よく攻撃力や魔力が上がるパワーアップアイテムっていうものがあるだろう。まあ、そのくらいに思っておけばいい。それを作るために、あの娘は誘拐されてしまったんだ」

 大輝は理由を聞いて、理不尽だと思った。しかし同時に、ひとまず無事である可能性が高いこともわかり、少しだけ安堵した。

「じゃあ、七海は、こ、殺されたりはしないんだよね……?」

 一瞬、老人は黙り込んだ。しかしすぐに、大輝の思いには沿わない答えが返ってきた。

「……いや、おそらく連中はあの娘を犠牲にして賢者の石を作り出すつもりだろう。"音叉"を利用した賢者の石の生成には二種類の方法があってな。一つは"音叉"自身が実力ある魔術師で、自分の力と耐久度の限度を認識し、無理のない範疇で作り出す方法だ。しかしそれは、あくまで"音叉"自身が賢者の石を作り出せる実力がなければならない。あの小娘はそもそも自分が魔術師、ブンダーカマーであることすら理解していないのだから、その方法は無理だ。連中もわざわざ立派な魔術師として育成しようとは思っておらんだろうし、むしろ力を付けて反旗を翻される可能性を考えれば、より手間とリスクの低いもう一つの方法を選択すると考えるのが妥当だ」

「………………」

 なぜだか大輝は、この先の老人の答えが不安だった。胸騒ぎがして、暑くもないのに額には汗が滲みだす。

「もう一つは、"音叉"に対し外部から波動をぶつけるやり方だ。この場合、"音叉"の力量は一切関係ない。もちろん優秀な"音叉"の方が耐久限度が高いゆえに強力な波動を受けることができ、それだけ高品位な賢者の石が作り出せるが……。あの小娘程度でも、賢者の石を作り出すには十分だ」

 答えを聞くのが怖い。それでも、聞かないわけにはいかない。

 震え始める唇を必死に抑えながら、大輝は老人に尋ねる。

「は、波動を受けたら、七海はど、どうなっちゃうの……?」

「……自らのキャパシティを越えた波動を受けた者は魂が溶融し、肉体を維持できなくなる。つまり――――死ぬ」

「――――ッ!!」

 ――七海が死ぬ。

 死から程遠い安穏とした日常。

 毎朝のニュースで当たり前のように流れてくる、殺人や交通事故や火事の話題でしか聞くことがない、あまりにも縁遠い"死"という現象。

 ずっと、毎日顔を突き合わせてきた幼馴染が、死んでしまう?

 七海と死――その二つの単語は、これまでの人生の中で一度として結びついたことがない、考えてみたことさえなかったことだ。

 現に七海は突如として目の前から連れ去られた。さらに、あまりにも信じがたいような事実を裏付けるかのようにして現れた老人と、魔法のスーツ。それぞれが非日常の要素に満ちていながら、しかし冷たい実感と事実を伴って、容赦なく大輝の身に降り注いでいた。

「――――ほう」

 老人の目が細まり、鋭く光る。

 驚愕の話を聞かされた大輝は呆然としていた。老人は彼を動揺から引き戻すべく、強く肩を叩いた。

「――っ!!な、何!?」

 急に揺さぶられた大輝は、はっとなって老人の顔を見上げる。既に老人は先ほどまでの余裕に満ちた表情に戻っていた。

「心配するな。あの小娘を死なせないために、お前が居るんだろう。私が最初お前に尋ねた理由、もう一度言ってみろ」

 大輝は泣きそうになっていた。体も震え、歯もがちがちと鳴っていた。

 しかし、やるべきことを思い出して、強く地面を踏んで勇気を奮い起こし、歯をかみしめて震えを止めた。

「僕は七海に謝らなくちゃいけない。だから僕が、七海を助ける」

 老人はにやりと笑う。

「よし、ちゃんと覚えていたな。――さて」

 言い終えるなり、老人は道路の向こうを指差した。

 大輝も目を凝らして見てみると、その先には三つの人影があった。どうやらこちらに向かって走って来ている。

「娘を助けるための準備運動だ。連中を倒してみせろ。あれは誘拐犯の一味だな。スーツ生成時の波動を察知したようだ」

「…………ええっ!?」

「お前、そのスーツは移動や探索目的のものじゃないんだぞ?あくまでそれは一機能に過ぎない。本来の用途は対人戦を想定した高火力・重装甲の鎧そ――いや、ヒーロースーツだ。どの道、助けに行くのなら戦いを避けて通ることは出来ん」

 ケンカすらまともにしたことがない大輝には、途方もない要求のように思えた。

 話をしている最中も、三人組はどんどん距離を詰めて向かってくる。その姿を見ただけで、大輝は軽くパニックを起こしそうになっていた。

「ぼ、ぼぼ、僕、ケンカも全然したことない……」

「見ればわかる。いかにも泣き虫で女子にさえ勝てなさそうだ。もちろんサポートはしてやるさ。ここじゃお前もやりづらかろう、ひとまず近くの公園に行くぞ。ほれ、着いてこい」

 老人は踵を返し、来た道の途中にある交差点を右に曲がった。あまりスピードを出し過ぎず、敢えて三人組を引き離しすぎないように移動しているようだった。大輝はしきりに後ろを振り向きながら、老人の後を必死に着いて行った。

 途中、帰り際のサラリーマンらしき男性に遭遇しぎょっとされたが、それ以外は特に誰にも会うことなくレクリエーション広場に着いた。

 背の低いフェンスで囲まれた広場は、ところどころ枯れ気味の芝生が剥げて、土がむき出しになっている。遮るものは何もなく見晴らしがいい。

 学校の校庭や地域で一番大きな市民公園が空いていない時は、この広場が遊びの候補地として挙がる。実際、何度も遊んだことがある場所だけに、誰か知り合いに見られないか心配になったが、午後五時を過ぎるとさすがに人気もなく、さらに今の大輝は全身をスーツで覆われているため面が割れる心配はないことに気が付いた。だがそれでもなんとなく、知っている場所というのは落ち着かなかった。

「さて、と。小僧、ここに連中が来ると同時に、この広場全体に結界を構築してやる。外部からは侵入不可、内部で何が起こっても聞こえないし見えない。お前が仮に大技を放って外れたとしても、近隣施設に被害はないし、通行人を巻き込むこともない。存分に戦え」

 老人は先回りして、大輝が色々と尋ねてくる前に懸念を払拭すべく言い放った。

 魔術師って心まで読めてしまうのかな、と怖くなったが、戦うことへの恐怖感が勝っていてそれどころではなかった。

「ででで、でもたか、戦いって、ど、どす、どうすれば」

「小心者め。先ほどの決意はどうした」

「だ、だって、怖いもんは怖いよ!」

「ほーれ、来たぞー。後ろ後ろ」

「ふぇえ!?」

 老人の言葉に振り向いた時には、恐怖を加速させる光景が広がっていた。

 広場に駈け込んで来たのは三人の男だった。だがいずれも誘拐犯とは異なる顔だった。

 三人とも、幼い大輝から見ればひとくくりに"おじさん"と呼ばれてしまうだろうが、年齢は二十代後半から三十代半ばくらいに見える。

 そのうちの一人、五分刈りで無精髭の男は、両手を胸の前で上下に合わせていた。その掌中には煌々と球状の塊が燃え盛っていた。

 炎に触ったら熱いに決まっている。だから始め大輝は見間違えたかと思った。しかしテニスボールほどの火球は次第に大きさを増し、気が付くとサッカーボールほどまで肥大していた。

 男の両側には、一歩下がった位置に、残り二人の男が居た。それぞれ掌を、片や大輝に、片や老人に向けている。

 大輝に掌を向けている男は、ワインレッドのダウンジャケットを着て眼鏡をかけた、一般的な大学生がそのまま年齢を重ねたような男だった。

 両掌の先からは、何かキラキラしたものが出ている。それはワイヤーだった。ワイヤーは音もなく、さながら蛇のように大輝に向かって飛んできて、あっという間に両手足を巻き込んで全身に絡み付いた。

 残り一人の男は、老人に掌を向けている。明るい茶髪で目つきが悪く、ジャラジャラとピアスやリングを幾つも身に着けていた。

 眼鏡の男と同じように掌を向けているが、茶髪の男は左手にペットボトルを持っていた。透明な液体が差し出した右手の前に撒かれると、見る見るうちに凍り付き、禍々しく鋭利な氷柱が形成された。

 氷柱は驚くべき速度で、ミサイルのように老人へと飛来した。

 全てが、まるでスローモーションのようにゆっくりと流れたような気がした。しかし、無精髭の男の、

「喰らえェッ!!」

 の一言を皮切りに、感覚が一瞬にして現実に引き戻されてゆく。

 火球が大輝に向かって放たれる。逃げなくちゃ、と咄嗟に思うものの、眼鏡の男のワイヤーによって身動きが取れない。そのまま火球はスーツに接触し、轟音と共に爆発。

 一方、老人の胸元にも氷柱が突き立てられる。氷柱は深々と心臓のある位置を貫き、その衝撃によって老人の体が後ろへと押し倒される。

「………………」

 無精髭の男は、濛々と煙を上げる爆心地を睨み付けながら、油断なく掌中に新たな火球を作り出す。

「木島、ジジイはやったのか?」

 決して倒れ燃えている大輝がから目を逸らさずに問いかける。

「ぶっ飛んだ……ぜッと!」

 木島と呼ばれた茶髪の男は、いつの間にか再び作り出していた氷柱をさらに一発、動かない老人目掛けて撃ち出す。氷柱はただ無情に突き刺さる。

「これで生きてんのはゴキブリくれーじゃねーすかねぇ?」

 へらへらと笑いながら、木島は無精髭の男を一瞥する。

「おい、真面目にやれ。前もそうやって失敗しただろうが」

 眼鏡の男が木島を非難する。しかし彼は肩をすくめて笑うだけだ。

「まあまあ、もう昔のことじゃねーかよ。んじゃー、わかったわかった、もう一発ぶち込めば加納クンも満足してくれっかなー……よッと!」

 まるでダーツでもするような手振りをしながら、さらに氷柱を一発発射する。わざわざ股間を狙って打ち込んだようで、狙い通りに命中する。

「うーっしOKぃ!!」

「……クズが」

 満足そうにガッツポーズをする木島から目をそむけ、吐き捨てるように眼鏡の男、加納はつぶやいた。

「おい、木島。あんましふざけてるとブン殴んぞ」

 ドスの利いた声で、無精髭の男がイラついたように言う。しかし、相変わらず燃え盛る大輝から目を離すことはない。

「うぃー、すんませんッス。でも近藤さん、あれ絶対死んでんでしょ?」

「――まさか。あれくらいで死んでいたら、魔術師なんてやっとれんよなぁ」

「――――ッ!?」

 突如として、背後から響いたその声に、三人は一斉に振り向いた。

 そこには、確かに木島が何度も氷柱を突き刺して殺したはずの老人が、全くの無傷で笑っていた。

「はあっ!?ジジイ、なんで――」

「――はぁッ!!」

 狼狽する木島の言葉を遮るように、真っ先に反応したのは無精ひげの男、近藤だった。

 いつの間にか両手にそれぞれ一つずつ火球が作られていて、老人目掛けて左手の火球を放った。火球は恐るべきスピードで老人に迫り、接触する。

「ふーむ……まだマシに戦えそうなのは、いがぐり坊主だけか。……小僧の初戦の相手としては丁度いい実力だ」

「……ッ!!」

 三人は、驚きのあまり言葉を失った。老人は迫りくる火球を、まるでバスケットボールを指で回すかのように、人差し指の上で弄んでいた。そして、蝋燭を吹き消すかの如く、フッと軽く息をかけると、炎は一瞬で姿を消してしまった。

「おーい、小僧。怪我一つないのだろう?いい加減起きろ」

「………………」

 老人の呼びかけは、確かに大輝の耳に届いていて、老人が言うように全くの無傷だった。スーツのおかげで、衝撃はあったもののまるで痛みはなかった。

 目の前で炎が弾け、爆発した。凄まじい音と光が、衝撃を伴って小さな大輝の体を吹き飛ばした。

 攻撃された瞬間は何がなんだかわからなかったことが、今になって理解すると同時に、痛いほどの動悸がドクドクとはっきり聞こえる音を立てて、全身に"死への恐怖"を巡らせてゆく。

 息の止まりそうな圧迫感で、本当に呼吸が出来なくなりそうだった。

「さて、どうしたもんか……よし」

「――――!?」

 頷いたかと思うと、老人は跡形もなく姿を消した。瞬きをしていないのに、消える瞬間というのが誰にもわからなかった。

「どこ行ったぁ!?」

「ほら、しっかりと立て」

「っ!?……なっ……」

 三人の目の前から忽然と居なくなった老人は、いつの間にか大輝の脇に手を入れて、何とか立たせようとしていた。

 大輝は茫然と老人の顔を見上げ、三人は呆然とその光景をただ眺めるだけだった。老人以外の誰もが正気を失いかけていた。

「どっ……どうすりゃあーいいんだよ、こんなの……」

「木島、加納!一旦引くぞッ!!」

「は、はい!」

 勝ち目がないとわかるや否や、近藤は適切な判断を二人に下し、出口へと駆け込む。だが、

「ぐっ!?……なんだ、これは……」

 三人は勢いよく、何もない出口に激突して後ずさる。見えない壁にでも弾かれたようだった。

「け、結界?いつの間にこんな……」

「まあゆっくりしていけ。なに、殺しはせんから安心しろ。ただし、痛い目には合ってもらうがな」

 愕然とする三人に視線を送ることもなく、さも当然のように老人は言い放った。あまりにも平然と言われたため、三人は顔を見合わせて困惑した。

 一方で老人は彼らをさほど気にせず、大輝の肩を支えて無理矢理立たせた。

「これでわかったと思うが、お前が立ち向かわねばならない魔術師という連中は、こういう存在だ。ただのケンカとはわけが違う」

「………………」

 大輝はまだ茫然として、ただぼんやりと老人の話を聞いている。

「だからこそ、魔術師との戦い方を覚えなくてはならない。勝つためにはスーツの機能を理解し、適切に運用することが重要となる」

「…………」

「いいか、そのスーツを着た状態でパンチを繰り出せば、岩石はクッキーのように脆く砕け、鉄板でさえひしゃげさせることはおろか、貫くことも可能だ。それゆえ、ただ適当に殴る蹴るをするだけでも戦えないではない。が、手練れ相手にそんな戦い方は通用せん」

「……」

「そこで様々な機能――魔術を駆使することで、圧倒的な経験の差を縮めるのだ。使える魔術……技と言った方がお前には理解しやすいか、使える技はあの本に書かれていた通りに備えた。技名を脳内で念じれば発動するようにしておいたから、発動そのものは難しくはない。ただし、頭で理解しているからといって実際に使えるかどうかはまた別だ。いきなり敵の大将と戦ったところで勝ち目はない。だから――」

「――ふゃあっ!?」

 ばんっと両肩を勢いよく叩かれ、大輝はびっくりして正気に戻る。

 なんとなく老人の話は覚えていたが、目の前で立ち尽くす三人組を見て後ずさる。先ほどの爆発への恐怖で、とても戦うどころではない。

「あ……うぁあ……」

「――あいつらで練習だ」

「は、はぁっ!?だ、え!?は、博士、さっきの見てなかったの!?あの人たち、火の玉使ったり、その、他にもなんかしてたんだよ!?」

「ざッけんなあッ!!」

「ひぃっ!?」

 いきなりの怒声に大輝は縮こまる。

 声の主は木島だった。怒りと困惑が混ざったような複雑な表情を浮かべ、老人を険しく睨んでいた。近藤が「おい」と制止しようとするが、一度暴走した感情は簡単に収まりそうではない。

「てめぇ、なめてんのか!?練習とか抜かしやがって……大体、てめぇら何モンだっつーんだよ!?"協会"っぽくもねーし、糞がよ……!!」

 苛立ちを露わにし、得体の知れない相手への恐怖を怒りで覆い隠し、大輝と老人に向かってつかつかと近づく。

 大輝はおろおろと怯えるばかりだったが、老人は薄笑いを浮かべて余裕を見せる。それが一層、木島の癪に障った。

「死ねや糞がぁッ!!」

 勢いよく木島の拳が繰り出され、老人の顔面を捉える。

 その拳にはいつの間にかナックルが嵌められているように見えたが、それは氷でできたスパイクだった。

 ゴキッ、という嫌な音と共に、老人の顔面に拳がめり込む。

「博士ぇ!!」

 思わず大輝は木島に向かって手を伸ばし止めようとするが、静止するよりも早く、何故か木島が蹲ってしまった。

「……うっぎぃぃ……ッってぇぁぁああ……ッ!!」

 木島は地べたに座り込み、右手首のあたりを握りしめている。

 その様子を不審に思いよく眺めてみると、右手首が不自然な方向に折れていた。

 あの嫌な音の正体は、木島の手首が折れる音だったのだ。

「木島!!」

「くっ――」

 残り二人が思わず攻撃を仕掛けるべく予備動作を取った瞬間、

「――動くな」

 と、酷く冷酷な声がその場を支配し、全員が動きを止めた。

 その声は確かにあの老人のものだったが、大輝にはまるで別人のものであるように聞こえた。

「面倒だ、余計なことをするな。――そこのいがぐり頭。私と、お前たち三人の実力差がわからないわけではなかろう?」

「…………ッ」

 余裕のある笑みを浮かべた老人の表情は、先ほどまでと何も変わらない。

 そのはずなのに近藤は、自分を見つめる老人の瞳が何か人ではないようなものに見えて、背骨や心臓を握られているような、底冷えする絶望的な恐怖を植え付けられていた。

 隣の加納も同様に恐怖に支配され、真冬にも関わらず額に大粒の汗を浮かべ、寒さとは別の理由で歯をカチカチと震わせている。

「私はあまり殺さないんだ。やむを得ない場合を除けば、だがな。そこへいくとお前らは運がいい。私の要求に従うだけで、生きてこの場を終えられるんだからな。しかも子供の前だ、あまり悲惨な光景を見せるのは酷というものだ。出来ればそんなものは見せずに終わった方が、お互い夢見がいいだろう?」

 にやりという笑いが、二人の恐れを加速させる。

 近藤は、ただ黙って立ち尽くすことしかできなかった。

「……で、茶髪のお前。従うか?んん?」

 木島は挑発的な質問をする老人に、痛みを堪えながら睨み付ける。

「……誰がてめぇなんぞにぐぁあ――ッ!?」

 口答えと同時に、老人の蹴りが木島の股間にめり込み、"大切なもの"が破裂した。想像を絶する痛みに悶絶しながら吐瀉する。

 だが直後、右手首と股間の痛みがさっぱり消え去る。

「……がっ……えぇ……?」

「従うか?」

 薄笑いで老人は尋ねる。あまりにも平然としているため、却って狂気染みているように思えた。

 一体何が起こった?間違いなく手首は折れて、股間も潰れたはずなのに、今では何の痛みも感じない――木島が悩んでいると、老人は再び、

「従うか、と聞いているんだ」

 と、淡々と尋ねた。

 木島にはプライドがあった。

 自分がこんな老いぼれに負けるわけがない。何かの間違いだ、と思っていた。

「だ、誰があぐあぁあぁぁぉぅッ!!」

 一瞬のうちに木島の胸、腹、股間の三か所に蹴りが突き刺さる。

 先ほどよりも激しい、内側で爆発する激痛と同時に、血液とまだ残っていた吐瀉物、そして肺の中の酸素が押し出され口から溢れる。

 ――が、またしてもすぐさま痛みと傷が消えて、ただ致死の感覚が記憶として刻まれる。

「し・た・が・う・か?」

 満面の笑みで、しかし全く笑わない目で老人は木島に問いかける。

 一番冷静な近藤でさえ、その光景を目の当たりにして顔を歪め、加納に至っては泣きだしそうなほど怯えていた。大輝に至ってはあひる座りになって、壁際にべったりと張り付いて震える有様だった。

 そしてようやく木島は理解した。このまま逆らい続けても、殺されることはないだろう。ただ延々と、この老人の徐々に過熱してゆく拷問が続けられ、攻撃と同時に傷が治されて死ぬことすら叶わぬと。

 安いプライドだけでは決して抗うことができない、目の前に立ちはだかる圧倒的な力量差を持つ化け物。

 これ以上の痛みに耐えられるはずなどなかった木島には、

「……あぁ、ああ。し、した、した……がう」

 と承諾する以外の選択はなかった。

「実に素直でよろしい。さて、小僧よ」

 老人が振り向き目が合うと、直前までの光景を目の当たりにしてすっかり怯えてしまった大輝は「ひぃっ」と情けない声を漏らして、シャカシャカと座ったまま後ずさろうとした。自分が壁にもたれかかっていることも忘れ、無意味に後ろに下がろうとする。

「あー、安心しろ。ただ説得していただけで、何も理不尽な暴力を振るう趣味はないぞ、私は。そんなことよりも、ほら、立たんか。こっちに来い」

 老人への恐怖は払拭できないままだったが、それより"逆らったらどうなるかわからない"という不安が浮かんだため、ぎくしゃくとロボットのような動きで、おっかなびっくり立ち上がり近づいた。

「なな、ななな何を、すれば、いいの?」

「そこの茶髪と戦え」

 大輝と木島は同時に「はあ?」と声を上げて老人の顔を見て、それから互いに顔を見合わせた。

「さっきも言っただろう。さすがにこのままでは心もとないのでな。まずは一対一だ」

「って、えー!ほ、ほんとにやるのぉ……?」

「娘を助けたいのだろう。あまり時間もない。手早く終えなければ、娘の身はそれだけ危険にさらされることとなる」

「……っ!!」

 老人の言うことは、冷たくも事実であった。

 その現実を考えた瞬間、大輝は総毛立った。

 そうだ。どの道この先戦いを避けることはできない。きっと七海を見張っていたり、何かしようとしたりする奴が居るだろう。そいつから七海を奪い返す時、必ず戦わねばならない――そう考えた大輝は、一転して木島に向き直った。

「そ、その……どうすればいい?僕、頑張るから……」

 弱弱しい決意だったが、それでも立ち向かう意思を見せた大輝を見て、老人は相好を崩す。

「よし。格闘技の経験はないだろうから、殴る蹴るはとりあえずどうでもいい。重要なのは、魔術の扱いだ。おい、茶髪」

「な、なんだよ」

「お前、この小僧を全力で倒す気で戦ってみせろ。手は抜くなよ。やり方は自由だ。どんな卑怯な方法を使っても構わん。ただし仲間に手を借りるのだけは禁止させてもらう」

「…………わかった」

 渋々といった様子で了承する木島だったが、逆らった場合、先ほどの死よりも恐ろしい拷問を受けることは明白だったため、何も文句は言わなかった。

「それじゃあ開始だ」

「――――しッ!!」

 開始、と聞いた瞬間、弾かれたように木島は大輝に向かって跳ねた。

 掌には何もなかったが、あっという間に空気が高速回転を始め、暴風の塊と化した。

「う、うわあああ!!」

 辛うじて動きを捉えた大輝は、自分が立っていた場所から思い切り跳ぶ。

 二十メートルほど先に跳ぶと、勢い余ってフェンスにぶつかりそうになったので、足でフェンスを受け止めて着地した。

「るぁあッ!!」

 すかさず木島は暴風の塊を二発撃ちこむ。大輝は身を翻して辛うじて避けるが、着地の瞬間に――、

「もらったぁッ!!」

「――っ!?うわあっ!!」

 狙い澄ましたように、着地地点から土煙が巻き上がり、大輝はその衝撃で打ち上げられる。

 無防備な体勢で空中に浮かぶ大輝目掛けて、氷柱がミサイルのように飛来し、全て命中する。

「うわぁあああああっ!!」

 大輝はスーツのおかげで無傷だったが、それでもやはりパニックになってしまい、どうしていいのかわからない。

「小僧、フォームチェンジしてみろ」

 バキン、バキンと氷柱が砕ける音の中で、はっきりと老人の声が響いた。

 今の状況で、一体どんな風にすれば勝てるのだろう――大輝が悩んでいる間も、絶え間なく木島の猛攻は続く。

「うるぁああッ!!糞ガキがぁッ!!ちったあ反骨精神見せてみやがれやぁッ!!」

 罵声と攻撃を浴びせられながら、どうにかしなくちゃ、と大輝は思った。

 木島の攻撃は氷が多い。氷に勝てるのは――ファイア・フォームだ!

「――ちぇ……チェンジ!ファイア・フォーム!!」

 叫びと共に、紅蓮の閃光が大輝の全身を覆う。

 そして、炎と共に、赤く輝くスーツが炎を伴って姿を見せた。

「はぁ!?なんだそりゃあッ!?なんかのコスプレじゃねーのかよ、それ!!」

 木島は、突然大輝の姿が変わったことに驚きを隠せないようだった。

 大輝の姿はコスプレか何かだと思っていたようだ。

「まさか鎧装結界か……!?」

 沈黙を守っていた近藤が思わず漏らす。

「ほう、知っているのか」

「なんで……なんであれを扱えるにも関わらず、戦い慣れしていねえんだ……?」

「ああ、そんなことか。あの小僧は魔術師ではない。一般人だ。あれは私が与えた」

「な……っ!?」

 近藤は途方もない話を聞かされて絶句した。隣では話に着いて行けていない加納が、困惑した表情で近藤と老人の顔を交互に見ていた。

「こ、近藤さん。すいませんが、鎧装結界って一体……」

「……肉体強化と魔術増幅を可能とする"身に纏う結界"らしいが、俺も詳しくは知らねえ。噂で聞いたことがあるだけだ。だが、あれはそう簡単に作れるものじゃねえって聞いてるが……そもそも一般人が魔術使えるようになるなんて話、聞いたことねえぞ……」

「ふむ。なら目にするのは初めてか。あれは並の鎧装結界とは格が違う。貴様らの人生で目にする機会は今日が唯一だろう。僥倖に打ち震えながら、しかと目に焼き付けるがいい」

 老人と近藤達は、空中に浮かんだ、火炎の翼を備えた真紅の鎧に視線を戻す。それは火の鳥と呼ぶに相応しい姿だった。

「わぁ……と、飛んでる……」

 その力の強大さを知らないまま、しかし大輝は純粋に驚いていた。飛行機すら乗ったことがなかったため、空を飛ぶというのは初めての体験だった。

「んだよクッソぉ……あんなの反則じゃねえかよ……ッ!」

 悠然と宙に浮かんだ大輝を睨みながら、木島は砕けた氷の欠片と、手持ちの水の全てをかき集めた。

「いいぜ、だったら俺もスゲーのをブチ込んでやるぜぇ……!!」

 木島は左手で右腕を強く握りしめながら、右手を天に掲げ力を一点に集中させる。

 氷の欠片と水、そして大気中の水分が寄り集まり、パキパキという音と共に氷塊が形成されてゆく。

「鎧ごとぶち割れなぁッ!!」

 直径一メートルに達する氷塊が、空気を裂く剛速球と化して大輝に迫る。

「え、えっと、あ!ふ、ファイアーウォール!!」

 迷いながらも大輝が両手を突き出して叫ぶと、氷塊よりもさらに巨大な円形の火炎の壁が出現した。

 炎の壁は、まるで真夏のアスファルトに落ちる一滴の汗の如く、ものともせずに氷塊を飲み込み、そのまま壁は氷塊が来た道を辿るようにして、木島に迫る。

「ウソだろ、ぉい、う、ぐぅあぁあっぢゃあぁいいぃぃがぁあぁああぁぁぁッ!!」

 余熱が産毛を焦がすのを感じた次の瞬間には、木島の全身は未曽有の劫火に包まれる。が、それもほんのわずかの内に消えてなくなり、それと同時に木島の意識も途絶えてしまう。

 円形に黒く焼け焦げた、まるで爆心地の中心に木島は倒れ込んだ。周囲では残り火がちろちろと芝生を焼くが、それもすぐに鎮火してしまう。

「どどど、どうしよう……」

 思わず炎の壁を押し当てたものの、こんなものを浴びれば普通は死ぬ。そのことを寸前で思い出した大輝は慌てて炎の壁を消し去ったが、木島は倒れたまま動かない。

 しかし、不思議なことに全身には傷一つなかった。

「安心しろ、小僧。火傷は全て治しておいた。そいつは焼かれる熱と痛みに耐えきれず気絶しただけで、命に別状はない」

「よ、よかったぁー……の、かなぁ?」

 相手は自分を殺そうとした誘拐犯の一味であるにも関わらず、やはり誰かを傷つけることは、大輝にとって心が痛むことには変わらなかった。

「魔術の使い方は理解したな。その調子でやれば、とりあえず問題ない。さて、あまり時間もないことだ。次はまとめて二人と戦ってもらう。さあ行くがいい、坊主と眼鏡」

 反対の余地はなく、行くしかなかった。

 しかし、大輝がその威力もわからないままに放った炎を見て、近藤は心の中で毒づく。

(あんな化け物、まともにやって勝てるわけがねえ……!!)

 結界の所為で逃げ出すことも出来ない。いや、結界がなかったところであの老人が居る以上、どう足掻いても逃れようがない。ただ負け戦に赴くしかない――勝ち目がなくても戦わざるを得ない状況の中、半ば諦観めいた心境で、近藤は意を決して大輝に向かって両手を構え臨戦態勢を取った。

「……加納、行くぞ。いつも通りだ」

 目の泳ぐ加納の肩を叩いた。加納は力なく「は、はい」と返事をしてから、ぶるぶると首を振った。

 加納は手を強く噛むことで震えと恐怖を何とか抑え込むと、くっきりと歯形の残った手を大輝へと構えた。

「……大丈夫。もう、行けます」

「準備はいいな?よし、小僧。次は二対一で戦ってもらう。一人を目で追わず、全体を見て戦え」

「そ、そんなこと言われたって……」

「習うより慣れろだ。始めろ」

「――――行くぞッ!!」

 近藤と加納は、大輝を中心にして左右に回り込むようにして走る。

「わっ、え、ど、どうしよ」

 右の近藤か、左の加納か。どちらを相手にすればいいのか迷い、棒立ちのまま両方をきょろきょろと見るが、その間に、

「ふっ!!」

「うっ、わあ!!」

 加納の放ったワイヤーが蛇のような動きで大輝の自由を奪う。襲撃された時と同じ戦法だったが、戦い慣れをしていない大輝にはどうしようもなかった。

「―――はぁッ!!」

 そこへすかさず、近藤の雷撃がバチバチと音を立てて降り注ぐ。

 強烈な閃光と破裂音が公園に響き渡る。

「うわぁああぁあっ!!」

「な、何ぃっ!?」

 大輝は反射的に身を丸め、ボクシングのピーカブー・スタイルのように両腕で顔を庇い防御態勢を取ると、膂力によってワイヤーが劣化した輪ゴムの如く軽々と千切れる。

 更にそのままゴロゴロと地面を転がり、大輝は辛うじて雷撃を回避した。

(あのガキ、明らかに戦い慣れも判断力もねえ……自分の持つ力の大きさも理解してないだろう。ただ力任せに動くだけで、易々ワイヤーを引き千切れるのか……厄介だな)

 近藤は冷静に大輝の力を分析しながら、どう戦うかを考えた。

 負け戦であることを理解している近藤の今の目的は、異常を察知した仲間が到着するための時間稼ぎをすることだった。

「加納!プランDだ!」

「了解です!」

 加納はワイヤーを巻き取りながら、片手に風の塊を作り出し、細切れにして大輝に発射した。

 ピンポン玉ほどのそれは石を投げつけられたような衝撃を伴って大輝を襲う。

「うっ、くうぅ……!!」

 大した威力じゃないが、困惑する大輝は切れ間なく飛来する弾を防御するので手一杯になる。

 そこへ、いつの間にか大輝の後ろに回り込んだ近藤が、更なる追撃を企てる。

「はぁぁあぁ…………ッ!!」

 近藤の両手から放たれた風の帯は、びゅうびゅうと音を立てながら大輝目掛けて吹き荒れる。しかし一つとして当たることはなく、彼の周囲を球状に取り囲んだ。

 すかさず加納が腰のポシェットから袋を取り出して、風の檻へと投げ込む。

 刃物のような切れ味を持った風によって袋は一瞬にしてズタズタになり、中から灰色がかった粉末が巻き上がり、風に巻き込まれてキラキラと輝きながら回転に加わる。

「行けぇっ!!」

 加納の掛け声と共に、小さな火の玉が発射される。

 火の玉が輝く風に触れた瞬間――、

「――うわあぁぁぁあっ!?」

 ――強烈な光を伴い大爆発を引き起こした。

「ほう……アルミニウム粉末を利用した粉塵爆発か」

「熱や衝撃には強くても、酸欠には耐えられない……といいが……」

(こ、今度はなんなんだよぉっ!!)

 小刻みな攻撃を受け続け、さらに鎌鼬の檻に囚われたかと思ったら、今度は目の前がいきなり真っ白になった。

 立て続けに起こる攻撃に対して、大輝は何をしなくちゃならないかを必死に考えた。

(爆発だとファイア・フォームじゃダメだろうから、えっと、セイマンだったらこんな時は……そ、そうだ!!)

「――ち、チェーンジッ!ガイア・フォームッ!!」

 焼けつくような光の只中で、紛れるように紫の光が輝くが、それに気が付いたのは老人だけだった。

 突如、風の音を掻き消すような破砕音が轟き、それと共に風の檻が内側から破られる。

「なんだ……あれは……」

「つ、土の……壁?」

 まるで絶壁のような土の塊が、地面からいくつも突き出していた。爆炎を消し去り風の檻を破壊したのは、どうやらこの土壁のようだ。

 そして土壁がガラガラと崩れると、そこには紫色に輝き、先ほどよりも肉厚で重厚な雰囲気を漂わせるスーツが姿を現した。

「加納、気を付けろよ……。今度は何が来る……?」

「グランド・スタンプ!」

 バッ、と大輝が手を出すと、どこからともなく大輝の身長以上を越えるハンマーが出現した。

「即時生成ッ!?」

「こ、近藤さん!!次はどうしましょう!」

「糞ッ……プランCだ!!」

 二人が再び、二手に分かれて行動を始めようとしたところに、大輝はがむしゃらに走って行った。

 スピードはウッド・フォームの時よりは遅いが、それでも驚異的なスピードには変わりなかった。

「う、うわあああああああっ!!」

 一度に二人を狙うことはできない。ならばまずは倒せそうな方に攻撃を試みる。

 加納に狙いを定め、大輝は横薙ぎにハンマーを振りまわす。頭に直撃したら死んでしまう、ならば胴体を攻撃しなくては、という咄嗟の判断だった。

「くぅっ、うおおぉぉぉ!!」

 加納はギリギリのところで飛び上がり、直撃を避けようと試みる。

(この速度なら、何とか避けられる!!)

 しかし、直後に加納の予想外のことか起きる。

「……いや、駄目だ!加納、もっと高く――」

「――ロケット・シュート!!」

 ボッ、という着火音が聞こえたかと思った次の瞬間には、加納はフェンスに叩きつけられていた。

「――かッ、ひゅあぁッ」

 全身が軋みひしゃげるような荷重と痛みが、遅れてやってきて、呼吸が出来なくなる。

 またしても一瞬にして傷が癒えるが、衝撃と共に加納の意識は失われていた。

「加納――――ッ!?」

「うわあああああああ!!」

 思わず、刹那の内に吹き飛んだ加納に気を取られた隙に、大輝がハンマーを振り上げる。

「アース・パイロン!!」

 クレーターを穿つ一撃が大地を抉る。ドドド、という地響きが次第に大きくなり、近藤へと迫る。

「ちぃッ!!」

 最悪の予想に、風のシールドを形成し地面に向け、脚力を限界まで駆使して高く飛び上がるが――、

「ぐぁあああッ!!」

 ――急成長した土の槍によってシールドは易々と貫かれ、これまでの人生で味わったどんなパンチよりも重たい一撃が近藤の意識を吹き飛ばした。

 そのまま近藤は顔面から地面へ自由落下し、そして動かなくなった。

「はぁっ……はぁっ…………はぁあぁ~~~」

 呼吸を整えながら、大輝はそのまま地べたにへたりこんでしまった。戦いの緊張から解放され、思わず気が抜けたのだ。

 そこへ老人が拍手をしながら近づいてくる。

「よしよし、初めてにしてはまあいいだろう。どうだ?あれだけの爆発だろうと衝撃を受けようと、スーツもお前もびくともしなかったろう」

「う、うん。凄いけど……でも……怖いよ、やっぱり……」

 老人は大輝の頭をぽん、と叩き、

「お前はそれでいい。無様な戦い方は、全て経験不足と判断能力の低さに起因するもので、生身ならば即座に死んでいる。しかしそれは経験を積み、危険を知ることで解消されるだろう。が、いくら強くなろうと、恐怖を忘れ己を過信し慢心する者――あの茶髪のような――は、いつか自ら死へ踏み込む。臆病で、戦いを嫌い、なお必要とあらば戦う気概を持つお前のような者は――意外と優秀な戦士足るのかもしれんな」

「は、はあ……?」

 一体、褒められてるのかなんなのかよくわからなかったが、ひとまず無事に戦いを終えられたことへの安堵感が疑問に勝っていた。

 たっぷり二分間、老人は大輝を見守って、それから、

「一息ついたか?それでは向かうとしよう」

 と、声をかけた。

「うん、じゃあウッド・フォームに……」

「いや、痕跡を追う必要はもうない。飛行可能なファイア・フォームにしろ」

「え?でも、じゃあどうやって……場所わかんないんだし」

「それは――」

 老人は言うが早いか消失し、そして大輝の前に再び現れる。

 大輝にはごく僅かな、一秒にも満たない合間に消えてまた出てきたように感じたが、いつの間にか老人の右手には見ず知らずの男が掴まれていた。実際には瞬時に公園外に移動し、戻ってきたのだ。

 男はきょとんとした表情で、ただ口元を押さえつけられていた。自分に何が起こったのか、わかっていないという顔だった。片手には携帯電話が握られている。

「――三人組の後ろをこそこそとついて来ていたこいつに、尋ねることとしよう」

 男を見ながら老人は笑みを浮かべる。

 表情に反して異様に冷たいその目は、木島に選択を迫っていた時と全く同じ底冷えのする目に変わっていた。



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