傷をわらう
古い傷がある
忘れた頃に痛み出しては
僕を苦しめる
こんな傷
本当は
欲しくなんてなかった
陽気な音楽。カラフルな色の服の人々。子供たちがお揃いの衣装で駆け回る。
「わー、思ったより派手なお祭りだね」
黒いつなぎを着た少年、健斗は目を輝かせながら言った。彼の言うとおり、小さな街のお祭りにしては出店の立ち並ぶ盛大なものだった。
「そうだな」
涼は白いつなぎのポケットに手を入れたまま、周りを見回し頷いた。珍しく落ち着きがないように見える。
健斗は荷物を置きに先に寄った宿でもらった小遣いを握りしめ、食べ物の屋台を一つ一つ覗いていく。それを横目に見ながら栗色の髪をした少年は、空を見上げた。空から洩れる光は明るいが、強くもなく程よい温もりを与えていた。
色は相変わらず灰色をしていたが。
「それにしてもなんであんな派手なんだろうな」
「なんでだろうね」
周囲の人間みんな、染められたようなカラフルな色の服を着ている。健斗には、そんなものはもう目に入っていないようだ。
ベシャ。
その時、涼は足に冷たい感触を感じて視線を落とした。
「え、何」
そこには子供たちが集まっていた。一様に蛍光色の服を着た少年少女は、手に大きなハケを持っている。皆、楽しそうに笑っていた。
「お兄ちゃん。そんな白い服着てたら、かっこうの的だよ」
「なんで」
どんどん青色に染められていく白いつなぎに阻止する手立てもなく、彼は声をかけてきた飴玉を売っているおばさんに困ったように目を向けた。涼は子供が苦手だ。
「このお祭りは家内安全のためだけど、この辺を治めてる神様は派手好きらしくてね。昔から子供たちが道端にある絵の具を服にペイントするのが、祭礼なんだよ」
おばさんは他から何も知らないで来た少年が、おもしろいのかニヤニヤしながら教えてくれた。彼の白いつなぎはすっかり染まっている。子供たちは納得したのが歓声を上げながら去っていった。
「お兄ちゃん、中々いいじゃないの」
青に白に赤。まるで青空と花みたいだと、彼は思った。もちろんそんな景色は見たことはないけれど。
涼は静かに微笑んだ。
彼はもう何年もお祭りなどに訪れたことがなかった。
小さな頃は両親に連れられ行ってはいたが、田舎に引っ越してからは友達もなく、お祭り先で同級生に会うのが嫌で行かなくなった。地元は夜のお祭りが中心だったのもある。
随分昔に失くしていた、胸がわくわくして落ち着かない気持ちを思い出した気がした。
「おい、健斗。お前は大丈夫、て、あれ」
もうすでにその言葉に答える少年はそこにはいなかった。
「まあ、いいか。宿知ってるし」
涼は姿勢を正し、胸を張ると歩き出した。
その頃、片割れの少年は立ちすくんでいた。
目は一点を見つめている。その視線の先には一人の男がいた。小柄な少し丸いシルエット。
「兄ちゃん、どうかしたんか」
鉄板焼きを手渡そうとしていた髭面の親爺が彼の視線を辿って、首を傾げた。
健斗は金縛りのようにピクリとも動かず、左胸を押さえたまま荒い呼吸をする。瞳が左右に揺れていた。
「おい、医者呼ぶか」
親爺が彼の肩を掴み、ビクリと体を震わせると健斗は視線をそちらに向ける。汗だくだった。
「え、何」
「大丈夫か。顔色悪いぞ。医者行くか」
「あ、平気、です」
健斗はにっこり笑って商品を受け取る。もう一度今しがた見ていた方向を見たが、男は消えていた。
彼が立ち止っていると、ビシャリと足元に水の感触がした。健斗のつなぎは元が黒いせいかたくさん色がついているにも関わらず、思ったより染まっていない。
「今度は白い色もってきたからな」
子供たちはわざわざ白色を運んできたようだ。道端には様々な色の入ったバケツが置いてあったが、この辺りに白い色はなかったらしい。
「負けないよ」
健斗はさっきもらった鉄板焼きをポケットに詰め込むと、おどけたように舌を出し走り出した。蛍光の服に身を纏った少年少女が後を追う。
時々、後ろを振り返りながら距離を取る健斗。夢中になって追いかける子供たち。
その追いかけっこを周りの人々が笑って見守っていた。
「ぎゃ」
その声に振り返ると一人の少年が膝を抱え、うずくまっていた。転んだようだ。
子供たちが彼の周りに集まっていく。健斗も慌ててその輪に加わった。
「大丈夫?」
少年は俯いている。膝を擦りむいていた。その時。
ザバーっと、しゃがんでいる健斗の頭から水が降ってきた。白い水。俯いていた少年が顔を上げた。
「こんなケガで泣くか。ひっかかったな」
少年は先程の健斗のように舌を出すと、他の子供たちと跳ね回って喜ぶ。周りの大人は、全身ずぶ濡れの彼がさすがに怒りだすのではと心配して寄ってくる。でも、そんなのは杞憂だった。
健斗は笑っていた。そのまま子供たちとふざけて遊ぶ。
「ちゃんと手当しなよ。跡が残るよ」
「オトコはそんなの気にしないもんだぜ」
得意げに笑う少年に、健斗も声を上げて笑った。
彼が膝の傷を思い出す時、話す時、きっと笑っているんだろう。
でも、そんな傷ばかりじゃない。
足がすくんで、苦しくて怖くて憎い。そんな傷。
健斗は服の左胸の部分を強く握った。服が引っ張られてえりぐりが伸びる。
そこから罰点の傷が覗いた。
その日の夜。ゴトンゴトンと今にも壊れそうな音のする洗濯機の前に彼らはいた。
「なんかすごい祭りだったな。明日も行くんだろ」
Tシャツにクロップドパンツという格好に着替えた涼は、さっきまで全身真っ白になっていた少年に聞いた。今は大きな文字の入ったTシャツにカーゴパンツを穿いている。彼は大きな音を上げる洗濯機に目を落とし、黙っていた。
「さすがに絵の具ぶっかけられたのには参ったのか?」
「え」
のぞき込まれて初めて、彼は驚いたように涼を見る。そしてにっこり笑った。
「ごめん。音がでかくて聞こえなかった。何」
「いや、今日の祭りどうだったんだ」
「おもしろかったよ。子供ってテンション高くていいよね。涼は?」
子供が得意でない涼は困ったように首を傾げた。
「確かにお前と子供は気が合いそうだよな……。おれは久々に祭りってもんに行ったけど、なんか楽しかったよ」
彼は嬉しそうに目を細めた。健斗は「よかったね」と笑って、少し考えてからこう言った。
「涼は思わないの。子供の頃、違ってたらって」
「は?」
「仲間外れにされてなければ、目がもう少しいいうちにいくらでも夜の祭りでも行けただろ」
涼は急にこんな話を始めた彼の心中が読めず、「はあ」とだけ言った。
「みんなの事恨んでないの?」
栗色の髪の少年は面食らった。大半の時間を笑っている健斗に真面目な顔で、こんな質問をされたこともなかったから。
「恨んでないと言ったらウソだけど」
涼はまっすぐ健斗を見た。いつもと雰囲気の違う彼が、どこかいたたまれなかった。
「憎み続けるのは大変なんだよな。憎しみは重くて、ひきずるけど苦しくて辛くなる」
涼は眉を寄せた。
「だから、捨てた。少しずつ」
「許したってこと?」
健斗は子犬のような目をして首を傾げる。涼は口をへの字にして少し考えた後、腕を組んだ。
「許したってのもあるし、バカバカしくなったってのもあるかな。全部は無理だけど、随分軽くなった、気はする」
彼はゆるりと笑う。それを見て健斗はにっこり笑った。いつもの彼だ。
「よし。明日もお祭りだ。これ明日までに乾くかな」
「他のにしろ。また白絵の具かけられるぞ」
二人は騒々しい音を奏でる洗濯機を見つめた。
次の日もいい天気だった。昨日より日差しは強いが、温かいといえるくらいのものだった。昨日と同じように立ち並ぶ店。違うのは蛍光色の子供たちがいないことぐらいだ。その代り、皆各々道端の絵の具で好きなデザインを自らに描いていた。
「なんだ。つまんない」
健斗は少し不満そうだったが、涼は正直ほっとしていた。今日も子供に囲まれたらどんな反応をしたらいいのか、正直悩んでいた。
「まあ、いいや。何食べようかな」
跳ねるように進んでいく。涼はその後をゆっくり追った。
その時、健斗の動きが止まった。視線の先には昨日の男。涼は同じように立ち止った。
「決まったのか」
涼の声と同時に健斗は走り出していた。涼が呆気にとられているうちに、人ごみをすり抜けて消えていく。彼は戸惑いながら後を追った。
「わ、なにするんだっ」
脇道に入ったところで、左胸に大きな赤いバツ印を書かれ小男は驚きと同時に憤慨した。
高そうな素材のシャツ。赤い絵の具の塗られた部分にはブランド名か、刺繍がなされている。
するりとリストバンドをした少年の左手からバケツが落ちて、赤い色をまき散らした。
「オレの事おぼえてるか?」
小男は訝しげに少年を伺った。少し怯えているようだった。短い髪の少年は、えりぐりをグイと引っ張った。大きな古い罰点の傷。
「この傷つけたのあんただろ」
男は思い当ったようだ。そして少年が青い顔で怯えた目をしているのに気付き、薄く笑った。
「覚えてるよ。昔苛ついてた頃にその傷つけるのがブームでね。あの頃の孤児の一人か」
少年は歯を痛いくらい噛みしめた。とっくに塞がった胸の傷が、じくじくと痛む気がする。
今はその小男より大きく成長したはずなのに、負けないはずなのに、足が震えた。一歩も動けない。
「なに、それでこれが復讐ってわけ? この程度が? しょぼいね」
男が一歩一歩近付いてくる。動けない。足元の赤い色が結界の様だ。
「健斗」
名前を呼ばれ顔を上げたのと同時に、男が視界から消えた。
「何やってんだ、お前」
目の前に立つ、涼が呆れたように呟く。視線を移すと、道端に男が倒れていた。
「涼、今蹴った?」
「悪者っぽい顔でにやついてたから。違ったか」
涼は、何が起こったのかわからない様子で立ち上がる男を一瞥した。健斗は声を上げて笑った。
「違わない」
「ああ、そう。よかった」
「いいわけあるか。訴えるからな。お前ら……」
男は薄くなり始めた髪を整えながら少年たちに近付こうとしたが、ピタリと歩みを止めた。涼の顏を見て固まっていた。
「お前、リオさんの」
その言葉に涼は首を傾げる。彼はリオの面影が濃かったが、本人は自覚していなかった。
「リオはおれの父親だけど」
「やっぱりっ。あの人にはもう一生関わりたくない」
「なんで」
「こんな辺鄙なとこに飛ばされたからだよ!」
小男は憤慨し、荒々しい足取りで住宅街の方へ歩いて行った。
「何だあれ」
涼は唖然としてその後姿を見送っている。健斗は嬉しそうに笑って、ぽつりと呟いた。
「憎しみって、一人きりじゃ捨てられないんだな」
「え」
栗色の髪の少年が振り返るのと同時に、彼は祭りの喧騒へと歩き出していた。軽い足取りだった。
「あー、お腹すいた。何食べよっかな」
「お前、ポケットに食い物入れるのやめろよ」
涼は呆れながらその後を追う。健斗は振り返るといつもの様に笑った。
傷はある
今もここにある
でも 進める
少し軽くなった体で
いつか笑って話せると
そう
信じていれるから




