クロイセカイ
あの頃の おれは
闇よりも濃い
クロイ
クロイセカイの中にいた
少年たちはとある駅の前にいた。
「ねえ、涼。どこまで行くの?」
頭の後ろを刈り上げている短髪の少年は、路線図を見上げ後ろを振り返った。声をかけられた栗色の髪の少年は、背中に背負ったリュックから白い封筒を取り出す。
この前、永谷の所でもらったバイト代だ。
「そうだな。とりあえず銀京に向けて行けるとこまで行って……」
そう言いながら封筒を探っていた彼は、「あれ?」と怪訝そうに首を傾げる。そこには小さな紙が入っていた。
「西へ行く列車。そろそろ来そうだよ」
その言葉に涼は取り出そうとしていた紙切れを元に戻し、切符売り場に足を向ける。健斗は後に続いた。
「ねえ、涼。腹減ったー。なんか食べ物買い込んでこうよ」
「時間ないって言ってるだろ。ほら、これ」
涼は手もつけていない朝食のパンと硬いビスケットを取り出す。健斗は大喜びで「わーーい」と無邪気に声を上げ、それを受け取ると次の瞬間には噛り付いていた。
涼はそれを黙って眺める。
「何? あげないよ」
「いらねーよ」
記憶の片隅の何かが引っかかる。あれはまだ健斗にも出会っていない頃。
幼い少年の記憶。
十年前。小さな田舎の学校。
チャイムが鳴って教室が一気にざわめき始めた。涼はあたふたと白い割烹着に袖を通す。
「今日はパン係だ……」
彼は壁の表を確認すると、同じように白い衣服に身を纏った少年の後を追い教室を出ていった。
この学校では週三回の頻度で給食が支給されていた。近くのセンターから出来上がった料理が運ばれてくる。それを決められた当番の彼らが配膳することになっていた。
次々お盆にお皿を乗せた子供達が、並んで料理を受け取っていく。しかし、皆パンだけは受け取らず避けるように席へ戻っていった。
「あ、あの。パン……」
涼は必死に声をあげた。でも。
「おれ、今日パンいらない」
「わたしもー」
「あっ、あたしも」
みんなそれぞれ呟きながら、わらわらと散っていく。そこへ騒ぎを聞きつけた担任の教師が入ってきた。
「どうしたの。何の騒ぎ?」
散った子供達がそちらへ集まっていく。
「だってあいつが当番やってるんだもん」
そばかすのある少年が、仏頂面で教師を見上げて訴える。
「おれ、かあちゃんに言われた。目のびょうき、うつるから近づいたらダメよって」
それに賛同して、あちこちから一斉に声が飛び交う。涼は俯いて唇をぎゅっと噛みしめると、顔を上げた。
「大丈夫、だよ? パパもママもへいきだし、うつらないって言ってたもん」
精一杯、笑う。
ざわめきは止まらなかった。
「はい、静かに。とりあえず座りましょう」
先生がパンパンと手を叩く。子供達は渋々、各々の席へと散っていった。
この町に引っ越して三ヶ月。
こんな出来事は度々起きていた。彼の病気を教師すらよく知らない。
ここでは彼の病気に対する理解は全くといってなかった。
「ただいま」
緑色の屋根の広い家。大きな庭は綺麗に管理されている。その家の硬い木のドアを涼は開けた。
「おかえり」
色素の薄い亜麻色の髪の女性が彼を出迎えた。右目の下に黒子がある。彼の母親の流香だ。
「どう? 学校」
「……え」
彼女は優しい微笑みを浮かべて、靴を脱ぐ涼の後ろにしゃがんだ。彼は脱いだ靴をきちんと揃えると、くるりと振り返りにっこりと笑う。
「うん。たのしいよ」
それだけ言うとカバンを置くため部屋へと急ぐ。そんな少年を、流香は少し複雑な気持ちで見つめた。
「涼が?」
明るい栗色の髪に奥二重の瞳。ネクタイを外しながら涼の父、リオは首を傾げた。
「うん……、何も言わないけど……なんとなく変なの……。どうし……」
流香は思いつめて今にも泣き出しそうだ。
「いたっ」
急にデコピンをされた流香は不満そうにリオを睨みつける。そして逆襲とばかりに頭突きを食らわせると、革張りのソファに座り込んだ。
「私は真面目に言ってるの。これ以上涼に何かあったら、私は……」
「流香さん」
リオは薄く笑うと流香の肩にそっと手を置いた。
「涼の病気は流香さんのせいなんかじゃないよ。原因はまだ解明されてないんだから」
「でも」
流香は責めていた。自分を。何か防ぐ方法があったんじゃないか。何か、もっと。
彼女は泣いていた。
涼のために何かしたい。何でもするのに。
「流香さん、大丈夫だよ。大丈夫」
リオは膝をつき、彼女を抱きしめた。
その時、涼は部屋の学習机の前に座っていた。机の上には一枚の写真。病気がわかる前の家族三人の笑顔。
涼はそれを真っ直ぐ見つめたまま、ぎゅっと手を握る。
ママが泣いてる。
もっとがんばらなきゃ、もっと。
彼は深く頷いた。
低い雲。いつもの灰色の空。涼はゆっくり玄関のドアを開ける。流香がそれに続くように飛び出してきた。
「涼、暗くなる前に帰ってね。必ずよ」
「うん、わかってる」
彼女は涼の病気が解って以来、すっかり過保護になっていた。本当は涼を出かけさせることも怖がっているくらいだ。
涼は近くの公園へと向かった。ここで今日遊ぶと少年たちが話しているのを聞いたのだ。
はやく友だちをつくる。そうすれば安心させられる。そのためにもっとがんばる。そう思っていた。
「あれぇ」
涼は辺りを見回す。そこには少数の遊具があったが、子供の姿はないように見えた。その時、大きな石の滑り台の向こう側に隠れていた少年と目が合った。そばかすで垂れ目の少年だ。青い野球帽を被っている。
涼はいつもの何倍も重く感じる足に力を込め、やっとの一歩を踏み出した。
「あの……」
声がうわずる。涼はゆっくり呼吸をひとつした。
「ぼくをなかまに入れて。めいわく、かけないようにするから。いっぱい、いっぱい、がんばるから…」
滑り台の向こうに子供は四人いた。そのうちの一人、ふわふわした髪の可愛らしい女の子が口を開いた。
「入れてあげようよ」
「バッカぢゃん、みやび。目、見えなくなりたいのかよ」
そばかすの少年が猛反対する。ほかの二人も頷いた。
「やだ…、やだけど。でもかわいそうだよ。はなれて遊べばいいんじゃ……」
「そんなの、なかまじゃねぇ」
そう言い放つとそばかすの少年はすっくと立ち上がる。そして三人を見下ろして言った。
「とにかくここを脱出する」
石の陰から少年が飛び出してきた。涼は慌てて駆け寄ろうと歩を進める。その瞬間。
バシッとこめかみに痛みを感じた。何が起きたのか理解できなかった。
「今だ、にげろ」
少年の声。
「ほら、みやびちゃん行こう」
少女の声。
そして、走り去る四人の足音。ポーンと地面を跳ねるゴムボールを見て、それが頭に当たったんだと気付く。
彼は長い間、一歩もその場所を動けなかった。
その夜、涼はクロイくれよんを握った。それを家族の写真の自分に擦りつける。
たちまち彼はクロく塗りつぶされていった。
そう、まるで、彼の心のように。
それからも涼は学校に通った。日に日に重くなる足を必死に前に運んだ。変化のない日々。
しかし転機はやってきた。
目が覚めると涼は保健室にいた。ふかふかの白いベッド。彼はゆっくり起き上がる。白衣を着た養護教諭が近づいてきた。
「大丈夫? 君、教室で倒れたのよ」
「あ」
記憶が繋がる。
涼は今日も給食の当番をやろうとし、彼がやると食べれないからと割烹着の取り合いになり、転んでしまったのだ。
「涼くん」
涼は養護教諭の呼ぶ声に、うつろな瞳を向けた。差し出されたのは、白に赤い花柄の模様のハンカチだった。
「何?」
「手当してる時にね。ともだちが貸してくれたの。返しておいてね」
「ともだち、ぼくの?」
涼はそうっと丁寧にそのハンカチを受け取った。『しのたに みやび』とピンクの糸で刺繍されている。白い色がなぜか眩しく思えた。
「あ、それと念のためご両親にも連絡したから今日は早退して…」
その時ガラリと扉が開いた。そこにはリオと流香が二人揃って立っていた。
「涼、大丈夫?」
「どこだ、どこを打った?」
二人は涼に駆け寄る。養護教諭が簡単に説明をした。
「軽い脳震盪だとは思いますが、念のため…」
「頭か? 痛いか? 安心しろ。パパが優秀な医者を……ぎゃわっ」
「黙りなさい」の言葉と共にリオに拳骨が落ちた。流香は「どうぞ」と続きを促す。殴られた本人のリオは照れたように満面の笑みを浮かべていた。
「ママ……」
涼はベッドからゆっくり降りると、流香にハンカチを差し出した。
「これ…、返すから、せんたくして」
困ったように見上げる涼に、彼女は少し戸惑った表情を見せた後、目線を合わせるようにしゃがみ込む。そして丁寧にハンカチを両手で受け取ると、にっこりと微笑んだ。
「そうね。ママにまかせなさい」
「うん」
涼は天使のように笑った。
その夜。涼が風呂から上がった時、なぜか流香が思いつめた顔で立っていた。
「ママ?」
涼は不思議そうに首を傾げ、彼女が持っているものを見て言葉を失った。
それは写真だった。リオと流香とクロく塗りつぶされた、涼。
「涼、どうしてこんなことしたの。お願いだから、ママに話して。ね、できる?」
涼はうなだれて震えながら、ぽつりと、呟いた。小さな声は、辛うじて流香に届いた。彼女は小さな少年を強く抱きしめる。流香は泣いていた。
涼は、まだがんばれるよと心で呟き小さな拳を握りしめた。
狭い部屋。その部屋の長方形の机を挟み、担任の教師と涼の両親は向かい合っていた。
「涼の病気は、感染しません」
そう言いながら、リオは解りやすくまとめられたファイルを差し出した。担任はそれを一瞥すると、彼らの方に向き直る。眼鏡の奥の瞳が戸惑っていた。リオは姿勢を正したまま、話を続ける。
「原因や治療法はまだはっきりと確立してません。百パーセント解ってもらわなくてもいいんです。知る努力をしてもらえませんか」
「お願いします」
静かに話の成り行きを見守っていた流香が、いきなり立ち上がったことに教師だけでなく隣に座っていたリオさえも面食らった。
流香は深く深く頭を下げていた。
「あの子……。言ったんです。『自分の事いらない』って」
クロく塗りつぶされた写真。
「『自分は、いないほうがいい』って」
「流香さん」
リオは表情を曇らせると、流香の背中にそっと手を添えた。彼女は頭を上げなかった。窓から差し込む夕日に染められた部屋で、三人は暫く沈黙した。
生徒もまばらな古びた廊下。少年と少女は向かい合って立っていた。
「なんで?」
涼は、綺麗にシワを伸ばされたハンカチを少女に差し出していた。このハンカチの持ち主、『しのたに みやび』。ふわふわの髪に大きな瞳の少女。
「いらないって、なんで?」
涼は憂いを帯びた瞳で再度言った。みやびは戸惑いを隠せない表情で、差し出されたハンカチをじっと見つめている。彼女のお気に入りの白地に花柄の可愛い模様。
「ちゃんとせんたくして……」
涼は一歩踏み出して、それを手渡そうとした。
「さわらないでっ」
彼女自身も驚くような大声だった。はっとして目の前の少年を見る。
彼は大きく瞳を見開いて、固まっていた。傷ついた瞳。みやびは怯えたようにゆっくり後ずさると、駆け出していった。
少しずつ足音が遠ざかる。そして、それを待っていたかのように静寂が訪れた。
涼は人形のようにただそこにいた。
ぽとりとハンカチが艶のない廊下に落ちる。後を追うように水滴がパタパタ音を鳴らした。
「ママ、ごめんなさい……。ぼくもう、がんばれない」
涙が止め処なく溢れてきた。両腕で顔を覆う。
クロイセカイがそこにあった。
「……おっしゃることはわかります」
夕暮れの応接室で、銀縁の眼鏡をかけた涼の担任は戸惑った様子で口を開いた。神経質そうに眼鏡を押し上げる。
「でも、もしも、が心配なんです。ほかの子供達には、将来がありますし……」
「なっ」
「もう、いいです。……涼は転校させますから」
反論しようとしたリオを遮り、流香は低い声で言うと相手を睨みつけた。氷のようなまなざしだった。
リオはそんな彼女を、心酔したように見つめる。
「リオ、帰るわよ」
「ハイっ」
流香はすっかり凍りついている教師を置いて、扉へ向かった。リオが後を追う。
その時ガラリと扉が開いた。
「涼……」
扉に向かっていた二人は、その少年の様子に不思議な違和感を感じた。
「パパ、ママ」
涼は見ているようで見ていない、そんな空ろな目を彼らに向ける。そしてしっかりした口調ではっきり言いきった。
「ぼく、転校なんてしないよ」
誰も何も言えなかった。
『あいつら全員見返してやる』
そう決めた。
それが光に見えた。それを信じようと思った。
例えそれが、どんなに悲しい光であっても。
ガタンガタンと心地好い揺れに身を任せ、涼は浅い眠りを繰り返していた。遠い過去の夢を見た気がした。
「涼」
名前を呼ばれ寝ぼけまなこで見た先には、一枚のチラシを掲げ駆け寄ってくる健斗がいた。何が入っているのか、そのポケットは膨らんではち切れそうだ。
「お前、こんな場所で何拾ってきたんだよ」
窓枠に肘を置き手で頭を支えながら、涼は呆れ顔で欠伸をひとつした。
「拾ってないよ。列車探検してたら色んな人がくれたんだよ」
「そんなにか」
「向こうでお腹すかした従兄弟が待ってるって言ったらいっぱいくれたんだ」
髪を刈り上げた賑やかな少年は、ポケットから様々な食べ物を取り出しながら涼の向かいに腰を下ろす。
「従兄弟ではあるが、腹はすかしてない」
再び眠りに落ちようとする涼を、慌てて健斗が阻止した。
「ほら、これ見て。ねえ、ほらほらほら」
顔にグイグイと押し付けられるチラシを、栗色の髪をした少年は迷惑そうに受け取った。それは知らない街の祭りのものだった。
「この先の駅で乗り換えて、少し行ったとこでやってるんだって。ねえ、行ってみようよ」
「無駄な金使って寄り道するわけないだろ」
少し考えれば予想できた答えだが、健斗は想像以上にしょんぼりした。涼から返されたチラシを、俯いたままじっと見つめている。涼は呆れたようにそれを眺めていたが、諦めたようにひとつ息をついた。
「少し、だけだぞ。その分バイトも頑張れよ」
「やったー」
黒いつなぎの少年は、大喜びで飛び上がった。頭を上の棚にぶつけたが気にも止めていないようだ。
「静かにしろ」
「はい」
おとなしく席に着きチラシを凝視する少年を見て、薄く苦笑すると涼は目を閉じた。
遠い過去。
クロイセカイの底の底に落ちて、おれは過ごした。
そして、それから数年後。
かすかな
でも確かな光を見つけるんだけど
それは、また
別のお話。




